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第二部六章 軍師
誘降と説得
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「た……!」
信繁の言葉を聞いた久勝は、驚きの表情を浮かべた。
「竹中様を……武田家へ……?」
「勿論お主もだ。仙石殿」
そう言って、信繁は唖然とする久勝に微笑みかけ、「いや――」と言葉を継ぐ。
「お主らだけではない。この山に籠もる斎藤軍の中で、我が武田家への帰属を望む者が居れば、喜んで迎えよう」
「……!」
久勝は、信繁の言葉に当惑を隠せぬ様子で、問いかけるような目を半兵衛に向けた。だが、視線を向けられた半兵衛は、まるで黙祷でもしているかのように目を伏せている。
無反応を貫く半兵衛に何か言いかけた久勝だったが、開きかけた口をグッと噤むと、信繁の方に視線を戻した。
そして、眉を顰めながら、おずおずと尋ねる。
「武田様……正直、我らの立場を慮って武田家にお誘い頂いたのは嬉しゅうござるが……しかしながら、それは主家を裏切る事に――」
「なれば」
久勝の言葉を遮るように、信繁が声を上げた。
そして、真剣な眼差しを久勝に向けながら、静かなれども鋭いものを湛えた口調で言葉を継ぐ。
「お主と竹中殿は、本当に主家への忠義を尽くす為に命を捨てる気なのか? 主君の素行を戒める為にあえて起こした行動を逆恨みして憎んだり、『裏切り者の血』と蔑むような主と主家の為に……」
「そ、それは……」
信繁の率直な物言いに、久勝はたじたじとなって言い淀んだ。
と、動揺する彼に向け、昌幸が口を開く。
「仙石殿、悪い事は言わぬ。典厩様のお言葉に従いなされ」
「だ、だが……」
「確かに、武士であれば、主へ忠を尽くすべきだ。……仕えるに足る主ならば、な」
「……!」
「今一度とくとお考え下され。貴殿の主……斎藤右兵衛大夫 (龍興)殿は、貴殿と竹中殿ほどの武士が仕えるに足る主なのかどうかを――」
「……」
昌幸の言葉に、久勝は青い顔をして黙りこくった。
そんな彼を諭すように、昌幸は静かに言葉を継ぐ。
「――その点、拙者は自信を持って断言できるぞ。武田家の当主であらせられる信玄公こそ、武士が命を懸けてお仕えするに足る素晴らしき御方であるとな」
「むぅ……」
「信玄公は、大変に英邁な御方にござる。その上、家臣たちの持つ能力を的確に見通し、適所に配置してその力を存分に発揮させる事にも長けておられる。たとえ家の出自が卑しかろうが、他家から加わった陪臣だろうが、有能な者ならば厚遇なさるのだ」
「うむ。去る永禄四年 (西暦1561年)の川中島で討ち死した山本勘助もそうであった」
信繁が、昌幸の言葉に小さく頷いた。
「あの者も、その怪異な風貌が災いして、どこにも召し抱えられずに放浪しておったところを、信玄公がその才覚を見出して召し抱えたのだ。その後の目ざましき働きぶりは、美濃にも届いていたのではないか?」
「確かに……」
久勝は、信繁の言葉にハッとした様子で目を見開く。
「山本勘助……戦だけではなく、城の縄張りにも優れた才を持った稀代の知恵者であったと……」
「そうであろう?」
かつて勘助から様々な事を教え込まれた――いわば弟子筋にあたる昌幸は、まるで自分が褒められているかのように嬉しくなり、思わず顔を綻ばせた。
そして、コホンと咳払いをすると、更に話を続ける。
「まあ……そういう事に御座る。信玄公は、才ある者を決して軽々しくは扱わぬどころか、譜代・親族衆よりも重用もする御方だ。仙石殿や竹中殿が御味方となれば、きっとその力に相応しき働き場所を与えて下さることであろう」
「――相応しき働き場所……ですか」
昌幸の言葉にポツリと呟いたのは、それまでずっと沈黙をしていた半兵衛だった。
彼は、伏せていた目を上げると、自分に注目する信繁と昌幸の顔をじっと見つめながら、静かに問いかける。
「武田殿、武藤殿……本気でございますか?」
「本気?」
半兵衛の問いに、信繁は訝しげに訊き返し、すぐに大きく頷いた。
「もちろん本気だとも。冗談に聞こえたか?」
「……いえ」
信繁の答えに、半兵衛は僅かに言い淀みながら、静かに頭を振る。
そして、小さく息を吐くと、「ですが……」と続けた。
「私たち……特に私は、先の戦で安藤様に様々な策を授け、挙句に火縄銃による狙撃で武田様のお命を奪おうとした男です。なのに、そのような敵を進んで味方に誘おうなどとは……」
「何もおかしい事は無かろう?」
半兵衛の言葉に、信繁はフッと相好を崩す。
「――むしろ、あの戦で何度も肝を冷やされたからこそ、儂は貴殿を味方に引き入れようと思うたのだ。斯様な奇策を次々と考え出す男を味方に出来れば、我が武田家の一層の躍進は約束されたも同然――とな」
「……」
「安心なされよ、竹中殿、仙石殿」
そう、穏やかな声で言って、信繁は穏やかに微笑んでみせた。
「信玄公は、昌幸の言うた通りの大人物だ。貴殿らの事を徒や疎かには扱わぬ。それは、武田家の副将……いや、実の弟である儂が確と保証しよう」
「……竹中様」
信繁の言葉を聞いた久勝が、おずおずと半兵衛に声をかける。
激しく迷うような表情を浮かべている久勝をチラリと見た半兵衛は、彼に向かって小さく頷きかけ、それから信繁の方に向き直って、その顔を真っ直ぐに見つめた。
「……武田様」
「うむ」
「――武田様のお言葉、信じる事にいたしましょう」
そう告げると、半兵衛は両手を床につけ、深々と頭を下げる。
「私――竹中半兵衛重治、今後は甲斐武田家の臣として、力を尽くさせて頂きます」
「――この仙石新八郎久勝も、竹中様と同じく、これよりは武田家の御為に刀を振るいとうござりまする!」
戸の前に立っていた久勝も、どっかと土間に腰を下ろし、半兵衛に倣って深々と頭を垂れた。
「うむ!」
そんなふたりに満足げな顔で頷きかけた信繁は、傍らの昌幸と安堵の笑みを交わしたのだった――。
信繁の言葉を聞いた久勝は、驚きの表情を浮かべた。
「竹中様を……武田家へ……?」
「勿論お主もだ。仙石殿」
そう言って、信繁は唖然とする久勝に微笑みかけ、「いや――」と言葉を継ぐ。
「お主らだけではない。この山に籠もる斎藤軍の中で、我が武田家への帰属を望む者が居れば、喜んで迎えよう」
「……!」
久勝は、信繁の言葉に当惑を隠せぬ様子で、問いかけるような目を半兵衛に向けた。だが、視線を向けられた半兵衛は、まるで黙祷でもしているかのように目を伏せている。
無反応を貫く半兵衛に何か言いかけた久勝だったが、開きかけた口をグッと噤むと、信繁の方に視線を戻した。
そして、眉を顰めながら、おずおずと尋ねる。
「武田様……正直、我らの立場を慮って武田家にお誘い頂いたのは嬉しゅうござるが……しかしながら、それは主家を裏切る事に――」
「なれば」
久勝の言葉を遮るように、信繁が声を上げた。
そして、真剣な眼差しを久勝に向けながら、静かなれども鋭いものを湛えた口調で言葉を継ぐ。
「お主と竹中殿は、本当に主家への忠義を尽くす為に命を捨てる気なのか? 主君の素行を戒める為にあえて起こした行動を逆恨みして憎んだり、『裏切り者の血』と蔑むような主と主家の為に……」
「そ、それは……」
信繁の率直な物言いに、久勝はたじたじとなって言い淀んだ。
と、動揺する彼に向け、昌幸が口を開く。
「仙石殿、悪い事は言わぬ。典厩様のお言葉に従いなされ」
「だ、だが……」
「確かに、武士であれば、主へ忠を尽くすべきだ。……仕えるに足る主ならば、な」
「……!」
「今一度とくとお考え下され。貴殿の主……斎藤右兵衛大夫 (龍興)殿は、貴殿と竹中殿ほどの武士が仕えるに足る主なのかどうかを――」
「……」
昌幸の言葉に、久勝は青い顔をして黙りこくった。
そんな彼を諭すように、昌幸は静かに言葉を継ぐ。
「――その点、拙者は自信を持って断言できるぞ。武田家の当主であらせられる信玄公こそ、武士が命を懸けてお仕えするに足る素晴らしき御方であるとな」
「むぅ……」
「信玄公は、大変に英邁な御方にござる。その上、家臣たちの持つ能力を的確に見通し、適所に配置してその力を存分に発揮させる事にも長けておられる。たとえ家の出自が卑しかろうが、他家から加わった陪臣だろうが、有能な者ならば厚遇なさるのだ」
「うむ。去る永禄四年 (西暦1561年)の川中島で討ち死した山本勘助もそうであった」
信繁が、昌幸の言葉に小さく頷いた。
「あの者も、その怪異な風貌が災いして、どこにも召し抱えられずに放浪しておったところを、信玄公がその才覚を見出して召し抱えたのだ。その後の目ざましき働きぶりは、美濃にも届いていたのではないか?」
「確かに……」
久勝は、信繁の言葉にハッとした様子で目を見開く。
「山本勘助……戦だけではなく、城の縄張りにも優れた才を持った稀代の知恵者であったと……」
「そうであろう?」
かつて勘助から様々な事を教え込まれた――いわば弟子筋にあたる昌幸は、まるで自分が褒められているかのように嬉しくなり、思わず顔を綻ばせた。
そして、コホンと咳払いをすると、更に話を続ける。
「まあ……そういう事に御座る。信玄公は、才ある者を決して軽々しくは扱わぬどころか、譜代・親族衆よりも重用もする御方だ。仙石殿や竹中殿が御味方となれば、きっとその力に相応しき働き場所を与えて下さることであろう」
「――相応しき働き場所……ですか」
昌幸の言葉にポツリと呟いたのは、それまでずっと沈黙をしていた半兵衛だった。
彼は、伏せていた目を上げると、自分に注目する信繁と昌幸の顔をじっと見つめながら、静かに問いかける。
「武田殿、武藤殿……本気でございますか?」
「本気?」
半兵衛の問いに、信繁は訝しげに訊き返し、すぐに大きく頷いた。
「もちろん本気だとも。冗談に聞こえたか?」
「……いえ」
信繁の答えに、半兵衛は僅かに言い淀みながら、静かに頭を振る。
そして、小さく息を吐くと、「ですが……」と続けた。
「私たち……特に私は、先の戦で安藤様に様々な策を授け、挙句に火縄銃による狙撃で武田様のお命を奪おうとした男です。なのに、そのような敵を進んで味方に誘おうなどとは……」
「何もおかしい事は無かろう?」
半兵衛の言葉に、信繁はフッと相好を崩す。
「――むしろ、あの戦で何度も肝を冷やされたからこそ、儂は貴殿を味方に引き入れようと思うたのだ。斯様な奇策を次々と考え出す男を味方に出来れば、我が武田家の一層の躍進は約束されたも同然――とな」
「……」
「安心なされよ、竹中殿、仙石殿」
そう、穏やかな声で言って、信繁は穏やかに微笑んでみせた。
「信玄公は、昌幸の言うた通りの大人物だ。貴殿らの事を徒や疎かには扱わぬ。それは、武田家の副将……いや、実の弟である儂が確と保証しよう」
「……竹中様」
信繁の言葉を聞いた久勝が、おずおずと半兵衛に声をかける。
激しく迷うような表情を浮かべている久勝をチラリと見た半兵衛は、彼に向かって小さく頷きかけ、それから信繁の方に向き直って、その顔を真っ直ぐに見つめた。
「……武田様」
「うむ」
「――武田様のお言葉、信じる事にいたしましょう」
そう告げると、半兵衛は両手を床につけ、深々と頭を下げる。
「私――竹中半兵衛重治、今後は甲斐武田家の臣として、力を尽くさせて頂きます」
「――この仙石新八郎久勝も、竹中様と同じく、これよりは武田家の御為に刀を振るいとうござりまする!」
戸の前に立っていた久勝も、どっかと土間に腰を下ろし、半兵衛に倣って深々と頭を垂れた。
「うむ!」
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