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第1章
6・お飾り聖女は名前を付ける
しおりを挟む「すみません、お待たせしました」
私がトランクを持って修道院を出ると、リシャルト様は先ほどと同じ場所で待ってくれていた。
爽やかな笑顔をこちらに向けてくれる。
「大丈夫ですよ。では参りましょうか」
リシャルト様はそう言うと、さっと私からトランクを奪い、代わりとでも言うように空いた私の手を取った。
え、え、え……。
「リシャルト様……っ、手……っ」
こんなイケメンに、なんで手を繋がれているんだ……!!
「いけませんか?」
「いけなくはないですけど……っ」
顔が熱い!
男性経験が乏しい身としては、手を繋がれただけで意識してしまうのだ。
たとえ何か裏があるかもしれなくても、だ。
◇◇◇◇◇◇
そうしてリシャルト様の馬車に乗せてもらってからも、リシャルトは私の手を握ったままだった。
馬車はリシャルト様の屋敷へ向かって走る。
両脇の窓からは昼の城下の街並みが流れていっていた。
「まさか聖女様が僕の求婚を受けてくださるとは思ってもいませんでした」
隣に座るリシャルト様はウキウキとした様子だ。
それにしても何。なんなの、この宰相様。
もはや、逆に怖くなってきた。
確かにイケメンだ。紛うことなきイケメンだ。なんならどこぞのやかましい王太子様よりも、リシャルト様の方がパッと見王子に見える。
だがしかし、真意がしれない。
「あ、あの、私はもう聖女ではないので……」
私がどうにか絞り出すようにいうと、リシャルト様は「そういえばそうですね」と呟いた。
「では、あなたのお名前を教えてください」
リシャルト様に言われて、私ははたと動きを止める。
あれ、そういえば私、今世の名前あったっけ……。
6歳までは孤児で様々な施設を転々としてきたが、特に名前をつけてもらった覚えも、もちろん名を呼んでもらった覚えがなかった。
教会本部で暮らすようになってからは「聖女様」とばかり呼ばれていたために、自分の名前がなくても特に困りはしなかった。
そうして、聖女ではなくなった今、呼ばれる名前がなくなって困ることになっている。
何たる事態。さすがに想定外だった。
「えー、と、私の名前は……」
困った。どうしよう。
そんな私の頭にふと過ったのは、前世の自分だった。
花菱桔梗。
6月生まれのわたしを想って、前世の両親がつけてくれた大切な名だ。
花言葉もよく、前世ではとても気に入っていた。
「キキョウ、です」
再びこの名前を名乗ることになるとは思わなかった。全ては前世の記憶を思い出せたおかげだ。
「キキョウ様、というのですね。初めてあなたのお名前をお聞きしました。いくら列聖省の登録名簿を探しても、あなたのお名前が分からなかったものですから」
「あ、ははは……」
そりゃ、いくら名簿を探しても私の名前など出てこないだろう。
何せその名前、本人が今つけ直したのだから。
揺れる馬車の中、私は乾いた笑いをこぼしながら、どうにか取り繕おうと目線を逸らした。
「キキョウ様」
「あの、様付けしなくて大丈夫ですよ……」
聖女様、と呼ばれるのは『お医者様』とか『先生』みたいな感じで職業特有の呼び方なのかなと思っていたし、長年の慣れもあったから呼ばれて照れたりすることはなかった。
だが、さすがに前世からの名前に様を付けられるのは抵抗がある。
しかも、相手は私より年上のイケメン――しかも宰相閣下だ。むしろこっちが敬意を払わねばならないだろう。
「ですが……」
「お願いします」
渋るリシャルト様だったが、最終的に「それがあなたの願いなら」と了承してくれた。
「では、キキョウ」
「はい」
優しい微笑みとともにリシャルト様に名前を呼ばれて、むず痒くなる。
そわそわする。なんというか、いたたまれない、というか。
「あなたの自由は、僕が保証します……。どんな手を使っても」
真摯な瞳を向けられる。こんな言葉を、視線を、どうして私は向けられているのだろう。
好意を寄せられているのでは、とうっかり勘違いをしてしまいそうになるが、この宰相様とまともに会話したのは今日が初めてのはずだ。リシャルト様に求婚されてから、混乱して頭の処理が追いつかないことばかりだ。
というか、どんな手を使ってでもって……若干怖いな。
「わ……っ」
「ああ、ほらキキョウ。そろそろ着きますよ」
馬車が大きく揺れる。何やら段差を乗り越えたらしい。
リシャルト様の声に窓の外へ視線をやると、大きな屋敷が見え始めていた。
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