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第5章
45・宰相の妻はねだられる
しおりを挟むアルバート様はあっという間に衛兵たちに捕らえられた。
何やらぎゃーぎゃーと往生際悪く騒いでいたが、抵抗したところでお坊ちゃま育ちのアルバート様が鍛え抜かれた衛兵に勝てるわけもない。
衛兵たちに連れられていくアルバート様と、その後ろを静かについて行く黒装束の男たち。私の近くに横たわっていた傷ついた兵士は、医務室に運ばれるらしく担架に乗せられて行った。
ようやく教会が本来の静けさを取り戻し、リシャルト様はその場にしゃがみ込んだ。
床にへたりこんだままだった私と、間近で視線が合う。
「はぁ……。さすがの僕も、今回は肝が冷えましたよ」
リシャルト様が、私の顔を見て安心したように笑った。
「リシャルト様……。どうしてここがわかったんですか?」
リシャルト様ならきっと助けに来てくれるだろうと、心のどこかで思っていた。だが、想像していたよりもかなり早い。この時間、いつもならリシャルト様は仕事をしているか、屋敷に帰ろうとしている時間のはずだろう。
不思議に思って尋ねると、リシャルト様はああ、と呟いた。
「1時間ほど前、黒装束の男二人がどうしても話があると僕に面会を希望してきましてね……。アポのない来訪は基本受けないのですが、あまりにも焦った調子だと聞いて特別に許可を出したんです。そうしたら、王太子の指示の元であなたをさらったと自首してきたものですから……」
なるほど……。
あの黒装束の二人は、ハーバーさんを切りつけた後に後悔している素振りを見せたり、私に心配そうな瞳を向けてきたりしていた。いい人そうだと感じていたのは間違っていなかったらしい。
「それで慌てて屋敷に戻ったらあなたが本当にいなくて、ハーバーたちも黒装束の男と同じことを言うではありませんか。だから、すぐに衛兵を動かして捜索していたんですよ」
「……ありがとうございます、リシャルト様。助かりました」
リシャルト様の話しぶりからして、どうやらハーバーさんも無事なようで私はほっと息を吐き出した。
「いいえ、あなたが無事なら良かったです。あの黒装束の男たちのお陰で早くあなたを助けられたようなものですから、あの二人は罪を軽めにするように掛け合っても良いかもしれませんね」
ハーバーさんを切りつけたことは許せないけれど、黒装束の男たちがアルバート様を早々に裏切ってくれたお陰でリシャルト様が素早く動けたのは確かだった。
「まぁ、残り三人については然るべき罰を受けてもらいますけど」
リシャルト様が冷たい笑みを浮かべている。
我が夫ながら、こういう時は怖すぎる。一見さわやかに見えるのがまた恐ろしい。
あれ、でも三人って?
アルバート様と、エマ様はわかるけれど、あと一人は誰なんだろう。
「……明日分かりますよ」
私が首を傾げていると、リシャルト様はふっと笑った。
「それより……。さすがに疲れました。僕たちも、屋敷へ帰りましょうか」
「そうですね……」
エマ様とのお茶会での一件があって、怪我が治ったと思ったらこれだ。
アルバート様と対峙している時は気が張っていたせいか気づかなかったが、ほっとしたからか私にもどっと疲れがおしよせてきていた。
「キキョウ、手を」
リシャルト様が私に手を差し伸べてくる。
しばらく座りっぱなしで作業をしていたものだから、手を差し伸べてくれるのは少しありがたい。
そっと私の手を乗せると、リシャルト様は引き上げて立ち上がらせてくれた。
「ありがとうございます」
私がお礼を言ったのとほぼ同時に、リシャルト様にそっと腰に腕を回されて引き寄せられた。
「ねぇ、キキョウ」
リシャルト様が私の名前を呼ぶ声が聞こえる。
いつもより少し甘い声と、ほぼほぼ抱きしめられたような状態にドギマギしてしまった。
「可愛い最愛の妻を救出した夫に、ご褒美は頂けませんか?」
「え……っ」
至近距離で見下ろされる。
リシャルト様はいつものように穏やかに笑っていて、その甘い微笑みに私は心臓がどきりと跳ねるのを感じた。
「ご、ご褒美、って……?」
何が望みなんだろう、この宰相閣下は。
望めば大概のものは手に入るであろうこの人にねだられるのは、少し身構えてしまう。
「キスして欲しいです。あなたから」
「は、はい……っ!?」
さらりと告げられたリシャルト様の欲しいものに、私は思わず裏返った声を上げてしまった。
き、キスって……! 私から……!?
自分からそんなことしたことないし、恥ずかしくて、私はパニック状態だ。
しかしリシャルト様はそんな私の様子を知ってか知らずか(多分リシャルト様のことだから分かっている)、さらに言葉を重ねた。
「あなたからされたことがないので、して欲しいです。……いけませんか?」
最後だけ少し不安そうに言ってくるものだから、リシャルト様ってずるいなぁと思う。
「い、いけなくはないですけど……」
いけなくはない。リシャルト様にキスをすることが嫌なわけではない。
ただ、ひどく恥ずかしいだけだ。
「わぁ、それは嬉しいです」
リシャルト様はにこにことしている。
思わず後退りをしたくなるが……。
腰にはリシャルト様の腕がしっかりと回っており、私は逃げられないことをようやく悟った。
あ、これは覚悟を決めるしかないって事ね――。
私は恥ずかしい気持ちを誤魔化すように深く息を吐き出すと、リシャルト様に向かってすこしだけ背伸びをした。
リシャルト様の唇に、そっと自分のものを重ねる。
――こ、これでいいよね……っ。
私はすぐに離れようとしたのだが、それは叶わなかった。
「……っんん」
リシャルト様が私の後頭部に手を回し、強く引き寄せてきたから。
「キキョウ……。大好きです」
「リ、シャルトさま……ぁ」
腰と頭に手を回されているせいで逃げられない。
角度を変えて何度も口付けられるせいで、息がまともにできなかった。
苦しいのに、なんだかほわほわとして……。身体中が熱を持つ。
「あなたが僕のそばにいてくれるなら、それだけで幸せです」
――この人が私の存在を求めてくれるなら、これ以上の幸せはない。
リシャルト様に甘やかに囁かれて、私はもう何も考えられなかった。
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