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七章
13、夏【3】
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絲さんは、俺が切った西瓜を殊のほか喜んでくれた。
力のない笑顔やけど。それでも、こうしてなんか食べてくれることが嬉しい。
「種、取ったろか」
「いえ、大丈夫ですよ」
「蒼一郎さんは過保護ですねぇ」と絲さんは微笑む。
そして「きっととてもいいお父さんになりますね」と言うてくれたんや。
俺は寝台の側に椅子を置いて、腰を下ろした。
そして、絲さんの手を握ったんや。
ひんやりとした手は、やっぱり薄くて心許なかった。
「はよ元気になろな。それでやっぱり元気な子と一緒に家に帰ろな」
「はい」
海風が、病室の白いカーテンを揺らす。
潮の匂いと消毒の匂いが混じった風。
病院に……絲さんと一緒におるときは気にならへんのに。
一人で家に帰った時に、ふわっとこの独特の匂いが鼻をかすめて、時々寂しくなる。
子を産むんは命懸けや。そんな大変なことが、絲さんに耐えられるんやろか。
午後になり、他の面会の人らが来たんか、病院内は賑やかな雰囲気に包まれた。
せやな。すでに赤ん坊を産んで、その子を見にきとう人もおるもんな。
結局昼飯もあんまり食わんかった絲さんは、俺が見守る中で静かに眠った。
苦しいやろに、つらいやろに。
泣き言も言わんと、強いな……強なったな。
もし、そんな風に声をかけたら「だってお母さんになるんですもの」と、また力なく微笑むのだろう。
「ほな、帰るわ。仕事もせなあかんから」
俺は絲さんの頭を撫でて、そして頬にそっと接吻をした。
ふわりと窓から風が吹きこんで、絲さんの石鹸の香りが鼻をくすぐる。
家で使とう石鹸と違て、入院用に買うた石鹸やから。いつもの絲さんと匂いが違う。
なんか……そよ風が触れるみたいなくちづけって。少年みたいで照れるやん。
そう思てたら、絲さんも恥じらって頬を赤く染めとう。
「済まんな。目ぇ覚めてしもたか」
「は、恥ずかしいですね。病室で……その、頬とはいえ接吻は」
「まぁな」
病室ってヤツは、看護婦がすぐに部屋に入ってくるから。なんというか、あいつらの目をかすめるくらいの接吻しか出来へん。
そんな風に病院に通って、絲さんの様子を見て過ごしとう内に、十月を迎えた。
臨月ってヤツや。
◇◇◇
出産の予定日にはまだ少し早い日の夜。
その日は、じっとりと蒸し暑うて、夜になっても汗が引かんかった。
庭師が丹精した月下美人が、それはもう見事に咲き誇って。暗い闇の中でもぽうっと灯りをともしたように白く浮き上がって見えた。
月下美人って、名前は儚げなのに。花の色も白いし宵闇にひっそりと咲くから、もっと遠慮がちなんかと思たけど。
花の形も匂いも、なかなかに派手やな。
ああ、絲さんがおったら「珍しい花ですね」とか「まるで香水みたいな甘い香りですね」と喜んだやろに。
こんな香りのきつい花は、病室には持っていかれへんし。
そもそも切り花にしたら、萎れてしまいそうや。
ねっとりと澱んだ大気の中、闇に浮かび上がるように白い月下美人を睨みつけとったら、波多野がぎょっとした顔をした。
「なにか、酒でも持ってきましょか?」
「いや、別に飲みたいわけやない」
静かな……いや、静かすぎる夜やと思た。
その時や。
俥の車輪のけたたましい音が、塀の外から聞こえたんや。
その音は、うちの門の前で停まった。
俺は慌てて立ち上がった。ぎゅっと拳を握りしめて。
力のない笑顔やけど。それでも、こうしてなんか食べてくれることが嬉しい。
「種、取ったろか」
「いえ、大丈夫ですよ」
「蒼一郎さんは過保護ですねぇ」と絲さんは微笑む。
そして「きっととてもいいお父さんになりますね」と言うてくれたんや。
俺は寝台の側に椅子を置いて、腰を下ろした。
そして、絲さんの手を握ったんや。
ひんやりとした手は、やっぱり薄くて心許なかった。
「はよ元気になろな。それでやっぱり元気な子と一緒に家に帰ろな」
「はい」
海風が、病室の白いカーテンを揺らす。
潮の匂いと消毒の匂いが混じった風。
病院に……絲さんと一緒におるときは気にならへんのに。
一人で家に帰った時に、ふわっとこの独特の匂いが鼻をかすめて、時々寂しくなる。
子を産むんは命懸けや。そんな大変なことが、絲さんに耐えられるんやろか。
午後になり、他の面会の人らが来たんか、病院内は賑やかな雰囲気に包まれた。
せやな。すでに赤ん坊を産んで、その子を見にきとう人もおるもんな。
結局昼飯もあんまり食わんかった絲さんは、俺が見守る中で静かに眠った。
苦しいやろに、つらいやろに。
泣き言も言わんと、強いな……強なったな。
もし、そんな風に声をかけたら「だってお母さんになるんですもの」と、また力なく微笑むのだろう。
「ほな、帰るわ。仕事もせなあかんから」
俺は絲さんの頭を撫でて、そして頬にそっと接吻をした。
ふわりと窓から風が吹きこんで、絲さんの石鹸の香りが鼻をくすぐる。
家で使とう石鹸と違て、入院用に買うた石鹸やから。いつもの絲さんと匂いが違う。
なんか……そよ風が触れるみたいなくちづけって。少年みたいで照れるやん。
そう思てたら、絲さんも恥じらって頬を赤く染めとう。
「済まんな。目ぇ覚めてしもたか」
「は、恥ずかしいですね。病室で……その、頬とはいえ接吻は」
「まぁな」
病室ってヤツは、看護婦がすぐに部屋に入ってくるから。なんというか、あいつらの目をかすめるくらいの接吻しか出来へん。
そんな風に病院に通って、絲さんの様子を見て過ごしとう内に、十月を迎えた。
臨月ってヤツや。
◇◇◇
出産の予定日にはまだ少し早い日の夜。
その日は、じっとりと蒸し暑うて、夜になっても汗が引かんかった。
庭師が丹精した月下美人が、それはもう見事に咲き誇って。暗い闇の中でもぽうっと灯りをともしたように白く浮き上がって見えた。
月下美人って、名前は儚げなのに。花の色も白いし宵闇にひっそりと咲くから、もっと遠慮がちなんかと思たけど。
花の形も匂いも、なかなかに派手やな。
ああ、絲さんがおったら「珍しい花ですね」とか「まるで香水みたいな甘い香りですね」と喜んだやろに。
こんな香りのきつい花は、病室には持っていかれへんし。
そもそも切り花にしたら、萎れてしまいそうや。
ねっとりと澱んだ大気の中、闇に浮かび上がるように白い月下美人を睨みつけとったら、波多野がぎょっとした顔をした。
「なにか、酒でも持ってきましょか?」
「いや、別に飲みたいわけやない」
静かな……いや、静かすぎる夜やと思た。
その時や。
俥の車輪のけたたましい音が、塀の外から聞こえたんや。
その音は、うちの門の前で停まった。
俺は慌てて立ち上がった。ぎゅっと拳を握りしめて。
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