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おっさん、交渉が決裂
しおりを挟む箱舟……通称【アーク】とは神々の遺した遺産【神担武具】の一種である。
それは圧倒的な力を秘めた巨大な戦艦であり、さらに聖典に綴られた話が本当であるならば――魔族との最終決戦を控えレムリソン大陸に生存するありとあらゆる生命体に及ぶ危機を憂いた神々の用意した避難船(シェルター)でもある。
番(つがい)となった数多の生命体及び信仰厚き人々を乗せた箱舟は、神々も魔族も去り新たな息吹を吹き込まれた大地へと降り立ち、希望の種子を広げたのだと言う。
だが人類最古の歴史を持つサーフォレム魔導学院の研究者らが提唱する様に、俺自身もこの説には懐疑的だ。
教会関係者が信者に対する権威と神々の威光を示す為、都合のいいように変遷をしたのではないかと思われる節があるからだ。
例えば箱舟を用意した神々の慈悲の前に、全てのものは伏して感謝の声を上げ涙を流した――とあるが、狡猾な妖魔や魔獣がそんなことをする筈がない。
形容し難いあいつらの邪悪さは実際に刃を交えた者しか認識出来ないだろう。
所詮、人族とは相容れない仲だという事は……犠牲を経てのみ実感するからだ。
聖職者の述べる善良で信心深い小鬼(ゴブリン)?
確かに世界中を隈なく探せばいるのかもしれない(否定はしない)が……
人前に出て来ない小鬼こそが、良い小鬼である。
何せ同業の冒険者には這いつくばって許しを請う幼い妖魔の姿に油断し、背後から奇襲を受けて落命した者もいるのだから。
しかし大陸の端々に刻まれた大戦の爪痕から、遥かなる過去に人外規模の戦いが行われた事は明確であり、似た様な事はあったのだろうと推測はできる。
故にソーヤの言う箱舟に関して疑うつもりはない。
不確かな未来を識る者として、彼なりに考えたから至った道なのだろう。
到底真似できぬその規模と遂行能力には羨望すら覚える。
では何が俺をここまで苛立たせているのか客観的に判別すると――
その方法というか手段が気に喰わないのだ。
滅びに向かって抗うことは全ての存在に架せられた正当な権利である。
けど――血を流し正面から戦うことだけが戦いではない。
己の務めを全うし日々を懸命に生きる事だって立派な戦いだろう。
家族を守る父の慈愛。
家庭を守る母の寵愛。
弟妹を守る兄姉の無償の絆。
誇示されること無き当たり前の想いは連綿と受け継がれ――
世の理を為していく。
人の可能性と自尊を信じるからこそ――彼の提案に賛同したとはいえ、生きる屍じみた廃人の様な姿を晒す人々の扱いと受け入れた人々に我慢がならなかった。
盲信的に何かを崇め己を放棄する。
それは思考する事を止めた奴隷の価値観じゃないか?
共に苦悩を分かり合い――苦難に立ち向かう同志はいなかったのだろうか?
安易な救いに手を伸ばせば、手痛いしっぺ返しが……取り返しも付かないことがあるとは思わなかったのだろうか?
煮え滾る激情が貌に出ていたのだろう。
批難がましい俺の憤怒を受け、ソーヤは痛ましく憂う様に瞼を伏せて応じる。
「貴方も重々承知の通り――破滅の未来は避けられない。
だからこそ、わたしはこの都市そのものを箱舟と化したのです。
次世代に希望を繋ぐ為に。
人々の祈りを途絶えさせぬ為に。
さあ、ガリウス殿――わたしの主旨は説明致しました。
共に未来を識る者同士……可能ならば貴方には協力を願いたい。
心からの、ね。
その為にこの都市内部に招き入れましたし――妨害もしなかったのですから」
「なるほど。道理で外界と隔てる障壁以外はすんなり潜入出来た訳だ。
まさか防衛側に拒む気が無かったとは、な。
ただ……ひとつ、訊きたい」
「なんでしょうか?」
「聖域都市の外にいる者達はどうする?」
「全てを救うことは出来ません。
なればこそ――神に代わり衆生を選別し命の選定を行いましょう」
「傲慢だな。見捨てられる命については手を差し伸べる事も無いのか」
「許容範囲な犠牲です。
わたしと神が救うのは人族という種そのものであり人としての自己の証明。
種の前に個としての意義は不要。
それ以外に興味もリソースも避けません。
救済とは本来そういうものです」
「箱舟を騙る檻の中で信仰を嵩に禁忌を侵し、人々の願いにすら手を加えて……
驕れる神にでもなったつもりか?」
「人々が望み、渇望するとあらば。
それ故にこうも言われるのです……【必要悪】と」
「ならばお題目事は沢山だ。
お前の言う意義も価値観も俺とは合わない。
ただ己の全てを用いてお前を否定してやる」
「交渉は決裂、ですか」
「端から交渉する気はなかった癖に良く言う」
「ほう……さすがは忌まわしき龍の使徒。
よくぞ見抜いた、とまずは称賛しておきましょうか……
貴方の骨子を心から屈服させる前に、ね」
冷徹な一面を隠そうともせず――
聖者ソーヤ・クレハは聖職者に相応しい慈愛の微笑を唇に乗せ告げるのだった。
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