【完結】そんなに好きなら、そっちへ行けば?

雨雲レーダー

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優しさの奥

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 王都の外れにある、小さな路地裏のカフェ。
 木製の看板が揺れ、控えめな花壇には季節外れの花がいくつか咲いている。
 クラリスは、そのカフェの片隅、窓際の席で静かに紅茶を口にしていた。
 午後の光がぼんやりと差し込み、通りを行き交う人々の気配が遠くに聞こえる。
 貴族たちが訪れることは少ない、平民街の落ち着いた場所だった。

 カップを置いたその瞬間、遠慮がちな足音がそっと近づいてきた。
 顔を上げると、そこにいたのはリナリアだった。
 静かに周囲をうかがいながら、気配を消すように歩み寄るその姿は、まるで誰にも気づかれないように息を潜めているようだった。
 それでも微かに浮かぶ柔らかな微笑みが、彼女の胸の内の想いをそっと伝えていた。

「お待たせしました、クラリスお姉様」

 クラリスは静かに頷き、リナリアを席に促した。

「無理をしていないかしら?」

「少し疲れているだけです。でも、こうして外の空気を吸うと気持ちが落ち着きます」

 リナリアはそう言いながら椅子に腰を下ろし、クラリスの差し出した紅茶を受け取った。
 ほんの少しの沈黙が流れ、二人は静かにカップを傾けた。

「今日は……殿下は?」

「執務室です。今日はどうしても少し気晴らしがしたくて、花屋の様子を見てくるとだけ告げて、王宮を抜け出してきました」

 リナリアはふわりと微笑んだ。
 その笑顔は柔らかく、けれどどこか遠くを見つめているような影を帯びていた。

「……それで、体調のほうは?」

 クラリスが問いかけると、リナリアは少しだけ肩をすくめた。

「変わらず、ですね。あまりお姉様に心配させたくありませんから、気をつけています」

 その言葉に、クラリスは瞳を細めた。
 リナリアがどれだけ無理をしているかは、表情や口調の端々に滲んでいた。
 それでも、彼女は誰にもそれを悟らせまいとしている。

「……あなたは、いつも人のことばかりね」

 クラリスは紅茶を口に運びながら、ため息をついた。

「お姉様も、でしょう?」

 リナリアは静かに笑った。
 二人の間には、表向きには語られない理解があった。
 互いが背負うものを知りながら、それでも今この時間だけは穏やかに過ごしている。

「レオン様と……最近、よくお会いするのですか?」

 リナリアがふと、そんな問いを投げかけた。
 クラリスは驚きはしなかったが、少しだけ表情を崩した。

「ええ、王家の件で協力していただいているわ。彼は頼れる方よ」

「はい……。レオン様は、優しい方ですね」

 その呟きに、クラリスはカップを置いた。
 リナリアの瞳は、どこか遠くを見ていた。
 その表情に、クラリスの胸がわずかにざわついた。

「……彼と、何かあったの?」

 問いかけると、リナリアは小さく笑った。
 けれどその笑みには、どこか複雑なものが混じっていた。

「いいえ。ただ……少しだけ、お話しただけです」

「それは……どういう?」

 クラリスは問い詰めるわけではなく、ただ気になっただけだった。
 リナリアは小さく首を振る。

「噴水の近くで、少しだけ話をしたんです。枯れた花を見て、私が寂しいと言ったら……レオン様が、無理をしなくていいと。ただ、それだけのことです。でも、少し嬉しかったです」

 リナリアの声は穏やかだったが、どこか哀しみを隠していた。
 クラリスはその言葉を聞きながら、胸の奥に小さな棘が刺さるような感覚を覚えた。

「彼は、確かに優しいわ」

「ええ。でも……」

 リナリアは言いかけて、微笑んだ。

「お姉様には、もっとたくさん優しくしてくれると思います」

 その言葉に、クラリスは驚いたように瞳を揺らした。
 リナリアはそのままカップを持ち上げ、紅茶を口に含んだ。

「レオン様がお姉様を見ているときの目は、いつもすごく優しいから」

「……そうかしら?」

 クラリスは微かに笑いながらも、心の奥に波紋が広がるのを感じた。
 レオンと過ごす時間が、いつの間にか心地よいものになっていたのは確かだった。
 それでも、リナリアの言葉が、自分の心を予想以上に揺さぶっていることに気づいていた。

「クラリスお姉様」

 リナリアがそっと声をかけた。
 その声は、少しだけ震えていた。

「私……あとどのくらい、この穏やかな時間を過ごせるんでしょう」

 その問いかけに、クラリスは何も答えられなかった。
 ただ静かに、リナリアの手に自分の手を重ねた。

「大丈夫よ。まだ、時間はあるわ」

 それがどれほど自分にとっても願いであるかを、クラリスは理解していた。
 二人の間に静かな時間が流れ、春の風がまた、花々を揺らしていた。
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