【完結】そんなに好きなら、そっちへ行けば?

雨雲レーダー

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静かなる幕開け

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 クラリスが手配した医師が、商人を装って部屋を訪れた。
 窓から春の日差しが差し込む中、部屋には重い空気が満ちていた。

「……やはり、無理はなさらぬほうがよろしいかと」

 医師はそう言いながら、リナリアの手首に触れ、脈を測った。
 けれど、その顔にはすでに答えが出ているような影が落ちていた。

「ありがとうございます」

 リナリアは微笑み、医師を見送った。
 ベッドに横たわるその姿は、以前よりもさらに細く、肌も透けるように白かった。

 扉が閉まり、静寂が戻る。
 その中で、クラリスは椅子に腰をかけ、じっとリナリアを見つめていた。

「……嘘でもいいから、医師に『回復しています』くらい言ってもらえないかしら」

「ふふ……それは無理でしょうね」

 リナリアは肩をすくめ、苦笑した。
 だが、その笑顔の裏で、胸の奥に鈍い痛みが走っているのを隠しきれなかった。

「お姉様、今、どこまで進んでいますか?」

「王家の財務記録と、南部領地の商人たちの証言はすでに揃ったわ。全てリナリアのおかげよ。レオン様が調整している証人も、間もなくジークフリート殿下のもとに出向く準備が整う」

「……もうすぐですね」

 リナリアは目を伏せ、静かに息を吐いた。
 その表情はどこか遠くを見ているようだった。

「あと少し。すべてが終わるまで……私は、生きていられるでしょうか」

 クラリスの声は静かだった。
 けれど、その奥にはどうしようもない焦りと祈りが込められていた。

「……リナリア、少し休んで?」

 クラリスが静かに声をかける。
 だが、リナリアはかすかに首を振った。

「大丈夫。まだ、やるべきことが残っています」

 その声は穏やかだったが、目に宿る光は揺らがなかった。

「殿下に王宮に部屋を与えられてから、私はずっと記録を集めていました。会計文書の写しや王妃が内密に動かした献金の記録、南部の商会との裏取引の証言……。ほんの一部だけど、もう言い逃れはできないはず」

 リナリアは、小さく息を吐いた。

「殿下に気づかれないように立ち回るの、けっこう大変だったんですよ?」

 そう言って笑った顔には疲労の色が浮かんでいたが、どこか誇らしげでもあった。

「お姉様ったら。そんな顔しないで」

 リナリアはそっと微笑んだ。
 その表情は、これまで共に計画を練ってきた共犯者のものではなく、クラリスのそばで育った、一人の妹のような少女の顔だった。

「私、最期の時は、笑っていたいんです」

「……そうなるわ。必ず、そうしてあげる」

 言葉がなくても、視線ひとつでわかる。二人の間には、それだけの絆があった。


 その頃――。

 レオン・ヴァルシュタインは、ジークフリートの執務室にいた。
 分厚い資料と証拠書類を机の上に広げ、淡々と報告を続ける。

「これが、王家の財政の流れを示す証拠です。各領地からの過剰徴収、民間商人の取り潰し、そして私腹を肥やした貴族たちの名簿も」

 ジークフリートは金の瞳を細め、一枚一枚に目を通していく。
 その表情に、感情の起伏はなかった。
 だが、静かな怒りがその奥に宿っているのは、レオンにはわかった。

「これだけあれば……奴らを追い詰めるには十分だな」

「はい。ただ……王家を暴くとなれば、民も動揺するでしょう」

 レオンは冷静に言葉を続ける。
 ジークフリートは頷き、椅子に深く座り直した。

「それでも、変えねばならない。この国が変わるには、古い膿をすべて出し切るしかない」

「……我々も、それを望んでいます」

 レオンはまっすぐジークフリートを見た。
 二人の間には、言葉以上の覚悟が流れていた。

「国政会議は、三日後だ」

「了解しました。準備は整えます」

 レオンは資料を片付け、立ち上がった。
 その瞳には、決して揺るがぬ決意が宿っていた。

 クラリスとリナリアのために。
 そして、この国の未来のために。

 その夜の、ヴァルシュタイン邸の一室。
 クラリスとレオンは再び顔を合わせていた。

「ジークフリート殿下が動き始めたわ」

 クラリスは静かに報告し、手にしていた資料をレオンに渡す。

「三日後の国政会議。……これが最後の戦いね」

「ああ。逃げ場はない」

 レオンは資料に目を通しながら、淡々と答えた。
 けれど、その言葉の奥に、熱い感情がこもっていた。

「リナリアは、大丈夫か?」

「今は安定しているわ。でも、時間はもう……」

 クラリスの声がわずかに震えた。
 レオンは彼女の隣に座り、ゆっくりと手を取った。

「君はよく戦っている」

「私たち、よ」

 クラリスはわずかに微笑んだ。
 その笑顔は、これまでのどんな社交の場でも見せたことのない、素直なものだった。

 夜風が窓を揺らし、静かな決意を抱えたまま、二人は再び戦いの時を待った。
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