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第20話 元社畜は、怠惰の神様と雇用契約を結ぶ
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70時間。
地獄のような70時間だった。
だが、終わった。
「最後の一本だ」
俺は祖父の鍵を、最後の結び目に差し込んだ。
パキン。
乾いた音。
泥団子が、ゆっくりと崩れていく。
融合していた魔物たちが弾け飛ぶ。
ゴブリンが転がり、スライムが跳ね、トレントが根を伸ばして這い出す。
オークは這いずりながら、階段の方へ消えていった。
35年分の圧縮が、解放された。
「旦那、やったね!」
ハチさんが俺の肩を叩いた。
190cmの巨体に叩かれると、体が揺れる。
「お疲れさん、カイト坊」
タエさんが煙管をふかしながら言った。
「終わった、終わったさね」
俺は膝をついた。
視界が霞む。
これが本当の「デスマーチ」か。
◆
泥団子があった場所に、白い繭が残っていた。
人の形に膨らんでいる。
「くさくない」
タマが鼻をひくつかせた。
「さっきまで、すごくくさかった。でも、あれは、くさくない」
悪意がない。
俺は繭に手を伸ばした。
触れた瞬間、白い布がほどける。
中から現れたのは、女の子だった。
黒髪。白い着物。
見た目は10歳前後。
だが、その瞳は違った。
千年の井戸を覗き込んでいるような、底のない深さ。
女の子は目を開けた。
空気が、凍った。
「誰」
低い声だった。
幼い見た目に似合わない、腹の底に響く重さ。
「誰が起こした」
女の子の周囲に、黒い霧が立ち昇る。
瘴気だ。
35年分の澱みとは比べものにならない、純粋な「厄」の気配。
「私は、寝ていたかったのに」
ミレイが裁ち鋏を構えた。
ハチさんが拳を握る。
タエさんが煙管を逆手に持ち替えた。
だが、俺は手を挙げて制した。
「待て。敵意はない」
「敵意?」
女の子が俺を見た。
底のない瞳が、俺を映す。
「敵意なんて、どうでもいい」
黒い霧が膨らんだ。
「私は、35年間、静かに寝ていた。誰にも邪魔されず、何もせず、ただ眠っていた」
霧が俺たちを取り囲む。
「それを。お前が。起こした」
女の子の声に、怒りが滲んだ。
「この土地に、厄災を撒いてやろうか」
脅しではない。
本気だ。
この存在は、その気になれば本当にやる。
俺は冷や汗をかいた。
まずい。
70時間の徹夜明けで、頭が回らない。
だが、ここで間違えたら全てが終わる。
俺は深呼吸した。
「名前を聞いていいか」
「……ザシキ」
「座敷童子か」
「ちがう。もっとえらい」
女の子の目が細まった。
「この土地の、かみさま」
土地神。
福の神の最上位種。
やはりか。
「ザシキ。一つ、提案がある」
「……なに」
「ここより快適な場所を、用意できる」
ザシキの眉が動いた。
「快適?」
「ああ。魔導炬燵がある。永遠に冷めない、至高の暖かさだ」
俺は続けた。
「神饌もある。マンドラゴラ大根の煮物。ダンジョン産の最高級品だ」
「……煮物」
「布団も用意する。神棚の特等席だ。日当たりがいい。誰にも邪魔されない」
ザシキの目が、わずかに揺らいだ。
黒い霧の勢いが、少し弱まる。
効いている。
俺はたたみかけた。
「ここにいても、どうせ邪魔される。俺たちが起こしたように、他の誰かも起こしに来る」
「……それは」
「だが、俺の家に来れば違う。結界がある。侵入者は自動で排除される。誰も、お前を起こさない」
ザシキは黙った。
俺は最後のカードを切った。
「それに、お前の力を無駄にはしない」
「力?」
「福を呼ぶ力だ。その力を、結界維持に回してくれ」
ザシキが首を傾げた。
「結界?」
「ああ。お前が寝ているだけで、敷地全体が守られる。福を呼ぶ力を、防衛に全振りするんだ」
俺は言った。
「働かなくていい。何もしなくていい。ただ、寝ていろ。それだけで、お前の力は結界になる」
ザシキは、しばらく俺を見つめていた。
やがて、黒い霧が消えた。
「……変な人」
「よく言われる」
「前の管理人と、同じこと言ってる」
「じいさんか」
「うん。あの人も言ってた。『働くな、寝てろ、お前がいるだけでいい』って」
俺は天を仰いだ。
じいさん。
お前、神様にまで「働くな」って言ってたのか。
「……炬燵、あるんだよね」
「ある」
「煮物も」
「今夜、用意する」
「……じゃあ、いい」
ザシキは欠伸をした。
「でも、起こしたら、許さないから」
「起こさない。約束する」
契約成立。
土地神との交渉は、なんとか成功した。
◆
古民家に戻った。
ザシキを神棚に案内する。
布団を敷き、マンドラゴラ大根の煮物を供えた。
「……おいしい」
ザシキは煮物を食べながら、満足そうにうなずいた。
「炬燵は」
「こっちだ」
魔導炬燵を見せると、ザシキの目が輝いた。
「……すごい」
すぐに潜り込んで、丸くなった。
「にゃー」
タマが抗議の声を上げた。
「あれ、私の場所」
そういえば、タマは炬燵の主だった。
「……先に寝てたもん」
ザシキが炬燵から顔を出して言った。
「どいて」
「やだ」
猫又と土地神の縄張り争いが始まった。
俺は見なかったことにした。
「カイトさん、大丈夫?」
ミレイが心配そうに覗き込んできた。
「ああ。ただ、寝る」
俺は空いている畳に倒れ込んだ。
「ミレイ、後は任せた」
「はい。おやすみなさい、カイトさん」
俺は、泥のように眠った。
◆
目が覚めたのは、翌日の夕方だった。
炬燵を見る。
ザシキが布団から顔を出していた。
その隣で、タマが丸くなっている。
和解したらしい。
最高のニートコンビが誕生していた。
「第4階層、安定したよ。崩壊の危険はなくなったみたい」
ミレイが味噌汁を持ってきた。
「ザシキの力が、結界に回ってるおかげかも」
寝ているだけで結界維持。
究極の不労防衛システムだ。
70時間の労働が、報われた。
俺は味噌汁を啜った。
うまい。
「ミレイ。ありがとう。お前がいなかったら、乗り越えられなかった」
ミレイの頬が赤くなった。
「も、もう。そんなこと言わなくていいですから」
俺は炬燵を見た。
守り神が二匹に増えた。
面倒なことになりそうだ。
だが、悪くない。
俺は再び目を閉じた。
まだ寝足りない。
あと12時間くらい寝たい。
それが、社畜を辞めた男の、ささやかな贅沢だった。
続く
地獄のような70時間だった。
だが、終わった。
「最後の一本だ」
俺は祖父の鍵を、最後の結び目に差し込んだ。
パキン。
乾いた音。
泥団子が、ゆっくりと崩れていく。
融合していた魔物たちが弾け飛ぶ。
ゴブリンが転がり、スライムが跳ね、トレントが根を伸ばして這い出す。
オークは這いずりながら、階段の方へ消えていった。
35年分の圧縮が、解放された。
「旦那、やったね!」
ハチさんが俺の肩を叩いた。
190cmの巨体に叩かれると、体が揺れる。
「お疲れさん、カイト坊」
タエさんが煙管をふかしながら言った。
「終わった、終わったさね」
俺は膝をついた。
視界が霞む。
これが本当の「デスマーチ」か。
◆
泥団子があった場所に、白い繭が残っていた。
人の形に膨らんでいる。
「くさくない」
タマが鼻をひくつかせた。
「さっきまで、すごくくさかった。でも、あれは、くさくない」
悪意がない。
俺は繭に手を伸ばした。
触れた瞬間、白い布がほどける。
中から現れたのは、女の子だった。
黒髪。白い着物。
見た目は10歳前後。
だが、その瞳は違った。
千年の井戸を覗き込んでいるような、底のない深さ。
女の子は目を開けた。
空気が、凍った。
「誰」
低い声だった。
幼い見た目に似合わない、腹の底に響く重さ。
「誰が起こした」
女の子の周囲に、黒い霧が立ち昇る。
瘴気だ。
35年分の澱みとは比べものにならない、純粋な「厄」の気配。
「私は、寝ていたかったのに」
ミレイが裁ち鋏を構えた。
ハチさんが拳を握る。
タエさんが煙管を逆手に持ち替えた。
だが、俺は手を挙げて制した。
「待て。敵意はない」
「敵意?」
女の子が俺を見た。
底のない瞳が、俺を映す。
「敵意なんて、どうでもいい」
黒い霧が膨らんだ。
「私は、35年間、静かに寝ていた。誰にも邪魔されず、何もせず、ただ眠っていた」
霧が俺たちを取り囲む。
「それを。お前が。起こした」
女の子の声に、怒りが滲んだ。
「この土地に、厄災を撒いてやろうか」
脅しではない。
本気だ。
この存在は、その気になれば本当にやる。
俺は冷や汗をかいた。
まずい。
70時間の徹夜明けで、頭が回らない。
だが、ここで間違えたら全てが終わる。
俺は深呼吸した。
「名前を聞いていいか」
「……ザシキ」
「座敷童子か」
「ちがう。もっとえらい」
女の子の目が細まった。
「この土地の、かみさま」
土地神。
福の神の最上位種。
やはりか。
「ザシキ。一つ、提案がある」
「……なに」
「ここより快適な場所を、用意できる」
ザシキの眉が動いた。
「快適?」
「ああ。魔導炬燵がある。永遠に冷めない、至高の暖かさだ」
俺は続けた。
「神饌もある。マンドラゴラ大根の煮物。ダンジョン産の最高級品だ」
「……煮物」
「布団も用意する。神棚の特等席だ。日当たりがいい。誰にも邪魔されない」
ザシキの目が、わずかに揺らいだ。
黒い霧の勢いが、少し弱まる。
効いている。
俺はたたみかけた。
「ここにいても、どうせ邪魔される。俺たちが起こしたように、他の誰かも起こしに来る」
「……それは」
「だが、俺の家に来れば違う。結界がある。侵入者は自動で排除される。誰も、お前を起こさない」
ザシキは黙った。
俺は最後のカードを切った。
「それに、お前の力を無駄にはしない」
「力?」
「福を呼ぶ力だ。その力を、結界維持に回してくれ」
ザシキが首を傾げた。
「結界?」
「ああ。お前が寝ているだけで、敷地全体が守られる。福を呼ぶ力を、防衛に全振りするんだ」
俺は言った。
「働かなくていい。何もしなくていい。ただ、寝ていろ。それだけで、お前の力は結界になる」
ザシキは、しばらく俺を見つめていた。
やがて、黒い霧が消えた。
「……変な人」
「よく言われる」
「前の管理人と、同じこと言ってる」
「じいさんか」
「うん。あの人も言ってた。『働くな、寝てろ、お前がいるだけでいい』って」
俺は天を仰いだ。
じいさん。
お前、神様にまで「働くな」って言ってたのか。
「……炬燵、あるんだよね」
「ある」
「煮物も」
「今夜、用意する」
「……じゃあ、いい」
ザシキは欠伸をした。
「でも、起こしたら、許さないから」
「起こさない。約束する」
契約成立。
土地神との交渉は、なんとか成功した。
◆
古民家に戻った。
ザシキを神棚に案内する。
布団を敷き、マンドラゴラ大根の煮物を供えた。
「……おいしい」
ザシキは煮物を食べながら、満足そうにうなずいた。
「炬燵は」
「こっちだ」
魔導炬燵を見せると、ザシキの目が輝いた。
「……すごい」
すぐに潜り込んで、丸くなった。
「にゃー」
タマが抗議の声を上げた。
「あれ、私の場所」
そういえば、タマは炬燵の主だった。
「……先に寝てたもん」
ザシキが炬燵から顔を出して言った。
「どいて」
「やだ」
猫又と土地神の縄張り争いが始まった。
俺は見なかったことにした。
「カイトさん、大丈夫?」
ミレイが心配そうに覗き込んできた。
「ああ。ただ、寝る」
俺は空いている畳に倒れ込んだ。
「ミレイ、後は任せた」
「はい。おやすみなさい、カイトさん」
俺は、泥のように眠った。
◆
目が覚めたのは、翌日の夕方だった。
炬燵を見る。
ザシキが布団から顔を出していた。
その隣で、タマが丸くなっている。
和解したらしい。
最高のニートコンビが誕生していた。
「第4階層、安定したよ。崩壊の危険はなくなったみたい」
ミレイが味噌汁を持ってきた。
「ザシキの力が、結界に回ってるおかげかも」
寝ているだけで結界維持。
究極の不労防衛システムだ。
70時間の労働が、報われた。
俺は味噌汁を啜った。
うまい。
「ミレイ。ありがとう。お前がいなかったら、乗り越えられなかった」
ミレイの頬が赤くなった。
「も、もう。そんなこと言わなくていいですから」
俺は炬燵を見た。
守り神が二匹に増えた。
面倒なことになりそうだ。
だが、悪くない。
俺は再び目を閉じた。
まだ寝足りない。
あと12時間くらい寝たい。
それが、社畜を辞めた男の、ささやかな贅沢だった。
続く
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