真空ベータの最強執事は辞職したい~フェロモン無効体質でアルファの王子様たちの精神安定剤になってしまった結果、執着溺愛されています~

水凪しおん

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第5話「王城の食卓は火薬庫の匂い」

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 オルヴァンス王家では、週に一度、兄弟全員が揃って夕食を摂るという決まりがあった。
 表向きは家族の団欒だが、実態は互いの腹を探り合い、マウントを取り合う冷戦の場である。
 特に今夜は、空気が違った。
 ダイニングルームの扉を開けた瞬間から、火花が散っていたのだ。

 長テーブルの上座には空席の王の席。
 その右手に第一王子テオドール、左手に第二王子レオナルド、その隣に第三王子ウィリアム。
 給仕を担当するのは俺、ルシアンだ。
 俺がスープを配膳しようと近づくと、三人の視線が一斉に俺に突き刺さった。

「ルシアン、私のグラスが空だ」
 テオドールが低い声で言う。まだ半分入っている。
「ルシアン! 肉だ、肉を切ってくれ!」
 レオナルドがナイフを放り出して叫ぶ。自分できるだろ、それくらい。
「ルシアン、このソースの成分について詳細な説明を求めたい。耳元で」
 ウィリアムが狡猾な笑みを浮かべて手招きする。

 三方向からの同時要求。
 俺は完璧なポーカーフェイスで、流れるように対応する。
 テオドールのワインを注ぎ足し、レオナルドの皿の肉を一口大に切り分け、ウィリアムに小声でソースのレシピを解説する。
 すべてが一分の隙もない、完璧な給仕だ。
 だが、問題はその後だった。

「……おい」
 テオドールがレオナルドを睨みつけた。
「レオナルド。貴様、なぜルシアンの匂いがついている?」
 氷の刃のような声だ。室温が三度下がった気がする。
 レオナルドは鼻で笑い、ワインを一気に飲み干した。
「あん? そりゃあ昼間、俺の汗を拭かせて抱きついたからな。文句あんのか?」
「……抱きついただと?」
 ガチャン、とテオドールの手の中でフォークが曲がった。

「お二人とも野蛮ですね」
 ウィリアムがナプキンで口元を拭いながら、冷ややかな視線を送る。
「ルシアンは私の睡眠管理担当です。昨夜は彼のおかげで八時間も熟睡できました。私の寝室で、ずっとそばにいてもらったのでね」
「貴様……寝室に入れたのか?」
「殺すぞウィリアム」

 テオドールとレオナルドの殺気がウィリアムに向けられる。
 三人の強烈なフェロモンが衝突し、テーブルの上のキャンドルが激しく揺らめいた。
 給仕のメイドたちは既に全員気絶して床に倒れている。
 立っているのは俺だけだ。

「皆様、お食事中に私語が過ぎます」
 俺は静かに、しかし断固とした口調で告げた。
「スープが冷めます。それに、これ以上の騒ぎで食器を破損された場合、それぞれの私費から弁償していただきます」
 俺の声が響くと、不思議と場の空気が鎮まる。
 彼らは一瞬、ハッとしたように俺を見て、それからバツが悪そうに視線を逸らした。

「……分かった」
「ちっ、シケたこと言うなよ」
「……食事を続けましょうか」
 彼らは大人しくスプーンを動かし始めた。
 俺の「鎮静効果」が、無意識下で彼らの暴走を抑制しているのだ。
 だが、その視線だけは、俺をロックオンしたまま離さない。
 三頭の猛獣が、たった一つの餌――いや、マタタビを取り囲んでいる図だ。

『どうしてこうなった……』
 俺は倒れたメイドたちをどう運ぶか考えながら、内心で頭を抱えた。
 平和な事務職を希望したはずが、いつの間にか王位継承権争いならぬ「執事所有権争い」の中心に立たされている。
 早く逃げ出さなければ、骨の髄までしゃぶり尽くされそうだ。
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