真空ベータの最強執事は辞職したい~フェロモン無効体質でアルファの王子様たちの精神安定剤になってしまった結果、執着溺愛されています~

水凪しおん

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第9話「風邪と看病と包囲網」

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 その朝、俺はベッドから起き上がれなかった。
 体が鉛のように重く、視界がぐらぐらと揺れる。喉が焼けつくように痛い。
 風邪だ。
 過労がたたったのだろう。三人の王子の精神安定剤役と、通常の執事業務、それに加えて夜会の事後処理までこなしていれば、いかに転生者といえど体は悲鳴を上げる。

『……休むか』
 俺はふらつく手で枕元のベルを鳴らし、同僚に伝言を頼もうとした。
 しかし、俺が声を出す前に、部屋の扉が乱暴に開かれた。

「ルシアン! 朝のコーヒーがまだだぞ! ……おい、どうした?」
 入ってきたのはレオナルドだった。
 彼はベッドに横たわる俺を見て、瞬時に顔色を変えた。
「おい! ルシアン!? 顔が赤いぞ! 死ぬのか!? おい!」
 声がでかい。頭に響く。
 彼は慌てふためき、俺の体を揺さぶった。
「やめ……揺らさないで……」
「しっかりしろ! 医者だ! いや、神官か!? 誰か呼べぇぇぇ!!」

 彼の絶叫を聞きつけて、すぐにテオドールとウィリアムも駆けつけてきた。
 狭い使用人の個室に、王位継承者三人が密集する異常事態。
 俺の熱で朦朧とした視界には、彼らの蒼白な顔が映っていた。

「熱が高い……! ウィリアム、最高級のポーションを持ってこい!」
「すでに手配しました! それより氷嚢です、頭を冷やさなくては!」
「俺が温めてやる! 俺の体温は高いからな!」
「馬鹿か貴様は! 熱がある人間に抱きついてどうする! 離れろ!」

 怒号と足音が飛び交う。
 彼らは普段、人に仕えられることしか知らない王族だ。看病などしたことがあるはずがない。
 テオドールは冷たいタオルを作ろうとしてバケツの水をぶちまけ、レオナルドは窓を全開にして強風を招き入れ、ウィリアムは大量の薬瓶を並べて「どれを調合すれば最強の解熱剤になるか」とブツブツ呟いている。

『……静かにしてくれ』
 俺は心の中で嘆願したが、声にはならなかった。
 それでも、彼らの必死さは伝わってくる。
 ただの執事が風邪を引いただけで、国が傾くほどの大騒ぎをしているのだ。
 やがて、ウィリアムが差し出した特製シロップ(毒々しい色をしていたが、味は甘かった)を飲まされ、俺は泥のような眠りに落ちた。

 次に目を覚ました時、部屋は静まり返っていた。
 窓の外はすでに夕闇に包まれている。
 俺のベッドの周りには、三つの椅子が置かれ、そこに三人の王子が座り込んでいた。
 彼らも疲れ果てたのか、浅い眠りについているようだ。

 テオドールは腕を組み、眉間にシワを寄せたまま。
 レオナルドは口を開けて豪快に。
 ウィリアムは眼鏡を外し、本を抱えたまま。
 俺の額には、丁寧に折りたたまれたタオルが乗っていた。水がこぼれた床も、いつの間にか綺麗に拭かれている。

『……不器用な人たちだ』
 俺は少しだけ笑みを浮かべた。
 彼らは俺を「便利な道具」として見ているだけではないのかもしれない。
 そんな自惚れじみた考えがよぎる。
 俺が身じろぎをすると、テオドールがハッと目を覚ました。

「……ルシアン? 目が覚めたか?」
 彼の声に、他の二人も飛び起きる。
「おい、大丈夫か!? まだ熱はあるか?」
「気分はどうですか? 水分は?」
 一斉に詰め寄る彼らの表情は、安堵と疲労が入り混じっていた。

「……ご迷惑をおかけしました。もう大丈夫です」
 俺が掠れた声で言うと、テオドールは深く息を吐き出し、俺の手を握りしめた。
「二度と倒れるな。心臓が止まるかと思ったぞ」
「本当だぜ。お前がいなくなったら、俺たちはどうすりゃいいんだよ」
 レオナルドがべそをかきそうな顔で言う。
「健康管理も業務の一環ですよ。……ですが、無事でよかった」
 ウィリアムが珍しく素直な言葉を漏らす。

 その言葉の端々から、俺という存在の重さが伝わってくる。
 それは依存という鎖かもしれないが、同時に、温かい絆のようにも感じられた。
 俺は彼らの手から伝わる体温を感じながら、この奇妙な共同生活から逃れられないことを、どこかで納得し始めていた。
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