真空ベータの最強執事は辞職したい~フェロモン無効体質でアルファの王子様たちの精神安定剤になってしまった結果、執着溺愛されています~

水凪しおん

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第10話「隣国の視線」

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 風邪の一件以来、王子たちの過保護ぶりはさらに加速していたが、それを嘲笑うかのように新たなトラブルが舞い込んだ。
 隣国ガルディアから、外交使節団が訪れたのだ。
 ガルディアはフェロモン工学が発達した国であり、国民の多くがアルファやオメガの性質を強く持っている。

 歓迎の宴の席。
 俺はいつものように三人の王子の背後で給仕をしていた。
 使節団の団長であるカイル王子は、金髪碧眼の典型的なアルファで、その視線は鋭い。
 彼は会談中、頻繁に俺の方をチラチラと見ていた。

「……オルヴァンス殿下、後ろに控えている彼だが」
 カイル王子が口を開いた。
「先ほどから気になっていたのだが、彼はベータだね?」
 テオドールの眉がピクリと動く。
「それが何か?」
「いや、ただのベータにしては……空気が清浄すぎる。私の国の研究機関で聞いたことがある。『真空のベータ』という希少種について」
 カイル王子の目が、研究者のように細められた。
「アルファのフェロモンを無効化するだけでなく、吸収して鎮静化させる特異体質。もし彼がそうなら、国宝級の価値がある」

 場の空気が凍りついた。
 テオドール、レオナルド、ウィリアムの三人が、同時にカイル王子を睨みつける。
 殺気が具現化しそうなほどの圧力だ。

「……彼はただの執事だ」
 テオドールが低く唸るように言った。
「そうかな? 君たち兄弟がこれほど落ち着いていられるのも、彼のそばにいるからではないのか?」
 カイル王子は核心を突いてきた。
 そして、挑発的な笑みを俺に向ける。
「おい、君。我が国に来ないか? 研究対象としてではない、賓客として迎えよう。君のその『才能』があれば、我が国では王族に準ずる待遇を約束する」

 引き抜きだ。
 しかも、国家レベルの。
 俺は内心で冷や汗をかいた。自分の体質がバレていたことにも驚きだが、それを交渉のカードに使われるとは。

「お断りします」
 俺が答える前に、ウィリアムが冷ややかに遮った。
「彼は我が国の大事な……公務員です。輸出の予定はありません」
「本人に聞いているんだがね」
 カイル王子は引かない。
「こんなフェロモンまみれの野蛮な城より、我が国の管理された環境の方が快適だぞ?」

 その言葉が、レオナルドの導火線に火をつけた。
 バン! とテーブルを叩き、レオナルドが立ち上がる。
「おい、てめぇ。俺たちのルシアンにちょっかい出してんじゃねぇぞ。外交特権があろうが関係ねぇ、叩き潰すぞ」
「おや、怖い怖い」
 カイル王子は肩をすくめたが、その目は笑っていない。

 テオドールが静かに立ち上がり、俺の前に立ちはだかった。
 背中で俺を隠すように。
「……話は終わりだ。帰れ」
 これ以上の議論は不要だと言わんばかりの拒絶。
 カイル王子は「残念だ」と呟きながら立ち上がったが、去り際に俺にウィンクを投げかけた。
「考えが変わったら連絡してくれ。いつでも歓迎するよ」

 彼らが去った後、部屋には重苦しい沈黙が残った。
 三人の王子は、俺を取り囲むように立った。
「……ルシアン」
 テオドールが俺の手首を掴む。
「あの男の言葉に、耳を貸すなよ」
「俺たちを置いて行ったりしねぇよな?」
 レオナルドの不安げな声。
「対策が必要です。彼らは強硬手段に出る可能性があります」
 ウィリアムの予言めいた言葉。

 彼らの不安は、的中することになる。
 『真空のベータ』というレアリティは、俺が思っている以上に、世界にとって垂涎の的だったのだ。
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