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第2話: 見えない壁
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雪村結との共同生活が始まって、一週間が過ぎた。
晶の抱いた予感は、残念ながら的中した。二人の間に流れる空気は、息が詰まるほどに張り詰めたままだ。
晶は寮長として、そしてルームメイトとして、結との距離を縮めようとあらゆる努力を試みた。
「雪村、朝飯の時間だぞ。食堂、混む前に一緒に行かないか?」
「……後で行きます」
ベッドの上で体を起こした結は、晶に背を向けたまま短く答える。その声には、明確な拒絶の色が滲んでいた。
結局、結が食堂に姿を見せるのは、ほとんどの生徒が食事を終え、がらんとした時間になってからだった。広い食堂の隅の席で、彼はいつも一人、黙々と食事を平らげ、誰とも視線を合わせることなく部屋に戻っていく。
教室でも状況は同じだった。休み時間になると、彼は決まって窓際の一番後ろの席で、外の景色を眺めている。その背中に話しかけようとするクラスメイトもいたが、結が放つ人を寄せ付けないオーラに気圧され、すぐに諦めてしまう。まるで、自分と世界の間に分厚い透明な壁を築き、その中に閉じこもっているかのようだ。
「謎の美少年」。
いつしか、結は学園内でそう呼ばれるようになっていた。その整いすぎた容姿は確かに人の目を引くが、彼の氷のような無表情と徹底した孤立主義は、好奇の視線を次第に遠巻きのものへと変えていった。
晶は、それでも声をかけ続けた。
「今日の授業、予習してきたか? あの古典の先生、いきなり当てるから厄介だよな」
「……」
「週末、街に出るけど、何か買ってきたいものとかあるか?」
「……別に」
最低限の返事、あるいは完全な無視。晶の言葉は、暖簾に腕押し、糠に釘。どんな言葉も、彼の心の扉をノックすることすらできずに弾き返される。
寮長としての義務感。最初は、それだけのはずだった。問題児の面倒を見るのは、自分の役目だ。そう自分に言い聞かせていた。
だが、日が経つにつれて、晶の心には別の感情が芽生え始めていた。
焦り。そして、苛立ち。
誰にでも平等に接し、どんな相手とも打ち解けてきた自信が、音を立てて崩れていくような感覚。今まで、こんなにも徹底的に拒絶された経験はなかった。
「なあ、晶。あいつ、マジで何考えてるか分かんねえよな」
ある日の昼休み、親友の健太が心配そうに話しかけてきた。
「コミュニケーション取る気ゼロって感じだし。寮長だからって、無理して関わらなくてもいいんじゃないか?」
「……まあな。でも、同じ部屋だし、放っとくわけにもいかないだろ」
「お前は真面目すぎるんだよ」
健太の言う通りかもしれない。だが、晶にはもう一つ、自分でも認めがたい感情が渦巻いていた。
苛立ち以上に強い、好奇心。
あのガラス玉のような瞳の奥には、一体何が隠されているのか。なぜ、彼はあそこまで頑なに心を閉ざすのか。感情というものを、どこかに置き忘れてきてしまったような彼の、本当の姿を見てみたい。
知りたい。
その抗いがたい欲求が、義務感を凌駕し始めていることに、晶自身も気づき始めていた。
その日の夜、シャワーを浴びて部屋に戻ると、結がベッドサイドの小さなランプだけをつけ、一冊の文庫本を読んでいた。オレンジ色の柔らかな光が、彼の白い横顔を静かに照らし出している。その姿は一枚の絵画のように美しく、近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。
「……雪村」
晶が声をかけると、結の肩が微かに震えた。ゆっくりとこちらに向けられた瞳には、一瞬、警戒の色が浮かんで、すぐに消えた。
「……何ですか」
「いや……別に、用は無いんだけど」
言葉に詰まる。何を言えばいいのか分からなかった。ただ、この静寂が、この見えない壁が、どうしようもなくもどかしくて、たまらなかった。
結はそれ以上何も言わず、再び視線を本に戻す。
ページをめくる、かすかな音だけが部屋に響く。
晶は自分のベッドに腰を下ろし、ただじっと、本の文字を追う結の姿を見つめていた。
これは本当に義務感だけなのか? なぜ、自分は雪村結から目が離せないのだろう。
答えの出ない問いが、静寂の中に溶けていく。二人の距離は、すぐ隣にあるベッドの幅よりも、ずっとずっと遠いように感じられた。
晶の抱いた予感は、残念ながら的中した。二人の間に流れる空気は、息が詰まるほどに張り詰めたままだ。
晶は寮長として、そしてルームメイトとして、結との距離を縮めようとあらゆる努力を試みた。
「雪村、朝飯の時間だぞ。食堂、混む前に一緒に行かないか?」
「……後で行きます」
ベッドの上で体を起こした結は、晶に背を向けたまま短く答える。その声には、明確な拒絶の色が滲んでいた。
結局、結が食堂に姿を見せるのは、ほとんどの生徒が食事を終え、がらんとした時間になってからだった。広い食堂の隅の席で、彼はいつも一人、黙々と食事を平らげ、誰とも視線を合わせることなく部屋に戻っていく。
教室でも状況は同じだった。休み時間になると、彼は決まって窓際の一番後ろの席で、外の景色を眺めている。その背中に話しかけようとするクラスメイトもいたが、結が放つ人を寄せ付けないオーラに気圧され、すぐに諦めてしまう。まるで、自分と世界の間に分厚い透明な壁を築き、その中に閉じこもっているかのようだ。
「謎の美少年」。
いつしか、結は学園内でそう呼ばれるようになっていた。その整いすぎた容姿は確かに人の目を引くが、彼の氷のような無表情と徹底した孤立主義は、好奇の視線を次第に遠巻きのものへと変えていった。
晶は、それでも声をかけ続けた。
「今日の授業、予習してきたか? あの古典の先生、いきなり当てるから厄介だよな」
「……」
「週末、街に出るけど、何か買ってきたいものとかあるか?」
「……別に」
最低限の返事、あるいは完全な無視。晶の言葉は、暖簾に腕押し、糠に釘。どんな言葉も、彼の心の扉をノックすることすらできずに弾き返される。
寮長としての義務感。最初は、それだけのはずだった。問題児の面倒を見るのは、自分の役目だ。そう自分に言い聞かせていた。
だが、日が経つにつれて、晶の心には別の感情が芽生え始めていた。
焦り。そして、苛立ち。
誰にでも平等に接し、どんな相手とも打ち解けてきた自信が、音を立てて崩れていくような感覚。今まで、こんなにも徹底的に拒絶された経験はなかった。
「なあ、晶。あいつ、マジで何考えてるか分かんねえよな」
ある日の昼休み、親友の健太が心配そうに話しかけてきた。
「コミュニケーション取る気ゼロって感じだし。寮長だからって、無理して関わらなくてもいいんじゃないか?」
「……まあな。でも、同じ部屋だし、放っとくわけにもいかないだろ」
「お前は真面目すぎるんだよ」
健太の言う通りかもしれない。だが、晶にはもう一つ、自分でも認めがたい感情が渦巻いていた。
苛立ち以上に強い、好奇心。
あのガラス玉のような瞳の奥には、一体何が隠されているのか。なぜ、彼はあそこまで頑なに心を閉ざすのか。感情というものを、どこかに置き忘れてきてしまったような彼の、本当の姿を見てみたい。
知りたい。
その抗いがたい欲求が、義務感を凌駕し始めていることに、晶自身も気づき始めていた。
その日の夜、シャワーを浴びて部屋に戻ると、結がベッドサイドの小さなランプだけをつけ、一冊の文庫本を読んでいた。オレンジ色の柔らかな光が、彼の白い横顔を静かに照らし出している。その姿は一枚の絵画のように美しく、近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。
「……雪村」
晶が声をかけると、結の肩が微かに震えた。ゆっくりとこちらに向けられた瞳には、一瞬、警戒の色が浮かんで、すぐに消えた。
「……何ですか」
「いや……別に、用は無いんだけど」
言葉に詰まる。何を言えばいいのか分からなかった。ただ、この静寂が、この見えない壁が、どうしようもなくもどかしくて、たまらなかった。
結はそれ以上何も言わず、再び視線を本に戻す。
ページをめくる、かすかな音だけが部屋に響く。
晶は自分のベッドに腰を下ろし、ただじっと、本の文字を追う結の姿を見つめていた。
これは本当に義務感だけなのか? なぜ、自分は雪村結から目が離せないのだろう。
答えの出ない問いが、静寂の中に溶けていく。二人の距離は、すぐ隣にあるベッドの幅よりも、ずっとずっと遠いように感じられた。
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