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第6話「溶かされる心、芽生える信頼」
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蓮さんの胸に顔をうずめたまま、僕はしばらく動けなかった。
彼の腕が、僕の背中を優しく抱きしめる。
力強い鼓動と、雪の森の香りに包まれていると、心の奥深くにあった不安や恐怖が、ゆっくりと溶けていくようだった。
「湊」
耳元で、蓮さんが僕の名前を呼ぶ。
その声が、今までで一番甘く響いた。
「君の過去に、何があったのかは聞かない。君が、自分の口で話したくなるまで待つ」
「……」
「だが、これだけは覚えておいてくれ。君はもう、一人じゃない」
その言葉が、僕の心の最も柔らかい場所に、じんわりと染み込んだ。
一人じゃない。
その言葉が、どれほど僕を救ってくれたか、きっと彼は知らないだろう。
僕は、彼の腕の中で、小さく頷いた。
初めて、この人に全てを委ねてみてもいいのかもしれない、と。
そう思った。
その夜を境に、僕と蓮さんの関係は、少しずつ変化していった。
ぎこちなかった会話は、次第に自然なものになっていった。
一緒に食事をし、一緒に映画を観て、他愛もない話で笑い合う。
その一つ一つが、僕にとっては新鮮で、温かいものだった。
蓮さんは、僕が思っていたような冷たい人間ではなかった。
仕事のことになると、今でも厳しい表情を見せることはあるが、僕と二人きりの時は、いつも穏やかで、優しい。
僕が作った料理を「うまい」と少し照れくさそうに言ってくれたり、僕が読んでいる本に興味を示して、内容を尋ねてきたり。
彼の、今まで知らなかった一面を知るたびに、僕の心は、どうしようもなく彼に惹きつけられていった。
ある日、僕は蓮さんの書斎で、一冊の古いアルバムを見つけた。
こっそり開いてみると、そこには幼い頃の蓮さんの写真がたくさんあった。
今と変わらない、整った顔立ち。
でも、その表情は、今よりもずっと無邪気で、柔らかい。
「何を見ているんだ」
背後から声をかけられ、僕は飛び上がるほど驚いた。
いつの間にか、蓮さんが僕の後ろに立っていた。
「わっ……!ご、ごめんなさい!勝手に……!」
慌ててアルバムを閉じようとする僕の手を、蓮さんがそっと制した。
「構わない。別に、隠すようなものじゃない」
彼はそう言うと、僕の隣に座り、アルバムを一緒に覗き込んだ。
「ひどい顔だろう。小さい頃は、泣き虫だったんだ」
写真の中の彼は、確かに泣きそうな顔で、母親らしき女性に抱きついている。
「……かわいい、です」
僕がぽつりと言うと、蓮さんは少し驚いたように目を見開いた。
そして、ふっと、柔らかく笑った。
彼がこんな風に笑うのを、僕は初めて見た。
「君にそう言われると、悪くないな」
僕の心臓が、また大きく音を立てる。
彼の笑顔は、まるで太陽みたいに、僕の心を明るく照らした。
僕たちは、その日、日が暮れるまで、アルバムを見ながら色々な話をした。
蓮さんの子供の頃の話、学生時代の話。
そして、橘財閥を継ぐ者としての、彼の苦悩や孤独。
彼は、今まで誰にも話したことのないであろう、自分の弱い部分を、僕にだけは見せてくれた。
それが、たまらなく嬉しかった。
僕も、少しだけ、自分の話をした。
田舎の古い家で、厳格な父親のもとで育ったこと。
オメガとして生まれたことで、ずっと息苦しさを感じていたこと。
自分の力で生きていきたくて、家を飛び出してきたこと。
蓮さんは、黙って僕の話を聞いてくれた。
僕の話を、一度も遮ったり、否定したりしなかった。
ただ、静かに頷きながら、僕の言葉を受け止めてくれた。
「……辛かったな」
僕が話し終えると、蓮さんは僕の髪を優しく撫でた。
その手つきと声に、僕はまた、泣きそうになるのを必死でこらえた。
この人は、僕のことを本当に理解しようとしてくれている。
ただ、番だからという理由だけじゃない。
水瀬湊という一人の人間として、僕を見てくれている。
その事実が、僕の心を温かいもので満たしていった。
信頼、という言葉が、頭に浮かんだ。
僕は、この人を信じたい。
そして、この人にも、僕を信じてほしい。
「蓮さん」
僕は、彼の顔をまっすぐに見上げた。
「僕のこと、もっと知ってほしいです。そして、蓮さんのことも、もっと知りたい」
僕の言葉に、蓮さんは一瞬、息をのんだ。
そして、その黒い瞳に、深い愛情の色をたたえて、ゆっくりと頷いた。
「ああ。もちろんだ、湊」
彼の指が、僕の唇をそっとなぞる。
そして、ゆっくりと顔が近づいてきて――。
その時、蓮さんのスマートフォンが、けたたましい音を立てて鳴り響いた。
甘い空気は、無遠慮な電子音によって、一瞬で断ち切られる。
蓮さんは、顔をしかめると、少しだけ名残惜しそうに僕から体を離した。
「すまない、仕事の電話だ」
彼は電話に出ると、すぐに表情を「氷の支配者」へと切り替えた。
「何があった。……なんだと?なぜ、そんなことになる」
電話口の相手に、鋭い声で問い詰めている。
何か、良くないことが起きたらしい。
僕が心配そうに見つめていると、電話を終えた蓮さんが、険しい顔で僕の方を向いた。
「湊。君に、話さなければならないことがある」
彼の深刻な声色に、僕の胸に嫌な予感が広がる。
「君がオメガであることが、中央都市銀行内で、噂になっている」
その言葉は、僕の穏やかな日常に、再び暗い影を落とした。
彼の腕が、僕の背中を優しく抱きしめる。
力強い鼓動と、雪の森の香りに包まれていると、心の奥深くにあった不安や恐怖が、ゆっくりと溶けていくようだった。
「湊」
耳元で、蓮さんが僕の名前を呼ぶ。
その声が、今までで一番甘く響いた。
「君の過去に、何があったのかは聞かない。君が、自分の口で話したくなるまで待つ」
「……」
「だが、これだけは覚えておいてくれ。君はもう、一人じゃない」
その言葉が、僕の心の最も柔らかい場所に、じんわりと染み込んだ。
一人じゃない。
その言葉が、どれほど僕を救ってくれたか、きっと彼は知らないだろう。
僕は、彼の腕の中で、小さく頷いた。
初めて、この人に全てを委ねてみてもいいのかもしれない、と。
そう思った。
その夜を境に、僕と蓮さんの関係は、少しずつ変化していった。
ぎこちなかった会話は、次第に自然なものになっていった。
一緒に食事をし、一緒に映画を観て、他愛もない話で笑い合う。
その一つ一つが、僕にとっては新鮮で、温かいものだった。
蓮さんは、僕が思っていたような冷たい人間ではなかった。
仕事のことになると、今でも厳しい表情を見せることはあるが、僕と二人きりの時は、いつも穏やかで、優しい。
僕が作った料理を「うまい」と少し照れくさそうに言ってくれたり、僕が読んでいる本に興味を示して、内容を尋ねてきたり。
彼の、今まで知らなかった一面を知るたびに、僕の心は、どうしようもなく彼に惹きつけられていった。
ある日、僕は蓮さんの書斎で、一冊の古いアルバムを見つけた。
こっそり開いてみると、そこには幼い頃の蓮さんの写真がたくさんあった。
今と変わらない、整った顔立ち。
でも、その表情は、今よりもずっと無邪気で、柔らかい。
「何を見ているんだ」
背後から声をかけられ、僕は飛び上がるほど驚いた。
いつの間にか、蓮さんが僕の後ろに立っていた。
「わっ……!ご、ごめんなさい!勝手に……!」
慌ててアルバムを閉じようとする僕の手を、蓮さんがそっと制した。
「構わない。別に、隠すようなものじゃない」
彼はそう言うと、僕の隣に座り、アルバムを一緒に覗き込んだ。
「ひどい顔だろう。小さい頃は、泣き虫だったんだ」
写真の中の彼は、確かに泣きそうな顔で、母親らしき女性に抱きついている。
「……かわいい、です」
僕がぽつりと言うと、蓮さんは少し驚いたように目を見開いた。
そして、ふっと、柔らかく笑った。
彼がこんな風に笑うのを、僕は初めて見た。
「君にそう言われると、悪くないな」
僕の心臓が、また大きく音を立てる。
彼の笑顔は、まるで太陽みたいに、僕の心を明るく照らした。
僕たちは、その日、日が暮れるまで、アルバムを見ながら色々な話をした。
蓮さんの子供の頃の話、学生時代の話。
そして、橘財閥を継ぐ者としての、彼の苦悩や孤独。
彼は、今まで誰にも話したことのないであろう、自分の弱い部分を、僕にだけは見せてくれた。
それが、たまらなく嬉しかった。
僕も、少しだけ、自分の話をした。
田舎の古い家で、厳格な父親のもとで育ったこと。
オメガとして生まれたことで、ずっと息苦しさを感じていたこと。
自分の力で生きていきたくて、家を飛び出してきたこと。
蓮さんは、黙って僕の話を聞いてくれた。
僕の話を、一度も遮ったり、否定したりしなかった。
ただ、静かに頷きながら、僕の言葉を受け止めてくれた。
「……辛かったな」
僕が話し終えると、蓮さんは僕の髪を優しく撫でた。
その手つきと声に、僕はまた、泣きそうになるのを必死でこらえた。
この人は、僕のことを本当に理解しようとしてくれている。
ただ、番だからという理由だけじゃない。
水瀬湊という一人の人間として、僕を見てくれている。
その事実が、僕の心を温かいもので満たしていった。
信頼、という言葉が、頭に浮かんだ。
僕は、この人を信じたい。
そして、この人にも、僕を信じてほしい。
「蓮さん」
僕は、彼の顔をまっすぐに見上げた。
「僕のこと、もっと知ってほしいです。そして、蓮さんのことも、もっと知りたい」
僕の言葉に、蓮さんは一瞬、息をのんだ。
そして、その黒い瞳に、深い愛情の色をたたえて、ゆっくりと頷いた。
「ああ。もちろんだ、湊」
彼の指が、僕の唇をそっとなぞる。
そして、ゆっくりと顔が近づいてきて――。
その時、蓮さんのスマートフォンが、けたたましい音を立てて鳴り響いた。
甘い空気は、無遠慮な電子音によって、一瞬で断ち切られる。
蓮さんは、顔をしかめると、少しだけ名残惜しそうに僕から体を離した。
「すまない、仕事の電話だ」
彼は電話に出ると、すぐに表情を「氷の支配者」へと切り替えた。
「何があった。……なんだと?なぜ、そんなことになる」
電話口の相手に、鋭い声で問い詰めている。
何か、良くないことが起きたらしい。
僕が心配そうに見つめていると、電話を終えた蓮さんが、険しい顔で僕の方を向いた。
「湊。君に、話さなければならないことがある」
彼の深刻な声色に、僕の胸に嫌な予感が広がる。
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その言葉は、僕の穏やかな日常に、再び暗い影を落とした。
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