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第七章 活躍の伝播
第三十四話 交渉
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シャーロットがフローラとの会話に花を咲かせている頃。
ギルバートは、視察団員達に客室を案内していた。
それぞれに部屋を用意し、リゼ王女には特に豪華な部屋を準備した。
トリジア王国伝統の木材を加工し、その上から暗灰色を乗せ艶出しまでおこなった、高級感の漂う棚。
三人寝られるほど大きな寝台。
カーテンや寝具は最上級の生地を用い、こちらも棚と同様落ち着いた暗灰色で統一してある。
一方壁や床は白色を選び、全体として暗すぎる配色になるのを防いでいた。
リゼ王女はもてなしに感謝の意を述べた後、ふと口を開く。
「あなたに少し話があるの」
ギルバートは、王女に促され部屋の中へ入った。
近くに信頼の置ける侍従ハリスを立たせ、王女に視線を戻す。
「それで……お話というのは何でしょうか?」
「明日の見学なんだけど──」
彼女は、水道設備の案内に関して留意したいことを話し始めた。
それは現地の住民の迷惑にならないような警備であったり、移動手段の再確認であったりした。
何か失礼なことをしてしまったかと過去のやり取りを振り返りかけたギルバートは、当日の詳細確認に入った王女に心の中で安堵した。
しかし粗方の確認が終わると、王女は目を細めてこう切り出した。
「──あなた、私と結婚するのはどう?」
その提案に、ギルバートは一瞬動きを止める。しかしよそ行きの微笑みを絶やさぬまま、穏やかな口調で言葉を返した。
「光栄ではございますが、私にはすでに婚約者がおりますゆえ」
突然の展開に驚く素振りを見せず、さらには厄介な打診が来たと眉を潜めることも無く、ただにこやかに告げるギルバート。
そんな彼を見て、王女はさらに笑みを深めた。
断られることは始めから分かっている。それでも賭けに出た──王女の場合、賭けというより交渉に近い──のは、それなりに理由があった。
「端的に言うと、私はあなたを気に入ったの。頭脳も振る舞いも完璧だから」
「もったいなきお言葉です」
返答内容、速度、抑揚、そして表情。まるで手本のようである。
王女は、動揺を見せない目の前の王太子を興味深げに眺めた。
外交を担う彼女にとって、表情管理や所作、他国の重鎮と渡り歩けるだけの対応力といったものは得意分野。
これまで自分が根詰めてきたからこそ、他人のそうした能力の有無にもよく気が付いた。
その鑑識眼からすると、この王太子は非の打ち所が無いのだ。
彼には長年幾多の修羅場を乗り越えてきたかのような老練さを感じる。
王女は様々な国王や宰相、外交官と関わってきたが、彼らのような手腕を、この王太子は齢十八にしてすでに持ち合わせているらしかった。
だからこそ、彼と組まない手は無いと思った。
しかしこの打診を、当の本人は受け取る気が無いようである。
そこで王女は、持ち前の知恵を絞った。
「もしこの話を承諾してくれたら、トリジア王国とロワイユ王国は結び付きを強固にすることができるわ」
自分が片方の王国の王女であり、相手がもう片方の王国の王太子であることを、彼女は最大限に利用したのである。
「……なるほど」
ギルバートは相変わらず微笑みながら、王女の魂胆を推し量った。
両国が敵対関係にあった過去。和解を機にこれから親睦を深めようとしている段階で、両国の王族が婚姻関係を結べば、その効果は絶大だろう。
王女の余裕たっぷりの笑みを見たギルバートは悟った。断ろうとすれば、こちらの不利になる条件をつけるつもりであることを。
ロワイユ王国は、トリジア王国よりも人口や地理的条件の点で優位に立っている。
万が一また戦争を持ちかけられることになれば、残された道は、戦争をしない代わりに自国に不利な条件を飲むことしか無くなる。
十年前、和平を結んだ時、国王である父は決めた。戦争はもうしないと。「これ以上、民の命を犠牲にするわけにはいかない」と強い思いを宿した父親の瞳を、彼はよく覚えていた。
今でも、父親のその方針は変わっていない。そしてギルバート自身も、生涯変えるつもりは無い。
つまり必然的に、ギルバートは王女の提案を受けるしか無いということになる。
さあ、どうする。
私欲に走って良いのなら、答えは最初から決まっていた。もちろん、シャーロットとの結婚を選ぶのである。
しかし王太子という大層な身分は、こういう時に我が身を羽交い締めにしてくる。
己の選択の影響は、文字通り国内外に及ぶということを、彼はよく理解していた。
ようやく国内でシャーロットの評価を高められたのに、今度は他国との関係性が立ちはだかる。こればかりは、そう簡単に払い除けられないだろう。
いくらシャーロットの功績を示したとしても、歴史・社会・経済・人民といったあらゆる分野の問題を、全て解決できるわけではないからだ。
さらに、王女が納得してくれるかどうかも懸念点である。
包括的に解決する方法を考えるとしても、ある程度の時間が必要と思われた。
しばらく──といっても数秒だが──ギルバートが黙っていると、王女は告げた。
「焦ってほしいわけでは無いから、答えは今でなくて良いわ。猶予は、そうねぇ……私がここを去る二週間後までかしら」
二つの王国の未来を左右する決断をするには、些か短期間だな──。
「承知いたしました。寛大なお心に感謝申し上げます」
──そんな感想をおくびにも出さず、ギルバートは最後まで爽やかに言った。
ギルバートは、視察団員達に客室を案内していた。
それぞれに部屋を用意し、リゼ王女には特に豪華な部屋を準備した。
トリジア王国伝統の木材を加工し、その上から暗灰色を乗せ艶出しまでおこなった、高級感の漂う棚。
三人寝られるほど大きな寝台。
カーテンや寝具は最上級の生地を用い、こちらも棚と同様落ち着いた暗灰色で統一してある。
一方壁や床は白色を選び、全体として暗すぎる配色になるのを防いでいた。
リゼ王女はもてなしに感謝の意を述べた後、ふと口を開く。
「あなたに少し話があるの」
ギルバートは、王女に促され部屋の中へ入った。
近くに信頼の置ける侍従ハリスを立たせ、王女に視線を戻す。
「それで……お話というのは何でしょうか?」
「明日の見学なんだけど──」
彼女は、水道設備の案内に関して留意したいことを話し始めた。
それは現地の住民の迷惑にならないような警備であったり、移動手段の再確認であったりした。
何か失礼なことをしてしまったかと過去のやり取りを振り返りかけたギルバートは、当日の詳細確認に入った王女に心の中で安堵した。
しかし粗方の確認が終わると、王女は目を細めてこう切り出した。
「──あなた、私と結婚するのはどう?」
その提案に、ギルバートは一瞬動きを止める。しかしよそ行きの微笑みを絶やさぬまま、穏やかな口調で言葉を返した。
「光栄ではございますが、私にはすでに婚約者がおりますゆえ」
突然の展開に驚く素振りを見せず、さらには厄介な打診が来たと眉を潜めることも無く、ただにこやかに告げるギルバート。
そんな彼を見て、王女はさらに笑みを深めた。
断られることは始めから分かっている。それでも賭けに出た──王女の場合、賭けというより交渉に近い──のは、それなりに理由があった。
「端的に言うと、私はあなたを気に入ったの。頭脳も振る舞いも完璧だから」
「もったいなきお言葉です」
返答内容、速度、抑揚、そして表情。まるで手本のようである。
王女は、動揺を見せない目の前の王太子を興味深げに眺めた。
外交を担う彼女にとって、表情管理や所作、他国の重鎮と渡り歩けるだけの対応力といったものは得意分野。
これまで自分が根詰めてきたからこそ、他人のそうした能力の有無にもよく気が付いた。
その鑑識眼からすると、この王太子は非の打ち所が無いのだ。
彼には長年幾多の修羅場を乗り越えてきたかのような老練さを感じる。
王女は様々な国王や宰相、外交官と関わってきたが、彼らのような手腕を、この王太子は齢十八にしてすでに持ち合わせているらしかった。
だからこそ、彼と組まない手は無いと思った。
しかしこの打診を、当の本人は受け取る気が無いようである。
そこで王女は、持ち前の知恵を絞った。
「もしこの話を承諾してくれたら、トリジア王国とロワイユ王国は結び付きを強固にすることができるわ」
自分が片方の王国の王女であり、相手がもう片方の王国の王太子であることを、彼女は最大限に利用したのである。
「……なるほど」
ギルバートは相変わらず微笑みながら、王女の魂胆を推し量った。
両国が敵対関係にあった過去。和解を機にこれから親睦を深めようとしている段階で、両国の王族が婚姻関係を結べば、その効果は絶大だろう。
王女の余裕たっぷりの笑みを見たギルバートは悟った。断ろうとすれば、こちらの不利になる条件をつけるつもりであることを。
ロワイユ王国は、トリジア王国よりも人口や地理的条件の点で優位に立っている。
万が一また戦争を持ちかけられることになれば、残された道は、戦争をしない代わりに自国に不利な条件を飲むことしか無くなる。
十年前、和平を結んだ時、国王である父は決めた。戦争はもうしないと。「これ以上、民の命を犠牲にするわけにはいかない」と強い思いを宿した父親の瞳を、彼はよく覚えていた。
今でも、父親のその方針は変わっていない。そしてギルバート自身も、生涯変えるつもりは無い。
つまり必然的に、ギルバートは王女の提案を受けるしか無いということになる。
さあ、どうする。
私欲に走って良いのなら、答えは最初から決まっていた。もちろん、シャーロットとの結婚を選ぶのである。
しかし王太子という大層な身分は、こういう時に我が身を羽交い締めにしてくる。
己の選択の影響は、文字通り国内外に及ぶということを、彼はよく理解していた。
ようやく国内でシャーロットの評価を高められたのに、今度は他国との関係性が立ちはだかる。こればかりは、そう簡単に払い除けられないだろう。
いくらシャーロットの功績を示したとしても、歴史・社会・経済・人民といったあらゆる分野の問題を、全て解決できるわけではないからだ。
さらに、王女が納得してくれるかどうかも懸念点である。
包括的に解決する方法を考えるとしても、ある程度の時間が必要と思われた。
しばらく──といっても数秒だが──ギルバートが黙っていると、王女は告げた。
「焦ってほしいわけでは無いから、答えは今でなくて良いわ。猶予は、そうねぇ……私がここを去る二週間後までかしら」
二つの王国の未来を左右する決断をするには、些か短期間だな──。
「承知いたしました。寛大なお心に感謝申し上げます」
──そんな感想をおくびにも出さず、ギルバートは最後まで爽やかに言った。
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