伯爵令嬢の前途多難な婚活──王太子殿下を突き飛ばしたら、なぜか仲良くなりました

森島菫

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第十二章 揺れ動く心

第六十話 寄り添う彼は

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 トレス伯爵邸での宿泊を経て数日。

 シャーロットは、再び例の庭園に足を運んでいた。以前気分転換にと散策に行ったことが、思いの外に楽しかったのだ。

 長らく行っていなかった場所の魅力を再発見した彼女は、やや浮き足立ちながら進んでいく。

 庭園の奥に入ると、爽やかな風と共に草花の香りが鼻腔を通り抜けた。

 日除けの帽子のつばを押さえながら、目の前に広がる景色を堪能する。

 緑は癒しを、花の色は視界に彩りを与えてくれていた。薄桃、赤、白、黄色、紫。その合間に整備された道を、人々がゆっくりと動く。

 ふいに、その中に金色の髪が見えた。

「……そんなわけないわね」

 顔立ちも背丈も、とは違う。分かっていても、シャーロットの頭の中には無意識にその姿が描き出されていく。

 忘れよう。忘れなきゃ。

 残像を振り払うために、彼女は視線を逸らした。

 そして、その先に思わぬ人物を見つけた。

「トンプソン伯爵子息……!」
「こんにちは、フォード伯爵令嬢。奇遇ですね」

 穏やかな笑みでこちらへやって来る彼──パトリック・トンプソンは、建設事業を進める同志の一人だ。

「今日は、お一人ですか?殿下やトレス伯爵令嬢は……」
「ええと……そうなんです」

 シャーロットが曖昧に笑うと、子息はしばらくの間の後、遠慮がちに口を開いた。

「……何か、あったんですか?」

 その問いかけに、思わず固まるシャーロット。様子から答えを得た子息は、彼女の話に耳を傾けた。



「ある人と、離れてしまったんです」

 庭園のベンチに腰かけたシャーロットは、そう切り出した。

「それまで関係は良好だったのに……色々と事情があって、もう戻れなくなってしまって」

 婚約解消が未発表であることを考慮し、やや濁しつつ言葉を続ける。子息は、相変わらず穏やかな表情で聞いてくれた。

「今後も繋がっていられる関係──少なくとも、繋がっていてほしい関係性だと思っていたのは、私だけだったのかな、なんて」

 力なく笑って視線を落とすシャーロット。

「大切だったんですね。その方のことが」

 子息は風に揺れる草木を見つめながらも、隣に座る彼女に寄り添いながらそう話す。

 しばらくして、彼はおもむろにこう続けた。

「僕にはフォード伯爵令嬢と似たような経験はありませんが……妹のことを思い出しました」

 シャーロットが視線をちらりと移す。彼の横顔は、どこか哀愁を帯びていた。

「妹は今、ロワイユ王国で画家を目指しているんです」
「画家を……?」
「はい」

 妹の名は、ヴァレリアという。年齢は、シャーロットとちょうど同い年。
 兄であるパトリックは妹の姿が、シャーロットと重なって見えた。

「画家を目指すと聞かされた時は、ものすごく反対しました。僕だけでなく、父と母も」

 貴族令嬢であれば何の不自由もなく生きていけるのに、いつ芽が出るかも分からない画家の道を選ぼうとするヴァレリア。

 昔からやけに芸術に興味を持つ妹だなとは思っていたが、まさか本格的に入り込むとは想像していなかった。

「僕達は妹の背中を押してあげられずに、説得ばかりしていたんです。喧嘩なんてしょっちゅうでした」

 普段穏やかな彼が喧嘩などするのだろうか、と意外に思う。彼のことだから、激しく捲し立てるというより、諭すに近いのかもしれないが。

 そんなシャーロットに苦笑した後、パトリックはその目に暗い影を落とした。

「最後まで家族から強く反対された妹は、ある日、家を出ていきました」
「えっ」

 聞けば、その後は家族の間でヴァレリアに対する不干渉が続いたという。

 幸いと言って良いのか、彼女がどこに行ったのかは皆概ね予想がついていた。隣国ロワイユ王国である。ヴァレリアは家出をする前に、その名を口にしていたのだ。

 しかし対立し合った経緯があることから、トンプソン伯爵夫妻はあれからまだ娘に直接会ったことが無いという。

「実はこの前、妹を探しに行ってみたんです」

 一人で、と付け加えるパトリック。

「会えましたか……?」

 恐る恐る尋ねると、彼は微笑む。

「見つけはしたんですが……以前激しく批判した手前、躊躇ってしまって。それでもアトリエの窓から、偶然妹の姿を見ました」

 風に揺れるカーテンの隙間から現れた、ヴァレリアの姿。

「絵の具にまみれて夢中で手を動かしているのがとても楽しそうで……眩しかった」

 遠い昔を懐かしむような表情で、彼は言った。

「あの姿を見て初めて、妹を応援したいと思ったんです。まだ、彼女との間に深い溝はありますが」

 どこまでいっても結局は、大切な妹だ。

 互いに言い合って傷を負って、その後の関係性に影響が出ても、家族の問題は時間をかけるしか無い──パトリックはそう結論付けた。

「物理的にも心理的にも距離ができて、もしかしたら前のようには戻れないかもしれない。それならそれで、また別の形を始める。そういう風に身を任せるのが、一番良いのかなと思うこの頃です」

 人生には、様々なことが起こる。出来事だけではない。環境の変化、価値観の変化、気持ちの変化。

 過去のことを思い返して、当時とは違った見方もできるようになるだろう。もちろん、変わらない軸もあるはずだ。

 重要なのは、それを踏まえてどう生きていくか。

 困難を乗り越えるのが美徳とされる世の中。今のパトリックは、それに賛成も反対もできない。

 妹との関係性が大きく変わったことをきっかけに、美徳だけではどうにもならないこともあると実感したからだ。

「強くあれなんて、痛みはいつか消えるなんて、僕はとても言えません」

 彼は前を向いたまま、シャーロットに語りかける。

「強くなくても痛みを抱えたままでも、時間が経てば見えてくるものはきっとあります。その時にまた、考えてみれば良いんです。自分が本当はどうしたいのかを」

 そして、こう続けた。

「フォード伯爵令嬢。過去の出来事を──ご自分の選択を、どうか責めすぎないでくださいね」

 その言葉に、幾らか救われた気がした。



 その夜。
 パトリック・トンプソンは、自室にて手紙を受け取った。

「……」

 差出人の名を一瞥し、ゆっくりと封を開ける。その指先は、僅かに震えていた。

 早まる鼓動。

 中に入った一枚の紙に目を通す。

『早く仕事を遂行したまえ。王女が良い報告をお待ちだ。もし放棄するつもりなら、妹や両親の未来がどうなるか分かっているだろうな』

 脅迫状とも取れるその手紙を、彼が誰かに見せることは無い。

 深い息を吐いた後、彼はそれを引き出しの奥に閉まった。

 そして机に肘をつき、頭を抱える。

「くそ……っ」

 行き場の無い悪態が、夜の闇に消えていった。
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