伯爵令嬢の前途多難な婚活──王太子殿下を突き飛ばしたら、なぜか仲良くなりました

森島菫

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第十二章 揺れ動く心

第六十四話 変わりゆく人

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 その日の昼下がり。

 王宮の回廊には、仕事場へと歩みを進めるシャーロットの姿があった。二週間の長期休暇を経て、今日から仕事を再開するのだ。

「……よし」

 王太子の執務室が見えたところで一度立ち止まった彼女は、小さく呟く。

 彼とは色々なことがあったが、私情を挟んで迷惑をかけるわけにはいかない。

 きっと、時間が解決してくれる。

 トンプソン伯爵子息に伝授してもらった考え方を胸に、再び歩き始めたシャーロット。

 これから、今まで計画を立てていた建設事業が本格始動する。集中するべきことがある時は、それに集中しなければなるまい。

 侍従のハリスに扉を開けられ、彼女は執務室へと足を踏み入れた。

「こんにちは」
「やあ、シャーロット嬢」
「フォード伯爵令嬢、こんにちは」

 部屋の中にはギルバートだけでなく、すでにパトリック・トンプソン伯爵子息もいた。

 ちょうど、机の上に建設事業に関する資料を並べていたところらしい。

「すみません、遅かったですかね」

 資料を横目にシャーロットがそう言うと、パトリックが穏やかな顔で首を横に振った。

「いえ、僕の準備が早かっただけですよ。これから現場の指揮を任せていただくことになるので、気合いが入ってしまって」

 ちらりとギルバートを見ると、彼もいつも通りのにこやかな表情で頷いている。

 良かった、と一安心したシャーロットは、ソファに腰を下ろした。

「それじゃあ早速、最初に取りかかる施設の話だけど──」

 一同が席に着いたのを確認し、ギルバートが口を開く。

 建設事業として三人が最初に取りかかるのは、とある教会だ。

 町の人々が長年、祈りや懺悔のために利用してきた教会。以前シャーロットはその老朽化の情報を入手し、事業で再生させようと案を出していた。

「建てられた時期を考えると、基礎から作り直した方が良さそうだね」
「そうですね。再建中に町の方々に使っていただくための代わりの場所は、目途がついています」

 パトリックが資料を見ながら告げる。それに礼を述べたギルバートは、さらに話を進めた。

「取り壊しとなると、人員がかなり必要だと思うけど……水道事業の時のように出来れば、上手くいきそうだ」

 重要な作業は職人の協力を仰ぎつつ、失業者の新たな仕事創出や、子ども達の職業体験の場としても活用する。水道事業はそうやって運用した。

 今後の建設事業でも、同じ手法を取ることになるだろう。

「次は、資材調達だね。シャーロット嬢、進捗は?」
「職人さん達から提供していただくのが七割ほど。残りは教会近くの森から一部、利用する許可を取りました」

 それから、とシャーロットは続ける。

「取り壊しの際に出る廃材も、利用できないかと考えています」
「廃材を?」

 興味深げな視線を投げかけられ、彼女は頷いた。

「ひび割れた石材は砕き、新しい材料と混ぜて使うんです。古くなった木材も、補強して棚板や祭壇などに再利用できるかと」
「確かに、それなら資材の無駄が無いね。良い案だ。ありがとう、シャーロット嬢」
「はい」

 事業に必要なことを洗い出し、知識や発想力を以て考えを練っていく作業。シャーロットは、それがとても好きだった。

 しかも公共事業に携わっている今は、自分の考えが採用される機会が豊富にある。

 その環境に感謝するとともに、将来も何かしらの事業に関わる立場でありたいと再認識した。

 そうして三人は、資料を見ながら段取りを決めていく。工事の手順や期日などの目安を立てたところで、今日はお開きとなった。

「それじゃあ、また次の打ち合わせもよろしく」
「「はい」」

 二人はギルバートの執務室を出る。

「尊敬します」

 不意に、パトリックが口を開いた。

「廃材を再利用するという考え、僕には思いつきませんでした」
「あ……ありがとうございます」

 今日の打ち合わせでの案を褒められ、シャーロットの口角が上がる。

 家で資料を広げ、懸命に考えた時間を認めてもらえたように感じて、素直に嬉しかった。

 すると彼は手に抱えた資料をちらりと見て、言う。

「僕も頑張ろう。せっかくいただいた機会ですし。それに……エイダン君に言われたんです。応援してるって」
「グラント辺境伯子息様というと……ナタリーの婚約者の」
「はい。実は昔からの付き合いでして」
「そうなんですか」

 そういえばトンプソン伯爵領はグラント辺境伯領の隣だったな、と思い返すシャーロット。

 それに、二人とも穏やかな風貌だ。雰囲気の似た者同士、気が合うのかもしれない。

「エイダン君に事業参加を伝えたら、羨ましいと返されました」

 ギルバートとの仕事経験が何度かあるエイダンのことを、シャーロットは王宮で時々見かける。

 ナタリー曰く、ギルバートに憧れを抱き、将来頼りにされる臣下になるべく勉強中とのことだ。

「羨ましいといっても、エイダン君も別の仕事で殿下と関わる機会があるみたいなんですけど……彼、殿下への尊敬の念がとても強いので」

 パトリックはそう言って微笑んだ。

 聞けば、彼はナタリー同様に、エイダンからギルバートの素晴らしさを熱弁されているらしい。

「それを聞く前は、殿下は何でも完璧にできる御方だと思っていました。もちろんそういう側面もあるのでしょうが……今は、努力家だという印象を持っています」

 社交界での王太子殿下という人は雲の上の存在で、ある種、天賦の才を持った特別な人物だった。

 しかしエイダンからの話を聞いて、その認識は少し変わった。
 そしてそれは、パトリック自身が向ける勉学への視線も変えつつあった。

「努力ができるって、僕が思っている以上に効力の大きな要素なんだろうな」

 彼はそう呟く。

 何かに秀でるためには、運があれば十分かもしれない。

 育った環境が良かったという運。才能を伸ばせる手段を得られたという運。人に認められる場所があったという運。

 それでもパトリックは、ギルバートやエイダンの様子を見て、気付いた。

 最低限必要なのは運だったとしても、運だけで目標に到達できるほど、世の中は簡単にできていないはずだと。

 ギルバートが王家に生まれたのは運かもしれない。しかし、その環境に甘えず知識や経験を積んだのは彼の努力。

 エイダンがギルバートと一緒に働く機会を得られたのは運かもしれない。しかし、その機会を活かして、将来信頼される臣下になるために勉強しているのは、彼の努力。

 建設事業の現場の指揮を任せられた自分に、できることは何か。
 嬉しくもあり重圧もある現段階で、パトリックはそれを真剣に考えてみた。

 この問いに対する自分なりの答えはこうだ。

 現場の指揮をするにあたって必要なことを学び、考え、行動し──受け身ではない努力をすること。

 皆、影で何かしら研鑽を積んでいる。それを知ったからこそ、辿り着いた答えだった。

 そして何より──。

「──並々ならぬ研鑽を積んでいらっしゃるはずの殿下に、声をかけていただいた。その恩返しがしたいんです」

 僕とは何もかも違うから。特別な才能がある人だから。そう割り切っていたかつての自分。

 今では分かる。そうではない。

 本人が「こんな努力をした」「こんなに頑張った」などと言わなかっただけ。周りが知らないだけなのだ。

 水道事業の作業を手伝ったり、建設事業に深く関わることになったりした経緯をきっかけに、彼は少しずつ「完璧な王太子殿下」という認識を変えることになった。

「これからは僕も、皆さんのように励むつもりです。お互い、頑張りましょうね」
「は、はい」

 言い残して家へと帰っていくパトリック。穏やかだった青年の瞳は、どこか強い光を帯びていた。



「熱いわね。殿下の話をする時のエイダンに似てるかも」

 シャーロットの話を聞き、ナタリーは第一声でそう返した。

「仕事再開初日に、そんなことがあったのね」

 ジェシカも、隣で紅茶を飲みながら言葉をかける。

「そうなんですよ。もともと事業に関して勉強はしてきたつもりでしたけど、トンプソン伯爵子息の思いを聞いて、私ももっと頑張ろうと思えました」

 彼にはシャーロットを焚きつける意図は無かったのだろう。

 しかし目標に向かってさらなる行動を起こそうとしている人物を前にすれば、影響を受ける。もちろん、良い影響だ。

「トンプソン伯爵子息はシャーロットにとって、同士みたいな存在?」

 ナタリーは、そう尋ねた。

「そうね。それと……」

 今日の出来事や過去のやり取りを思い返しながら、シャーロットは言葉を続ける。

「自分なりに向き合って、懸命に進んでいる人」

 話を重ねてみて分かった。

 家族の問題や事業参加など、様々な経験をしながらも一貫していること。それは彼がどんな時も、自分の感じたことや思いを踏まえて、次の段階へと自ら進んでいく姿勢だ。

 彼は以前庭園で会った時、こう話していた。

『強くあれなんて、痛みはいつか消えるなんて、僕はとても言えません』

 自分は出来た存在では無いから、という意味を込めて言ったのだろう。

 しかしシャーロットは、彼をそうだとは思わない。自分の弱さや歯がゆい感情を昇華できるという、そういう意味での「強さ」がある存在だと思う。

 そしてそれは時として、非常に有効な力を発揮する。今日の彼の瞳が、それを如実に表している。

「彼はとても……とても素敵な人だと思うわ」

 シャーロットは最後に、そう付け加えた。
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