伯爵令嬢の前途多難な婚活──王太子殿下を突き飛ばしたら、なぜか仲良くなりました

森島菫

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第十二章 揺れ動く心

第六十八話 心のまま

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「面白かったですね!特に舞踏会の場面は駆け引きが──」

 シャーロットはトンプソン伯爵子息と共に、喫茶店でお茶を飲んでいた。

 今日は先日彼から誘われたデートの日。先ほど劇場を見終わったばかりの二人は、感想の共有も兼ねて雑談をしていた。

「そうですね。子爵の行動には本当に驚かされました」

 見に行ったのは、以前ジェシカとルーサーが見たのと同じ推理劇だ。
 貴族社会で巻き起こる事件を解明すべく、主人公の子爵が全貌を暴く物語。

 読書が好きなシャーロットは推理ものも読んでおり、劇を楽しむことができた。

 感想を話し合う二人が座っている場所は、他の客からは見えない個室である。
 まだ婚約解消の公表をしていないからというトンプソン伯爵子息の配慮だった。
 劇場にいる時もなるべく周りに姿が分からないようにしてくれたのは、やはり気遣いの塊だ。

 その後の雑談でも、彼は穏やかに話を振ってくれた。
 休日はどんなことをするか、行ってみたい場所はあるか。
 シャーロットの話しやすさを念頭に置いていることも伝わり、彼の優しさを再認識した。

 とても素晴らしい人。ここまでの出来事を通して、その印象は全く崩れていない。

 もし彼と婚約することになったら、こんな風に穏やかな日々を過ごせるのだろうな。そう、シャーロットは想像した。

「……フォード伯爵令嬢?」
「は、はい」

 不意に呼びかけられ、はっとする。そんな彼女を見て、トンプソン伯爵子息は言った。

「すみません、一方的になってしまいましたか?」
「いえ、そんなことは……!むしろ会話しやすいです」

 こちらが上の空になっていたことが原因なのに、己の反省点を探す彼。どこまでいっても優しい人だ。

「そうですか、良かった」

 シャーロットの言葉に、彼ははにかんだ。



「誘っていただいて、ありがとうございました」

 喫茶店を出た二人。馬車が停まっている場所まで向かいながら、シャーロットは隣を歩くトンプソン伯爵子息にそう告げる。

「こちらこそ、楽しかったです」

 紳士的な笑みを浮かべて答える彼。そして、こう続けた。

「僕は、フォード伯爵令嬢と婚約することも視野に入れています。もしまた出かけたいと思っていただけたら、次回もぜひ」

 二人の間に、そよ風が吹き抜ける。
 シャーロットは、彼が歩く速度を自分に合わせてくれていることに気がついた。

「そのことなんですが……私から少しだけ、良いですか」

 隣を見上げてそう言うと、相変わらず穏やかな表情で頷かれる。そこで二人は、近くの広場のベンチに座ることにした。

 周りにはすでに閉店時間となる店舗が多いからか、王都にしては人通りが少ない。これからする話を考えると、シャーロットはそれがありがたかった。

 その時ふと、彼女の視界にとある宣伝チラシが飛び込んだ。街灯の柱に吊るされたそのチラシには、こう書かれている。

『林檎のタルト専門店 近々開店!』

 様々な思い出が、走馬灯のように駆け巡った。忘ようにも忘れられなかった──忘れたくなかった、彼との思い出。

 何だか、見守ってくれているみたい。

 偶然目に入ったチラシに人知れず勇気を貰ったシャーロット。僅かに微笑んだ彼女は、徐に口を開いた。

「今日は、私の本当の気持ちを確かめるために来たんです」

 前を向きながら、そう話す。
 トンプソン伯爵子息も隣でじっと、耳を傾けた。

「あなたと過ごして、その優しさにたくさん触れました。それだけじゃありません。あなたには強さもあると思います。とても素敵な人です」

 事業でひたむきに頑張る姿勢は、特に目を瞠るものがあった。彼となら公私ともに良い影響を与え合いながら穏やかに過ごしていけるであろうことは、想像に容易い。

「でも……私にはどうしても、心に残る人がいます」

 数か月前、あの王宮パーティーでぶつかった人。
 知識を見込んで、新規公共事業に引き入れてくれた人。
 男性恐怖症の克服を、手伝ってくれた人。
 そして、好きになった人。

 その人とは離れてしまった。聞き分けの良い自分であろうとして、追いかけられなかった。涙を流した後、前向きになろうとした。

 でも、気付いた。

「これまで読んできた恋愛小説のことを、今なら真に理解できる気がします」

 彼のいない日々を選んだ方が、きっと自分は楽でいられるのだろう。
 流れに逆らうより、流される方が負担は無い。何も考えずに身を任せれば良いだけなのだから。

 けれど自分は、心の底にある本当の気持ちを掻き分けた。それはひとえに、後悔したくなかったからだ。

 政略結婚が重要な意味を持つことは分かっている。彼が優先したことを、自分の気持ちだけで覆せないだろうことも分かっている。

 けれど、そういう問題ではないのだ。それはすでに通り越した。

「心の思うままに行動してみたいと思いました。こんな時くらい、理屈なんて一切気にせず好きなようにやってみたい」

 恋愛小説の中の彼や彼女も、きっとそう思って動いたはずだ。

 最終的に振られたとしても、それで良い。

 良い子のフリをして頷いた結果別れることになるのと、本心をぶつけた結果別れることになるのとでは、付与される意味が大きく異なる。
 自分は後者の方を、味わってみたかった。

「だから……ごめんなさい」

 頭を下げるシャーロット。トンプソン伯爵子息は、穏やかな口調で答える。

「分かりました。実るように、応援しています」
「……!ありがとうございます」

 立ち上がりもう一度お辞儀をして、彼女は歩き出した。

 迎えに来たフォード伯爵邸の馬車に乗り込み、目を閉じて深呼吸をする。彼女は晴れやかで、とても澄んだ表情をしていた。



「ふぅ」

 ベンチの背もたれに身を投げたパトリックは、大きく息を吐いた。

 彼女と恋仲になるという任務は、失敗だ。

 一応は劇場に誘ったため、家族にはこれ以上危険が迫ることはないはずである。

 だが、自分はリゼ王女やブラッドという男から何かしらの制裁を受けるかもしれない。

 もちろん怖れはある。それでも今は、不思議とどうでも良かった。

『心の思うままに行動してみたいと思いました』

 先程の彼女の言葉が、パトリックの脳内で再生される。

 ある程度、予想はついていた。だから食い下がるようなことはしなかった。
 むしろ、断ってくれと願ってさえいたかもしれない。

 誰かをあれほど好きになれるというのは、人体の神秘に似た感動があると思う。

 自分には、愛する人と離れる苦しさを味わった経験も、恋ゆえに心のまま動いた経験も無い。
 しかし、その眩しさや美しさは理解できる。

 相手に情熱を向けるフォード伯爵令嬢の横顔。それは少し、画家を目指して筆を夢中で動かす妹ヴァレリアと、重なる部分があった。

「上手くいって欲しいな……」

 両腕を組んで頭の後ろにやったパトリック。そのまま顔を上げた彼の目に、鮮やかな夕焼け空が飛び込んで来た。

 青と橙が絶妙に混ざり合う色。見た者の心を洗うような、そんな美しい色だった。
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