伯爵令嬢の前途多難な婚活──王太子殿下を突き飛ばしたら、なぜか仲良くなりました

森島菫

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第四章 窮地と平穏

第十六話 シャーロット、窮地に陥る

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「皆社交に夢中なんだろうな、きっと」

 ロールズ侯爵子息様……?

 つい先程まで話していた男性の声だ。おそらく間違いはない。
 シャーロットが木々の裏からそっと顔を覗かせると、そこにはやはり彼の姿があった。

 そのまま横に目を遣り、女性の姿も見てみると、彼女は王宮メイドの服を来ているらしかった。

 パーティー参加者の貴族男性と、王宮メイドが二人で庭園にやって来た──その事実に、シャーロットは疑念を募らせる。
 その時、子息の手がするりと女性の腰に伸びた。

 ……え?

 それは、あまりにも自然な動作だった。
 女性側もそれを拒むことなく、むしろ子息の肩に頬を寄せた。

 やけに親密な様子である。

 目の前に広がる光景に頭が追い付いていかず、彼らがベンチに腰を下ろした後も、シャーロットは混乱に陥ったままだった。
 もはや、隙を見て立ち去るつもりだったことなどすっかり忘れていた。

 こんな時にナタリーがいたら、隣で状況分析でもしていただろうかとぼんやり考えつつ、再び意識を彼らに戻す。

 二人は何やら顔を見合わせて話しているようだ。見合わせるというか、もはや接吻でもしそうなほどの距離である。
 と思っていた矢先、それは現実となった。

「……えっ?」

 止める間もなく声が漏れ、シャーロットは身を縮める。
 気付かれた──そう思い、恐る恐る目を覗かせると、彼らは完全に二人の世界に入っているらしかった。

 それはともかく、驚愕である。
 まさかあの、紳士で硬派だと言われている子息が王宮メイドとあんなことをしているとは。

 いや、彼が何をしていようとそれは彼の自由なのだが、これまで積み重ねられてきた彼のイメージというものがある。

 その上、つい先程、彼は自分に婚約を申し込んできた男だ。
 シャーロットの脳内は、暫し混乱に陥った。

 すると、別の女性が庭園の入り口から現れる。
 今度も王宮のメイドのようだ。

 接吻の最中である二人の様子に、驚く素振りを見せない二人目のメイド。
 シャーロットの脳裏に、この後の展開が浮かんだ。
 いや、まさかそんなはずはないか──などと思っていたのだが、楽観視していたらしい。

 彼女の予想は的中した。
 近付いてきた二人目のメイドを、子息は抱き締め接吻したのである。

 開いた口が塞がらないとは、まさにこの事だとシャーロットは思った。

 二人目のメイドとも接吻をするという予想は、本気でそう考えていたわけではなかった。
 誰に言うでもない冗談のつもりだった。それが、実現してしまったのである。

 趣味の悪い冗談など考えるものではないなと、シャーロットは他人事のように思った。
 この場合、その冗談を考えていなければもっと驚愕していただろうが。

 なにせ彼は一度に二人の女性と男女の絡み合いをしたのである。

 評判など、宛にしてはならない。それを、彼女は今まさに実感していた。
 どれほど賛美されようとも、社交界での評判が事実だとは限らないということを、子息は見事に体現してくれたようだ。

 それから数分後、三人目のメイドが現れた。そして案の定口付けが為された。
 ここまでくると、驚きよりも呆れが強くなってくる。
 目視しただけで、三人。子息は三人の王宮メイドと睦み合っていた。

 どういうつもりでいるのかは知らないし知りたいとも思わないが、ともかく彼との婚約は無しだ。丁重に断ろう。

 いくら高位貴族で秀才で見た目が良くても、そういう・・・・性癖がある人を婚約者にしたいとは思わない。

 今は取り込み中だろうから、後で彼に会えたら穏便に婚約辞退の旨を告げよう。

 結論が出たところで、シャーロットは早々にこの場を立ち去ることにした。
 彼らは男女の触れ合いに忙しくこちらには気付かないはず──そう高を括って。

 しかし、彼女の身に至極面倒な事が降りかかった。

「あ」

 気の抜けたような一文字を発したのはロールズ侯爵子息である。
 彼は目の前に現れたシャーロットを見て、途端に表情を強張らせた。

 なぜ。なぜこのタイミングで鉢合わせるのか。

 シャーロットは頭を抱えそうになった。
 そそくさと庭園の出入口へ向かい、噴水の前に差し掛かった丁度その時、件の男女が彼女の前に現れたのである。

 お互いの視線が交わること五秒。

 最初に動いたのは、シャーロットの方であった。

「こんばんは、ロールズ侯爵子息様。先程ぶりですね」

 何も見ていないかのように微笑を浮かべつつ、淡々と告げる。

「あ……ああ、こんばんは」

 彼はというと、メイドの肩に添えていた手を引っ込めた。
 次いでに、僅かな隙間も無いほどメイドに寄せていた自身の体を、ゆっくりと離した。
 そして貼り付けたように不自然な笑顔を見せた。

 彼が狼狽えた様子を表出させたことは、少なくともシャーロットが分かる限りはなかった。
 社交界での振る舞いを褒める声も聞こえるほどである。
 そんな彼の動揺は、今や全身から溢れていた。

 しかし、修羅場とも言えるこの状況でも、次期宰相と謡われる頭脳は健在のようだ。
 即座に穏やかな表情をつくり、口を開いた。

「少し気分が優れなくてね。丁度彼女が近くにいたから、介抱を頼んでいたんだ」

 メイドの肩に手を添えていた説明にもなり得る、なかなか見事な弁明である。
 二人の触れ合いを見ていなかったら、何の疑いもなく信じてしまいそうだ。

「まあ、そうなんですか」

 しかし、一部始終を見ていたシャーロットはその言い訳を聞き流した。

「お体にお気を付けて。では、私はこれで失礼いたしますね」

 王宮メイドがいる手前、婚約辞退の旨を口に出すのは憚られる。
 こういうものは内密に済ませるべきことだと思われた。

 ──というのは建前で、本音を言えばシャーロットはただ子息の前から立ち去りたいだけであった。

 三人のメイドに手を付けていた男というフィルターがかかったシャーロットにとって、もはや彼は紳士でも婚約者候補でもなく、ただの好色漢にしか見えないのだ。
 とにかく視界から外したかった。

 しかし、あまりにも呆気なく終わったやり取りに不安を覚えたのか、子息は言った。

「待って!もうかなり回復したんだ。ホールに戻って一緒にダンスでもどうかな」

 彼は隣に立っていたメイドに断りを入れた。メイドは静かに去っていった。

「いえ、私は友人のところへ戻ろうと思っていますので……」
「話だけでも良いんだ」

 やんわりと断ったつもりだったが、子息はシャーロットを引き留めたいらしかった。
 何かを察知し、危機感を抱いているのだろうか。

 正解だが、生憎彼の提案には乗りたくない。

「飲み物でも飲みながらさ」
「いえ」
「テラスに行こう」

 シャーロットは、頑なに自分を解放しようとしない子息に狂気めいたものを感じ始めた。
 と同時に、彼の手が彼女の手首を掴む。

「……っ!」

 予想もしていなかった事態に、体が硬直するのを感じた。

 掴まれたところから、全身に鳥肌が広がっていく。
 ドクドクと脈打つ心音が、脳内を埋め尽くす。

 すぐさま腕を振り払いたい衝動に駆られたが、シャーロットは必死に耐えた。

 相手は高位貴族の嫡男だ。しかも、何やら狂気じみている。
 出来る限り穏便に済ませるには、欲望のままに振りほどくわけにはいかない。
 ましてや、突き飛ばすなどしてはならない。絶賛その衝動が発生中ではあるが。

 今の子息に対して強引に拒絶すれば、さらに面倒なことになるのは目に見えていた。

「あの、手を離していただけますか」

 僅かに声が震える。シャーロットは、真っ直ぐに子息を見据えることによって己の衝動に蓋をした。
 男性恐怖症の克服に向けた特訓は功を奏したらしく、こんな状況でも何とか落ち着くことができている。

「お願いします。手を離してください」

 シャーロットは告げた。

「……彼女達とは、本当に何もないから」

 子息は、シャーロットの要望に応えなかった。

「ただ介抱してもらっていただけだから。安心して、婚約を受け入れてもらえると嬉しいな」

 こちらを見ているその目は薄暗い。

 そもそも三人のメイドとのことを見てしまった後で、何を言われても拒絶感しか生まれない。

「……申し訳ありませんが、婚約のお話は辞退させていただきます」

 穏便に済ませるつもりでいたが、シャーロットは予定を少し変更した。
 すると、その瞬間子息は目を見開く。

「どうして……!あの三人とは本当に何もないんだよ」

 まだ言いくるめられると思っている様子の子息に向かい、彼女は言った。

「先程見たんです、あなたが彼女達と触れ合っているところを」
「……っ!」

 僅かに手の力の緩みを感じたものの、その力はいっそう強まる。
 シャーロットは自身の手首に走る痛みに、顔を歪めた。

 見ていたことを告げた後悔の念が首をもたげたが、吐き出した言葉を取り消すことも、今以上に良い案を思い付き実行することも不可能だった。

「……彼女たちは、愛人にするから!それなら問題ないだろう!?」
「いいえ、私の意志は変わりません」

 シャーロットは出来るだけ毅然とした態度を取り、声を荒らげないよう心がけた。

 かなり窮地に陥っているが、逃げ出すことは出来ない。自分で対処する必要があるのだ。

 しかし、自分の手には負えなくなりつつあるということを、彼女は認識していた。
 段々と、彼の焦りが膨れ上がっていくのが分かる。それと同時に、シャーロットの危機感も高まっていく。

「婚約は受け入れてくれ!……僕の評判を傷つけないでくれ!」

 後半は、彼の本当の願望だろう。大きくなった声量は、それを如実に表している。

「一度手を離してください」
「頼むよ、聞いてくれ!」

 何を言っても通じない──それは、彼女を恐怖に追い立てるには十分過ぎた。
 突き飛ばせるうちに、突き飛ばしておくべきだったかもしれないと彼女は思った。

 今や自分の両腕は、震えるあまり力が入らない。
 これでは、相手から物理的に離れることなど不可能だ。

 切羽詰まった様子の彼は、血走った目で叫んだ。

「頼む……!!」
「……っ」

 子息の両手がシャーロットの肩を掴む。
 限界を迎えつつあったシャーロットの喉奥から、小さく悲鳴があがる。

 その時、彼女のもとに届いたのは救いの声だった。

「その手を離してもらえるかな、ディルク・ロールズ侯爵子息」

 耳馴染みのある男性の声。
 心地良い時間を共にした男性の声。
 時に真剣に話し合いを重ね、時に笑いながら林檎のタルトを食べ合った男性の声。

 シャーロットは、恐怖なのか安堵なのかどちらとも分からない涙を滲ませつつ、振り向く。

 月の光に照らされ仄かに耀く金の髪。
 白地に金の刺繍が施された燕尾服に身を包むその様は、立っているだけで神々しさを感じさせる。

 そんな彼の姿を一目見て、シャーロットは胸が一杯になった。
 他でもない、彼──ギルバート・マクミラン王太子殿下が来てくれたから。
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