伯爵令嬢の前途多難な婚活──王太子殿下を突き飛ばしたら、なぜか仲良くなりました

森島菫

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第四章 窮地と平穏

第二十三話 忘れられない日々

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 国王夫妻と別れた後。

 シャーロットは王太子と共に、気になっていた庭園に足を踏み入れた。
 涼やかな風が吹き込み、銀の髪が揺れる。

 城の回廊を抜けたところにふいに現れたその場所は、まるで秘密の箱庭のような空間だった。
 石畳の道に沿って咲く青いサルビア。少し歩くとつる性植物の絡んだアーチがあり、この場所にやってきた者を庭園へと導く。

「素敵な庭園ですね……!」

 その神秘さに、シャーロットは感嘆の息を漏らした。

「ここは俺もたまに来るんだ。数世代前の王女が、癒される空間として設計したみたいだよ」

 王太子によると、当時執務に追われていたとある王女は日頃の疲れを取る場所を作りたいと考え、趣味で楽しんでいた園芸の知識を活かし、この庭園を一から手掛けたという。

 王宮の比較的奥まったところに位置しているのは、彼女の生活圏に合わせたためだろうか。
 確かにここなら王宮にやってくる文官や貴族たちの目に触れにくく、快適に息抜きができるかもしれない。

 さらに奥に進むと、白と薄桃色のペチュニアが可愛らしく出迎える。一輪一輪が可憐に佇むその光景は、見る者の心を洗うような、清廉な空気を纏っていた。

「今日は、ありがとう。急な誘いだったよね」

 しばらくして、ふいに王太子が口を開いた。

「いえ!楽しい時間を過ごすことができて良かったです。あのように光栄な機会があったことは、絶対に忘れません」

 伯爵家に生まれたため身分はあるとはいえ、王族と共に食事をした経験は全くない。

 会話ですら、デビュタントの時や王家主催のパーティーでしか機会がないのだ。
 しかも、挨拶とほんの少しだけ言葉を交わす程度。

 そのような状況にある自分が王宮に泊まり国王夫妻や王太子と食事をすることなど、一生に一回あるだけでも幸運なことだと言えるだろう。

 おそらく、今後このような機会はもう訪れないはずだ。しっかり胸に刻んでおかなければなるまい。



「それでは、そろそろお暇しますね」

 半刻程、他愛のない世間話を続けたのち、シャーロットは口を開いた。

 公務まで時間があると言っていた王太子だが、いつまでも引き留めておくわけにはいかない。
 庭園は少し見足りない気がしなくもないが、中に入れただけ感謝すべきことだろう。

 それに、もう日も高い。午前中に伯爵邸に帰る予定だったため、そろそろ荷物をまとめる時間だ。

「案内していただいて、ありがとうございました。楽しかったです」

 二人で庭園の出口まで歩いてきたところで、シャーロットは王太子に頭を下げた。

「良かった。また来たくなったらいつでも来て。許可は取っておくから」
「良いんですか?ありがとうございます」

 もう一度庭園に来たいという思いが、滲み出ていたようだ。シャーロットが目を輝かせると、王太子はにこやかに笑った。

「あ、そうだ。ちょうど近隣国の菓子類が届いてて、帰りの馬車に積んでおいてもらったから。シャーロット嬢の好きな林檎のタルトもあるよ」

 王太子はシャーロットとともに回廊を歩きながら告げる。

「お気遣い感謝いたします」

 庭園の出入りの許可を取ってくれる上に菓子類も用意してもらえるなど、恐れ多くて遠慮しそうになる。
 しかし、好物を差し出されて拒否できるシャーロットではない。貰えるものは有り難く貰っておくことにした。

 それにしても、彼はなぜここまで破格の待遇をしてくれるのだろうか。

 新事業に対する貢献の対価だとすれば納得できなくもない。しかし、ほぼ毎週のように行われる話し合いで毎度菓子類を準備するのは、間違いなくそれなりの費用がかかる。

 実際に近隣国に行ったり食材を取り寄せたりした経験を持つシャーロットにとって、大方の予想をすることは難しいことではなかった。

「今後も、精一杯尽力します。よろしくお願いいたします」

 貰えるものは貰っておくというスタンスに変わりはない。
 ただし、任せられたことは十分にやり遂げる。

 王太子の言動の意味を汲み取ったシャーロットは、新事業のためにできる限りのことをやらなければと気を引き締めた。

「うん、よろしくね」

 王太子は隣で歩くシャーロットを眺める。

 一伯爵令嬢の自分には破格の待遇だと感じ、それに見合ったことを返さなければならないとでも考えているのだろう。

 もちろん協力してもらうことを求めてはいるのだが、純粋にそれだけで菓子類を用意しているわけではない。

 言わばこれは、一種の餌付けである。
 彼女の好物を定期的に贈り、出来るだけ長期にわたって彼女を引き留めようという魂胆なのだ。

 自分の必死さに苦笑してしまうが、惹かれているのだからどうしようもない。

「ここまで送っていただいて、ありがとうございました」

 彼女の宿泊部屋の前までは、あっさりと到着した。

「俺の方こそ、たくさん話せて楽しかった」

 これは世辞ではない。本音を言えばここで別れるのが名残惜しい。しかし、そうも言っていられないのだ。
 シャーロット嬢にも予定があるだろうし、自分もこの後公務が控えているのだから──と、王太子は言い聞かせた。

 一緒にいたいのにいられない、どうにもしがたいこの状況。
 別れ際、彼はシャーロットに尋ねた。

「手に触れても?」
「はい」

 拒否されたらと思うと不安だったが、今のところ彼女にそのような様子は見られない。
 やや不思議そうな表情を浮かべながらも、彼女は手を差し出す。

 彼はそっとその手に触れ、口付けをした。

「今度会える日を楽しみにしてるよ。気を付けて帰ってね」
「は、はい」

 幸い、彼女の瞳に男性への恐れの色は出なかった。症状の克服に着々と近付いているのは喜ばしいことだが、それは特訓の終わりが近付いていることも意味する。

 複雑な心境になりながらも、彼女のやや狼狽えた表情を見て取り、王太子は笑みを浮かべた。

 彼女の心の中に俺は、いるのだろうか。
 聞きたくとも聞けないその質問が、いつか聞ける日を夢見て、彼はその場を去っていった。

 そんな王太子の後ろ姿を見つめるシャーロット。

 はっと我に返り、部屋の中へ入る。
 パタンと扉が閉まった途端、彼女は目を閉じ、何かに耐えるように天を仰いだ。そして、一呼吸おいて脱力した。

 ス、スマート過ぎる……!

 先程王太子が触れた、自身の右手に目をやる。流れるような所作で、優しく口付けをされた、その右手に。

 社交界デビューして三年。
 ダンスの際など手の甲に口付けをされることはあったが、毎度必死に突き飛ばし癖が出ないよう堪えていたばかりだった。それなのにまさか、口付けをされてこんな気持ちになるとは──。

「……」

 ふと目に入った、部屋の鏡に映る自身の姿。頬は普段より赤みがさしている。今までならば考えられなかった反応だが、癖が発動しにくい王太子相手なら合点はいく。

 いくら対面する機会が増えたと言っても、全身から神々しさを放つ王太子に完全に慣れたわけではないのだ。

「シャーロット様、どうかなさいましたか?」

 何やら様子の異なる彼女を見て、フローラは怪訝そうに尋ねる。

「いえ、何でもありません。ちょっと心を落ち着かせているだけで」

 先程の王太子とシャーロットのやり取りを知らないフローラは、その返答にさらに疑問を募らせる。
 しかし、何か悪いことがあったわけではなさそうだ。フローラは疑問を頭の隅に追いやった。

「さてと、荷物をまとめなきゃ」

 詳細を聞かないでくれたフローラにほっとしつつ、シャーロットは気を取り直して部屋の奥へ進んでいった。

 しばらくして荷造りを終えた彼女は、用意された馬車の前まで移動する。
 すでに荷物は全て積み込まれ、出発の準備は万端だ。シャーロットは、最後に見送りに来てくれたフローラと向き直った。

「フローラさん、お世話になりました。本当にありがとうございました!」

 昨夜からの彼女の気遣いには、とても救われた。話し相手になってくれたことも、シャーロットの不安を和らげる大きな助けになったのだ。

「お役に立てて幸いです。またお会いできる日を心待ちにしておりますね」

 フローラは微笑みながらそう告げた。

 この二日間は、シャーロットにとって忘れられない日々になった。大変なこともあったが、多くの人々の温かい心に触れ、穏やかな時間を過ごすことができた。

 一人では、ここまで早い回復は見込めなかっただろう。

 支えになってくれた人々への感謝の気持ちを抱きつつ、シャーロットは馬車へ乗り込む。

 家に帰ったら、手紙を書こう。

 与えられるものは、当たり前のものではない。それは物であれ人であれ真心であれ同じことだ。
 国王夫妻や王太子、ナタリー、トレス夫妻、両親。感謝の気持ちを伝えよう。

 走り出す馬車。にこやかに送り出すフローラ。馬車の窓から手を振る。ゆっくりと遠ざかっていく王宮。

 そうして、シャーロットはフォード伯爵家のタウンハウスへと帰っていくのだった。
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