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第五章 ライバル登場?
第二十六話 蓋をしていた思い
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その日は、やけに蒸し暑かった。
時折吹く風が生ぬるい空気を拐っていくことはなく、むしろさらなる湿気を呼び込んでいるとさえ感じてしまう。
石畳の道を通りながら、シャーロットは心の中で溜め息をついた。
しかし、もうすぐ社交の場に到着だ。
今すぐに楽な服装に着替えて涼みたいところだが、そういうわけにはいかない。
今日は、以前の王宮パーティーで一方的に見た青髪の公爵子息が主催するパーティーに参加することになっている。
男性恐怖症の克服を確かなものにするため──そしてジェシカ・オルドリッジ公爵令嬢から参加を勧められたことも相俟って──この会場に足を踏み入れたのだ。
公爵令嬢とは先程この会場内で会い、挨拶をした。
知り合いや友人との談笑で忙しくしているようで、彼女はシャーロットと世間話をした後、別の参加者のもとへ挨拶に向かっていった。
その後、シャーロットは顔見知りの子息令嬢と言葉を交わしたり、ダンスを踊ったりして過ごした。
ダンスの最中、相手の男性に触れていても突き飛ばしたい衝動は湧き上がらなかった。無意識に拒否反応が出てしまうこともなかった。
王太子と克服のための特訓をして、丸四か月。遂に、目標に到達したようである。
ここまでやってこれたという達成感、普通の恋愛ができるという希望、家族の不安要素を取り除けるという安堵──様々な気持ちが心に広がっていく。
決して楽ではない道程だった。けれど、それが彼女を強くする材料になった。
これまでの出来事を思い返し、感慨深い気持ちで満たされる。
長くもあり短くもある四か月は、シャーロットにとって特別なものに感じられた。
今度殿下に会ったら、きちんと感謝を伝えよう。
もともとは新規公共事業に参加するお礼として、症状の克服を手伝ってもらうことになった。
しかしシャーロットはその等価交換において、彼に何度も支えられたことへの感謝の念をずっと抱いてきたのだ。
特訓はもう終わりなのだから、感謝の言葉を伝えたい。
そう感じると同時に、『終わり』という単語がなぜか彼女の胸に重くのしかかった。
「……」
男性に触れても拒否反応は出なくなった。男性への恐怖を取り除くことができたのは、喜ばしいことだ。
それなのに、落胆している自分がいることに、シャーロットは気付いた。
いや、こうなることは予想がついていた。気付かないふりをしていたのだ。
いつからか芽生えたこの気持ちを、どうすれば良いのか分からなかったから。
『……シャーロット、他に気になる人がいるの?』
以前、ナタリーに問いかけられた言葉。
『いないけど、どうして?』
あの時はそう答えたけれど、今の自分は、違う。
もしかしたら、あの時もすでに薄々感じていたのかもしれない。彼に対する自分の想いに。
それでも、見て見ぬふりをした。心を偽って、隠して、無かったことにした。
暴いてしまえば、否が応でもその気持ちに向き合わざるを得なくなる。
もちろん、その他のこともそうだ。直視せざるを得なくなる。身分だとか、将来だとか、それから──彼の気持ちだとか。
分からないことがこんなにも怖いことだと、自分がこの状況に置かれて初めて知った。
分からないなら答えを調べる。仮説を立てる。教えてもらう。恋愛以外のことならば、そうやって乗り越えてきた。けれど、こればかりはそう簡単にはいかない。
彼が自分のことをどう思っているのかを知るのが怖い。
もし、ただの知り合いとしか見ていなかったら。想いを伝えて、迷惑だったとしたら。
考えれば考えるほど、不安が大きくなっていく。それでも、やはり無視することができないほどに、想いは膨れ上がっているのだが。
シャーロットは、ふぅ、と息を吐いた。そして、先程から感じる視線の方向へ目を向けた。
一人だけではない。会場の複数の人が、彼女のことを見ていた。その視線の主が皆高位貴族令嬢であるあたり、目下彼女の考えていた彼に関することが原因なのだろうと推測できる。
どうやら、想い人に気持ちを伝える前に一悶着ありそうだ。
「ご機嫌よう、フォード伯爵令嬢」
いつもと同じように穏やかな笑みを浮かべたジェシカ・オルドリッジ公爵令嬢がやってきた。
「ご機嫌よう、オルドリッジ公爵令嬢」
優美な笑顔の下に、得体の知れない何かを隠しているように感じる。
考え過ぎだろうか、とシャーロットは疑念を振り払おうとしたが、如何せん嵐の前の静けさのような気がしてならない。
「ダンスは踊ったかしら?」
公爵令嬢はそう尋ねた後、グラスに入った赤ワインを一口飲んだ。
口元からグラスが離れると、残ったワインがゆらゆらと揺れる。
「ええ、踊りました。オルドリッジ公爵令嬢も、踊っていらっしゃいましたね。優雅なステップで、とてもお綺麗でした」
「あら、ありがとう」
ふふ、と笑う公爵令嬢は、さながら薔薇のような美しさを放つ。
そして同時に、鋭い刺を覗かせた。
「私もね、あなたは素晴らしい人だと思っているのよ。だって……王宮に何度も通うのを許されるほどの才能があるのだから」
社交界では人の言葉を文字通りに受け取ってはならないという暗黙の了解は、こういう時に機能するのだろう。
直接皮肉を言われた経験が乏しくとも、シャーロットは理解した。
この上なく嫌な予感がするのは、きっと気のせいではない。
公爵令嬢はさらに言葉を続ける。
「お父様から聞いたのだけれど……以前から、王太子殿下と行動を共にしているらしいわね」
探るような言葉を投げ掛ける彼女の瞳に、もう笑みは消えていた。
時折吹く風が生ぬるい空気を拐っていくことはなく、むしろさらなる湿気を呼び込んでいるとさえ感じてしまう。
石畳の道を通りながら、シャーロットは心の中で溜め息をついた。
しかし、もうすぐ社交の場に到着だ。
今すぐに楽な服装に着替えて涼みたいところだが、そういうわけにはいかない。
今日は、以前の王宮パーティーで一方的に見た青髪の公爵子息が主催するパーティーに参加することになっている。
男性恐怖症の克服を確かなものにするため──そしてジェシカ・オルドリッジ公爵令嬢から参加を勧められたことも相俟って──この会場に足を踏み入れたのだ。
公爵令嬢とは先程この会場内で会い、挨拶をした。
知り合いや友人との談笑で忙しくしているようで、彼女はシャーロットと世間話をした後、別の参加者のもとへ挨拶に向かっていった。
その後、シャーロットは顔見知りの子息令嬢と言葉を交わしたり、ダンスを踊ったりして過ごした。
ダンスの最中、相手の男性に触れていても突き飛ばしたい衝動は湧き上がらなかった。無意識に拒否反応が出てしまうこともなかった。
王太子と克服のための特訓をして、丸四か月。遂に、目標に到達したようである。
ここまでやってこれたという達成感、普通の恋愛ができるという希望、家族の不安要素を取り除けるという安堵──様々な気持ちが心に広がっていく。
決して楽ではない道程だった。けれど、それが彼女を強くする材料になった。
これまでの出来事を思い返し、感慨深い気持ちで満たされる。
長くもあり短くもある四か月は、シャーロットにとって特別なものに感じられた。
今度殿下に会ったら、きちんと感謝を伝えよう。
もともとは新規公共事業に参加するお礼として、症状の克服を手伝ってもらうことになった。
しかしシャーロットはその等価交換において、彼に何度も支えられたことへの感謝の念をずっと抱いてきたのだ。
特訓はもう終わりなのだから、感謝の言葉を伝えたい。
そう感じると同時に、『終わり』という単語がなぜか彼女の胸に重くのしかかった。
「……」
男性に触れても拒否反応は出なくなった。男性への恐怖を取り除くことができたのは、喜ばしいことだ。
それなのに、落胆している自分がいることに、シャーロットは気付いた。
いや、こうなることは予想がついていた。気付かないふりをしていたのだ。
いつからか芽生えたこの気持ちを、どうすれば良いのか分からなかったから。
『……シャーロット、他に気になる人がいるの?』
以前、ナタリーに問いかけられた言葉。
『いないけど、どうして?』
あの時はそう答えたけれど、今の自分は、違う。
もしかしたら、あの時もすでに薄々感じていたのかもしれない。彼に対する自分の想いに。
それでも、見て見ぬふりをした。心を偽って、隠して、無かったことにした。
暴いてしまえば、否が応でもその気持ちに向き合わざるを得なくなる。
もちろん、その他のこともそうだ。直視せざるを得なくなる。身分だとか、将来だとか、それから──彼の気持ちだとか。
分からないことがこんなにも怖いことだと、自分がこの状況に置かれて初めて知った。
分からないなら答えを調べる。仮説を立てる。教えてもらう。恋愛以外のことならば、そうやって乗り越えてきた。けれど、こればかりはそう簡単にはいかない。
彼が自分のことをどう思っているのかを知るのが怖い。
もし、ただの知り合いとしか見ていなかったら。想いを伝えて、迷惑だったとしたら。
考えれば考えるほど、不安が大きくなっていく。それでも、やはり無視することができないほどに、想いは膨れ上がっているのだが。
シャーロットは、ふぅ、と息を吐いた。そして、先程から感じる視線の方向へ目を向けた。
一人だけではない。会場の複数の人が、彼女のことを見ていた。その視線の主が皆高位貴族令嬢であるあたり、目下彼女の考えていた彼に関することが原因なのだろうと推測できる。
どうやら、想い人に気持ちを伝える前に一悶着ありそうだ。
「ご機嫌よう、フォード伯爵令嬢」
いつもと同じように穏やかな笑みを浮かべたジェシカ・オルドリッジ公爵令嬢がやってきた。
「ご機嫌よう、オルドリッジ公爵令嬢」
優美な笑顔の下に、得体の知れない何かを隠しているように感じる。
考え過ぎだろうか、とシャーロットは疑念を振り払おうとしたが、如何せん嵐の前の静けさのような気がしてならない。
「ダンスは踊ったかしら?」
公爵令嬢はそう尋ねた後、グラスに入った赤ワインを一口飲んだ。
口元からグラスが離れると、残ったワインがゆらゆらと揺れる。
「ええ、踊りました。オルドリッジ公爵令嬢も、踊っていらっしゃいましたね。優雅なステップで、とてもお綺麗でした」
「あら、ありがとう」
ふふ、と笑う公爵令嬢は、さながら薔薇のような美しさを放つ。
そして同時に、鋭い刺を覗かせた。
「私もね、あなたは素晴らしい人だと思っているのよ。だって……王宮に何度も通うのを許されるほどの才能があるのだから」
社交界では人の言葉を文字通りに受け取ってはならないという暗黙の了解は、こういう時に機能するのだろう。
直接皮肉を言われた経験が乏しくとも、シャーロットは理解した。
この上なく嫌な予感がするのは、きっと気のせいではない。
公爵令嬢はさらに言葉を続ける。
「お父様から聞いたのだけれど……以前から、王太子殿下と行動を共にしているらしいわね」
探るような言葉を投げ掛ける彼女の瞳に、もう笑みは消えていた。
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