伯爵令嬢の前途多難な婚活──王太子殿下を突き飛ばしたら、なぜか仲良くなりました

森島菫

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第六章 婚約

第二十九話 話したいこと

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 ルーサー・スプラウト公爵子息の主催するパーティーが終わった次の日。

「やっぱりあの子、賢いのね」

 ジェシカは、ご機嫌な様子で呟いた。

 笑みを浮かべながら、手元の手紙に目を通す。
 差出人は、シャーロット・フォード伯爵令嬢だ。

 内容を要約すると、あなたのおかげで様々な方と交流できたから、お礼をしに伺いたい、とのこと。
 どうやら昨晩のこちらの思惑は、彼女に推測されてしまったらしい。

 感心と楽しみの色を滲ませるジェシカは、早速返事の手紙を書き始めた。

 そんな彼女のもとに、王太子と伯爵令嬢の婚約の報せが届いたのは、それから一週間後のことである。



 時はパーティー当日の夜に遡る。

「私の叔母は感染症にかかっているんだけれど、水道設備が整ってから症状が落ち着いてきたの。きっとあなたのおかげね、ありがとう」
「実は噂を聞いた時から気になっていたんだが、私も領地でとある事業を展開する予定で、ぜひ君の意見を──」

 シャーロットの活躍が皆に伝わり、彼女は人々から頻繁に声をかけられていた。

 まさかこのようなことになるとは思ってもいなかったため当惑しているが、多くの人々と話ができて嬉しい限りである。

 男性恐怖症を克服した今は、いつぞやの日のように偶然ぶつかった時に突き飛ばしてしまったらどうしよう、と不安に思うこともない。

 シャーロットは彼らとの会話を楽しみながら、とても有意義な時間を過ごした。

「……殿下!」

 パーティーが終わり、交流していた人々と別れた後。シャーロットは近くにいた金髪の青年のもとへ向かった。

「今日は、助けてくださってありがとうございました」

 紫の瞳を見つめると、彼はいつものように穏やかに笑う。

「シャーロット嬢のためだからね。多少大胆なやり方だったけど、結果的に君の交流の幅が広がったみたいで良かった」
「はい!色々な方とお話ができてとても楽しかったです。それと……症状も、克服できたと思います」

 そう話すと、彼はやや驚いた後、目を細めた。

「おめでとう!頑張っていたもんね。俺も嬉しいよ」
「これまで特訓してくださって、本当にありがとうございました」

 笑顔で告げるシャーロットに、王太子は微笑みながら頷く。
 その時、月明かりに照らされた彼の表情が僅かに曇った気がした。

「……あのさ、シャーロット嬢。明日の午後って、時間ある?」

 目の前に立つシャーロットを真っ直ぐに見つめ、彼はふいにそう尋ねた。

「話したいことがあるんだ」

 その表情はいつになく真剣で、シャーロットは思わず息を飲む。

「は、はい」

 はっとして頷くと、彼はにっこりと笑った。

「じゃあ……明日、王宮のいつもの部屋で待ってる」
「分かりました」

 その後公爵邸の玄関口に出た二人は、夜空の下で向き合う。

「おやすみ、シャーロット嬢」
「おやすみなさい、殿下」

 王太子はシャーロットがフォード伯爵家の馬車に乗ったことを確認し、出発した馬車が見えなくなるまで、じっと見つめていた。
 とても大切なものを、慈しむような表情で。



 次の日、シャーロットは王太子が用意した送迎用馬車で、王宮にやってきた。

 四か月以上、週一回のペースでこの場所に来ているにもかかわらず、どこか緊張した自分に気付く。

 いつものように王太子の執務室まで進んでいくと、彼女は深呼吸をした。そしてコンコン、と扉をノックする。
 ほどなくして、部屋の主がシャーロットをにこやかに出迎えた。

「やあ。いらっしゃい、シャーロット嬢」
「こんにちは、殿下」

 どうぞ、と部屋の中へ通され、ソファへ腰かけるよう促される。柔らかな座り心地が、彼女の緊張を随分と解してくれた。

「来てくれてありがとう。実は、次の事業のことで話しておきたいことがあって」

 王太子は最初にそう言った。

「次の事業、ですか?」
「これなんだけど──」

 テーブルの上にいくつかの資料を広げ、話を始める王太子。

 昨夜、真剣な顔で話があると言われたため、てっきり事業以外のことなのかと思っていた。

 事業ももちろん真剣な話し合いなのだが、彼は普段寛ぎながら話すことが多い。
 いつにもまして真剣な顔つきだったのは別の重要な話があるのかと身構えていたが、どうやら違うらしい。

 ほっとするような拍子抜けするような、形容しがたい感情を胸に抱きつつ、シャーロットは事業の内容に耳を傾けた。

「──概要はこんな感じだね」

 説明を終えた王太子は、視線を資料からシャーロットへ移す。

 次の事業は、建築に関することだ。老朽化が進む建物の修繕をしたり、建築水準を高めるための基盤を作ったりする予定とのこと。

 人々が暮らす場所は、常に安全であるのが理想だ。建物が崩れてしまえば、彼らの生活や命に関わってくる。
 この事業も、前回の水道事業と同様に重要な任務となるだろう。

「分かりました。今度、問題点を書き出しておきます」
「ありがとう、助かるよ」

 いつもの通り、話し合いを進めていった王太子。
 シャーロットは、今日も今日とて林檎のタルトをありがたく頂く。

 好物に頬を緩ませた彼女は、完全に肩の力を抜いていた。

「やっぱり美味しそうに食べるね」

 彼は目の前で心底幸せそうな表情をするシャーロットを見て、目を細める。

「好きだな」

 瞬間、シャーロットの胸が跳ねた。

「えっ……」

 思わず目を見開いてしまったが、自分も彼も林檎のタルトを食べていることに気付き、彼女は焦ったように笑う。

「あ、このタルト、本当に美味しいですよね……!私もこれ好きです」

 彼に見つめられ、一瞬でも自分のことかと思ってしまった。無意識に、本当にそうだったら良かったのにという願望が浮き上がるが、急いで抑え込む。

 恥ずかしさから、体が火照ってきた。顔も赤くなっているような気がして、どうにか話題を逸らそうとするシャーロット。

 しかし、必死に火照りを逃がしている彼女の体温を、さらに上昇させる言葉が告げられた。

「シャーロット嬢のことだよ?」
「…………っ!?」

 しばらくの間、彼の言葉が頭の中で反芻される。目を見開きながら彼の顔を凝視していたシャーロットが我に返ったのは、彼が再び口を開いた時だった。

「シャーロット嬢?」
「は、はいっ!」

 背筋を伸ばして勢いよく返事をする彼女に、ギルバートは苦笑した。
 特訓を始めた頃の彼女の様子とよく似ていて、懐かしさを覚える。

「……話があるっていうのは、本当はこのことだったんだ」

 彼は依然としてシャーロットを見つめながらそう言った。

「一緒に過ごしていくうちに、君のいろいろなことを知った。読書が好きで知識が豊富なこと、国内外の料理に興味があること、林檎のタルトが好物なこと」

 窓から差し込む柔らかな日の光が、彼の瞳を温かく輝かせる。

「はっきり意見を言う時もあれば、困った顔で狼狽える時もある。不安で震えている時もあれば、きらきら笑っている時もある」

 四か月前までは思ってもみなかったな、とかつての日々を振り返るギルバート。

 この四か月で、彼女の様々な部分に触れた。そして、もっと一緒にいたいと感じるようになっていった。

 彼女が楽しいのはどんな時なのか、彼女の不安を少しでも軽くするためには何が出来るのか、彼女に心地良いと思ってもらえるようにするにはどうすれば良いのか。
 そういうことを、考えるようになっていった。

「色々な顔を見せる君に、どんどん惹かれていった。どうしようもないくらいにね。だから──」

 目の前に座る愛しい彼女。

「シャーロット嬢のことが、好き。これからもずっと、一緒にいさせてほしい」

 シャーロットは、真っ直ぐに自分を見つめながら想いを告げたギルバートを見つめ返す。

 言葉が出ないというのは、こういうことなのだろうか。

 衝撃の事実を前にして、どうして良いか分からなくなってきた。しかし、唯一確かだと言えることがある。

「ありがとうございます。その……とても、嬉しいです」

 自分の言葉で伝えようとする彼女を、ギルバートは温かく見守った。

「殿下と過ごす時間は、とても楽しくて……殿下の姿を見ると安心しますし、もっと一緒にいたいと、思います」

 事業の協力をする代わりに、男性恐怖症の克服に協力する。そういう交換条件から始まったこの関係。
 いつからか、そこに淡い気持ちが混ざっていった。

「視察に行った時、殿下が林檎のタルトの屋台に連れていってくださったり、王宮に泊まった時、私の不安に寄り添ってくださったり。冗談を言って和ませてくださったり、私の言葉や気持ちをいつもさりげなく気にかけてくださったり……。殿下のそういうところが、とても素敵だなと思っています」

 シャーロットは深呼吸をした。もう、答えは一つだ。

「私も殿下のことが好きです。私の方こそ、これからも一緒にいさせてください」

 他の誰でもない、彼だから。

 想いを伝えたシャーロットの表情は、柔らかな日の光に照らされ、とても穏やかだった。
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