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終章・私の幸せ
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歴史は続いていく。
人の歩みは止まらない。
乱世の時代にあって、一人の男の本が人気となった。
その人は世界中を旅し、見聞した世界中の全てを手記にしたためたのである。
その手記を読んだ複数人の人々によって本とされ、世界中で読まれるベストセラーとなった。
なにせ、戦乱によって二つ隣の国ですらよく分かって無い状況で、近隣国から遥か彼方まで記された本は、人々にとって魅力的だったのである。
しかも、高い教養と豊富な語彙から紡がれる文章は、読みやすく、情緒に溢れ、読むだけでその国に旅しているかのようだった。
その本はルカオットの手記と題された本である。
噂によれば、ガリエンド王国の前身となったマルダーク王国の元国王であるなどと荒唐無稽な噂も流れたが、著者のルカオットは小さな港町で結婚し、噂なんてどこ吹く風の穏やかな暮らしを送ったという。
それから、カーシュもこの時代を象徴する人物だ。
陶芸家のカーシュはガリエンド王国が滅亡したあと、オルブテナ王国の人々に腕の良い老陶芸家として愛された。
カーシュは日頃から国王ラジートを、ひいてはガリエンド王国を非難していたため、誰も彼がラジートの義兄弟などと思いもしなかったのである。
彼の創る美しい陶芸品の数々は、民から貴族達、ついにはオルブテナの王族にまで愛された。
彼は寡黙な男で、彼の子供達も、カーシュが多弁に喋る姿を見たことが無いと言うほどだったのである。
そんなカーシュは年に一度、小さな壺を作った。
小さいが、全ての精と根を込めた壺である。
その壺を、かつてガリエンド家が住んでいた屋敷跡に置くと、ハンマーで砕いた。
彼の奇妙な儀式の意味を誰も知ることは無かった。
彼は寡黙だったから、誰も彼もが、職人気質な気難しい老人のゲン担ぎだと思って、真意を知らなかったのである。
だが、その時だけ、彼は心の中で良く喋っていた。
ラジート。どうだい? 良い出来だろう?
それもこれも、お前が俺に、人の顔そっくりな陶器を作れなんて無茶を言ったお陰だ。
俺もだいぶ歳をとって、あの時よりさらに腕前は上がったけど眼も見えづらくなってきてな。
俺の倅共は跡を継が無いって家を出て行っちまったけど、時々孫の顔を見せに来てくれる。
いや、ひ孫まで出来ちまったもんでよ。
ひ孫は俺の事を格好いいって言ってくれるんだぜ?
将来は俺みたいな陶芸家になりたいだとよ。
まあ、俺も歳だし、ひ孫には俺の弟子どもが教えてくれるだろう。
……うん、俺ももうすぐ行くよ。俺ももう悔いがねえからさ。
そしたらお前、三発殴らせろ。
ヘデンの分と、キネットさんの分と、俺の分だ。
そっちでヘデンとキネットさん以外の女を引っ掛けてたら、引っ掛けた女全員分殴るからな。
あと、ヘデンとキネットさんを悲しませてたら、その分だけ殴ってやる――
彼は高く青い空を見ながら、そう思うのであった。
歴史は続いていくのだ。
何があろうと、人々の歩みは止まらない……。
青々と広がる大河と青々と広がる森林の間に村があった。
河と森林の間にある故、広い村では無いが、立ち上る料理の白煙と子供たちの笑い声、女の話し声から決して貧しい村では無いと分かる。
昔はもっと小さかったが、今は森林が伐採されてだいぶ拡大されていた。もっとも、かつては川沿いに建てていた家が開拓された森側に移動し、川沿いは畑になっていたので、まだ小さな村の範囲を出ないが。
これは、数年に一度ある河の氾濫への対策であり、氾濫後には土地が肥沃になるため、川沿いに住まわずに畑にしたのである。
かつてはマルダーク王国の辺境に位置し、良質な木材を王都へ送っていた村だ。
国がガリエンド王国に代わり、戦乱の世となって、そしてガリエンド王国が滅亡しそうになると、後ろ盾を失うことに恐れた領主が逃げ出してしまい誰からも忘れられている。
誰からも忘れられたため、戦乱と無縁な平和な村であった。
その村の森に一人の旅人が訪れる。
顔を包帯で巻き、疲れ切ってフラフラと歩いていた。
ついには歩けなくなって、木の幹に腰掛ける。
疲弊していたし、腹も空いていた。
旅人はずっと独りぼっちだ。
昔は伴侶と一緒に旅をしていたが、共に歩き続けたその人はとうの昔に死別している。
なので、ただ一人でずっと歩き続けていた。
もう良いか……。
歩き疲れて、ゆっくりと目を閉じる。
旅人はもう疲れて疲れて、ここで歩みを止めて旅を終わろうと思った。
その時、小さな足音が二人分、旅人の耳に入る。
「その後ろから五人……」
さらに後から五人の大人の足音だ。
どうやら二人の子供を追いかけているようである。
やれやれ、まだ眠れそうにないなと、旅人は身を起こし、剣を抜いた。
そして、茂みの向こうから少年と少女が現れ、立ち止まると怯えた顔で旅人を見る。
二人とも灰色の髪の毛をしていて、兄妹だと分かった。
その二人の後ろから、顔を隠した男達が五人。
剣を構えて居た。
男達は顔に布を巻いて居て、旅人に似た服装だ。
そのために少年と少女は、旅人も敵だと思ったようである。
「サニヤ。俺から離れるなよ」
「うん。お兄ちゃん」
今にも泣きそうな二人。
二人は兄妹のようで、兄は妹を守ろうとした。
妹は涙を目に溜めて、兄に力強く抱き付いている。
旅人は「サニヤだって?」と呟くとクククと笑う。
その直後、旅人が目にも止まらぬ速さで踏み込むと、五人の男を茂みの向こうへと、蹴り飛ばし、投げ飛ばした。
旅人も茂みの向こうへ飛んでいき、そして、茂みの向こうで剣のぶつかる激しい戦闘の音が響く。
少ししたら静寂となった。
兄妹は風が木の葉を鳴らす音だけが聞こえる中でしばらく佇む。
いきなり、目の前の人が自分達を追いかけていた人達を茂みの向こうへ吹き飛ばし、そのまま茂みの向こうで戦っているのという事態に、何が何だか分からずに戸惑ったのだ。
それでも、だんだん頭が動いてきた二人は、恐る恐る、今のうちにゆっくり逃げ出そうとした。
しかし、数歩後退した所で先ほどの旅人が茂みから現れたので、動きをピタリと止めてしまう。
緊迫した空気が流れたが、旅人は「怪我は無いか?」と二人へ聞いた。
女の声だ。
不思議なもので、女性の声というものは人を安心させる。
母性のなせる業であろうか?
なんにせよ、二人は少しだけ安堵して頷いた。
「ねえ、あなたの名前って、おばあちゃんが付けたの?」
旅人がサニヤと呼ばれた少女に聞くと、サニヤは小さく頷き、少年が「この間死んじゃったおばあちゃんが付けたんだ。大切な人と同じ名前だって」と説明する。
「でもなんでおばあちゃんが名付けたって分かったんだ?」と首をかしげる。
旅人は何も答えなかったが、満足したように、「村へお帰り。ここは危ないわ」と言ったので、兄妹は素直な感謝の言葉を述べて村へと向かう。
……似てた。
旅人は思う。
かつて彼女の両親であった人と、かつて彼女の娘だった子に、あの兄妹は似ていた。
――そう。ここに居たのね……。ここに……――
感慨深く目を閉じると、旅人の目から一条の涙が流れる。
大切な人と同じ名前……か。
が、すぐに目を開けた。
茂みの中、木々の上。
森のそこら中から殺気が向けられている。
「人の感動を邪魔する奴らね」
振り向けば、先ほどの男達と同じ服装の男が立っていた。
「あんた達、オルブテナ王国の暗殺部隊ね? こんな辺鄙な村に用があるように思えないんだけど?」
彼女が剣を構えると、暗殺部隊は待てと制する。
彼らはただの旅人に用が無く、また、村にも危害を加えるつもりは無いと言った。
ただ、オルブテナ王国が滅ぼしたガリエンド王国の、その王族の生き残りがこの村におり、反乱の芽を潰す為に来たのだと説明する。
今の子供二人と、子供の両親親戚を殺せば、村には危害を加え無いのだ。
「で?」
旅人は相変わらず武器を構えて居た。
「やるつもりか?」
「悪いわね。私、ガリエンド家の人間なの」
瞬間――
――周囲一面から敵が襲い掛かった。
彼女は剣を振るう。
平和の影で剣を振るうのには慣れていた。
誰にも知られず、誰にも感謝されず。
影に潜み、闇を纏い生きるのには慣れていたのだ。
……それからずっと村は平和だ。
季節は巡り、雨も晴れも雪も……幾度も村にやって来たが、村は平和だ。
辺境の村に付きものの山賊は来ない。
オルブテナの暗殺部隊も来ない。
いや、山賊は何度もこの平和な村を蹂躙しようとしたし、オルブテナ王国はずっと暗殺部隊を村へと送っていた。
しかし、何度送っても、何人送っても、音信が途絶えたのである。
五年も経てば、オルブテナ王国は思うようになった。
――あの村には守り神が居る――
オルブテナ王国は守り神を恐れ、ついに暗殺部隊を送ることを諦めたのである。
そして、守り神か居ると思ったのはオルブテナ王国だけでは無い。
村の人々も、時々物騒な武器を持った人達が森の中で死んでいるのを見つけており、「何者かが村を守ってくれている。きっと守り神が居るのだ」と思ったのである。
だから、麦が金色に染まると、村人達は収穫した野菜や麦を守り神への捧げ物として森へ置いた。
それは一つの儀式であったが、決して様式では無い。
なにせ、確かに何者かがその捧げ物を食べて、減っていたからだ。
ああ、間違いない。
この村を守ってくれている。
人々は今日も守り神へ感謝の祈りを捧げた。
――ふふ。私が守り神ね――
木の枝に座って、あの女性は村を見ている。
かつて嫌われ者だった拾われ娘が、今や守り神。
出来た成り上がりね。なんて自嘲してしまう。
しかし、その自嘲はすぐに消え、穏やかな笑みに変わった。
麦の稲穂がまるで宝石のようで、見とれたからだ。
美しい。
太陽の暖かな光を反射して、金から銀の光に変わる瞬間、まるで稲穂は純白のパールに思えた。
真珠の大地だ。
彼女は顔の包帯を取った。
稲穂の金から銀へ変わった光が、彼女の黒い髪の毛を照らし、まるで真っ白に見える。
――ああ、今分かったよ……。
この世に善も悪も無く、ただ人は、がむしゃらに生きていこうとしたんだ。
ただがむしゃらに、この大きな世界をもがいて、もがいて、もがき続けて、ただ生きていたんだ――
大きな大きな大地。
そこに結んだ実の一つ一つが、まるでこの世界に生きる人々に見えた。
なんて人はちっぽけだろう。
……だが、悠大だ。
親から子へ。
子から孫へ。
友から友へ。
人から人へ。
あらゆる想いが巡り巡り、悠久の時を紡いできた。
やがて実が大地へ落ちて再び実を結ぶように、人は、人から人へ想いを繋ぐ。
人はちっぽけだ。
だけど、想いは無限だ。
そう。
ずっとずっと、この大地に想いは続いてきたのだ。
――今なら分かるよ。
皆そこに居たんだね……。
お父様、お母様……ザイン、ラジート。リシー……。
皆、皆この大地に居たんだ。
ずっと私のそばに居てくれたんだね――
彼女は指輪を出した。
かつて、彼女と愛を深めた伴侶の指輪。
「ラキーニ。私も今、向かうわ」
彼女は指輪に優しく口づけをし、目を閉じた。
――――
……ねえ。私ね、今、とっても嬉しいの。
長かったけど、ようやくお父様とお母様と、本当に家族になれたんだって。
ねえ、リシーとザインのお陰だね。
私、リシーに感謝しなくちゃ。
あんな酷い事したのに、私の事、大切な人だって。
ねえ、ラキーニ。そこにリシーは居る?
居たらね、思いっきり抱きしめてあげたいの。それでたくさん謝りたい。
リシーはおばあちゃんだって、あの小さかったリシーがよ?
あの子、私に抱きしめられたらきっと、もうおばあちゃんだから恥ずかしいよって言うよね。
でも、絶対に私は離してあげない。
だって幾つになってもあの子は私の可愛いリシーだもの。
ああ、それから、お父様とお母様にも、たくさん謝らなくちゃ。こんな馬鹿娘で迷惑たくさんかけたから、
それにザインとラジートにも。
あー、あと、村の人達にも謝らなくちゃ。
ラキーニは私が皆に迷惑かけたの知ってるでしょ?
うん、謝りたい事がたくさんあるんだ。
たくさんの人に迷惑をかけて、私はここまで生きてきたから。
たくさん謝らなくちゃ。
たくさん謝ったら、次はたくさん感謝しなくちゃいけないから大変だよ。
たくさんの人に……たくさんの感謝を……。
ね……。ラキーニ……
人の歩みは止まらない。
乱世の時代にあって、一人の男の本が人気となった。
その人は世界中を旅し、見聞した世界中の全てを手記にしたためたのである。
その手記を読んだ複数人の人々によって本とされ、世界中で読まれるベストセラーとなった。
なにせ、戦乱によって二つ隣の国ですらよく分かって無い状況で、近隣国から遥か彼方まで記された本は、人々にとって魅力的だったのである。
しかも、高い教養と豊富な語彙から紡がれる文章は、読みやすく、情緒に溢れ、読むだけでその国に旅しているかのようだった。
その本はルカオットの手記と題された本である。
噂によれば、ガリエンド王国の前身となったマルダーク王国の元国王であるなどと荒唐無稽な噂も流れたが、著者のルカオットは小さな港町で結婚し、噂なんてどこ吹く風の穏やかな暮らしを送ったという。
それから、カーシュもこの時代を象徴する人物だ。
陶芸家のカーシュはガリエンド王国が滅亡したあと、オルブテナ王国の人々に腕の良い老陶芸家として愛された。
カーシュは日頃から国王ラジートを、ひいてはガリエンド王国を非難していたため、誰も彼がラジートの義兄弟などと思いもしなかったのである。
彼の創る美しい陶芸品の数々は、民から貴族達、ついにはオルブテナの王族にまで愛された。
彼は寡黙な男で、彼の子供達も、カーシュが多弁に喋る姿を見たことが無いと言うほどだったのである。
そんなカーシュは年に一度、小さな壺を作った。
小さいが、全ての精と根を込めた壺である。
その壺を、かつてガリエンド家が住んでいた屋敷跡に置くと、ハンマーで砕いた。
彼の奇妙な儀式の意味を誰も知ることは無かった。
彼は寡黙だったから、誰も彼もが、職人気質な気難しい老人のゲン担ぎだと思って、真意を知らなかったのである。
だが、その時だけ、彼は心の中で良く喋っていた。
ラジート。どうだい? 良い出来だろう?
それもこれも、お前が俺に、人の顔そっくりな陶器を作れなんて無茶を言ったお陰だ。
俺もだいぶ歳をとって、あの時よりさらに腕前は上がったけど眼も見えづらくなってきてな。
俺の倅共は跡を継が無いって家を出て行っちまったけど、時々孫の顔を見せに来てくれる。
いや、ひ孫まで出来ちまったもんでよ。
ひ孫は俺の事を格好いいって言ってくれるんだぜ?
将来は俺みたいな陶芸家になりたいだとよ。
まあ、俺も歳だし、ひ孫には俺の弟子どもが教えてくれるだろう。
……うん、俺ももうすぐ行くよ。俺ももう悔いがねえからさ。
そしたらお前、三発殴らせろ。
ヘデンの分と、キネットさんの分と、俺の分だ。
そっちでヘデンとキネットさん以外の女を引っ掛けてたら、引っ掛けた女全員分殴るからな。
あと、ヘデンとキネットさんを悲しませてたら、その分だけ殴ってやる――
彼は高く青い空を見ながら、そう思うのであった。
歴史は続いていくのだ。
何があろうと、人々の歩みは止まらない……。
青々と広がる大河と青々と広がる森林の間に村があった。
河と森林の間にある故、広い村では無いが、立ち上る料理の白煙と子供たちの笑い声、女の話し声から決して貧しい村では無いと分かる。
昔はもっと小さかったが、今は森林が伐採されてだいぶ拡大されていた。もっとも、かつては川沿いに建てていた家が開拓された森側に移動し、川沿いは畑になっていたので、まだ小さな村の範囲を出ないが。
これは、数年に一度ある河の氾濫への対策であり、氾濫後には土地が肥沃になるため、川沿いに住まわずに畑にしたのである。
かつてはマルダーク王国の辺境に位置し、良質な木材を王都へ送っていた村だ。
国がガリエンド王国に代わり、戦乱の世となって、そしてガリエンド王国が滅亡しそうになると、後ろ盾を失うことに恐れた領主が逃げ出してしまい誰からも忘れられている。
誰からも忘れられたため、戦乱と無縁な平和な村であった。
その村の森に一人の旅人が訪れる。
顔を包帯で巻き、疲れ切ってフラフラと歩いていた。
ついには歩けなくなって、木の幹に腰掛ける。
疲弊していたし、腹も空いていた。
旅人はずっと独りぼっちだ。
昔は伴侶と一緒に旅をしていたが、共に歩き続けたその人はとうの昔に死別している。
なので、ただ一人でずっと歩き続けていた。
もう良いか……。
歩き疲れて、ゆっくりと目を閉じる。
旅人はもう疲れて疲れて、ここで歩みを止めて旅を終わろうと思った。
その時、小さな足音が二人分、旅人の耳に入る。
「その後ろから五人……」
さらに後から五人の大人の足音だ。
どうやら二人の子供を追いかけているようである。
やれやれ、まだ眠れそうにないなと、旅人は身を起こし、剣を抜いた。
そして、茂みの向こうから少年と少女が現れ、立ち止まると怯えた顔で旅人を見る。
二人とも灰色の髪の毛をしていて、兄妹だと分かった。
その二人の後ろから、顔を隠した男達が五人。
剣を構えて居た。
男達は顔に布を巻いて居て、旅人に似た服装だ。
そのために少年と少女は、旅人も敵だと思ったようである。
「サニヤ。俺から離れるなよ」
「うん。お兄ちゃん」
今にも泣きそうな二人。
二人は兄妹のようで、兄は妹を守ろうとした。
妹は涙を目に溜めて、兄に力強く抱き付いている。
旅人は「サニヤだって?」と呟くとクククと笑う。
その直後、旅人が目にも止まらぬ速さで踏み込むと、五人の男を茂みの向こうへと、蹴り飛ばし、投げ飛ばした。
旅人も茂みの向こうへ飛んでいき、そして、茂みの向こうで剣のぶつかる激しい戦闘の音が響く。
少ししたら静寂となった。
兄妹は風が木の葉を鳴らす音だけが聞こえる中でしばらく佇む。
いきなり、目の前の人が自分達を追いかけていた人達を茂みの向こうへ吹き飛ばし、そのまま茂みの向こうで戦っているのという事態に、何が何だか分からずに戸惑ったのだ。
それでも、だんだん頭が動いてきた二人は、恐る恐る、今のうちにゆっくり逃げ出そうとした。
しかし、数歩後退した所で先ほどの旅人が茂みから現れたので、動きをピタリと止めてしまう。
緊迫した空気が流れたが、旅人は「怪我は無いか?」と二人へ聞いた。
女の声だ。
不思議なもので、女性の声というものは人を安心させる。
母性のなせる業であろうか?
なんにせよ、二人は少しだけ安堵して頷いた。
「ねえ、あなたの名前って、おばあちゃんが付けたの?」
旅人がサニヤと呼ばれた少女に聞くと、サニヤは小さく頷き、少年が「この間死んじゃったおばあちゃんが付けたんだ。大切な人と同じ名前だって」と説明する。
「でもなんでおばあちゃんが名付けたって分かったんだ?」と首をかしげる。
旅人は何も答えなかったが、満足したように、「村へお帰り。ここは危ないわ」と言ったので、兄妹は素直な感謝の言葉を述べて村へと向かう。
……似てた。
旅人は思う。
かつて彼女の両親であった人と、かつて彼女の娘だった子に、あの兄妹は似ていた。
――そう。ここに居たのね……。ここに……――
感慨深く目を閉じると、旅人の目から一条の涙が流れる。
大切な人と同じ名前……か。
が、すぐに目を開けた。
茂みの中、木々の上。
森のそこら中から殺気が向けられている。
「人の感動を邪魔する奴らね」
振り向けば、先ほどの男達と同じ服装の男が立っていた。
「あんた達、オルブテナ王国の暗殺部隊ね? こんな辺鄙な村に用があるように思えないんだけど?」
彼女が剣を構えると、暗殺部隊は待てと制する。
彼らはただの旅人に用が無く、また、村にも危害を加えるつもりは無いと言った。
ただ、オルブテナ王国が滅ぼしたガリエンド王国の、その王族の生き残りがこの村におり、反乱の芽を潰す為に来たのだと説明する。
今の子供二人と、子供の両親親戚を殺せば、村には危害を加え無いのだ。
「で?」
旅人は相変わらず武器を構えて居た。
「やるつもりか?」
「悪いわね。私、ガリエンド家の人間なの」
瞬間――
――周囲一面から敵が襲い掛かった。
彼女は剣を振るう。
平和の影で剣を振るうのには慣れていた。
誰にも知られず、誰にも感謝されず。
影に潜み、闇を纏い生きるのには慣れていたのだ。
……それからずっと村は平和だ。
季節は巡り、雨も晴れも雪も……幾度も村にやって来たが、村は平和だ。
辺境の村に付きものの山賊は来ない。
オルブテナの暗殺部隊も来ない。
いや、山賊は何度もこの平和な村を蹂躙しようとしたし、オルブテナ王国はずっと暗殺部隊を村へと送っていた。
しかし、何度送っても、何人送っても、音信が途絶えたのである。
五年も経てば、オルブテナ王国は思うようになった。
――あの村には守り神が居る――
オルブテナ王国は守り神を恐れ、ついに暗殺部隊を送ることを諦めたのである。
そして、守り神か居ると思ったのはオルブテナ王国だけでは無い。
村の人々も、時々物騒な武器を持った人達が森の中で死んでいるのを見つけており、「何者かが村を守ってくれている。きっと守り神が居るのだ」と思ったのである。
だから、麦が金色に染まると、村人達は収穫した野菜や麦を守り神への捧げ物として森へ置いた。
それは一つの儀式であったが、決して様式では無い。
なにせ、確かに何者かがその捧げ物を食べて、減っていたからだ。
ああ、間違いない。
この村を守ってくれている。
人々は今日も守り神へ感謝の祈りを捧げた。
――ふふ。私が守り神ね――
木の枝に座って、あの女性は村を見ている。
かつて嫌われ者だった拾われ娘が、今や守り神。
出来た成り上がりね。なんて自嘲してしまう。
しかし、その自嘲はすぐに消え、穏やかな笑みに変わった。
麦の稲穂がまるで宝石のようで、見とれたからだ。
美しい。
太陽の暖かな光を反射して、金から銀の光に変わる瞬間、まるで稲穂は純白のパールに思えた。
真珠の大地だ。
彼女は顔の包帯を取った。
稲穂の金から銀へ変わった光が、彼女の黒い髪の毛を照らし、まるで真っ白に見える。
――ああ、今分かったよ……。
この世に善も悪も無く、ただ人は、がむしゃらに生きていこうとしたんだ。
ただがむしゃらに、この大きな世界をもがいて、もがいて、もがき続けて、ただ生きていたんだ――
大きな大きな大地。
そこに結んだ実の一つ一つが、まるでこの世界に生きる人々に見えた。
なんて人はちっぽけだろう。
……だが、悠大だ。
親から子へ。
子から孫へ。
友から友へ。
人から人へ。
あらゆる想いが巡り巡り、悠久の時を紡いできた。
やがて実が大地へ落ちて再び実を結ぶように、人は、人から人へ想いを繋ぐ。
人はちっぽけだ。
だけど、想いは無限だ。
そう。
ずっとずっと、この大地に想いは続いてきたのだ。
――今なら分かるよ。
皆そこに居たんだね……。
お父様、お母様……ザイン、ラジート。リシー……。
皆、皆この大地に居たんだ。
ずっと私のそばに居てくれたんだね――
彼女は指輪を出した。
かつて、彼女と愛を深めた伴侶の指輪。
「ラキーニ。私も今、向かうわ」
彼女は指輪に優しく口づけをし、目を閉じた。
――――
……ねえ。私ね、今、とっても嬉しいの。
長かったけど、ようやくお父様とお母様と、本当に家族になれたんだって。
ねえ、リシーとザインのお陰だね。
私、リシーに感謝しなくちゃ。
あんな酷い事したのに、私の事、大切な人だって。
ねえ、ラキーニ。そこにリシーは居る?
居たらね、思いっきり抱きしめてあげたいの。それでたくさん謝りたい。
リシーはおばあちゃんだって、あの小さかったリシーがよ?
あの子、私に抱きしめられたらきっと、もうおばあちゃんだから恥ずかしいよって言うよね。
でも、絶対に私は離してあげない。
だって幾つになってもあの子は私の可愛いリシーだもの。
ああ、それから、お父様とお母様にも、たくさん謝らなくちゃ。こんな馬鹿娘で迷惑たくさんかけたから、
それにザインとラジートにも。
あー、あと、村の人達にも謝らなくちゃ。
ラキーニは私が皆に迷惑かけたの知ってるでしょ?
うん、謝りたい事がたくさんあるんだ。
たくさんの人に迷惑をかけて、私はここまで生きてきたから。
たくさん謝らなくちゃ。
たくさん謝ったら、次はたくさん感謝しなくちゃいけないから大変だよ。
たくさんの人に……たくさんの感謝を……。
ね……。ラキーニ……
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――そしてそんな魔法が人より少し上手く使えるだけのぼくは今日、旅に出る。
私と母のサバイバル
だましだまし
ファンタジー
侯爵家の庶子だが唯一の直系の子として育てられた令嬢シェリー。
しかしある日、母と共に魔物が出る森に捨てられてしまった。
希望を諦めず森を進もう。
そう決意するシェリーに異変が起きた。
「私、別世界の前世があるみたい」
前世の知識を駆使し、二人は無事森を抜けられるのだろうか…?
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面白かったです。カイエンカッコよかった。
ライの死は納得いかなかった。食わなくてもいいんでは?魔王が主人公だと殺される結末になるんですかね??戦いの描写が凝ってましたね…
良い物語をありがとうございます。それぞれがそれぞれの幸せを持って話を閉じていただいたことに感謝を。
次回作も良い物語を願います。
ありがとうございました。
いい物語でした。感動しちゃった♪ヽ(´▽`)/