純白のレゾン

雨水林檎

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記憶の色

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「あーっち! なんだ暑いな今日は全く……」
「そうですか?」
「お前は感覚狂ってんだよ砂和、忘れないうちに水分摂っとけ」

 夏休み間近、試験休みの職員室は補習授業の準備や夏休みの課題用の教材を作ったりと追い込みの時期に来ていた。青海は今日もジャージにランニングシャツ、ラフすぎると言うか、それはもはや部屋着な気がする。このところ青海があまりにしつこく言うので、私は半袖のシャツを着るようにした。しかし冷房の真下の席なので暑いどころかむしろ寒い。

「なあ、無垢どうしてる?」
「穏やかに過ごしていますよ、新しいテレビゲーム機を買ってやったらようやく部屋から出るようになって」
「子供かそれ、一日一時間を守らせろよ」
「それが意外とやめどころが迷うらしいんですよね。イベントのムービーが始まるとトイレも行けないって」

 心を閉ざしがちだった無垢も、以前のよう自宅でにテレビのあるリビングで過ごしている。勉強は、と言いたくもなるが今学期のテストは軒並み成績はトップクラス。運動能力も問題ないので特に注意をすることもなく。無垢は過去の記憶とそれなりに折り合いはついたのだろうか。その辺りのことは未だどうしても聞くことが出来ずにいる。

「夏休み、お前どうするー? 海でも行くか、いや……行かねえよなあお前」
「なんですか、人をまるでインドアの塊のように」
「そうだろ、お前の肌が焼けたの見たことないぞ。夏でも真っ白!」
「陽に当たると焼ける前に赤くなって痛い思いをするんですよ、だからわざわざ自分からそんな思いをするのも馬鹿馬鹿しいですし」
「なんだよ、柔道部なめんなよ?」
「夏合宿、お疲れ様です」

 夏休みになると無垢と向島の実家で、一日中二人で過ごしていたのを思い出す。スイカのタネが嫌だと言う無垢のために、一粒一粒取り除いてやった。そして晴れた日には公園の子供用プールに連れて行く。私だって意外とアウトドアな生活もしていたんだ。焼けると痛いので日焼け止めと日傘は欠かせなかったけれど。

「プール……」
「プールがなんだよ、砂和」
「この辺りってプールありますか?」
「プールより海かなあ、電車で行けばすぐだし。ただ人が多いよな」
「海水浴って行った覚えがないんですよね、実家は山の中だったので」
「誰と行くつもりなんだ?」
「無垢とですよ」
「……だよなあ」

 何か少し期待した青海に、この辺りで穴場の海水浴場を教えてもらった。海の家すらないが人は少なく、絶景。私と同じ山の中で育った無垢も海を知らない。いい機会だ、夏休みになったら無垢を連れて行ってやろうと決めて、私はまた仕事に戻る。
 
 ***

「海ー? 別に良いけど……」
「友達と予定があるのならそちらを優先して構わないよ」
「いや、砂和さんと行くほうが良い。いつ?」

 その日の夕食で無垢を誘ってみたら珍しくすんなりうなずいて、乗り気になったのかその日程まで聞いてきた。無垢が夏休みになっても私は仕事があるわけだが、それでも楽しみな表情をしている。

「青海、昔そこで女とデートでもしたのかな」
「さあ、どうだろうね。誘ったら来るかもよ?」
「やめろよ、冗談じゃない」

 夕食を食べ終えた無垢は鼻歌交じりで私の皿まで洗い出した。わかりやすいな、あの子は。空いた時間に私は仕事の調べ物をするために自室に戻りパソコンを起動させる。

 ***

「砂和さん、ここ、どこが海水浴場だよ……ずっと岩場じゃねえか! 砂浜どこだよ!」
「ああ、確かにここなら人は来ないだろうね」

 待ちきれなかった無垢に急かされて、海水浴に来たのはその週末のことだった。まだ本格的な夏には早く、しかも青海に教えてもらった場所は岩ばかりで腰掛けるのも戸惑う。

「砂和さん、こっちなんとか座れるかも……ほら座って日傘さしなよ」
「荷物を置く場所に困るな」

 なんとか足を落ち着かせる場所を見つけた無垢が私の手を引いた。私の手には日傘と持ってきたお弁当のおにぎり、ゴミは持ち帰る。

「砂和さんその日傘どこに隠してたの。母さんのだよね?」
「出かけるのにカバンを探していたら出てきたんだ、私が夏の日焼けが痛い痛いと言っていたらくれたんだよ」
「ひらひら、花の刺繍……」
「でも意外と日焼けは結構防げるんだよ、生活の知恵だね」

 しかし初めての海は幸いにも曇り空で、傘がなくても意外と平気かもしれない。

「これって潮の香りっていうの? スーパーの魚売り場の匂いだな」
「砂浜があれば、歩いてみたかったね」
「青海が変な場所紹介するからだよ、ついでに昔ここで変なこともしたんじゃねえのあいつ」
「無垢……」

 しかし景色は良い。空は曇っていても水平線が遥か遥か遠く、こんな景色を実際に見たのは初めてだった。頭上を舞う鳥の鳴き声、からすではない。無垢は私の隣に腰掛けてひと息。

「無垢、おにぎりでも食べようか。どちらかの包み選んで」
「中身何?」
「梅干しか昆布」
「俺、梅干しやだなあ……」

 こうして二人で遊びに出るのは久しぶりだった。無垢の幼い頃は休みになると二人きりで春夏秋冬よく近所の公園や河川敷に一緒に出かけて、お弁当を食べたり……それだけでも幼い無垢は遠足みたいだとご機嫌だったが。でも案外その横顔は成長した今でも変わっていない気がする。今日だってあの頃の面影が見えた。

「うわぁ、俺の梅干しだった。砂和さんかえて」
「その梅干しは昔母さんに漬け方教えてもらったやつなんだけどな。確かに酸っぱいけどね」
「そっか……じゃ、食べる」

 母の味をもっと教えてもらったらよかった。実家を出る前にいくつか教えこまれたものの、家を出てそれっきり、まさか電話越しで話したのが最後になるなんて。
 無垢はまだ母の味を覚えているだろうか、私の大して美味しくない料理より母の作ったものをこれからずっと大切にしていって欲しい。いくら懐かしく思ってももう記憶の中にしかないけれど。

「砂和さん、さみしいね」
「無垢?」
「俺のそばにはもう砂和さんしかいないや。みんなすっかり何処かに消えてった」
「……ああ、私もそうだよ」

 実の親と別れて、向島の両親と別れ、そして家族は二人だけになった。

「母さんも父さんもよく言ってたよ、砂和に感謝してるって」
「え」
「砂和さんがいたから静かな家が賑やかになって、俺も無事育っていったって何度も何度も繰り返してさ」
「そんな、私は何も……」
「俺も高校生になって思うもん、いまの歳で休みなく子供の世話なんかしてらんない。遊びたいことだって、出かけたいところだってたくさんあるし」

 私もかつてそんなことも思ったかもしれない。けれど自分の都合以上に無垢は可愛かったし、向島の両親のことが好きで尊敬していた。

「私が県内に就職して家を出なければよかったのかな……」
「別に砂和さんがいたって変わらなかったよ、いなくなるときはいなくなるだろ」

 隣に座っている無垢が再び私の手を握った、私はその手を握り返す。

「砂和さんはもうどこにも行くなよ、これ以上置いてかれるのはもう……」 
「行かないよ、無垢。私はそばにいるから」
「嘘だったら怒るよ?」
「嘘じゃない、指切りげんまんしようか」
「昔から何かとよく言ってたな、それ。いまだに子供扱いかよ」

 私にとって無垢は子供で弟のようなものだ、たとえ何年たとうとも。言い方を変えたら今や唯一の家族。何があっても二度とこの手を離すつもりはない。

「見てごらん、無垢。雲が晴れて来た青い空が見えるよ」
「ああ、こうして見ると綺麗なものだな」
「今度青海先生にこの場所教えてくれたお礼を言わないとね」
「青海のくせになぁ……」

 時間は静かに過ぎて行って、思い出す日々は尽きない。それはかつての、これからの、家族の風景そのものだった。
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