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第一章 皇妃候補から外れた公爵令嬢
第五話 最高の補佐官
しおりを挟む「陛下、お寒うございませんか?」
「ああ、平気だ」
髪を拭うソフィリアの優しい手つきに、ルドヴィークは気持ちよさそうに目を細めてされるがままになったいた。
しかし、ふと彼女の髪に目を留めて片眉を上げる。
「ソフィ……その、髪留めは?」
「え?」
ルドヴィークに問われ、ソフィリアは昼間スミレに髪を結って挿してもらった髪留めのことを思い出す。
白磁の玉と、自分の瞳によく似た色合いのペリドットがあしらわれたカンザシだ。
それとともに、今日の楽しいお茶の時間を思い出し、ソフィリアは頬を綻ばせた。
「今日、スミレがくれたんですよ。誕生日のお祝いに、と」
「ああ、なるほど……そうか、スミレが……」
贈り主がスミレ――女性であると聞き、心なしかルドヴィークがほっとしたような顔をする。
かと思ったら、彼は慌てて上着の内ポケットに片手を差し入れると、何やら白い布に包まれたものを大事そうに取り出した。
その中から現れたのは、大きなペリドットを使ったブローチだった。
埋蔵資源大国であるパトラーシュに対し、ルドヴィークが個人的に発注して用意させていた一級品だ。
「スミレに先を越されてしまったな。私からの誕生日祝いも、是非受け取ってくれ」
「まあ、陛下……」
ルドヴィークはそれをもったいぶることもなくソフィリアに差し出す。
深い黄緑色のペリドットは、それこそソフィリアの瞳の色そのもののような美しい色合いをしていた。
「こんな時間になってしまったが、何とか今日中に渡せてよかった」
「そんな……今日でなくとも、私は嬉しいですのに……」
「いや、今日でないと――ソフィの誕生日を祝って渡したかったんだから、今日でないと意味がない」
「陛下……」
ソフィリアは喜びに顔を綻ばせながら、スカーフを留めていたブローチを外し、ルドヴィークが贈ったものに早速付け替えた。
そして、そっと大事そうに両手で包み込むと、じっと反応を窺っていたルドヴィークを見上げて微笑む。
「ありがとうございます、陛下。とても嬉しいです。大切に使わせていただきますね」
「ああ」
ソフィリアの答えに、ルドヴィークは頭にタオルをかぶったまま、この上なく満足そうに頷いた。
そうこうしているうちに、湯の手配に行っていた侍従長が戻ってくる。
随分早いと思ったら、侍女頭がいつルドヴィークが戻ってもいいように、とすでに湯殿の用意を済ませていたらしい。
母后陛下もベッドに横にもならずに待っていて、彼の帰城の知らせを受けてようやく寝室の灯りを消したのだという。
これは、明日の朝一番に挨拶に伺わねばならないな、と心配して待っていてくれた母を思ってルドヴィークが目を細めた。
「さあ、陛下。そのままではお風邪を引いてしまいます。早く湯浴みをなさってください」
「ああ、そうする。後で、一杯付き合ってもらえるだろうか」
「喜んで。――あ、陛下。こんな時間ですけれど、ご一緒にケーキはいかがですか? スミレが、ぜひ陛下にも、と」
「それはいいな。ちょうど、腹が減っていたんだ。ソフィも一緒に食べよう」
「では、執務室の方にご用意いたします」
「頼む」
ソフィリアは湯殿に向かうルドヴィークと分かれると、ケーキの箱を取りに一度私室に戻った。
それからすぐに皇帝執務室に場所を移した彼女は、すかさずルドヴィークの執務机に置いていたサイン待ちの書類を別の場所へと移動させる。
何故なら、机の上に書類を見つけてしまったら、ルドヴィークはどんなに疲れていても目を通そうとすると知っていたからだ。
仕事熱心な皇帝をきちんと休ませるのも、補佐官たるソフィリアの大事な役目である。
ちょうど書類を移動させ終えたころ、湯を浴びて着替えたルドヴィークが執務室にやってきた。
上着は羽織らず、シャツとズボンだけの砕けた格好だが、緩く波打つ美しい金髪のおかげで十分に華やかだ。
彼は寛いだ様子でソファに腰掛けると、テーブルの上に用意されていた二つのグラスにワインを注ぐ。
そして、一つを向かいに座らせたソフィリアに持たせると、自分ももう一つを持ち上げた。
「それでは、改めて――誕生日おめでとう、ソフィ」
「ありがとうございます、陛下」
お互いにグラスを軽く持ち上げて乾杯する。
けれど、それを一口飲んだとたん、ルドヴィークはにやりと口の端を吊り上げた。
「これでまた、同い年になったな。お互いこの年になっても独り身で、ますます風当たりが強くなりそうだ」
「あら、陛下。生憎ですが、私の方はとっくに行き遅れが板について、最近では父も諦めておりますわ」
一足先に誕生日を迎えていたルドヴィークが悪戯っぽく言うのに、ソフィリアもつんと澄ました顔をして返す。
今は皇帝とその補佐官ではなく、気の置けない友達同士だ。
ソフィリアが箱からケーキを取り出して皿に載せると、甘いものもいける口のルドヴィークは、なかなか豪快にそれにかぶりついた。
気取らない彼のそんな姿を見ていると、ソフィリアはいつも微笑ましい気持ちになる。
「ところで、あれは何だ?」
ほんの三口ほどでケーキを平らげてしまったルドヴィークが、ふと窓の方に顔を向けてそう問う。
窓辺には、彼には見慣れないガラス容器が一つ置かれていた。
透明な側面からは、容器の中に水が張られていて、黄緑色の小さなものがぷかぷかしているのが透けて見える。
「中に浮かんでいるのは……もしかして、セバスチャンの葉か何かか?」
「はい、セバスチャンからいただいた若葉です。プチセバス、とスミレが名付けてくれました」
「ぷち……?」
「スミレの国の言葉で、小さいことを意味するようですよ」
プチ、と口を尖らせて発音をしたルドヴィークの顔が、昼間のスミレみたいに可愛らしく見え、ソフィリアはまたもやにこにこしてしまう。
「はじめは私室で育てようかと思ったのですが、よくよく考えたらあちらには寝に帰るばかりでほとんどおりませんし……こちらに置いてもかまいませんでしょうか?」
「なるほど。いや、私は一向にかまわないが……」
ルドヴィークはグラスを傾けながら、窓辺のガラス容器をしげしげと眺めた。
彼にとっても、敬愛する長兄の屋敷の執事から派生した眷属達は馴染み深い存在だ。
その最たるものが、宰相執務室にいた。
「クロヴィスの所のちびセバスみたいに、立派な補佐官に育つかもしれないな」
何気なしに、ルドヴィークがそう呟く。
すると、向かいのソファに座っていたソフィリアが、まあ! といやに大げさな声を上げた。
「陛下ったら、私の代わりにプチセバスを補佐官に据えようとでも……?」
「は!?」
「あんまりですわ。こんなに陛下に尽くしているというのに、私では補佐官として不十分だとおっしゃるのですか?」
「い、いや! いやいやいや! 決して、そういうつもりで言ったのではっ……」
悲しげに目を伏せるソフィリアに、ルドヴィークはぎょっとする。
彼は慌ててグラスを置くと、テーブルの上に両手を付いてソフィリアの方に身を乗り出し、声高に叫んだ。
「ソフィリアは、私にとって最高の補佐官だ! お前を越える者などっ……」
「まっ、陛下ったら。買い被りすぎですわ」
あまりに必死な彼の様子に、ソフィリアはたまらずぷっと吹き出す。
もちろん、ルドヴィークのさっきの発言に、ソフィリアの立場を脅かす意図などないことは分かっていた。
一転してくすくすと笑い出したソフィリアに、ルドヴィークもからかわれたのだと気づいたようだ。
「……ソフィ」
たちまち、むっと眉を顰めた顔は少年のよう。
それがまたなんともを可愛らしく見えて、ソフィリアはついつい笑みを深めた。
おかげで、ますます機嫌を損ねたらしいルドヴィークは、まだほとんど手が付けられていなかったケーキをソフィリアの皿から掻っ攫い、ぱくっと齧り付いてしまう。
「あらあら、陛下ともあろう方が、そんな意地汚いことをなさらないで」
ソフィリアが今度は呆れた顔をして窘めると、ルドヴィークは悪怯れる風もなく、ふんと鼻を鳴らした。
「パトラーシュから飲まず食わずで馬を飛ばしてきたんだぞ。腹が減って当然だろう」
「今からでも何か作っていただけるよう、料理長にお願いして参りましょうか?」
しかし、料理長の名を出したとたん、ルドヴィークはひどく情けない顔になって、こんな時間に起こすと後が怖い、と首を横に振った。
毎朝誰よりも早く起きてかまどに火を入れる老兵の安眠を妨げることは、皇帝陛下とて気が引けるらしい。
そこでソフィリアは、実は、とあるものを取り出した。
「きっとそうおっしゃると思って、先ほど陛下が湯浴みをなさっている間に、ルリにお願いしました」
「え?」
宰相クロヴィスの妻であるルリはお菓子作りの名人で、リュネブルク公爵夫妻の私室には、小さいながらも調理台が備え付けられている。
ソフィリアは就寝前の彼女に頼み込み、ルドヴィークのために軽食を用意してもらっていた。
「あら、美味しそうなスコーンですよ。よかったですね、陛下。明日、閣下とルリに会ったらお礼を言ってくださいね」
「……クロヴィスに、ルリに余計な仕事をさせた、と絶対文句を言われるやつだ」
明日の朝は、遅くまで帰りを待っていてくれた母だけではなく、一癖も二癖もある次兄のご機嫌伺いまでしなければならなくなったルドヴィークは、はあ……と深くため息をついた。
けれどもよほど空腹だったのか、すぐに気を取り直して、ソフィリアが皿に移したスコーンにかぶりつく。
外はカリッとして香ばしく、中はしっとりとバターの風味が際立つスコーンには、少し甘めでふわふわの卵焼きが挟まっている。
眼鏡をかけた硬質な印象の次兄の隣で、ふんわりと微笑む自分と同い年の義姉の姿を思い浮かべ、ルドヴィークはふっと口元を緩めた。
「ああ、美味いな。さすがはルリだ。どうした? ソフィは食べないのか?」
「ご相伴に与りたいのは山々ですが、こんな時間に食べ物を口にするのは気が引けるお年頃なんですよ」
「は? なんだ、それは……さっき、ケーキは食べていたじゃないか」
「誕生日ケーキは特別ですから。それに、結局陛下がほとんど食べてしまったではありませんか」
スコーンに合うようにと紅茶を淹れていたソフィリアが、つんとこれ見よがしに口を尖らせれば、ルドヴィークはばつが悪そうな顔をして目を逸らした。
しかし、いくつか用意されていた中からスコーンを一つ掴むと、それをソフィリアの手に押し付ける。
そうして、彼らしからぬ横柄な態度で言った。
「つべこべ言わずに食え」
「それは勅命にございますか? 職権乱用も甚だしいですわ、陛下」
皇帝とその補佐官が真正面から睨み合う。
ただし、二人が挟んだテーブルに上にあるのは小難しい書類ではなく、美味しそうな香りを放つスコーンと紅茶。
やがて彼らは、ぷぷっ、とどちらからともなく吹き出す。
「私の勧めるものが食えぬと申すか?」
「まあ、質の悪い。どこの酔っ払いでしょう?」
こんな風に皇帝陛下と軽口を叩き合いながら、ロートリアス公爵家の令嬢にして、優秀な皇帝執務室付き補佐官ソフィリア・ビス・ロートリアスの二十六回目の誕生日は、笑顔とともに幕を閉じた。
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