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第一章 皇妃候補から外れた公爵令嬢

第四話 ソフィリアとルドヴィーク

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 皇妃最有力候補と噂されていたロートリアス公爵家の令嬢が、突然お茶会にも夜会にも一切顔を出さなくなったのは何故なのか――

 ソフィリアがそれまでの自身の考えを猛省し、新たな生き方を模索し始めた当初、グラディアトリアの社交界では彼女を巡って様々な憶測が飛び交った。
 ソフィリア・ビス・ロートリアス公爵令嬢は、もしかしたら重い病を患っているのではないか。
 あるいは、皇帝陛下以外に想いを寄せる相手ができてしまい、怒ったロートリアス公爵が娘を屋敷に閉じ込めているのではなかろうか、と。
 しかし、やがて彼女が三日とあけず王城の図書館に通い詰めていることが知れ渡ると、その意図が理解できない者達は困惑した。
 そんな周囲の戸惑いをよそに、当のソフィリアはというと、ほぼ一日中図書館にこもって勉学に励む日々。
 さらには一年後、彼女が文官として正式に採用されると、社交界は再びざわついた。
 グラディアトリアにおいては、例外はあるにしろ、貴族の女性が職業に就くことは非常に稀である。
 それゆえ、ソフィリアが宰相執務室付き文官として働き始めたと知った人々は、彼女が公爵令嬢という肩書きを放棄した――つまり、もう皇妃になる意思もないのだと考えるようになった。
 最有力候補が舞台を下りたことで、皇妃の座を巡る闘いはにわかに熱を帯び始める。
 我こそは、と火花を散らす令嬢達をよそに、ソフィリアは新たな毎日に大きな喜びを見出していた。
 作り笑いを浮かべて相手の腹の内を探ろうとする令嬢達との付き合いをきっぱり断ち切ったことで、スミレとルリという、心から笑い合える親友を手に入れたのだ。
 スミレは、同い年だったソフィリアの弟ユリウスとも関わりを持ち、傲慢で意地っ張りだった彼の性格矯正に一役買った。
 そればかりか、彼女は皇帝ルドヴィークまでも、同じ輪の中に引っ張り込んでしまう。
 ソフィリア、スミレ、ルリの女子三名と、ルドヴィークとユリウス男子二名による、同年代五人組。
 これを、〝スミレ会〟なんて呼び始めたのは、ユリウスだっただろうか。
 そんなスミレ会の面々が集合する場所は、王宮で一番大きな食堂。
 宰相執務室と皇帝執務室は廊下で繋がっているため、そこに向かう途中のソフィリアとルドヴィークがばったりと出会すこともしばしばであった。

「陛下、お疲れ様です。もしかして、これからご休憩ですか?」
「ああ、スミレに呼び出しを食らったんだ。ソフィリアもか?」
「はい。もう少し仕事があったのですが、閣下が先に休憩時間をくださったので……」
「あのクロヴィスでも、スミレには頭が上がらないからな」

 普段は、帝都の北東に立つレイスウェイク大公爵邸で過ごしているスミレだが、ヴィオラントが王城に用があると一緒にやってきた。
 その際にはもちろん、まだ幼い一人息子も連れてくるのだが、たいてい彼は孫の来訪を楽しみにしている母后陛下に預けられる。
 そのかわり、母后陛下は身軽になったスミレに、侍女であるルリを託すのだ。
 ソフィリアにも、当時直属の上司であったクロヴィスにより優先的に時間を与えられた。
 ユリウスも、話の分かるスミレの義兄が隊長だったおかげで、比較的時間の融通が利いた。
 多忙なルドヴィークさえも、スミレの招集命令には逆らったことはなかったのだ。

「まったく……スミレはこっちが忙しかろうがおかまい無しだな」
「ですが、陛下。スミレが声をかけてくれるのは、決まってこちらの集中力が切れて仕事の効率が悪くなってきた時なんです。彼女とお茶をして気晴らしをした後は、逆に仕事が捗るように思いませんか?」
「まあ、確かに。そう言われてみれば、そうかもしれないな」
「私なんて、さきほどつまらないしくじりをして、閣下から大目玉を食らったところだったんです。スミレを愛で倒して気持ちを上げていかないと、仕事が捗りそうにありませんもの」

 ルドヴィークがスミレの傍若無人っぷりに文句を言うのはお決まりで、ソフィリアがそれを宥めるのもいつものことだ。
 宰相執務室付きの文官と皇帝として仕事上でも顔を合わせることが多い上、スミレを介して関わる機会も増えた二人は、自然と交わす言葉も気安くなっていく。
 するとソフィリアは、以前の自分を含む貴族の令嬢達に向けられていたルドヴィークの顔が、作られた仮面であったと知った。

「陛下も、是非ともこの機会に英気を養っておいてくださいませ。閣下が何やら面倒そうな書類を陛下に回そうと画策なさってましたから」
「いやいやいや、その情報いらなかったよな!? おかげで、とてつもなく気が重くなったんだが!?」
「ふふふ」
「うわ……やめてくれ、ソフィリア。その笑い方、クロヴィスにそっくり……そんなの見習わなくていいから……」

 素のルドヴィークは、表情豊かでどこか少年っぽさを残した、親しみやすい人柄だった。
 生母である母后陛下を愛し、偉大な二人の兄を敬い、双子の姉達を慕い。
 彼はとにかく家族を大切する人だ。
 そして、何よりその心を大きく占めていたのは……

「ソフィー! ルドー! やっときた! はやくはやく!」

 日の光が差し込んで明るい食堂の、窓辺に置かれた広いテーブル。
 そこが、スミレ会の特等席だった。
 待ちわびたとばかりに自分達を呼ぶスミレの声に、ソフィリアの頬が自然と綻ぶ。
 隣に立ったルドヴィークも、さも愛おしげに目を細めた。
 彼は、スミレに対して淡い恋心を抱いていた。
 敬愛する兄ヴィオラントとの結婚を心から祝福しつつも、彼女に対する恋情を完全に捨てきれない。そんな複雑な想いを抱えていたのだ。
 それに気づいた時、ソフィリアは昔のままの自分が皇妃にならずに本当によかったと思った。
 何故なら以前の自分では、きっと嫉妬を通り越してスミレを憎んでしまっていただろうから。
 けれども、ソフィリアはもう知っていた。
 異国どころか、実は異なる世界からやってきたというスミレが抱える事情や、グラディアトリアで生きていくことを決めた覚悟、そして、どれだけ深くヴィオラントと愛し合っているのかを。
 だから、レイスウェイク大公爵夫妻の仲睦まじさにあてられることは多々あっても、ソフィリアがスミレとルドヴィークの仲を邪推することなどは決してなかった。



「――?」

 しとしとと降り続く雨を眺めながら過去に思いを馳せていたソフィリアが、ふと何かに気づいて瞳を瞬かせた。
 なにやら、大門の辺りが騒がしい。
 門番達が、当直の者まで詰め所から飛び出してきて、慌てて門を開けているようだ。
 ソフィリアはドキリとして、雨に濡れた暗闇に目を凝らした。
 すると、開いた大門をくぐり、二頭の馬が王城の中へと駆け込んでくる。
 それぞれの馬に跨がっていたのは……

「――っ、陛下!?」
「ソフィ?」

 皇帝ルドヴィークと騎士団長ジョルトだった。
 まさか本当に、彼らが雨の中を帰ってくるとは思っていなかったソフィリアは驚きを隠せない。
 対するルドヴィークも、こんな時間に彼女が玄関に立っているとは思わなかったらしく、目を丸くして側まで馬を走らせてきた。
 降りしきる雨の中、外套とフードだけかぶって走ってきた彼は、当然ながら全身びしょ濡れだった。

「遅くなってすまない。しかし、なぜこんなところで待っていたんだ?」
「おかえりなさいませ、陛下。どうして、馬で……?」

 ルドヴィークとソフィリアは同時に疑問をぶつけ合う。
 しかし、先に言葉を続けたのは前者だった。
 ルドヴィークは馬から飛び降りると、フードを脱ぐのももどかしい様子でソフィリアに詰め寄る。

「ソフィ、一人でここにいたのか? 城内とはいえ、女性がこんな時間に無用心ではないか!」
「あら、陛下。ご心配なく。私、こう見えましても護身術を会得しておりますの。こちらを女と舐めてかかってくるような相手でしたら、返り討ちにして差し上げます」
「いや、しかし……って、護身術? んん? ソフィがか!?」
「はい、ダリスとユリウスに付き合ってもらって。万が一の有事には、陛下をお逃しする時間くらいは稼いでみせますのでご安心ください」

 おっとりしたソフィリアと護身術。
 とっさにその二つが結び付かなかったらしいルドヴィークは、ぽかんとした顔をした。
 しかし、すぐに表情を引き締めて、首を横に振る。
 ここでようやく外套のフードが外れ、彼の見事な金髪から飛び散った雨の雫が、ランプの明かりを受けてキラキラと輝いた。

「いや、本当に何かあった場合は、私より自分の身を優先するんだ。あと、慢心は禁物だぞ。だいたい、相手が屈強な男だったらどうするつもりだ」
「まあ、陛下。お戻りになって早々、お説教は結構ですわ。それより、馬車はどうなさったんですか?」

 ソフィリアの記憶が確かならば、ルドヴィークが乗って帰ってきた馬は、四日前にパトラーシュに向けて出発する際は弟のユリウスが跨っていた。
 また、騎士団長ジョルトが乗って帰ってきた方は、第一隊の隊長カーティスの愛馬だったはず。
 そうして肝心の、ルドヴィークとジョルトを乗せて帰ってくる予定だった馬車は、どこにも見当たらなかった。
 両目をぱちくりさせて首を傾げるソフィリアに、ルドヴィークは心底疲れた様子で事情を打ち明ける。
 
「帰りの馬車に乗り込もうとしたら、フランが女性を忍ばせていたんだ。あの方はまったく……人の話に耳を貸そうともしない」
「女性を馬車に? 随分と強引ですね」
「フランが強引なのはいつものことだが、今回はやけに執拗でな。きりがないので、カーティスとユリウスに馬車を任せてきた」
「まあ……」

 なかなか身を固める気配のない弟分に、パトラーシュ皇帝は痺れを切らしたのだろう。
 ついに実力行使に出た彼から、ルドヴィークは馬車を置いて逃げてきたのだという。
 そもそも馬車に乗り込むのさえも散々邪魔されていたため、パトラーシュを出発する時にはすでに雨は降り出していたらしい。

「もちろん、こんな雨の中を馬で帰るなんてこと、お止めしたんですがね」

 そう言って苦笑したのは、ルドヴィークの護衛を務める騎士団長ジョルトだ。
 彼はルドヴィークの二番目の姉ミリアニスの夫、つまり義理の兄でもある。

「人の話に耳を貸さないのは、うちの陛下も一緒ですね」
「う……それは、悪かったと思っているが……」

 温和な笑みを浮かべながらもちくりと棘を含んだジョルトの言葉に、ルドヴィークはばつが悪そうな顔をした。
 ソフィリアはそんな主従に苦笑してから、まずは年嵩のジョルトを労る。

「ジョルト様、お疲れ様でございます」
「はい、お疲れ様。それにしても、ソフィリアが起きていてくれてよかった。ずぶ濡れ陛下のお世話を頼めるかな? 私は馬達を厩舎に繋いだら、そのまま休ませてもらうよ。もう若くはないのでね」

 まだまだ若々しい騎士団長はそう冗談を言うと、ルドヴィークが乗ってきた馬の手綱を騎乗したまま引いて、雨の中を厩舎へと向かった。
 それと入れ違いに、皇帝帰還の知らせを受けたらしい侍従長が大慌てでやってくる。
 侍従長は濡れて重くなった皇帝の外套を受け取ると、湯浴みの用意をさせると言ってまた王宮の中へ駆け込んで行った。
 その背中を見送ったソフィリアは、手に持っていたタオルを広げてルドヴィークを包む。
 そして、彼の美しい金髪からポタポタと滴る雫を丁寧に拭った。

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