東雲の空を行け ~皇妃候補から外れた公爵令嬢の再生~

くる ひなた

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第五章 三国間宰相会議

第二十話 どこかで聞いたような台詞

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「ソフィリアさん、僕と結婚してください」
「……」

 三国間宰相会議のため、隣接するパトラーシュとコンラート両国の宰相一行がグラディアトリアの城に滞在して、本日で三日目。
 会議自体は彼らが到着した翌日から三日間の日程で行われており、予定通りにいけば明日で終了する。
 宰相会議と名前が付いている通り、今回会談に臨むのは宰相同士のため、皇帝であるルドヴィークは基本的には関与しない。
 とはいえせっかくの機会だから、とパトラーシュの宰相シェリーゼリアからも、コンラートの宰相ロレットー公爵からも、個々に会談の申し入れがあった。
 そんな中、後者の伝令役として皇帝執務室の扉を叩いたのが、アンセル侯爵家の嫡男オズワルド。
 おおらかな国民性のコンラート人らしい、明るく溌剌とした印象の少年である。
 しかしながら、彼はロレットー公爵からの言伝を済ますやいなや、ルドヴィークの執務机の脇に控えていたソフィリアの両手を握って冒頭の言葉を告げたのだった。
 とたん、書類にサインをしていたルドヴィークの手元から、メキッとペンが軋むような音が聞こえた気がしたが……

「ソフィリアさん、聞いていらっしゃいますか? 僕と結婚してください!」

 ソフィリアがそれを確かめようにも、ずずいっと顔を近づけてくる相手に阻まれてしまう。
 ぐっと手を握りしめる無遠慮な力に戸惑いつつ、ソフィリアはどうにかこうにか顔に笑みを張り付かせて口を開いた。

「あの、オズワルドさん。お気持ちはたいへんありがたいのですが、私は……」

 三日前の初対面から今日まで、オズワルドは顔を合わせるたびにソフィリアに求婚してくるようになった。
 周囲にどれだけ人がいようとも一向に構わず、である。
 おかげで、皇帝補佐官が年下の異国の少年に口説かれまくっている、と王城内ではすっかり噂になってしまっている。
 オズワルドの思いに応えるつもりのないソフィリアは早々に、彼の申し出をきっぱりと断ったのだが……

「大丈夫です! 僕、一度や二度ふられたくらいで諦めたりしませんので!」

 どこかで聞いたような台詞である。
 まさに、ルドヴィークに対するモディーニと同様に、オズワルド少年はソフィリアに何度断られようともめげずに求婚し続けていた。 
 一方モディーニは、文官としてきたオズワルドとは違って完全に部外者のため、さすがに三国間宰相会議の間は皇帝執務室や宰相執務室、およびパトラーシュとコンラートの両宰相一行が滞在する棟への立ち入りを禁じられている。
 お守り役継続中のユリウスの話では、母后陛下の宮や図書館などで大人しく過ごしてはいるものの、ルドヴィークに会えなくなったことで相当鬱憤が溜まってきているらしい。
 パトラーシュの宰相であるシェリーゼリアとは初日に会ったそうだが、モディーニの今後の身の振り方はまだ決まっていないようだ。
 異国の地で宙ぶらりんな立場に置かれた彼女が、いったいどんな気持ちで日々を過ごしているのだろうか。
 オズワルドに手を握り締められたまま、ソフィリアが彼女の心情に思いを馳せた時だった。


「――ソフィ」


 ふいに、ルドヴィークに名を呼ばれた。
 大きくはないものの、いやに力のこもった声だったものだから、ソフィリアははっと我に返って彼を見る。
 ところが彼は、ソフィリアではなくオズワルドを見据えて続けた。

「これから補佐官と火急の打ち合わせがある。君、すまないが席を外してもらえるだろうか」
「あっ、陛下! これは失礼しました! ソフィリアさんと会えたのが嬉しくて、ついつい長居をしてしまいました!」

 オズワルドは慌ててソフィリアの手を解放すると、逃げるように皇帝執務室から飛び出して行った。
 それを見送ったソフィリアは、やれやれと小さくため息を吐く。
 そんな彼女の横顔をじっと見つめながら、ルドヴィークが続けた。

「……ソフィは、どう思っているんだ?」
「どう、と申されますと?」
「今の彼……オズワルド・セラ・アンセルのことだ」
「はあ……オズワルドさん、ですか?」

 三国間宰相会議は紛糾すること自体が稀で、ましてや王城内でパトラーシュやコンラートからの客人が危険に晒されるような事案も、もう何十年も起こっていない。
 そのためこの三日間も、両国の宰相達はもとより、随行した文官や侍女、護衛騎士達までもがのんびりと寛ぐ姿が目撃されている。
 ソフィリアなんて昨日、パトラーシュの騎士達が先日モディーニをお茶会に誘った令嬢達とお茶のテーブルを囲んでいる光景を見かけたくらいだ。
 年頃の令嬢達相手に鼻の下を伸ばす彼らの緊張感のなさにはいささか呆れるものの、しかしながら、こういった国民同士の個々の交流によって、三国の友好関係はより強固なものになっていくのかもしれない。
 ロレットー公爵がわざわざ三国間宰相会議に同行させたということは、オズワルドも将来コンラートにおいて重要な地位に就く可能性が高い。
 それを思えばこそ、ソフィリアとしても彼をそうそう邪険にはできない――しかし、裏を返せば、ソフィリアにとってオズワルドの印象はその程度だった。
 
「オズワルドさんご自身というより、アンセル侯爵家についてですが……今のご当主はメーヴェル侯爵家のご出身でいらっしゃいましたかしら?」
「ああ……前アンセル侯爵夫妻に子供がなかったため、近縁のメーヴェル侯爵家から養子を迎えたと聞いたな。それが、どうかしたか?」
「いえ、アンセル侯爵家に対しては特に思うところはございません。ただ、メーヴェル侯爵家の方は……確か、現当主はロイズ君の父親でしたよね?」
「ん? ロイズ? ああ、そういえば……そうだったな」

 グラディアトリアの宰相夫婦――クロヴィスとルリの間にはまだ子供はいないが、彼らはロイズという名の十二歳になる少年を養護している。
 彼の母は、元々はコンラートのメーヴェル侯爵家のメイドだったという。
 当主に手を出された挙句に捨てられたものの、縁あってリュネブルク公爵家に拾われ、そこでロイズを産んだ。
 残念ながら母はすぐに亡くなってしまったが、クロヴィスとその祖父母である前リュネブルク公爵夫妻が彼を大切に育て、貴族の子女にも劣らない教育を受けさせている。
 将来は敬愛するクロヴィスの仕事を手伝いたい、と懸命に勉学に励むロイズとは、ソフィリアはかつて図書館で机を並べた仲でもあった。
 そんな彼の父親であるメーヴェル侯爵は、オズワルドの父親であるアンセル侯爵の実の兄。

「つまり、オズワルドはロイズの従兄ということになるのか」
「ええ……ロイズ君のお母様も、コンラートを出る時にはまだご自身の妊娠に気づいていらっしゃらなかったそうなので、メーヴェル侯爵も彼の存在をご存じないかもしれませんが」
「なにしろ、メーヴェル侯爵の好色っぷりは有名だからな。あちこちに庶子がいて、もはや人数も把握しきれていないという噂だ。前レイヴィス公爵のような末路をたどらないといいんだがな」
「あらまあ……その点、オズワルドさんは伯父様とは対照的に一途そうですよね」

 とたん、ルドヴィークの手元から、またしてもメキッとペンが軋むような音が聞こえた。
 そのままむっつりとして口を閉ざしてしまった彼に、ソフィリアは首を傾げる。

「まあ、陛下? なんだかご機嫌斜めです?」
「……別に」
「別にって何ですか? 子供みたいなことをおっしゃって。あっ、分かりました。小腹が空いたのでしょう? そろそろお茶の時間ですもの」
「違う、そうじゃない」

 いそいそとお茶の準備を始めるソフィリアの背後で、ルドヴィークが深い深いため息を吐く。
 ここでふと、そういえば、とソフィリアが振り返った。

「それで、陛下。火急の打ち合わせとは何でございましょう?」
「う、それは……」

 ルドヴィークは慌てた様子で執務机の上を漁る。
 さすがに訝しい顔をしたソフィリアが近づくと、焦った彼はたまたま手に触れた書類を差し出した。

「こ、これだ! この事案について、是非ともソフィの意見を聞かせてほしい!」
「はあ……これ、ですか?」

 しかし、ソフィリアはますます訝しい顔をした。
 というのも、その書類というのが、王宮の造園に関する今季の定期報告書――以前、ソフィリアがモディーニをあしらうのに使った、基本的には事後報告でルドヴィークが形式上サインするだけの書類だったからだ。
 当然ながら、皇帝と補佐官が火急に打ち合わせする必要など微塵もない書類である。
 
「……」
「……」

 ソフィリアとルドヴィークの間には、たちまち気まずい空気が流れた。





「あら……」

 三国間宰相会議が始まって二日目の午後七時過ぎ。
 私室に戻ってきたソフィリアは、違和感を覚えて眉を寄せた。

 皇帝ルドヴィークが、先帝である兄ヴィオラントを交えてコンラートのロレットー公爵と晩餐の約束をしていたため、その補佐官であるソフィリアも今日は少し早めに仕事を切り上げて私室に戻ってきた。
 といっても彼女の方も、ヴィオラントにくっ付いてきた彼の妻スミレや一人息子のシオンに夕食に誘われており、これから母后の宮の赴くつもりだ。
 宰相クロヴィスがパトラーシュの宰相シェリーゼリアとともに、彼らの師である前グラディアトリア宰相シュタイアー公爵の屋敷に招かれたため、今宵の母后の側にはルリも残っているはず。
 今から八年前、文官の試験に合格して宰相クロヴィスの下で働くことが決まったと同時に、ソフィリアが王宮の一角にもらった私室は、一人用のベッドと備え付けのクローゼット、それから窓際に小さなテーブルと椅子があるだけのこぢんまりとしたものだ。
 テーブルの上には、普段は王城の図書館で借りた歴史書や古文書などといった小難しい文献が山積みになっている。
 それらとともに、三国間宰相会議のためにパトラーシュとコンラートの宰相一行が王城に滞在し始めた三日前からは、水を張ったガラス容器が置かれていたのだが……

「プチセバスが、いない……」

 それが、中に浮かんでいたもの――先日のソフィリアの誕生日に、レイスウェイク大公爵家の蔦執事セバスチャンから贈られたその若葉ごと、忽然と消えてしまっていた。


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