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第六章 満月の下の騒動
第二十四話 レイヴィス公爵家の家宝
しおりを挟む「――お静かに。この子供の命が惜しければ、騒ぎ立てないでください」
シオンの白銀色の髪に月の光が反射することによって、彼を後ろから抱きかかえた男の顔がよく見えた。
格好は確かにパトラーシュの騎士団の制服。年はソフィリアの弟ユリウスと変わらないくらいだろうか。
上品な顔立ちの通り、その口調も粗野なものではなかった。
「そちらの方は……グラディアトリアの侍女ですか? 悪いことは言いません。モディーニを置いて、子供と一緒にここから立ち去りなさい」
どうやら騎士は、ソフィリアの顔を知らないようだ。
ルドヴィークが随行の騎士の長と面会した際にはソフィリアも同席したが、目の前の彼とは挨拶を交わした覚えがない。
現役の皇帝補佐官さえ把握していない彼は、今自分が人質にしている子供がグラディアトリアの先帝陛下の一人息子だなんてことも、知る由もないだろう。
シオンを抱いたまま、男が一歩こちらに踏み出す。
ソフィリアは震えるモディーニを背中に隠しつつ、相手を刺激しないよう声を抑えて問うた。
「あなたは、どなた?」
「知る必要はありません。それから、今宵のことは他言無用。これはパトラーシュの問題です。グラディアトリアの方々のご迷惑にはなりません」
男の言葉を聞いたモディーニが、縋るようにソフィリアの袖を掴んだ。
そんな彼女を見捨てられるほど、ソフィリアも薄情ではない。
「ここは、グラディアトリアですよ。祖国の王城で異国の方が好き勝手なさるのを見過ごすわけには参りません。やましいことがないのでしたら、昼間に堂々と、モディーニさんとお話しください」
「正攻法だとそいつはしらばっくれるに決まっている。あなたは、そいつがどんなに強欲で薄汚い人間かご存じないのでしょうね?」
さも憎々しげな男の言い様に、ソフィリアは目を細める。
そうして、あなたは、どなた? ともう一度問うた。
「モディーニさんは、あなたのことをご存じないそうですけれど?」
「私のことを知らなくても無理はない。その娘と違って、私は所詮認知もされなかった人間ですから」
「え……?」
「私の母は娼婦でね。父にとっては使い捨ての道具のような認識だったのでしょう」
これには、ソフィリアも目を丸くする。
前レイヴィス公爵はたいそうな好色家だったという話だが、認知していない庶子までいるのか。
モディーニも知らなかったことらしく、両目をぱちくりさせてから、恐る恐る男に声を掛けた。
「あなたも……私の、お兄様なの……?」
そのとたんだった。
これまで比較的穏やかだった男の表情が一変する。
「黙れ! お前みたいなやつに、兄などと呼ばれてたまるか! 私の兄弟はあの方――ライアン様だけだ!!」
男は憎悪をたぎらせた瞳でモディーニを睨み据えて声を荒げる。
その腕に抱かれていたシオンが驚いて、ビクリと肩を跳ねさせた。
男が唯一の兄弟だと口にしたライアン――ライアン・リア・レイヴィスは現在のレイヴィス公爵、つまり前レイヴィス公爵と正妻の間に生まれた唯一の嫡出子である。
モディーニにとっては腹違いの長兄であり、父亡き後の後見人でもあった。
パトラーシュ皇帝フランディースに、モディーニの保護を願い出たのも彼だ。
そんなライアンに、男はひどく心酔しているらしい。
「父にも認められなかった私を、ライアン様だけは弟として受け入れてくださった。騎士団に入れたのも、あの方が口を利いてくださったおかげ……私の、たった一人の家族だ」
モディーニからもライアンを慕うような言葉を何度か聞いたことがある。
いつぞや令嬢達に誘われたお茶の席では、彼を貶めるようなことを言われたとたん激昂してポットを投げつけようとしたくらいだ。
ライアンの子供とも接点があったふうなのを鑑みれば、彼とモディーニに関係は良好だったと考えていいだろう。
対照的に、同じ腹違いの兄妹であるにもかかわらず、男は熾烈なまでの憎悪をモディーニに向けている。
その理由は、彼の口から語られた。
「家宝のペリドット――お前がもらったそうじゃないか」
その言葉に、モディーニははっと息を呑んだ。
しかし、否定しないところを見ると事実なのだろう。
鉱山資源の豊富なパトラーシュにおいて、レイヴィス公爵家は特に良質なペリドットを産出する土地を有していると聞く。
そんな中でも最高級のものを、代々家宝として受け継いできたらしい。
一般的には、家督を継ぐ者が家宝を管理するが……
「お前は父の愛情ばかりか、本来ライアン様が受け継ぐべき家宝までも独り占めしたんだ! なんと強欲で浅ましい――恥を知れっ!!」
「私が強請ったんじゃないわ! 今際の際に、お父様が私に持っていてほしいって言ったんだもの! だから……だから、私はっ……」
大勢の息子達の中でたった一人、娘として生まれたモディーニを溺愛していた前レイヴィス公爵は、家宝のペリドットを嫡出子のライアンではなく、庶子の彼女に与えた。
男はとにかく、それが許せないらしい。
憎悪に塗れた男の視線からモディーニを庇うように、二人の間にソフィリアが割り込む。
「つまり、あなたはモディーニさんからその家宝を取り上げようとおっしゃるのかしら?」
「取り上げるなどと人聞きの悪い。本来あれはライアン様のものなのです。正しい持ち主にお返しする、ただそれだけのこと」
「正当性を主張しながら、なぜ夜の闇に紛れてか弱い女性であるモディーニさんを襲い、なおかつ幼い子供にナイフを突きつけるなどという卑劣な真似をなさるのでしょう。そうするよう、ライアン様があなたに命じたとでも?」
「……っ、ち、違う! ライアン様は、ペリドットがモディーニの手に渡ったことを憂いていらっしゃっるだけだ! 私は、ただ、あの方の役に立ちたくてっ……!」
家宝がモディーニに与えられたことをわざわざ男に伝えたのは、ライアンだろうか。
モディーニはそれに衝撃を受けているようだ。
カタカタと小さく震え出した彼女の肩を撫で、ソフィリアは落ち着いた声で問う。
「モディーニさん、お父様からいただいたペリドットをグラディアトリアに持ってきているの?」
すると、モディーニは青い顔をして、ふるふると首を横に振った。
「……持ってきていません」
「この期に及んで、よくもそのような嘘を……!!」
「嘘じゃないわ!」
「黙れ!!」
モディーニの言葉に激昂した男が、再びナイフの切先をシオンに突きつける。
今度はソフィリアが声を荒げる番だった。
「やめなさい! 子供になんてことをするのっ!!」
「うるさい! さっさと、この子供とモディーニを交換しろ!!」
ソフィリアと男が、そう怒鳴り合った時だった。
事態は急展開を迎える。
それまでおとなしくしていたシオンが、自分を抱き抱える男の腕にガブッと噛み付いたのだ。
うわっ、と悲鳴を上げて緩んだその腕から抜け出したシオンは、トンッと地面に着地すると同時に、ソフィリア達の方へと一目散に駆け出した。
「シオンちゃん!!」
「ソフィー!!」
ソフィリアはとっさに彼に駆け寄り、その身体を抱えて後ろに下がろうとする。
激しい動きによって、スカーフの合わせ目に挟んでいたプチセバスが飛び出して、さっきシオンや男が出てきた茂みの方へ飛んでいってしまったが、生憎それにかまっている余裕はなかった。
「くそっ!!」
男ががむしゃらに振り回したナイフの切先が、シオンを庇って身を翻したソフィリアを掠めたからだ。
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