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第七章 腹違いの兄妹
第二十八話 誠意を見せて
しおりを挟む三国間宰相会議二日目の夜、グラディアトリア城は騒然となった。
会議に参加するために宰相に随行したパトラーシュの騎士の一人が、夜の庭園で刃物を持ち出し、グラディアトリアの皇帝補佐官を襲ったともなれば当然のことだろう。
しかも、腰を抜かして立てなくなったソフィリアを、皇帝ルドヴィークは人目も憚らず横抱きにし、堂々と玄関から王宮に入ったのだ。
まだ夜も更け切らぬ時刻である。
ソフィリアを大事そうに抱いて歩くルドヴィークの姿を、王宮の廊下を行き交う多くの者が目撃した。
不揃いになったソフィリアの髪こそ、ユリウスから引っぺがした上着を被ったおかげで大衆の目に晒されることはなかったが、しかし誰しもこれはただごとではないと気付く。
現場には居合せなかった面々に騒動の知らせが届くのにも、そう時間はかからなかった。
ソフィリアを横抱きにしたルドヴィークは、まずは母后陛下の宮へと駆け込んだ。
無惨な有様となったソフィリアの髪を整えるとともに、恐怖に晒された彼女を労りたいと考えたからだ。
思いもよらぬソフィリアの姿に、母后も、まだその側に残っていたルリも、侍女頭や侍女達も大きな衝撃を受け、ひどく心を痛めたものだ。
そしてそれは、いつもは飄々としているスミレも例外ではなかった。
「ソフィ……なんで……だれが、ソフィにこんなひどいことをしたの……?」
数日前、自分の髪が切れた時はあんなにけろっとしていたスミレが、ソフィリアを一目見るなり愕然とした顔になって震え出す。
さらには、ポロポロと涙までこぼし始めてしまったものだから、さあ大変。
「……犯人の男は、確か地下牢だったな」
「こらあっ、父上! めっ! ステイ!!」
愛する妻を泣かされた男が、俄然物騒な顔をして犯人の息の根を止めに行こうとするのを、弱冠七歳の息子が必死に止めることになった。
しかし、スミレの涙は止まらない。
ソフィリアの髪が無惨な姿になったのが、自分の息子を庇った末であると知ってはなおのこと。
ルドヴィークによってソファに降ろされたソフィリアに、スミレはぎゅうぎゅうとしがみ付いて、ごめんなさい、ごめんなさい、としきりに謝る。
ソフィリアはそんな彼女を両手で抱き返すと、愛してやまないふわふわでくるんくるんな黒髪に頬を寄せて言った。
「ねえ、スミレ。私はね、今とっても誇らしいんですよ?」
「え……?」
「だってね、可愛い可愛いシオンちゃんを、無事あなたと大公閣下にお返しできたんですもの。だから――謝るんじゃなくて、できれば褒めてほしいの」
「ソフィ……」
ここで、ソフィ、めちゃくちゃかっこよかった!! というシオンの称賛を受けて、ソフィリアはここぞとばかりに胸を張る。
スミレはしばし呆気に取られたみたいに涙に濡れた両目をぱちくりさせてたが、やがて泣き笑いを浮かべた顔で言った。
「シオン君を守ってくれてありがとう、ソフィ。私も、とても誇らしいよ。あなたという、素晴らしい友達を持ったことが――」
それを聞いたソフィリアがますます胸を張ったのは言うまでもない。
以前自分がしてもらったお返しに、とスミレがソフィリアの髪を切り揃えると申し出た。
あの時、ハサミを入れるまで散々躊躇したソフィリアとは違って、スミレはとにかく思い切りがいい。
両手に櫛とハサミを持ったかと思えば、まるで本職の理髪師みたいにあっという間に整えてしまった。
腰に届くほどまであったソフィリアの深い栗色の髪は、肩の辺りでまっすぐに切り揃えられた。
スミレのたおやかな手が、それを慈しむように撫でる。
そうして、吹っ切れた様子の彼女は、ようやく満面の笑みを浮かべると……
「また髪留めを選ぶ楽しみができちゃった。今度のソフィのお休みは、私のために取っておいてね。一緒に町に行こう?」
「ええ、スミレ。是非」
さっき、その夫が予言した通りの言葉を口にした。
スミレにいつもの笑顔が戻ったことで、ソフィリアをはじめ、母后の私室に集まった面々の顔にも安堵の表情が広がる。
件のパトラーシュの騎士を抹殺しかねなかったヴィオラントの剣呑さもようやく鎮まり、その隣ではシオンがやれやれと大人びたため息を吐いた。
そんな中、もうずっと片時もソフィリアから視線を外さなかった人物が、ここでようやく口を開く。
ルドヴィークだ。
「こんなに短い髪のソフィを見るのは……初めてだ」
そう感慨深げに呟いたかと思ったら、瞬きも忘れたみたいにさらにまじまじと見つめてくる。
どうにも照れくさくなってしまったソフィリアはそれを誤魔化そうと、ツンと澄ました顔をして茶化すように言った。
「毎日見飽きた補佐官の姿も、これで少しは陛下の目に新鮮に映りますかしら?」
ところがである。
肝心のルドヴィークが、いつものようにソフィリアの冗談に乗ってくる気配がない。
それどころか、彼は大真面目な顔をして続けた。
「見飽きる、だって? 私が、ソフィを? ――ありえないな」
「え……?」
「逆に、ソフィが視界にいないことの方が想像がつかない――いや、想像したくないな。どんな姿であろうとも、ソフィは私の目の届くところに……側にいてほしい」
「へ、陛下……」
まるで口説くような言葉を並べ立てるルドヴィークに、ソフィリアはどぎまぎとしてしまう。
とはいえ、きっと彼は補佐官としてのソフィリアを買ってくれているだけで、言葉に他意はないのだろう。
そう結論付けたソフィリアは、高鳴るを胸を手で押さえつつ、一つ深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。
この時、自分のことで手一杯だった彼女は知らない。
短くなった髪から見え隠れする頬と耳が赤く色付いていたことも。
それを親しい人々が優しい眼差しで見つめていたことも。
そして――ルドヴィークがいつになく、彼女に熱い視線を注いでいたことも。
「この度は、大変申し訳ございませんでした」
顔を合わせるなり謝罪を口にしたのは、パトラーシュの宰相シェリーゼリアだった。
騒動の知らせは、シェタイアー公爵邸にいたクロヴィスとシェリーゼリアのもとにも届いたようだ。
すぐさま王城に戻ってきた彼らは、母后の私室で対面したソフィリアの姿に絶句した。
いくら、ソフィリア自身が気に病まないと言おうと、やはりパトラーシュの騎士がグラディアトリアの皇帝補佐官の髪を刃物で切り落としたとあっては、両国にとっては由々しき事態である。
しかし、これを好機と捉える者もあった。
泣く子も黙る鬼宰相の異名を持つ、ソフィリアのかつての上司クロヴィスである。
彼は、ソフィリアが髪の件をさほど気に病んでいないと察した上で、愕然とするシェリーゼリアに向かい、眼鏡を指で押し上げながらにっこりと微笑んで言った。
「もちろん――パトラーシュの誠意を見せていただけるんですよね?」
これには、さしものシェリーゼリアもうっと呻く。
けれども、好敵手と認めた彼女相手に、クロヴィスが攻める手を緩めるはずもない。
「いやはや、三国間宰相会議の最中に刃傷沙汰など前代未聞。これは、グラディアトリアとパトラーシュ、ひいてはコンラートを含めた今後の関係にも影響を及ぼしかねませんね」
「……」
「しかも、なんですって? 原因はレイヴィス公爵家のお家騒動? グラディアトリアには微塵も関係のないことではありませんか。パトラーシュの皇帝陛下は、家臣の制御もままならないのでしょうか?」
「……」
勝ち誇った顔をして畳み掛けるクロヴィスに、返す言葉のないシェリーゼリアは唇を噛み締める。
それにますます気を良くしたクロヴィスは、苦笑いを浮かべるソフィリアの肩を労るようにポンポンと叩いて、わざとらしく涙を拭う仕草をした。
「ああ、なんて可哀想なソフィリア。酷い目に遭いましたねぇ」
「閣下……あの、ほどほどに……」
「ええ、ええ、分かっています。仇はちゃんと取ってあげますからね。可愛い弟子を傷付けられて、黙っていられるものですか」
「……」
ノリノリの元上司に、ソフィリアは助けを求めるようにルドヴィークの顔を仰ぎ見る。
見かねた彼が、皇帝の顔をしてクロヴィスを嗜めようとした時だった。
観念したみたいに、シェリーゼリアが口を開く。
「……わかったわ。ソフィへのお詫びと、これからの両国の関係を考えて、現在交渉中の通商条約に関し、一部そちらの要求を呑みましょう」
「ほう?」
「ただし、負担できるのはパトラーシュ皇帝の――兄個人の私財で補填が可能な程度まで。それと、次回の三国間宰相会議で再議論することを、条件に入れさせてちょうだい」
「……ふむ、フランに責任を取らせようと言うわけですか。それに関しては異論はありませんね」
パトラーシュの代表としてこの度の会議に臨んでいるシェリーゼリアとしては、国益に関わることをそうやすやすと譲歩できない。
ただ、今宵の騒動に関しては、犯人も犯行理由もグラディアトリアには明らかに無関係である。
しかも、被害を受けたのがその皇帝補佐官であり公爵令嬢ともなれば、全面的に非があるのはパトラーシュであり、弁解の余地もない。
だったら、そもそもモディーニをグラディアトリアに行かせた兄皇帝フランディースが責任を取るべきではなかろうか。
シェリーゼリアはそう結論づけたわけである。
今回、グラディアトリアとパトラーシュの間で交渉されていた通商条約は、前者が後者から仕入れる埋蔵資源の価格利率が主なものだった。
買う方はできるだけ安く、売る方はできるだけ高くしたいのは当然のことで、両国の間では過去何度も交渉が行われている。
それぞれの財務大臣の期待を背負って交渉に臨んだクロヴィスとシェリーゼリアは互いに譲らず、このままでは三国間宰相会議の会期内に締結されないのではと危惧されていた。
ところが、図らずもソフィリアの髪の犠牲によって、わずかながらグラディアトリアに優位な形で決着がつきそうだ。
完全勝利とは言い難くとも、今後の両国の関係を考えれば、グラディアトリアとしてもあまり無理を通すのは得策ではない。
そう考えたクロヴィスは、シェリーゼリアの提示した条件で手を打つことにしたらしい。
「それで、よろしいですか? ソフィリア」
「はい、閣下のお気に召すままに」
「陛下も異論はございませんね」
「通商条約に関してはな。ただし、レイヴィス公爵家のいざこざに関しては、きちんと説明をしてもらわなければ納得がいかない」
ルドヴィークのその発言により、改めて今夜の騒動の発端であるレイヴィス公爵家の事情が語られることになる。
場所を、母后の私室のある後宮から、皇帝や宰相、各大臣の執務室がある棟の応接室に移し、グラディアトリアからは当事者であるソフィリアと、ルドヴィークとクロヴィス。
パトラーシュ側はシェリーゼリアは当然のことながら、地下牢に放り込まれた件の騎士から事情聴取をしたパトラーシュ騎士団の代表と、ユリウスに付き添われたモディーニが呼ばれた。
そうして、可哀想なほどに消沈しきったモディーニの口からは、なんとも遣る瀬ない真実が語られることになる。
「兄は、ライアン兄様は――本当は私のことを、誰よりも憎んでいらっしゃるのです」
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