花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】

naomikoryo

文字の大きさ
11 / 25

第十一話 女中頭おふさの過去

しおりを挟む
 春の夜はまだ浅く、庭に咲いた椿の花びらが風に運ばれていた。
 それはまるで、かつて誰かが落とした言葉や、過去の想いが、今になって澪の手のひらに届こうとしているかのようだった。

 書見の間に灯る行灯の明かりが揺れる。

 その灯の中で、澪は小さく問いかけた。

 「……おふさ。あなたは、宗真様の父上――宗英様に、仕えていたのですね」

 おふさの手が、少し止まった。
 湯を汲んだ動きのまま、静かに湯飲みを澪の前に差し出した。

 「……そうでございます」

 「おふさ、私はもう、屋敷の中で何が起きているか、すべて知りたいのです」

 その声に、年老いた女中頭の眉が動いた。
 それは、堅く閉ざされた障子が、風にきしむような音だった。

 

◇ ◇ ◇

 「宗英様は、気骨のある方でございました。
  義理も人情も重んじ、女中や中間(ちゅうげん)たちにも分け隔てなく接してくださる――そんな、少しばかり不器用なお方で」

 おふさは、静かに言葉を紡ぎ始めた。

 「けれどその分、“家”の理には疎かった。特に、大石勘解由様とは――ぶつかることが多うございました」

 「ぶつかる、とは?」

 「宗英様は、金の使い道について疑問を持っておられたのです。
  当時から神田屋との付き合いが濃く、年に一度の上納金の一部が“消える”ようなことがございました」

 「……まさか、その頃から……」

 「勘解由様は、“出すところに出せば、家が潤う”と仰った。
  けれど宗英様は、それが“家の正しさ”とは違うと感じておられたようで……帳面の写しを取っておられたのです」

 澪の胸がざわついた。

 (宗真様と、同じ……)

 「それが、家中に漏れた時……宗英様は“病”として表に姿を見せなくなり、やがて……亡くなられました」

 「……それは、本当に病で?」

 おふさの目が、ゆっくりと澪を見た。

 「私には、そうは思えませんでした。
  そして……宗真様は、そのことをきっと、知っておられた」

 澪は言葉を失った。

 夫は、父の死に疑いを持ち、その道をなぞるようにして、帳面の写しを残した――
 それはもはや偶然ではない。父の志を継ぐ覚悟だった。

 

◇ ◇ ◇

 「それで……おふさは、なぜそのことを、いままで……」

 「御寮人様。私は、“女”としての御身をお守りするために、口を閉ざしておりました。
  奥方というのは、“知らぬふり”を通してこそ、守られるものもございます」

 「けれど、私はもう、“守られる側”でいたくありません」

 おふさは、ふっと細く笑った。

 「……ようやく、宗真様と似てこられましたな」

 澪の瞳が揺れた。

 「お若い頃の宗真様は、怖いほど“父親に似て”おられました。
  静かで、穏やかで、けれど一度決めたら、どこまでも引かぬ。
  その信念の深さを、私はずっと見てまいりました」

 「……宗真様は、父上の遺志を継いで、この家の中にある“闇”と、向き合おうとしていたのですね」

 「はい。そして、あなたもまた、いまその道を歩いておられる」

 

◇ ◇ ◇

 行灯の火が、少しだけ揺らいだ。
 それは、灯芯に残った湿り気が音もなくはじけたからだ。

 けれど澪には、それがまるで、宗英――宗真の父の“声”のように思えた。

 (宗英様、あなたの想いは、いま宗真様を通して、そして私へと渡ってきました)

 「……おふさ」

 「はい」

 「私、戦います。家のためではなく、“志”のために」

 おふさは何も言わなかった。ただ深く、澪に頭を下げた。

 女中頭の礼は、御寮人に捧げるものではない。
 けれど今、その頭の低さは、ひとりの女としての敬意だった。

 

◇ ◇ ◇

 その夜、澪は宗真の机の前で一人、筆を取った。
 真夜中の静けさの中に、硯の水音と紙を滑る筆先の音だけが響いていた。

 書き綴る文は、もはや宗真に宛てたものではなかった。

 それは、自分自身に対する“覚書”であり、
 次に進むための、“道しるべ”だった。

「義の前に立つこと、恐れず
 女の名に生きること、恥じず
 命を燃やすなら、言葉にて
 我が夫の名を、灯火とせん」

 筆を置いたとき、夜明けの兆しが障子を淡く照らし始めていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

花嫁

一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

古書館に眠る手記

猫戸針子
歴史・時代
革命前夜、帝室図書館の地下で、一人の官僚は“禁書”を守ろうとしていた。 十九世紀オーストリア、静寂を破ったのは一冊の古手記。 そこに記されたのは、遠い宮廷と一人の王女の物語。 寓話のように綴られたその記録は、やがて現実の思想へとつながってゆく。 “読む者の想像が物語を完成させる”記録文学。

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

小沢機動部隊

ypaaaaaaa
歴史・時代
1941年4月10日に世界初の本格的な機動部隊である第1航空艦隊の司令長官が任命された。 名は小沢治三郎。 年功序列で任命予定だった南雲忠一中将は”自分には不適任”として望んで第2艦隊司令長官に就いた。 ただ時局は引き返すことが出来ないほど悪化しており、小沢は戦いに身を投じていくことになる。 毎度同じようにこんなことがあったらなという願望を書き綴ったものです。 楽しんで頂ければ幸いです!

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

処理中です...