花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】

naomikoryo

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第十話 奥御寮の誇り

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 廊下を渡る風が、少し冷たかった。
 春が近づいているはずなのに、澪の肌を撫でる空気には、冬の余白がまだ残っていた。

 その日は朝から、屋敷が不自然に静かだった。

 女中たちは澪に目を合わせず、用件を伝える声はどれも短く、かすれていた。
 おふさすらも、朝の支度に何も言わず、ただ背を向けていた。

 澪は、何も言わずに立ち上がった。

 (今日、来る)

 ――家老たちの沙汰が。

 宗真が姿を消してから数十日。
 屋敷の中では、それを「病気療養」「外役任務」と様々な言葉で濁してきたが、それも限界だった。
 夫が不在のまま正妻が屋敷に残ることは、家としての“形”を乱す。
 そのために、彼らは今日、決断を下す。

 

◇ ◇ ◇

 午後、御座の間に呼ばれた澪は、淡い藤鼠(ふじねず)の小袖に身を包んでいた。
 上布の襟をわずかに高くし、髷は清楚な“銀杏返し”。
 武家の女の装いの中に、一切の過不足なく「覚悟」が宿る。

 襖の奥に控えていたのは、三名の家老――

 一人目は筆頭家老の大石勘解由。眼光鋭く、言葉少なく、屋敷の政(まつりごと)を実質的に掌握している男。

 二人目は温和な風貌をした牧野修理。人当たりは柔らかいが、空気に敏い。

 三人目は若手の家老久世源四郎。野心を隠さぬ目をしているが、まだ言葉の節々に粗がある。

 「……御寮人様、お忙しいところ恐縮です」

 大石の声は平坦だった。そこに情も憤りもなかった。ただ“通達”の音。

 「旦那様の長期不在につき、家としての体裁を整える必要がございます」

 澪は、深く頭を下げた。

 「……宗真様の不在については、私も重く受け止めております」

 「そこで、御寮人様には“お暇”を賜りたく……」

 久世が口を挟んだ。
 “お暇”とは、すなわち――離縁。

 「結城家の存続のためにも、早急な判断が求められます」

 その言葉の裏には、「あなたの存在が障害になっている」という明確な意図があった。

 澪は、ゆっくりと顔を上げた。
 その目は、柔らかく、だが澄んでいた。

 「……一つだけ、お尋ねしてよろしゅうございますか」

 「なんなりと」

 「宗真様の“不在”を、皆様は“なぜ”とお考えでしょうか?」

 三人の視線が、わずかに揺れる。

 「公には申せませんが……外の任にて、行方不明との報が」

 「行方不明。……それが全てですか?」

 大石が口元を引き締めた。

 「……それ以上は詮索なさらぬほうが」

 「……もし、宗真様が、“この家”にまつわる不正を追っていたとしたら?」

 澪の言葉に、室の空気が凍りついた。

 「もし、宗真様が消されたのが、“外の陰謀”ではなく、“内の都合”であるとしたら――それでも私は、黙して離縁状を受け取るべきでしょうか?」

 久世が声を荒げかけたが、大石が手で制した。

 「……そのような話の根拠は?」

 澪は袖から、ひとつの文を取り出した。
 松庵の写筆による、宗真の手による証。

 大石の目がわずかに動いた。

 「この文には、神田屋の名がございます。そして、篠原家、そして……」

 「やめよ」

 大石の声が、静かに澪の言葉を遮った。

 「それ以上の言葉は、あなたを守らぬ」

 「私は、宗真様を守る者として、ここにおります」

 沈黙。
 張りつめた空気の中、誰もが言葉を飲んだ。

 

◇ ◇ ◇

 その夜、澪はおふさと共に、書見の間に灯を灯した。
 書架に立つ澪の姿は、かつての“お飾りの御寮人”とはまるで違って見えた。

 「……変わられましたな、御寮人様」

 おふさが静かに呟いた。

 「私はようやく、宗真様の“側”に立てた気がします」

 「宗真様の側……」

 「……今の私に必要なのは、名前ではなく、覚悟です」

 その言葉に、おふさはわずかに目を伏せた。

 「それでも、この家は怖ろしいところです。御寮人様、どうかご無理なされぬよう」

 澪は微笑んだ。

 「ええ。でも――無理をしなければ、この家では“女”は守れませんもの」

 夜の障子越しに、椿の影が揺れていた。
 花はまだ、枝に残っていた。
 だが、その色は、確かに“散る前”より深くなっていた。
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