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107)屏風の女
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1
これは、私の祖父が若い頃に体験した話だ。
祖父の実家は、関東のある旧家だった。代々続く家柄で、古い調度品や骨董が多く、特に格式のある品々が家の中には溢れていたという。
その中に、一枚の古い屏風があった。
高さは人の背丈ほど。六曲一双の豪奢な金屏風で、片側には梅の木、もう片側には十二単の女が描かれていた。
その女は伏し目がちで、口元にわずかに笑みを浮かべ、袖を重ねた優雅な姿をしていた。しかし、なぜかその目元だけが不気味なほど陰になっていた。
祖父の家では、この屏風を「決して夜には開けてはならない」と言われていた。
「なぜ?」と聞いても、祖父の父も母も、口を閉ざしたまま答えなかった。
2
ある夏の夜、祖父はふと目を覚ました。
虫の声が遠くで響く静かな夜だった。
――カサ……カサ……
何かが、畳の上を擦るような音がした。
(……誰かいる?)
祖父は布団の中で息を潜め、暗闇の中をじっと見た。
音のする方向に目を向けると、そこには――
屏風が、わずかに開いていた。
昼間はしっかりと閉じられていたはずなのに、今は隙間ができている。
そして――
屏風の中から、女の袖だけが、ゆっくりと滑り出していた。
3
祖父は凍りついた。
それは、まるで屏風の中の女が、こちらへ出てこようとしているかのようだった。
ズ……ズ……
袖は少しずつ、畳の上を這うように伸びてくる。
そして、屏風の隙間から、白い手がすっと伸びた。
祖父は恐怖で体が動かない。
その時、手が止まり、わずかに曲がった指が、ゆっくりとこちらを招くように動いた。
「……こっちへおいで」
耳元で、かすれた女の声が囁いた。
4
祖父は悲鳴を上げそうになったが、声が出なかった。
(見てはいけない!)
本能がそう警告しているのに、祖父はどうしても目を逸らせなかった。
そして、次の瞬間――
屏風の女が、顔をゆっくりと上げた。
その目元は、真っ黒な闇に沈み、口元だけがにやりと笑っていた。
「……こっちへおいで」
女が、這い出そうとした。
祖父はその場から逃げ出した。
廊下を駆け抜け、両親の部屋へ飛び込む。
「お父さん! 屏風が……屏風が動いた!」
その瞬間、祖父の父――曾祖父は、血相を変えた。
「お前、まさか屏風を開けたのか!」
「ち、違う! 勝手に……」
曾祖父はすぐに部屋へ駆けつけた。
そこには、わずかに開いた屏風と、伸びた袖があった。
だが、曾祖父が低く呟くと、袖はゆっくりと屏風の中へ引き戻され、静かに閉じた。
5
曾祖父は、何やら呪文のようなものを唱えながら、屏風の前で手を合わせた。
そして、しばらくして振り返ると、厳しい顔で祖父を睨んだ。
「いいか……。あの屏風には、女が閉じ込められているんだ」
祖父は息を呑んだ。
曾祖父の話によると――
この屏風は、もともと江戸時代に作られたものだった。
しかし、この屏風を持っていた家では、必ず娘が原因不明の病に倒れ、死んでしまったという。
そのため、ある祈祷師が屏風の中に「何か」を封じ込め、それ以来、開かないようにしていた。
「……屏風の中の女は、外へ出たがっている。夜に開けると、次に封じられるのはお前になるぞ」
祖父は、震えながら頷いた。
6
それから数十年が経ち、祖父の実家は取り壊された。
屏風はどうなったのかと尋ねると、祖父は苦笑しながら答えた。
「あれはな……燃やすことができなかったんだ」
「燃やせなかった?」
「処分しようとして火をつけたんだがな……屏風だけ、燃えなかった」
「じゃあ、どうしたの?」
祖父はしばらく沈黙し、それから低く言った。
「……どこかの寺に預けたよ。誰にも開けられないように、厳重に封印してな」
それ以来、屏風のことを話すことはなかった。
だが――
祖父が亡くなった夜、私は夢を見た。
夢の中で、屏風が開いていた。
そして、そこから出てきた女が、ゆっくりとこちらを見ていた。
「次は、誰が開けるのかしら」
これは、私の祖父が若い頃に体験した話だ。
祖父の実家は、関東のある旧家だった。代々続く家柄で、古い調度品や骨董が多く、特に格式のある品々が家の中には溢れていたという。
その中に、一枚の古い屏風があった。
高さは人の背丈ほど。六曲一双の豪奢な金屏風で、片側には梅の木、もう片側には十二単の女が描かれていた。
その女は伏し目がちで、口元にわずかに笑みを浮かべ、袖を重ねた優雅な姿をしていた。しかし、なぜかその目元だけが不気味なほど陰になっていた。
祖父の家では、この屏風を「決して夜には開けてはならない」と言われていた。
「なぜ?」と聞いても、祖父の父も母も、口を閉ざしたまま答えなかった。
2
ある夏の夜、祖父はふと目を覚ました。
虫の声が遠くで響く静かな夜だった。
――カサ……カサ……
何かが、畳の上を擦るような音がした。
(……誰かいる?)
祖父は布団の中で息を潜め、暗闇の中をじっと見た。
音のする方向に目を向けると、そこには――
屏風が、わずかに開いていた。
昼間はしっかりと閉じられていたはずなのに、今は隙間ができている。
そして――
屏風の中から、女の袖だけが、ゆっくりと滑り出していた。
3
祖父は凍りついた。
それは、まるで屏風の中の女が、こちらへ出てこようとしているかのようだった。
ズ……ズ……
袖は少しずつ、畳の上を這うように伸びてくる。
そして、屏風の隙間から、白い手がすっと伸びた。
祖父は恐怖で体が動かない。
その時、手が止まり、わずかに曲がった指が、ゆっくりとこちらを招くように動いた。
「……こっちへおいで」
耳元で、かすれた女の声が囁いた。
4
祖父は悲鳴を上げそうになったが、声が出なかった。
(見てはいけない!)
本能がそう警告しているのに、祖父はどうしても目を逸らせなかった。
そして、次の瞬間――
屏風の女が、顔をゆっくりと上げた。
その目元は、真っ黒な闇に沈み、口元だけがにやりと笑っていた。
「……こっちへおいで」
女が、這い出そうとした。
祖父はその場から逃げ出した。
廊下を駆け抜け、両親の部屋へ飛び込む。
「お父さん! 屏風が……屏風が動いた!」
その瞬間、祖父の父――曾祖父は、血相を変えた。
「お前、まさか屏風を開けたのか!」
「ち、違う! 勝手に……」
曾祖父はすぐに部屋へ駆けつけた。
そこには、わずかに開いた屏風と、伸びた袖があった。
だが、曾祖父が低く呟くと、袖はゆっくりと屏風の中へ引き戻され、静かに閉じた。
5
曾祖父は、何やら呪文のようなものを唱えながら、屏風の前で手を合わせた。
そして、しばらくして振り返ると、厳しい顔で祖父を睨んだ。
「いいか……。あの屏風には、女が閉じ込められているんだ」
祖父は息を呑んだ。
曾祖父の話によると――
この屏風は、もともと江戸時代に作られたものだった。
しかし、この屏風を持っていた家では、必ず娘が原因不明の病に倒れ、死んでしまったという。
そのため、ある祈祷師が屏風の中に「何か」を封じ込め、それ以来、開かないようにしていた。
「……屏風の中の女は、外へ出たがっている。夜に開けると、次に封じられるのはお前になるぞ」
祖父は、震えながら頷いた。
6
それから数十年が経ち、祖父の実家は取り壊された。
屏風はどうなったのかと尋ねると、祖父は苦笑しながら答えた。
「あれはな……燃やすことができなかったんだ」
「燃やせなかった?」
「処分しようとして火をつけたんだがな……屏風だけ、燃えなかった」
「じゃあ、どうしたの?」
祖父はしばらく沈黙し、それから低く言った。
「……どこかの寺に預けたよ。誰にも開けられないように、厳重に封印してな」
それ以来、屏風のことを話すことはなかった。
だが――
祖父が亡くなった夜、私は夢を見た。
夢の中で、屏風が開いていた。
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「次は、誰が開けるのかしら」
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