異世界に転生した社畜は調合師としてのんびりと生きていく。~ただの生産職だと思っていたら、結構ヤバい職でした~

夢宮

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第4章

36話

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 宿に戻ってすぐの事だ。厨房へと足を向けようとした与一の視界の端で、拗ねたように頬を膨らませているアニエスが壁に背を預けていた。目じりは赤みを帯びており、先ほどまで泣いていたのだろうか。充血した瞳がすべてを語っている。

「与一、セシルは大丈夫なの?」

 入り口の扉を開けた音に気が付いたのか、こちらをちらりを見たアニエスが力なく問いかけてきた。

「……何とも言えないな。さっきからなんも反応しないどころか、うんとも、すんとも言わないんだ」
「どういうこと?」

 元気のない声音だ。すると、アニエスはセシルの表情を窺おうと近づいてくる。その足取りは重く、いつもの彼女から感じるはきはきとした雰囲気は感じ取れない。そして、彼女はセシルの頬を撫でると、不安そうに俯いた。

「ど、どうすることもできないの……?」

 戸惑うアニエスを横目に、与一は黙り込んでしまった。
 セシルがどうしてこのような状態になっているかはわからない。少しでも情報があれば解決することができるかもしれない。だが、そんな情報を持っている人間がいたとしても、現時刻は深夜。そう簡単に探せるはずもなく、かといってアニエスは知らない様子だ。
 
「あらぁ、戻ってきてたのぉ?」

 のんびりとした口調で話掛けてきたのはカルミアだった。どうやら、与一とアニエスの会話に気が付いて2階から降りてきたようだ。彼女は、ゆっくりとこちらへ歩いてきて、セシルをまじまじと見る。

「この子……盛られたわねぇ」
「盛られた? 毒物かなにかの類なのか!?」
「そうよ、何度か見たことがあるわぁ。確か、暴れたりする奴隷に使うものよぉ?」

 顎に一刺し指を当て、カルミアは語り出した。

「市場に流すまではその状態にして、売れたと同時に起こすための薬を嗅がせるの。ずいぶんと前の話だけど、たぶんそれと同じものだと思うわぁ」

 そう言い残し、カルミアは階段を上っていった。

「……今の人って、ギルドの?」
「あー、いろいろとあってな。事情は後で説明する。とりあえず、嗅がせるって言ったよな」

 カルミアのおかげで、解決の糸口が見え始めた。
 嗅がせるとなると、鼻から吸わせるという事になる。以前、検証のために一度だけ鼻から粉塵を摂取したことがあった。その時の記憶を思い返し、物置部屋に転がる瓶の中で使えるものがあっただろうか。と、ひとつひとつの情報を整理していき、なにか閃いたかのように厨房へと足を急がせる与一。

 与一は厨房に入ってすぐに、セシルを椅子へと腰かけさせる。
 物置部屋へと向かい、ひとつの瓶を片手に出てくる。そして、その瓶の中には橙色の粉塵──『気付け草』から抽出されたものが入っていた。

「こいつは、ある意味で万能でな。例え爆睡していてもこいつを使えば一発で起きるんだ。朦朧とする意識を覚醒させたり、強引に思考をはっきりとさせる効果がある。まぁ、多量摂取すると逆に目が冴えて寝れなくなるんだが……」
「意識をはっきりさせる……?」
「さっき聞いただろ? セシルの今の状態を引き起こすための物と、対になる物が存在するって」
「それって……!」
「あぁ、俺の考えが間違っていなければ、こいつでどうにかできるはずだ!」

 瓶を横に傾け、中の粉塵を見つめる与一。
 蓋を開け、自身の手のひらへと粉塵をこぼす。そして、なにをとち狂ったのか。その粉塵をセシルの顔面目掛けて思いっきり投げつけた。隣で見ていたアニエスは、なんとも言えない複雑な表情を浮かべ、目の前で繰り広げられている調合師の粗治療を眺めていた。怒りを押し殺しているような、期待を裏切られて呆然としているような、なんとも絶妙な表情である。

「ね、ねぇ与一? もし、これでセシルが起きなかったら……あなた──斬るから」

 背筋の凍るほどの低い声が、厨房へと響き渡る。

「いや、斬られたら死ぬだろ。そういう冗談はやめてくれ」
「……どの口が言うのよ」

 まるで汚物を見るかのような目で見られた。
 
「……ん」

 短く聞こえた声。しかし、その声の主は与一でも、アニエスでもなかった。
 突然の出来事に、与一を睨んでいたアニエスは目を大きく見開き、セシルの顔を覗き込む。すると、何度か瞬きをしたセシルが、辺りをきょろきょろと見渡し、ふたりの顔を交互に見た。

「……っ! セシル!」

 目を覚ましたセシルに、アニエスは目じりに涙を浮かべながら彼女の顔を拭い、抱き着いた。いきなり抱き着かれたセシルは、目を丸くしており、どうしたらいいのか。と、与一へと困った表情を向ける。

「よかった、ほんとに……無事で、よかったっ!」

 困り果てているセシルを無視して、アニエスは彼女の胸部へと顔を埋めて何度も、何度も安堵の声を上げた。

「先生、どういう状況?」
「簡潔に言うぞ? 攫われたセシルを助けて、目を覚まさせたってところだ」
「ん、理解した」

 今にも泣きじゃくりそうなアニエスの頭を、セシルは何度か撫でる。そして、ぐいっと彼女を引き剥がして立ち上がる。とてとて、と。おぼつかない足取りで与一の前へと寄ってきた彼女は、ぺこりと頭を下げた。

「……ごめんなさい」

 突然の謝罪に、与一は頬を掻いた。

「まぁ、なんだ。気にするなっていいたいけど、今回の件は俺にも非があるからな……」
「先生は悪くない」
「いや、こうなるかもしれないと予想できたのに、周りへの配慮が足りなかった。ごめんな、セシル。ひとりで怖かっただろ」

 セシルの頭を撫で、その乱れ切った髪を整えるかのように手を動かす。
 
「そういえば、叔父さんたちは?」

 ずず、と。鼻をすすると、アニエスは眉を寄せた。

「……忘れてたッ! ふたりはまだ──」
「がっはっは! 俺たちがどうしたって?」

 呑気な笑い声と共に、アルベルトとカミーユが宿へと戻ってきた。

「もう、後処理くらい自分でやってくれないかな、アルベルト」

 頭を項垂れたカミーユは、疲れ切った表情を浮かべながらアルベルトの背中へと拳を軽く当てた。

「ん? 俺は指先が不器用だからな!」
「だからって、気絶させた連中を縛りあげるのを全部私に投げるなんて────」

 ふらっと帰ってきたふたり。目の前で開き直って話すアルベルトに、お小言をいうカミーユ。そんな彼らを見ていた与一は、胸を撫で下ろすと同時に込み上げてきた安心感からか、盛大に笑い出した。釣られるかのように、アニエスが微笑み、セシルが小さく頷く。アルベルトは大声で愉快そうに笑いだし、カミーユは目を瞑って安堵の息をついた。
 こうして、与一達の長い夜は終わりを迎える事となった。
 老人が去り際に『いずれわかる』と、言った言葉。まさか、あんな面倒事になるとは、今の与一には知る由もなかった。
 
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