炭火の夜、潮の香りに灯る店 〜異世界港町グルメ、元冒険者が営む炭火居酒屋〜

夢宮

文字の大きさ
8 / 37
一章「香る火、沈む根 - root of the evening」

第7話「昼の音、潮の香りと根の味」

しおりを挟む
 港町ルアーナの市場いちばには、朝の余韻よいんと昼の熱気が交じりあっていた。

 張られた布の下には干し魚や果実、根菜こんさい海藻かいそう香辛料こうしんりょう
 通りを挟んで声が飛び交い、袋を持つ手が揺れるたびに風に晒された魚の尾がひらりと跳ねた。

 潮の香りと、人の汗と、野菜の青い匂いが入り混じって、どこを向いても鼻先をくすぐる。
 石畳いしだたみには濡れた足跡が点々と残り、店先には水を撒く音が絶えない。
 ひとり、ふたりとれ違う背に、麦わらの影とよろいのきらめきが交差する。

 粗末な布を頭に巻いた主婦たち、鉤爪かぎづめを下げた冒険者、革よろいを身に着けた街の衛兵。
 市場いちばは、町のすべてを縮めて詰め込んだような雑多ざったさにあふれていた。

 その真ん中を、ベネリオ・ファルカが歩いていた。

 腕組みをして、足取りは重く、けれど視線だけは絶えず流れている。
 昨夜、焼いて出したラーフの──あの根の香りが、まだ鼻の奥に残っていた。

「……あの根菜こんさい、こっちにも回ってきてりゃ、文句なしなんだがな」

 ぽつりとつぶやき、立ち止まる。

 並んだ木箱を覗き込む。
 黒ずんだ皮に泥がこびりついた大ぶりの根菜こんさい。だが、どれもあの香りではない。
 切り口を見れば水気が多すぎ、土の匂いも薄い。

 なるもの──と判じ、ため息混じりに立ち去ろうとした、そのとき。

「──おい、大将!」

 声が飛んだ。

 振り返ると、漁網ぎょもうを巻いた肩越しに、陽に焼けた親父が手を振っていた。
 網の奥、貝の入ったおけをがしっと掴んで突き出してくる。

「今朝のやつだ。いそで拾ってきた。持ってけ、少しなら分けられる」

 ベネリオは目を細めた。

「……見返りは?」
「べつにねぇよ。強いて言やぁ……今夜、汁もんにでもしてくれりゃ、嬉しいってだけさ」
「ったく……恩を売りに来やがって」

 笑みを浮かべ、おけからひと握りぶんの貝を受け取った。

 てのひらにのせると、潮を含んだ殻がぬめり、わずかにひらいた口の内側で白い身が震えている。

「これは……干物にすりゃさかなになるし、剥いて炊いても出汁だしになるな」
「そうだろ? 味の出るやつばかりった。あんたの火なら、こいつらも喜ぶさ」

 礼も言わずに軽くあごをしゃくると、漁師の親父はもう別の客の相手に戻っていった。
 ベネリオは、手の中の貝をしばし見つめていた。

 ふと、目を閉じる。

 貝の出汁だし。根の甘み。潮の香り。塩と、香草こうそう──
 浮かんだ組み合わせに、胸の奥でひとつのかたちがまとまる。

「……ああ。煮るか」

 口に出したとたん、腹の奥が決まったように落ち着いた。
 けれど、足だけは止まらなかった。

 ──まだ、あるかもしれねぇ。

 そう思った。

 ラーフ。あの赤紫の根。
 リモンが持ち込んだ北の芋。土の匂いと芯の甘み。焼けば焦げる皮の下に、やわらかな乳白にゅうはくの身。
 火にかければ、言葉をいらなくする食材。

 それを、今夜は煮てみたかった。
 塩と香草こうそうと貝の出汁だし──そこに、あの根の甘みがひと匙でもあれば、静かな一椀いちわんができる。

 ならば、探してみるのも悪くはない。

 ベネリオは、いつもの帰り道から意図的に外れた。
 市場いちばの北側、乾物屋かんぶつや香草こうそうの並ぶ細い通りを抜け、その先の影になる露地ろじへと足を向ける。

 そこは地元の者でもなければ寄らないような、少し湿った一角。
 日陰に野菜を積む屋台が三つ、無造作むぞうさに並んでいた。

「やぁ、大将。珍しいね、こっち通るなんて」

 手ぬぐいを頭に巻いた中年の女が、声をかけてきた。
 木箱の影から、くすんだ芋をひとつ持ち上げて見せる。

「さっき、北の船がひとつ着いててな。荷が少し流れてきたけど……ほら、こんなもんでいいのかい」

 ベネリオは目を細め、黙って近づいた。

 それは、似ていた。だが、ちがった。
 形も色も近い。だが皮の質がちがう。匂いに、芯がない。

「……悪いな。ちっと違う」
「やっぱり? 朝の若い商人も言ってたよ、“本物ほんものはもっと重たい”って」

 リモンの顔が浮かんだ。
 まったく──あの軽口のくせに、舌だけはまともだ。

 肩をすくめて立ち去ろうとしたとき、別の店先にごそっと音がした。

 古い布をめくった下に、わずかに赤味の強い皮が覗いた。
 長く伸びた根の先が乾いて曲がり、薄く土の粉をまとっている。

 ベネリオは、しゃがんでそれを手に取った。

 ──重い。

 見た目より、手応えがある。湿り気は少なく、けれど身は詰まっている。
 切ってみなければ分からない。だが、この感触は──近い。

「こいつ、どこで手に入れた」
「さっき、北の爺さんが置いていったやつ。名前も言わずに、“火にくべりゃ分かる”ってさ」

 ベネリオの口元が、わずかに動いた。

「火にくべりゃ、か……」

 ひとつだけ手に取り、てのひらで転がした。
 煮るなら、薄切りにして、出汁だしに馴染ませる。皮は剥くか否か。味を見てからだ。

 包みに収め、代金を渡す。
 女が数を数える間にも、頭の中ではもう献立こんだての並びが組まれはじめていた。

 ──ひと匙の甘みが、夜を変える。

 その予感だけで、今日という昼が報われる気がした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

能力『ゴミ箱』と言われ追放された僕はゴミ捨て町から自由に暮らすことにしました

御峰。
ファンタジー
十歳の時、貰えるギフトで能力『ゴミ箱』を授かったので、名門ハイリンス家から追放された僕は、ゴミの集まる町、ヴァレンに捨てられる。 でも本当に良かった!毎日勉強ばっかだった家より、このヴァレン町で僕は自由に生きるんだ! これは、ゴミ扱いされる能力を授かった僕が、ゴミ捨て町から幸せを掴む為、成り上がる物語だ――――。

異世界召喚された俺の料理が美味すぎて魔王軍が侵略やめた件

さかーん
ファンタジー
魔王様、世界征服より晩ご飯ですよ! 食品メーカー勤務の平凡な社会人・橘陽人(たちばな はると)は、ある日突然異世界に召喚されてしまった。剣も魔法もない陽人が頼れるのは唯一の特技――料理の腕だけ。 侵略の真っ最中だった魔王ゼファーとその部下たちに、試しに料理を振る舞ったところ、まさかの大絶賛。 「なにこれ美味い!」「もう戦争どころじゃない!」 気づけば魔王軍は侵略作戦を完全放棄。陽人の料理に夢中になり、次々と餌付けされてしまった。 いつの間にか『魔王専属料理人』として雇われてしまった陽人は、料理の腕一本で人間世界と魔族の架け橋となってしまう――。 料理と異世界が織りなす、ほのぼのグルメ・ファンタジー開幕!

スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜

かの
ファンタジー
 世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。  スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。  偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。  スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!  冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!

酒好きおじさんの異世界酒造スローライフ

天野 恵
ファンタジー
酒井健一(51歳)は大の酒好きで、酒類マスターの称号を持ち世界各国を飛び回っていたほどの実力だった。 ある日、深酒して帰宅途中に事故に遭い、気がついたら異世界に転生していた。転移した際に一つの“スキル”を授かった。 そのスキルというのは【酒聖(しゅせい)】という名のスキル。 よくわからないスキルのせいで見捨てられてしまう。 そんな時、修道院シスターのアリアと出会う。 こうして、2人は異世界で仲間と出会い、お酒作りや飲み歩きスローライフが始まる。

オバちゃんだからこそ ~45歳の異世界珍道中~

鉄 主水
ファンタジー
子育ても一段落した40過ぎの訳あり主婦、里子。 そんなオバちゃん主人公が、突然……異世界へ――。 そこで里子を待ち構えていたのは……今まで見たことのない奇抜な珍獣であった。  「何がどうして、なぜこうなった! でも……せっかくの異世界だ! 思いっ切り楽しんじゃうぞ!」 オバちゃんパワーとオタクパワーを武器に、オバちゃんは我が道を行く! ラブはないけど……笑いあり、涙ありの異世界ドタバタ珍道中。 いざ……はじまり、はじまり……。 ※この作品は、エブリスタ様、小説家になろう様でも投稿しています。

狼の子 ~教えてもらった常識はかなり古い!?~

一片
ファンタジー
バイト帰りに何かに引っ張られた俺は、次の瞬間突然山の中に放り出された。 しかも体をピクリとも動かせない様な瀕死の状態でだ。 流石に諦めかけていたのだけど、そんな俺を白い狼が救ってくれた。 その狼は天狼という神獣で、今俺がいるのは今までいた世界とは異なる世界だという。 右も左も分からないどころか、右も左も向けなかった俺は天狼さんに魔法で癒され、ついでに色々な知識を教えてもらう。 この世界の事、生き延び方、戦う術、そして魔法。 数年後、俺は天狼さんの庇護下から離れ新しい世界へと飛び出した。 元の世界に戻ることは無理かもしれない……でも両親に連絡くらいはしておきたい。 根拠は特にないけど、魔法がある世界なんだし……連絡くらいは出来るよね? そんな些細な目標と、天狼さん以外の神獣様へとお使いを頼まれた俺はこの世界を東奔西走することになる。 色々な仲間に出会い、ダンジョンや遺跡を探索したり、何故か謎の組織の陰謀を防いだり……。 ……これは、現代では失われた強大な魔法を使い、小さな目標とお使いの為に大陸をまたにかける小市民の冒険譚!

【完結】魔術師なのはヒミツで薬師になりました

すみ 小桜(sumitan)
ファンタジー
 ティモシーは、魔術師の少年だった。人には知られてはいけないヒミツを隠し、薬師(くすし)の国と名高いエクランド国で薬師になる試験を受けるも、それは年に一度の王宮専属薬師になる試験だった。本当は普通の試験でよかったのだが、見事に合格を果たす。見た目が美少女のティモシーは、トラブルに合うもまだ平穏な方だった。魔術師の組織の影がちらつき、彼は次第に大きな運命に飲み込まれていく……。

生贄公爵と蛇の王

荒瀬ヤヒロ
ファンタジー
 妹に婚約者を奪われ、歳の離れた女好きに嫁がされそうになったことに反発し家を捨てたレイチェル。彼女が向かったのは「蛇に呪われた公爵」が住む離宮だった。 「お願いします、私と結婚してください!」 「はあ?」  幼い頃に蛇に呪われたと言われ「生贄公爵」と呼ばれて人目に触れないように離宮で暮らしていた青年ヴェンディグ。  そこへ飛び込んできた侯爵令嬢にいきなり求婚され、成り行きで婚約することに。  しかし、「蛇に呪われた生贄公爵」には、誰も知らない秘密があった。

処理中です...