しずめ

山程ある

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月代葵

男性のサイズ

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 隼人の呼吸がようやく落ち着いてきたのを見届け、葵はおずおずと言葉をかけた。

「隼人さん、このままじゃ体が冷えてしまいます。すぐにシャワーを浴びてください」

 隼人は泥にまみれた顔を上げる。

「……シャワーですか……でも……」

 まだ混乱しているようで、言葉が届いているのかどうかも心許ない。

「うちの店、住居兼用なんです。二階が住居スペースで、お風呂もありますから」

 葵は隼人の目を見つめ、ゆっくり頷いた。放っておけるはずがない。今の彼を一人にしてしまえば、取り返しのつかないことになる──そんな予感が胸を打ち続けていた。

「……すみません」

 弱々しく隼人が頷く。声は震え、すでにかなり体が冷えているのだろう。葵は肩を貸し、泥濘から引きずり出すようにしてアプローチを戻った。

 店の扉を開けるとき、客の視線を意識して隼人を背でかばった。幸い、二組の客はのんびりと談笑を続けていて、特に気にした様子はなかった。

「こちらへ」

 カウンター奥、厨房脇の白い扉を開けると、狭い靴脱ぎ場と二階に続く階段が現れる。泥だらけの靴を脱がせ、隼人に先に階段を上がらせる。肩を貸せない狭さが心配だったが、彼はなんとか自力で上っていった。

 二階の廊下に出ると、葵は洗面所兼脱衣所につながるドアを開け、その奥の浴室の扉も引いた。ユニットバスながら浴槽もあるが、今は湯を張る余裕はない。

「タオルはそこにあります。シャンプーもボディーソープも、私のものでよければ使ってください」

 隼人は泥に重くなった服を見下ろし、気まずそうに眉を寄せた。

「……すみません、本当にいいんですか」

 葵は真っ直ぐに見返し、小さく微笑む。

「あたり前です。熱めのシャワーで、とにかくしっかり温まってください」

 そう言い置き、葵は店へ戻った。

「お待たせしました」

 客へ声をかけ、努めて柔らかな声を保つ。それを切っ掛けにしたのか、二組の客は伝票を手にそれぞれ腰を上げた。会計を進める間、背中には緊張がまだ残っていた。

 客を見送り、扉の上の札を裏返す。「CLOSED」の文字が目に入ったところでようやく息を吐いた。泥に沈む隼人を見た恐怖がよみがえり、思わず自分の両腕を抱く。
 そこで、自分のシャツが泥で汚れているのに気がついた。洗い替えの制服があるのでそれに着替え、ふと隼人の着替えがないことを思い出す。

 泥にまみれた服をもう一度着てもらうわけにはいかない。
 少し考えて、雇う予定だったスタッフ用にと、開店前に準備していたシャツとスラックスがあったことを思い出した。けっきょく仕事量を鑑みてスタッフの雇用は見送った。サイズ的に葵には大きい物だったため、もったいないことをしたと思ったが、意外な形で役立ちそうだ。

 だが、下着だけはどうにもならない。

──買ってこよう

 すぐ近くのコンビニに、きっと男性用の下着もあるはずだ。
 葵は札を「CLOSED」にしたまま店を出た。

 自動ドアが開き、コンビニの温かい空気に包まれる。それなのに肩のこわばりは解けない。下着を買うだけなのに、胸が妙に落ち着かない。

「えっと、メンズ、メンズ……」

 無意識に口をついた言葉を慌てて飲み込む。店員に尋ねれば早いのは分かっている。だが、それは避けたかった。

 雑貨の棚を探し、下段に整然と並ぶボクサーブリーフとトランクスを見つけた。色は黒とグレー。

──どれを選べばいいの?

 さらにサイズ表示を見て、完全に固まった。

──隼人さんのサイズなんて分からない

 背丈や体格を必死に思い出しながら、「M? いや、Lかも……」と小声でつぶやく。焦りに追われ、結局ボクサーブリーフのグレーのMとLをそれぞれカゴに入れた。グレーのボクサーブリーフは、弟が履いていたような記憶がある。

 ひとつ上の棚にあったTシャツも、MとLを一枚ずつ選ぶ。色は無難に白。無駄に散財していると分かっていながら、選びきれなかった。

 カゴに下着がいくつも入った状態でレジに行くと、途端に全身が熱くなる。品物をスキャンされるたびに頬の火照りが強まる。

 これまでに男性と交際した経験がないわけではない。しかし、下着を買ったことなど一度もなかった。

──店員さんにどう思われているんだろう

 意識すると、首筋がじんわり熱を帯びてきた。

「袋もお願いします」

 声が少し上ずった気がして、ますます恥ずかしくなる。

 会計を終え、外に出た。
 夜風が火照った頬を冷やし、ようやく息を吐いた。レジ袋を胸に抱きしめながら、葵は小さくつぶやいた。

「よし、これで大丈夫」

 足早に戻り、二階に上がる。
 廊下にある脱衣所のドアの向こうからは、絶え間なく水音が聞こえてきた。隼人はまだ浴室にいるらしい。

 葵はドアノブにそっと手を掛けた。脱衣所に入ることはせず、ドアをほんの少しだけ開け、外から腕を伸ばす。手には、先ほどコンビニで買ってきた新品の下着とTシャツ、それにストックしてあったスタッフ用のシャツとスラックスがあった。下着類はすべて袋から出し、簡単に畳んでまとめておいた。

 手探りで脱衣所の洗濯機の上に置くと、葵は小さく息を吐いた。

「隼人さん、着替えを、ここに置きました。使ってくださいね」

 シャワーの音に負けないよう、声を張って伝える。

 応答はなかったが、それも当然だろう。シャワーの音にかき消され、隼人の耳に届いたかどうかも分からない。けれど、見れば分かるはずだ。

「サイズが合えばいいんですけど」

 小さくそう付け足して、葵はドアを静かに閉めた。
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