しずめ

山程ある

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那須隼人6

ユキ

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「ユキさん、おかえりなさい」

 ラジが顔を上げる。

「今日、友だち来ました。コンビニのハヤトさんです」

 ユキと呼ばれた女性は、猫のような目を細めて笑顔を作る。

「こんばんは。アイム・ユキ。ジャパニーズでっす」

 赤く染めたショートカットの髪には、いく筋もの白いメッシュが走っている。肌は白く、リップは濃いチェリー色。目元には赤紫を基調にしたシャドウが入っていて、長く濃いまつげは、つけまつげ特有の存在感があった。

 東洋人の顔立ちだったので、どこの国の人だろうかと隼人は考えていた。

「あ、那須隼人といいます。こんばんは」

「外国人ばっかりのシェアハウスに日本人がいるのが意外?」

「はい、少し」

「楽しいよ、ここ」

「分かります」

 ユキのテンポに圧されて、年下であろう彼女に対して、隼人は敬語になっていた。
 そこでユキはテーブルの上の皿を見て、目を丸くした。

「お、今日ラジの料理なんだね。チャウミンまであるじゃん。いいなあ。私も食べていい?」

「もちろん。まだあります。ダルバートも食べますか?」

 ラジが応じる。

「んー、チャウミンだけでいいかな。あーし、そんな食べらんないし」

「わかりました」

 ラジは立ち上がり、フライパンをもう一度火にかける。
 冷めかけたチャウミンをしゃもじでざっと混ぜると、油が温まって香りがふたたび立ち上る。

 ユキは慣れた様子でパイプ椅子を出すと、隼人の隣に腰を下ろした。

「ラジのごはん、うまいでしょ」

「はい。びっくりしました」

「でしょ。ここ全員、ラジのめしで生きてるから」

 ソヒルとミーナが笑う。

「ユキ、ちょうど怖い話してたよ」

「怖い話?」

 ソヒルの言葉に、ユキはあまり興味なさげな顔で小首を傾げる。
 ラジがチャウミンを盛った皿をテーブルに置きながら説明する。

「ハヤトさん、前に行った町で、変な体験したんだって。さっきその話してくれた」

「前に行った町?」

 ユキが隼人を見て訊く。

「隣の県のほうです。ちょっと不思議なというか、怖い体験をして」

 隼人は、それ以上は言葉を足さなかった。
 ユキは「ふうん」とだけ答えてから、

「写真でも撮りに行った? 仕事?」

 と続けた。

「いえ、仕事というほどのものじゃないんです。知り合いに頼まれた、タウン誌に載せる写真を撮りにいっただけで」

「やっぱり写真、撮るんだ」

 ユキの目が少し和らぐ。

「ラジ、そういうことちゃんと紹介しなよ。いいじゃん、写真やってる人」

 ユキの言葉に隼人は違和感を覚えた。

 ──あれ、オレが写真やってるってこと、ラジに聞いたわけじゃないのか

「そういえばハヤトさん、写真撮るんです。とても上手いです」

「いや、ほんと趣味みたいなものだって。それにラジに写真見せたことないだろ」

 隼人が言うとラジは笑った。
 それから急須を持ち上げる。

「チャイ、もう一回つくります。カルダモン、まだあります」

 キッチンに立ったラジを眺めながら、ソヒルが口を開いた。

「ハヤト、カメラ好きなら、今度みんな一緒の写真撮ってよ。変な家族写真みたいなの。ここ、インド、パキスタン、ネパール、日本、いろいろいるから」

 その言葉を受けてユキが笑う。

「いいじゃん、それ。玄関んとこの鉢植え、背景にしてさ」

「そうですね」

 隼人は曖昧に笑った。
 くすんだ外壁と、小さな鉢植えが並ぶ玄関先が、頭に浮かぶ。
 その前に立つ、国も言葉もばらばらの人たち。
 レンズ越しに見たら、どう映るのだろう。
 はっきり撮ると決めたわけではなかったが、想像が、胸の奥でごく小さな波を立てる。

 ユキが、チャウミンの皿にフォークを差しながら、心持ち隼人の方へ身を寄せた。

「ところで、さっき言った町にさ、何か置いてきてない?」

「何かって?」

「さあ、分かんない」

 言って、ユキは麺をずるずると啜る。
 戸惑う隼人は何も言葉を返すことができない。

 何かというのは忘れ物などのことだろうか。それともやり残したことや、後悔の念など、気持ち的な話なのだろうか。

 口の中のものを咀嚼して飲み込んでから、ユキは再び口を開く。

「ごめんね、ほんとに分かんないの。でも安心していーよ。ハヤトがあった悪いものは、その置いてきたものにまでは手を伸ばせるけど、その町?から離れたハヤトには手が届かないから」

 彼女の話す内容の咀嚼が追いつかず、少しだけ間を置いてから、隼人は曖昧にうなずいた。
 悪いものというのが、隼人を泥濘に引きずり込んだモリサマであるのは間違いないだろう。

 しかし、特に忘れ物などをした記憶もなく、“置いてきた物”には思い当たらない。

 強いていうならば、六守谷で美月がいなくなった件には今でも強い後悔はある。けれど、しずめが美月ではないと分かった今では、それも“置いてきたもの”とは言い難い。

「じゃあもう、ハヤトは、悪い神さまの心配しなくていいんだね」

 ソヒルが笑顔で言った。

「神さまねえ……。ま、そういうのも神さまっちゃあ神さまなんかな」

 ユキの言葉の「そういう」が何を指すのかは分からないが、それ以上に隼人には気になっていることがあった。

 どういう風に尋ねようかと迷っているうちに、新しいチャイの香りがふわりと漂ってきた。

 ラジがトレイを持って戻ってきた。

「おかわりです。さっきより甘くしました」

 ラジが明るい声でカップを配る。

 隼人の前にも、あたたかいカップが置かれる。

「ハヤトさん、さっきの町の話で、もしももっと困ったことがあったら、いつでもユキさんに言ってください」

 言うと、ラジはウインクをした。

「だから、レイノウシャとかじゃないんだって」

「どういうこと?」

 隼人はラジとユキの二人に聞き返す。

「そんな変な顔しないでよ。……あーし、一応霊感少女なんだ」

「霊感、ですか」

「そ。変なもの見たり、変な声聞こえたり、変なものの思いを感じたり。だけど除霊とかそんなんはできないから、期待はすんな」

「でも、ユキは色んな人を助けたよ」

 ラジが言う。

「それはたまたまだって。変なものが何をしたいのかを感じて、それを叶えてやったり、逆にさせないようにしたりしただけだから」

「さっきのも、そういうことだったんですね」

 合点がいって、隼人は頷いた。

 彼女のいう、変なもの――モリサマは、六守谷を離れた自分には手を出せない。そのことを明言されたのだと知って、隼人は深い深い安堵の息を漏らした。

 ドタの森跡での体験はあまりにも強烈すぎた。

 人外の存在――あるいは神ともいえるモノが実在したこと、のみならず、それが自分を害しようとしたことは、隼人の心に深く大きな傷を残していた。

 見学のアドバイスもあり、六守谷にはもう近付かないと決めてからも、それでもあの超常の存在がいついかなる時に自分を捕らえに来るのではないだろうかと、内心では怯え続けていたのだ。

 隼人はおかわりのチャイをひと口啜った。
 甘さとスパイスの熱が、舌から喉へ、ゆっくりと降りていく。
 さっきよりも甘く美味しく感じたのは、ラジが砂糖を増やしたからだけではないだろう。
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