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第一章
軍事施設への侵入
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軍事施設は森を切り開いて建てられ、その時に伐採した木材で巨大な屋根を増築した、非常に大きな建造物だ。対岸が見えないほどの広い川に面して作られており、洋上作戦の訓練といえばゲートタウンの軍事施設が真っ先に思い浮かぶ。
魔法研究のため俺も頻繁に利用していた。なので、警備の手薄なところはなんとなく分かる。
軍事施設の警備は、総司令部の兵舎を除けば皇帝の城より粗い。まあ、軍に忍び込む輩がいないと高を括っているのだろう。
とはいえ、上位指揮系統に携わるエリートの警備は全く別。将軍クラスになれば、常に優秀な剣士と魔法使いが護衛につく。つまり将軍クラスが現場にくることはまずないので、中央にある総司令部にさえ近づかなければ問題ないということだ。
マトビアとスピカは森に待機させた。
俺は食糧倉庫から研究施設を通って、ドックまで身を隠しながら単独で移動する。
ドックとは船の底を修理するための施設で、船を施設内に入れたあと、川の水を抜いたりできる割と新しい施設だ。砲台を積んでいるような大型の帆船が入ってくるのだが、俺の船も研究のためにドックを利用させてもらっていた。
川に沿うようにして並べられた備蓄の木箱に身を隠し、慎重に進むと、川に中型の船が係留している。
「よし……」
船を見つけてほっとした。
かなりの金と時間をかけた大切なもので、帝都に持っていかれていなくてよかった。まあその価値が分かる者はごく少数だが。
目を閉じて魔法に集中した。
「『催眠』」
ドックの兵士たちは一斉に倒れ始める。さらに魔力を注ぐと、食糧庫からドックにいたるまでの兵士も倒れていく。
広範囲な複数人への魔法はきつい。しかし船を手に入れて海に出れば、安全は確保されるし、ここで出し惜しみはしない。
兵士の気配が消えた。
俺は来た道を戻り、食糧倉庫の大きな両開きの扉を開ける。そして倉庫内の隅々までカンテラの明かりで照らして、誰もいないことを確認した。念のためだ。
少し外に出ると、森の茂みに向かってカンテラを大きく振った。
森の中で待機していたスピカが慎重に馬車を前進させ、食糧庫の奥で静かに停車させた。
「船までの兵士は眠らせた。急いでついてきてくれ」
キャビンにある鞄を持てるだけ持って、通路を駆け抜ける。持っていく鞄は事前に中身を見て選定済みだ。
角を曲がるところで、鞄を持ったマトビアがヒイヒイ言いながら、遅れて走ってきているのを視界の端にとらえた。
「あ、しまった。魔法をかけるのを忘れてたな」
「姫様……!」
「はぁ、はぁ、私は大丈夫ですから……はぁ、はぁ……先に行ってください」
それを聞いたスピカは踵を返すと、マトビアを強引に背負う。
「そんなわけにはいきませんよ!」
「スピカ……私のことは放っておいて……」
よくわからないが、スピカの目は必死だ。軍事施設に忍び込むという極度の緊張で、パニックになっているのかもしれない。
「あ、いや、俺が魔法を……」
戻ろうとした俺をスピカが前を指さして制した。
「フェア様は先に行く!」
一刻も早く先導してほしいようだ。
「わ、分かりました」
素直に命令に従うのは何年ぶりか、と思いながら船まで走る。
人を背負いながら走るには距離があったが、スピカはマトビアを一度も地面におろすことなく船に乗り込んだ。
「フェア様、船はすぐに発進しますか?」
「少し時間がかかる。数分待ってくれ」
息つく暇もなくスピカが俺を追い立てる。
なんだか、俺もパニック状態になってきた。
「すぐに帰ってきますから、私、倉庫に戻ります!」
「分かった。って、……え!?」
どういうことだ。さっき倉庫って言った?
スピカは木箱の間をタタタッと縫うように駆けていく。
「マトビア、スピカは何しに行っ……」
そのマトビアは鞄を枕にして甲板にあおむけになり、青い顔でぜーぜー言っている。
もしかすると、脱走は失敗するかもしれない。ふと、そんな不吉な予感がした。
「とにかく、発進の準備はしないと……タービンを回すか」
木製でまだ塗装もされていない操舵室に入り、下層の客間に降りる。明かりがついていないので暗いが、設計したのは俺なので目をつむっても何があるか分かっている。
船底のメンテナンス用の底板を外し、動力となるタービンに魔法をかけた。
「『風力』」
少しずつ魔力を上げるにつれ、回転翼が風を受け、激しく回り始める。十分な回転速度になると、激しい風があふれてきた。
底板を戻して操舵室にあがり指示板のメーターを確認。ブルブルと細かく振動しながら正常な値を指している。
「よし! 完璧だ、いけるぞこれは」
魔力を船の動力に変えることができる、魔力タービンを搭載したベギラス帝国で唯一の船だ。
魔力さえあれば、漕ぎ手はいらない、帆も、風向きを考える必要もない。
係船用のロープを外すとスピカの足音がドック内に響く。
「さあ出港するぞ……ん?」
目を凝らせば、キャビンに残された鞄を両肩両腕にかけているスピカが見えた。しかも手には食糧庫の乾燥パンを握って走っている。
おお……たくましいな。
さらに、口には紐に吊るされた干し肉を束ねて咥えているではないか。
ジャンプしたスピカは甲板に転がりこみ、鞄やら食糧やらが散乱した。
「行って!」
顔を真っ赤にして叫ぶように指示する。それもそのはずで、食糧庫の通路から剣を抜いた兵士がドックになだれ込んできた。
「これはまずい」
タービンにギアを入れると、スクリューの基軸に動力が伝わる。
船が加速し始めた。
岸から離れると、勢い余った兵士が数名川に落ちた。
舵を切って、さらに離れると、今度は魔法使いが岸に並ぶ。
彼らは一斉に魔力を練り始めた。接岸していた岸に静電気のような光が瞬く。複数の魔法使いによる集団魔法で、通常の『火力』より威力が格段に上がっていた。
「スピカ! 操舵を交代してくれ!」
「えええっ! 私、馬しか乗れない!」
「十分だ」
船尾に移動して迎撃態勢をとる。
空中で爆発音がすると集団魔法で溜められた魔力が真っ赤に燃え上がり、大きな火の玉となってこちらに向かってきた。
「えっ、えっ、何! フェア様、何が……げぇーっ! でかい火の玉!!」
直撃すれば、船尾のスクリューが吹っ飛んでしまうだろう。
「『水力』!」
川の水を操作して壁を作った。火の玉は水の壁に着弾すると消滅する。
船は暗闇のなか進み続けて、索敵もできないぐらい離れた。
追ってくる気配もなかった。まあ夜にこんな速く進める船は持ち合わせていないだろうが。
「はあー」
魔力がギリギリだった。
もっと余裕で盗めると思っていたのだが、久しぶりの魔力底打ち状態だ。
川のそばで打ったのが火の玉という、相手の失敗がなければ、たぶん捕まっていただろうな。
「フェア様! これ、どうしたらいいですか?!」
操舵室でいまだ混乱状態のスピカと交代する。
「手を離していいぞ」
「……死ぬかと思いました」
力の抜けたスピカは床に座り込んだ。
「その割には、だいぶん無茶をしてるじゃないか」
甲板を転がる干し肉に目をやった。
「いや……これには事情がありまして……」
「なぜあんな無茶を?」
「じつは、もう……お金がないんです……!」
「え……?」
「姫様から申し付けがあったのは、衣服類と装飾品だけでしたので……まさか、フォーロンまで旅するなんて」
たしかにフォーロンまで旅することをスピカが知ったのは、馬車を連れてきてからだ。
「ではなぜもっと早くに言わなかった?」
「い、言えませんよ! 姫様にじつはお金がなくて……なんて言えません!」
俺には言えるのか……。
「そういうことでしたか」
寝ていたマトビアが片目をチラリと開けた。
「はっ……! 姫様、起きていらしたんですか!」
マトビアは立ち上がったが、船体の揺れに耐えられずまた倒れた。
「大丈夫ですか!」
「大丈夫です」
倒れたマトビアにスピカが寄り添う。
「スピカ、私は国を捨てた者です。苦しい立場になるのは重々承知しております。これから先も苦難があるでしょう。一人で抱え込まず、スピカもフェアお兄様も手を取り合って、協力していかなければ、私たちに明るい未来はありません」
「姫様……」
「金銭がなければ、私のドレスを売りましょう」
「そんな!」
「もともとそのつもりで持ってきたのですから、大丈夫です。お兄様、ここから一番近い商業都市に行きましょう」
魔法研究のため俺も頻繁に利用していた。なので、警備の手薄なところはなんとなく分かる。
軍事施設の警備は、総司令部の兵舎を除けば皇帝の城より粗い。まあ、軍に忍び込む輩がいないと高を括っているのだろう。
とはいえ、上位指揮系統に携わるエリートの警備は全く別。将軍クラスになれば、常に優秀な剣士と魔法使いが護衛につく。つまり将軍クラスが現場にくることはまずないので、中央にある総司令部にさえ近づかなければ問題ないということだ。
マトビアとスピカは森に待機させた。
俺は食糧倉庫から研究施設を通って、ドックまで身を隠しながら単独で移動する。
ドックとは船の底を修理するための施設で、船を施設内に入れたあと、川の水を抜いたりできる割と新しい施設だ。砲台を積んでいるような大型の帆船が入ってくるのだが、俺の船も研究のためにドックを利用させてもらっていた。
川に沿うようにして並べられた備蓄の木箱に身を隠し、慎重に進むと、川に中型の船が係留している。
「よし……」
船を見つけてほっとした。
かなりの金と時間をかけた大切なもので、帝都に持っていかれていなくてよかった。まあその価値が分かる者はごく少数だが。
目を閉じて魔法に集中した。
「『催眠』」
ドックの兵士たちは一斉に倒れ始める。さらに魔力を注ぐと、食糧庫からドックにいたるまでの兵士も倒れていく。
広範囲な複数人への魔法はきつい。しかし船を手に入れて海に出れば、安全は確保されるし、ここで出し惜しみはしない。
兵士の気配が消えた。
俺は来た道を戻り、食糧倉庫の大きな両開きの扉を開ける。そして倉庫内の隅々までカンテラの明かりで照らして、誰もいないことを確認した。念のためだ。
少し外に出ると、森の茂みに向かってカンテラを大きく振った。
森の中で待機していたスピカが慎重に馬車を前進させ、食糧庫の奥で静かに停車させた。
「船までの兵士は眠らせた。急いでついてきてくれ」
キャビンにある鞄を持てるだけ持って、通路を駆け抜ける。持っていく鞄は事前に中身を見て選定済みだ。
角を曲がるところで、鞄を持ったマトビアがヒイヒイ言いながら、遅れて走ってきているのを視界の端にとらえた。
「あ、しまった。魔法をかけるのを忘れてたな」
「姫様……!」
「はぁ、はぁ、私は大丈夫ですから……はぁ、はぁ……先に行ってください」
それを聞いたスピカは踵を返すと、マトビアを強引に背負う。
「そんなわけにはいきませんよ!」
「スピカ……私のことは放っておいて……」
よくわからないが、スピカの目は必死だ。軍事施設に忍び込むという極度の緊張で、パニックになっているのかもしれない。
「あ、いや、俺が魔法を……」
戻ろうとした俺をスピカが前を指さして制した。
「フェア様は先に行く!」
一刻も早く先導してほしいようだ。
「わ、分かりました」
素直に命令に従うのは何年ぶりか、と思いながら船まで走る。
人を背負いながら走るには距離があったが、スピカはマトビアを一度も地面におろすことなく船に乗り込んだ。
「フェア様、船はすぐに発進しますか?」
「少し時間がかかる。数分待ってくれ」
息つく暇もなくスピカが俺を追い立てる。
なんだか、俺もパニック状態になってきた。
「すぐに帰ってきますから、私、倉庫に戻ります!」
「分かった。って、……え!?」
どういうことだ。さっき倉庫って言った?
スピカは木箱の間をタタタッと縫うように駆けていく。
「マトビア、スピカは何しに行っ……」
そのマトビアは鞄を枕にして甲板にあおむけになり、青い顔でぜーぜー言っている。
もしかすると、脱走は失敗するかもしれない。ふと、そんな不吉な予感がした。
「とにかく、発進の準備はしないと……タービンを回すか」
木製でまだ塗装もされていない操舵室に入り、下層の客間に降りる。明かりがついていないので暗いが、設計したのは俺なので目をつむっても何があるか分かっている。
船底のメンテナンス用の底板を外し、動力となるタービンに魔法をかけた。
「『風力』」
少しずつ魔力を上げるにつれ、回転翼が風を受け、激しく回り始める。十分な回転速度になると、激しい風があふれてきた。
底板を戻して操舵室にあがり指示板のメーターを確認。ブルブルと細かく振動しながら正常な値を指している。
「よし! 完璧だ、いけるぞこれは」
魔力を船の動力に変えることができる、魔力タービンを搭載したベギラス帝国で唯一の船だ。
魔力さえあれば、漕ぎ手はいらない、帆も、風向きを考える必要もない。
係船用のロープを外すとスピカの足音がドック内に響く。
「さあ出港するぞ……ん?」
目を凝らせば、キャビンに残された鞄を両肩両腕にかけているスピカが見えた。しかも手には食糧庫の乾燥パンを握って走っている。
おお……たくましいな。
さらに、口には紐に吊るされた干し肉を束ねて咥えているではないか。
ジャンプしたスピカは甲板に転がりこみ、鞄やら食糧やらが散乱した。
「行って!」
顔を真っ赤にして叫ぶように指示する。それもそのはずで、食糧庫の通路から剣を抜いた兵士がドックになだれ込んできた。
「これはまずい」
タービンにギアを入れると、スクリューの基軸に動力が伝わる。
船が加速し始めた。
岸から離れると、勢い余った兵士が数名川に落ちた。
舵を切って、さらに離れると、今度は魔法使いが岸に並ぶ。
彼らは一斉に魔力を練り始めた。接岸していた岸に静電気のような光が瞬く。複数の魔法使いによる集団魔法で、通常の『火力』より威力が格段に上がっていた。
「スピカ! 操舵を交代してくれ!」
「えええっ! 私、馬しか乗れない!」
「十分だ」
船尾に移動して迎撃態勢をとる。
空中で爆発音がすると集団魔法で溜められた魔力が真っ赤に燃え上がり、大きな火の玉となってこちらに向かってきた。
「えっ、えっ、何! フェア様、何が……げぇーっ! でかい火の玉!!」
直撃すれば、船尾のスクリューが吹っ飛んでしまうだろう。
「『水力』!」
川の水を操作して壁を作った。火の玉は水の壁に着弾すると消滅する。
船は暗闇のなか進み続けて、索敵もできないぐらい離れた。
追ってくる気配もなかった。まあ夜にこんな速く進める船は持ち合わせていないだろうが。
「はあー」
魔力がギリギリだった。
もっと余裕で盗めると思っていたのだが、久しぶりの魔力底打ち状態だ。
川のそばで打ったのが火の玉という、相手の失敗がなければ、たぶん捕まっていただろうな。
「フェア様! これ、どうしたらいいですか?!」
操舵室でいまだ混乱状態のスピカと交代する。
「手を離していいぞ」
「……死ぬかと思いました」
力の抜けたスピカは床に座り込んだ。
「その割には、だいぶん無茶をしてるじゃないか」
甲板を転がる干し肉に目をやった。
「いや……これには事情がありまして……」
「なぜあんな無茶を?」
「じつは、もう……お金がないんです……!」
「え……?」
「姫様から申し付けがあったのは、衣服類と装飾品だけでしたので……まさか、フォーロンまで旅するなんて」
たしかにフォーロンまで旅することをスピカが知ったのは、馬車を連れてきてからだ。
「ではなぜもっと早くに言わなかった?」
「い、言えませんよ! 姫様にじつはお金がなくて……なんて言えません!」
俺には言えるのか……。
「そういうことでしたか」
寝ていたマトビアが片目をチラリと開けた。
「はっ……! 姫様、起きていらしたんですか!」
マトビアは立ち上がったが、船体の揺れに耐えられずまた倒れた。
「大丈夫ですか!」
「大丈夫です」
倒れたマトビアにスピカが寄り添う。
「スピカ、私は国を捨てた者です。苦しい立場になるのは重々承知しております。これから先も苦難があるでしょう。一人で抱え込まず、スピカもフェアお兄様も手を取り合って、協力していかなければ、私たちに明るい未来はありません」
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