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木立 花音

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第五章「あたしの心が折れた日」

【あなたのことは、あなた自身が許してあげて】

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 店の裏手の、ベンチが置いてある場所に案内される。座るように促されて腰を下ろすと、女性はあたしに紅茶のペットボトルを差し出した。
「ありがとうございます」と受け取った。
 女性はあたしの隣に座り、滔々と語り始めた。

「うちの姫子は、あなたのプレーを観て、強い感銘を受けて、それがきっかけでバドミントンを始めたの。だから、中学であなたと同じチームになれたとき、それはそれは喜んでいてね。毎日のように、仁藤さんが、仁藤さんがって嬉しそうにあなたのことを私に報告してきたのよ」
「そうだったんですね」
「すごく嬉しそうに報告してくるから勝ったのかな? と思っていたらコテンパンに負けたとか言い出したりなんかして。あなたのことが本当に好きなんだなーと、そう思ったわ」

 勝たなければ意味がない、と考えていたあたしとは、真逆の反応を姫子は示していた。
 敗北したとき、人は自分の限界に直面する。そこから自分の現在地を把握して、次に進むべき道を探していかなくてはならない。負け方を知らなければ、勝ち方を知ることもないのだから。頭ではそう理解していても、納得するのがあたしは苦手だった。
 その点においても、姫子は真逆だった。彼女は、本当に楽しそうにバドミントンをしていたから。
 それが、羨ましくもあったんだ。

「覚えていますよね? 私の夫が、あなたのことを車で撥ねてしまったあの日のこと」

 やっぱりその話題になるよね。どう返すのが正解か判断できず、数秒沈黙が流れた。

「もちろん、覚えています」

 覚えているから、なんだというのか。改めて、謝罪するべきじゃないのか。

「仁藤さん、ひどい怪我だったんでしょう? だから、あのままバドミントンをやめてしまったのだと思っていた。だから嬉しいの。あなたがバドミントンを続けていたと知ることができて」

 話をしようと思ったのは、そういうこと。そう言って、一拍置くみたいに女性はお茶のペットボトルを開けて一口飲んだ。

「謝って済む話だとは思っていない。それでも謝らせて。私の夫のせいで、本当にごめんなさいね」

 姫子の母親がなぜここにいるのか、と不思議だったが、そもそも姫子の実家は札幌なのだという。中学のときは、父親が旭川に単身赴任をしていたので、姫子はそこから旭川第一中に通っていたらしい。
 全然知らなかった。いかにあたしが、他人に興味がないかがうかがえるというもの。
 レジを担当していた彼女を初めてみたあの日、どこかで見たことがあると感じたのも思えば必然だ。
 姫子の母親だったのだ。そりゃあ見覚えだってある。

「いえ。あれは、出会いがしらの不幸な事故でしたから。あなたの旦那様が、悪かったわけじゃないです」

 嘘をつくな。出会いがしらなんかじゃなかったはずだ。むしろ、周囲の状況を見ることなく路上に飛び出したあたしの責任じゃないのか?

「こんなことを言うと、言い訳がましく聞こえるかもしれないけれど、あの日のことを私の夫はすごく後悔したの。それと姫子も。右側から横断してきているあなたを見つけたとき、直前にわき見があったらしいのよね。あの日は姫子の誕生日で、どこで食事をしようかとそればかりと考えていたらしくて。それさえなかったら、避けられた事故だったと。姫子もね、そのときずっとスマホを見ていたらしくて。それがなかったら、夫に注意できたんじゃないかと」

 そんな大事な日だったのか。それをあたしがめちゃくちゃにしたのか。
 ここまでを吐き出して、ごめんなさい、と姫子の母が頭を下げた。

「ほんと、言い訳でしかないわね。どんな理由があったとしても、怪我をさせたのは私たちのほう。……いいのよ。完全に許してもらえるとは最初から思っていないから。少しずつでもいい。あなたの心の傷が癒えてくれれば、私たちとしてはそれだけでいいから」
「頭を上げてください。大丈夫ですから。もう、あの日のことは気にしていませんから」

 嘘だ。ずっと気にしていた。この一年間、あたしの心の中は常に自責の念で満たされていた。
 そうか。あたしが加害者で、姫子の家族が被害者なのだとそう思ってきた。けれど、視点を変えると、加害者と被害者が逆になる話でもあるんだ。あたしが許されたかったように、姫子の家族も許されたかったんだ。
 事故にかかわったすべての人が、許されたいと願うものなんだ。
 紗枝ちゃんの姿が頭に浮かぶ。

「体調不良というわりには元気そうだし、何か深い事情があるのかもしれないと思った。だから、突っ込んで訊いていいかどうかためらうんだけど、それでも訊きます。この時間、この場所にいるのは、本当に体調不良のせい?」

 元より、下手な言い訳をしたとの自覚はあった。到底、ごまかせるものではないと思った。何より、彼女がこうして腹を割って話してくれたのに、あたしが何も語らないのでは卑怯じゃないか。
 そこで、ぽつりぽつりとあたしは語り始める。
 練習中に、親友に怪我を負わせてしまったこと。大事には至らなかったが、失明をする危険があったこと。そのせいで、親友が試合に出られなくなってしまったこと。とてもじゃないけれど合わせる顔がなく、今こうしてこの場所にいるのだと。

「なるほどね」

 そう呟いたきり、彼女は空を見上げた。
 太陽は真上を少しすぎた辺りで、燦々とした日光を天空から振りまいていた。一応ジャケットを羽織ってきたが、汗ばむくらいの陽気だ。

「あなたがしたことを、みんなが許してくれなかったの?」

 考えた。

「部活動休養日にした練習での事故だったので、ひどく絞られたのは確かです。けど、許してもらえなかったかといえば、そういうわけではないかなと」

 許してもらえなかったから、バドミントンをやめるのか。
 違う。
 許してもらえたら、バドミントンを続けるのか。
 違う。
 バドミントンを続けていく資格が自分にないから、舞台から降りるんだ。姫子の家庭をめちゃくちゃにして、今度は親友の夢を奪った。だからあたしは、舞台から降りるんだ。
 こんな気持ちのまま戦って、勝てるはずがないから。勝てなければ、約束を叶えることはできないから。

「後悔は、ないの? 今逃げ出してしまっても、後悔しないの?」

 やらずに、後から悔いるから後悔。
 ここでやめたら後悔するだろうか。事故に遭ったあのとき、バドミントンをやめたことをあたしは後悔しただろうか。
 目の前にある歩道で女の子が転んだ。泣いている女の子を助け起こして、母親が慰めている。
 すすり泣く声が聞こえた。
 その瞬間、ふと思い出したことがあった。

 小学生の頃の話だ、チームの中で頭角を現し始めた頃のあたしは、きっと鼻持ちならない子どもだった。有り体に言って、天狗になっていた――中学のとき、一部の部員からうとまれていたことからもわかるように。
 とはいえ所詮はまだまだ小学生。コンディション次第で、格下の選手に負けることだってある。
 その日あたしは、大会で同年代の子に負けたショックで泣いていた。
 暑い夏の日だったと思う。目が痛くなるくらい太陽が輝いていた。
 体育館の玄関脇の石段に腰掛けて、めそめそしているあたしの側に母がやってくる。目元の涙を優しく拭ってくれたっけ。

『勝ち負けがあるなら、勝ったほうがいいに決まっている。勝ってこそ認められ、褒められ、評価される。紬だって、勝ちたかったよね?』

 こくりと頷いた。

『でも、世の中に出たら、勝つことだけがすべてではないんだよ。負けたほうがスムーズにいくことだってあるし』

 勝ったほうがいいと言ったあとで、真逆の言葉が母の口から出てきて困惑したっけ。
 組織の中で仕事を始めると、勝ち方だけではなく負け方も大切になってくる。取引先との接待の話。先輩後輩といった人間関係の話。とりとめのない母のその話を、幼い頃の自分がどれだけ理解できていたのかはわからない。うちの母は、説明がうまいタイプではなかったし。それでも、この悔しさがいずれ自分を強くするのだと。うまくいかないときの苦しみを、成長に繋げていくのが大事だと、理解できたのは事実だ。

『負けたっていいんだ。失敗したその先でしか、手に入らないものがあるから。多くの負け方を知った人が、最終的に強くなるんだ。負けて、負けて、たくさん経験して強くなりな、紬』


「そっか」

 負けてもいいんだと、一点の曇りもなく、不意にそう納得できた。
 国際代表選手だったのだから、母は勝ちにこだわる人だった。あたしが勝ったことを報告すると、喜んでくれた。だからあたしは、勝たねばならないと自分にそう言い聞かせてきた。
 ――必ず、全国の頂点に立つよ。
 だからこそ、母とそう約束をしたんだ。
 けれど、母はあたしに勝つことをそこまで求めていなかったんじゃないだろうか。ただ純粋に、あたしのプレーを見守っていたかっただけなんじゃないだろうか。
 勝たなければならないと、一人で気負いすぎていただけなのだろうか。
 母と病室で最後に言葉を交わしたあの日、母はなんと言っていた?


『私のことは気にせずに、必ず試合には行くのよ。紬を待ってくれている人が、いるのだから』

 わかっているよ、とあたしは笑って答えた。母と言葉を交わすのが、これが最後だなんて思っていなかったから。

『必ず元気になって、紬の応援に行くから』

 もう、自分が応援に行ける体じゃないと知っていて、それでも母はこう言ってくれたんだ。
 背中を押さないと、あたしが足を止めてしまうと知っていたから。
 それなのに、あたしはそれから間もなくして立ち止まってしまう。

『大丈夫、紬なら勝てるよ。勝つために、まずは目の前の試合を楽しもう』

 試合を、楽しむ?


「さっきも言ったように、私たちが犯した罪を許して欲しいとは言わない。けれど、あなたが犯したその罪は、許してあげて欲しいなと思う。他ならぬ、あなた自身が」
「あの」

 違います。あたしは、あなたのお父様のことを責めてなどいません。
 言葉は喉元で空回り。

「運命ってね、その都度、いろんな方向に転がるの。きっかけは色々あってね。正しい選択をした結果のこともあれば、間違った選択をした結果のこともある。でも、間違えても選択はもう変えられない。ならば、どうするの?」
「次は、間違えないようにする?」
「そう。あなたが行かなくていいと判断したのなら、これ以上は何も言わない。でも、少しでも悔やむ可能性があるなら行ってあげて。チームは、あなただけのものじゃないのだから」

 ――紬を待ってくれている人がいるのだから。
 これと同じようなことを、部活をやめようとしていたあのとき姫子からも言われた。
 チームはあたしだけのものじゃない。わかっている。それはわかっているんだ。
 たぶん、紗枝ちゃんはそこまで怒っていない。部のみんなも、なんだかんだで許してくれるだろう。それはわかっているんだ。でも。

 ――紬。

 母が、あたしの名を呼んだ気がした。きっとこれは空耳だ。でも、すごく懐かしい響きの声だった。
 ――元気になって、私は必ず紬の応援に行くから。
 これが、死してなお、あたしの応援に行くよ、という意味だったとしたら?
 あの日、あたしは決勝戦の舞台に立たなかった。もし、あたしが出場していない会場に母が応援に来てくれていたとしたら?
 約束を守るどころか、あたしは母を裏切っていたことになる。
 母はこの世界にもういないのだから、勝つ姿を見せることはもうできないのだと思っていた。
 本当に?
 そうだ。母はもういないのだ。自分を産んでくれた人がこの世にいない事実を受け止めて、それでもあたしは生きていく。
 それでも、母はこの胸の中にいる。思い出とその名を変えて、確かにここでんだ。
 ならば、あたしは?
 あたしは、バドミントンが好きか?
 好きだ。
 あたしは、永青高校バドミントン部が好きか?
 好きだ。
 ならば、あたしは?
 後悔しないのか、と自問する。

 ――紬。

 再び、あたしを呼ぶ声がした。今度は母の声だけじゃない。みんなの声が。
 勝たなければ意味がないと、ずっと自分にそう言い聞かせてきた。だがそれは嘘だった。バドミントンから逃げるための、口実であり欺瞞ぎまん
 本当は、こんなにも純粋にバドミントンがしたい。それだけだった。
 見せる相手ならいる。スタンドにも、アリーナにも、そして、天国にも。
 ボイコット、という言葉が頭に浮かぶ。再びそうしようとしている自分を認識する。あの日した選択を、先代の主将も私も後悔しているのと、澤藤先輩がそう言っていた。腑抜けてしまったあなたを倒しての一位なんていらないと、姫子は憤慨した。あたしの背を見て、ずっと憧れてきた彼女だからこその言葉だ。
 なぜ、あたしはここにいる?
 ダメだと思った。あたしはこんなところにいてはダメだと思った。
 紗枝ちゃんの泣き顔が一瞬だけ頭に浮かぶ。
 一年前のあの日、後悔したかどうかはよく覚えていない。けれど、今行かなければ、確実に後悔するとそれだけはわかった。
 これ以上、あたしは後悔を重ねたくない。
 あのっ、と出した声は、すでに涙で滲んでいた。

「すみません! 急用を思い出したので、これで失礼します!」

 そう? と微笑んだ姫子の母親は、晴れやかな表情をしていた。
 立ち去りかけて一度足を止める。

「姫子さんの応援に行かなくていいんですか?」
「明日の個人戦は行くわよ?」

 そこで彼女は「ふふ」と小さく笑った。

「でも、いずれにしてもね、私はあの子のことを信じているから。こんなところで負けるはずがないって」

 そうですね、とあたしは笑って答えた。
 私は、紬のことを信じているからと、母にそう言われた気がした。
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