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政略結婚とは言え、互いに理解を深めるための期間は用意される。
見知らぬ他人とこれから生活しなさい、と投げ出されることは無い。家庭を守るためにも最低限の信頼関係は必要になるからだ。だから私たちはこうして毎週それなりの時間をかけて交流を続けている。
だというのに、このロベルトの態度には正直不安を覚えるのだ。
「じゃあ、ダリオ。また来週」
展覧会帰りで空は夕暮れ。
馬車から降りて私を我が家の玄関までエスコートしたあと、彼は私の名前を囁きながらそっと手の甲にキスを落とす。腰をかがませる僅かな間だけ、彼は上目遣いでそっと私の顔を見上げる。
この濡れたような黒髪と珊瑚のような紅い瞳が特徴的な色男、彼こそがロベルト・トンプソン。将来私の夫になる人物だ。
基本的に、彼に不満は無い。
声も顔もスタイルもかっこいい。スマートな振る舞いで、週1でのデートは毎度それなりに楽しめる。優しく紳士的な性格だから人望も厚い。
だがある一点だけどうしても、気になるところはある。
私はロベルトの家に帰っていく馬車を見送りながら、唇を尖らせる。
────やっぱあいつ、全然笑わねぇな……
ロベルト・トンプソン。氷の貴公子の異名を持つ彼の笑顔を、私は一度も見たことが無い。
「お帰りなさいませ……おや、また仏頂面ですね」
「デートの度に、不安が募っていくばかりだからな。今日も笑顔は見られず仕舞い。そろそろ自信なくなってきたよ」
出迎えてくれた執事見習いに上着を渡しながら溜息をつく。
「他人に笑顔を見せない人も居るのでは? 普通の貴族は、感情を表に出さないものですよ。ダリオ様は顔に出やすいようですが」
「うるさい」
振り向きざまに口元を「い」の形にして威嚇すると、執事見習いは呆れたように笑って退がる。
ムカつく。けど、私が分かりやすいのは確かにその通りで、頬を揉み息を吐きながら自室に向かう。とぼとぼとした足取りが、我ながら情けなかった。
そもそも、この婚約は最初からおかしかったのだ。
私は何度も確認した。本当に先方の希望で私が選ばれたのか? と。自分で言うのも何だが、ダリオ・ジュレは普通の男だ。突き抜けた長所も短所もなく、伯爵令息としては総合点で中の中……いやギリ中の下を保っている。爵位こそ伯爵であるが貴い皇族の血筋を持つロベルトと釣り合っているかと言われれば、全くそんなことはない。
ロベルトとは確かに以前から顔見知りだった。だが2人とも同じカフェの常連というだけで、それ以上の関係は無い。そんな浅い関係値の男に求婚するなんて、ロベルトは相当荒れているんじゃなかろうかと当時は本気で懸念を抱いた。
それでも真剣に向こうたっての希望だと言うから最終的に面会に応じ、何だかんだ話がまとまってそのまま婚約者という関係になった。それが1年前の話である。案外相性が良かったのだろうか、今の今まで大きな諍いやすれ違いもなく至って平和に過ごしていた。
しかしながら、いやだからこそ、婚約者であるロベルトの態度はどうしても気に掛かる。
あんな笑わんものか、と。
ロベルト・トンプソンの唯一にして最大の欠点。それは表情筋だ。もう怖いくらいに、彼は笑わない。大口開けてなんてのは勿論、クスリともしないし愛想笑いすらない。基本的には完全な無表情、たまに眉間に皺を寄せたり八の字にしたりするがそれも微かなものだ。
ロベルトの美貌は国内貴族であればほとんどの人が噂を耳にする程の評判で、10代20代の男女が属する非公認の私設ファンクラブまで存在する。学院卒業後あっという間に国王秘書官という文官としては最上位の花形職業に就いたことで、最近はさらにファンが増加しているそうだ。ただでさえその顔貌は氷の彫像が如き造形だが、彼の表情の乏しさによって彫刻感は増している。ここまで来るとその美しさに嘆息するよりも、顔の筋肉が完全に凝り固まっているのでは無いかと不安に思うこともある……まぁ、これは婚約者としての意見だ。
よく泣く人やよく怒る人がいるように、笑顔の頻度も個人差があるのはそりゃそうだが、デート中に少しも口角が上がらないのは流石に不安を覚えるものだ。
何なら眉を顰めてこちらから目を逸らすこともあるのだから尚更。
嫌われているのか? と当初は訝しんでいたが、それにしては手紙も丁寧で、デートプランも此方の好みを慮っているものばかりだ。そもそもこの婚約はあちらから持ちかけてきた話だし、何なら顔合わせの際にはそれなりに真剣なプロポーズだって受けた。お互い好感度は高い筈だ。だから、生理的に無理! というレベルでは無い、多分。
まぁ、何にせよ既に双方合意の上で婚約が決定したのだから仲良くやっていく他無い。
元々感情が顔に出辛いタイプなのかもしれないが、流石に1度も笑顔を見られないまま婚約期間が終わるのは怖い。もしかして、まだ親密度が足りないから笑顔が見られないだけなのだろうか。とすると、笑顔を引き出せる程に距離感を縮めに縮めるしかない訳だが、一体どうしたものか。
とりあえず彼から笑顔を引き出すことを、第一目標と定めて早3ヶ月が経つが、今のところ達成の兆しすら見られない。
……まあ作戦と言ってもこの3ヶ月、釣られ笑いを狙って対面中終始私がにこにこしてただけだからな。だらしない顔だと思われているのか、最近はさらに厳しい顔つきになったし、本気で対策考えないと。
そろそろ具体的な案を実行せねば。しかし、何をすべきか。これが全く見当がつかない。
見知らぬ他人とこれから生活しなさい、と投げ出されることは無い。家庭を守るためにも最低限の信頼関係は必要になるからだ。だから私たちはこうして毎週それなりの時間をかけて交流を続けている。
だというのに、このロベルトの態度には正直不安を覚えるのだ。
「じゃあ、ダリオ。また来週」
展覧会帰りで空は夕暮れ。
馬車から降りて私を我が家の玄関までエスコートしたあと、彼は私の名前を囁きながらそっと手の甲にキスを落とす。腰をかがませる僅かな間だけ、彼は上目遣いでそっと私の顔を見上げる。
この濡れたような黒髪と珊瑚のような紅い瞳が特徴的な色男、彼こそがロベルト・トンプソン。将来私の夫になる人物だ。
基本的に、彼に不満は無い。
声も顔もスタイルもかっこいい。スマートな振る舞いで、週1でのデートは毎度それなりに楽しめる。優しく紳士的な性格だから人望も厚い。
だがある一点だけどうしても、気になるところはある。
私はロベルトの家に帰っていく馬車を見送りながら、唇を尖らせる。
────やっぱあいつ、全然笑わねぇな……
ロベルト・トンプソン。氷の貴公子の異名を持つ彼の笑顔を、私は一度も見たことが無い。
「お帰りなさいませ……おや、また仏頂面ですね」
「デートの度に、不安が募っていくばかりだからな。今日も笑顔は見られず仕舞い。そろそろ自信なくなってきたよ」
出迎えてくれた執事見習いに上着を渡しながら溜息をつく。
「他人に笑顔を見せない人も居るのでは? 普通の貴族は、感情を表に出さないものですよ。ダリオ様は顔に出やすいようですが」
「うるさい」
振り向きざまに口元を「い」の形にして威嚇すると、執事見習いは呆れたように笑って退がる。
ムカつく。けど、私が分かりやすいのは確かにその通りで、頬を揉み息を吐きながら自室に向かう。とぼとぼとした足取りが、我ながら情けなかった。
そもそも、この婚約は最初からおかしかったのだ。
私は何度も確認した。本当に先方の希望で私が選ばれたのか? と。自分で言うのも何だが、ダリオ・ジュレは普通の男だ。突き抜けた長所も短所もなく、伯爵令息としては総合点で中の中……いやギリ中の下を保っている。爵位こそ伯爵であるが貴い皇族の血筋を持つロベルトと釣り合っているかと言われれば、全くそんなことはない。
ロベルトとは確かに以前から顔見知りだった。だが2人とも同じカフェの常連というだけで、それ以上の関係は無い。そんな浅い関係値の男に求婚するなんて、ロベルトは相当荒れているんじゃなかろうかと当時は本気で懸念を抱いた。
それでも真剣に向こうたっての希望だと言うから最終的に面会に応じ、何だかんだ話がまとまってそのまま婚約者という関係になった。それが1年前の話である。案外相性が良かったのだろうか、今の今まで大きな諍いやすれ違いもなく至って平和に過ごしていた。
しかしながら、いやだからこそ、婚約者であるロベルトの態度はどうしても気に掛かる。
あんな笑わんものか、と。
ロベルト・トンプソンの唯一にして最大の欠点。それは表情筋だ。もう怖いくらいに、彼は笑わない。大口開けてなんてのは勿論、クスリともしないし愛想笑いすらない。基本的には完全な無表情、たまに眉間に皺を寄せたり八の字にしたりするがそれも微かなものだ。
ロベルトの美貌は国内貴族であればほとんどの人が噂を耳にする程の評判で、10代20代の男女が属する非公認の私設ファンクラブまで存在する。学院卒業後あっという間に国王秘書官という文官としては最上位の花形職業に就いたことで、最近はさらにファンが増加しているそうだ。ただでさえその顔貌は氷の彫像が如き造形だが、彼の表情の乏しさによって彫刻感は増している。ここまで来るとその美しさに嘆息するよりも、顔の筋肉が完全に凝り固まっているのでは無いかと不安に思うこともある……まぁ、これは婚約者としての意見だ。
よく泣く人やよく怒る人がいるように、笑顔の頻度も個人差があるのはそりゃそうだが、デート中に少しも口角が上がらないのは流石に不安を覚えるものだ。
何なら眉を顰めてこちらから目を逸らすこともあるのだから尚更。
嫌われているのか? と当初は訝しんでいたが、それにしては手紙も丁寧で、デートプランも此方の好みを慮っているものばかりだ。そもそもこの婚約はあちらから持ちかけてきた話だし、何なら顔合わせの際にはそれなりに真剣なプロポーズだって受けた。お互い好感度は高い筈だ。だから、生理的に無理! というレベルでは無い、多分。
まぁ、何にせよ既に双方合意の上で婚約が決定したのだから仲良くやっていく他無い。
元々感情が顔に出辛いタイプなのかもしれないが、流石に1度も笑顔を見られないまま婚約期間が終わるのは怖い。もしかして、まだ親密度が足りないから笑顔が見られないだけなのだろうか。とすると、笑顔を引き出せる程に距離感を縮めに縮めるしかない訳だが、一体どうしたものか。
とりあえず彼から笑顔を引き出すことを、第一目標と定めて早3ヶ月が経つが、今のところ達成の兆しすら見られない。
……まあ作戦と言ってもこの3ヶ月、釣られ笑いを狙って対面中終始私がにこにこしてただけだからな。だらしない顔だと思われているのか、最近はさらに厳しい顔つきになったし、本気で対策考えないと。
そろそろ具体的な案を実行せねば。しかし、何をすべきか。これが全く見当がつかない。
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