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最後の頼みとして、私は友人を頼った。
国が主導する翻訳事業に携わる一員として、私は皇国の書籍や論文の翻訳業をしている。その殆どが聖職者によって担われていた翻訳業において貴族令息の存在は珍しいので、同業の高位貴族となるとどうしても結束が固くなる。そんなこんなで同僚を超えて友人となった者達で情報共有がてら食事を共にすることも多い。
ランチを食べながら、3人の友人兼同業者に相談してみると、彼らは和やかに思案の顔を作り、首を傾げた。
「ロベルト・トンプソンを笑わせる? うーん、それは難しそうですね」
「あの男の視線を動かすだけでも、相当に難しいのに。笑顔まで強請るとは……ダリオもなかなか強気だなぁ」
「別に強気なわけじゃないさ」
「何か策は無いのか?」
「一応兄と妹に相談したけど、試してみても失敗続きで……」
贈り物もトーク力も効果は薄い。となると、他にどんな手段があるか? むっと腕を組んで考え込むと、この中では1番流行に明るいアニがパチンと指を鳴らした。
「見せ物で言ったら手品、最近流行ってるよな。あれはそれなりにウケるし良いかも。わっと驚かせれば、相手の素直な反応は引き出せる」
「手品?」
「こう、何も無いところからトランプを出したり、空の箱から鳩を出したりするやつ」
「ほうほう」
「凝ったやつは難しいかもなぁ。そもそもかなり修練する必要がある」
「でも小さいものなら1つ位できるかもしれませんよ! 次のデートは来週ですよね」
頷けば、友人の1人が簡単にできる手品を教えてくれた。袖から物を出すと言う非常に古典的なテクニックだが、古典的なジョークよりはきっと盛り上がる。その日は4人でわいわいと手品の練習を行って過ごした。全員がスムーズに袖口からペンを出せるようになる頃には昼食の時間は終わりかけていて、そろそろ解散といった具合に差し掛かる。すると、ふと声が上がった。
「もし手品がダメだったら……どうします?」
「うーん……最終手段としては、ちょっと無理矢理だけど……くすぐらせたら流石に笑うんじゃ無いか?」
「えっ、そんな子供じゃないんだから」
勿論、冗談のつもりで口にしたのだろう。手指を畝らせて、くすぐりのジェスチャーを見せる彼はニタニタと笑っていた。
私は想像してみる。あのロベルトを擽るというのは……かなり難しそうだ。彼が安易に許可を下してくれるとは考え辛いし、何より擽りを可能にする流れに持ってくまでのイメージが全く湧かない。不意打ちで襲いかかるのも出来なくは無いが、実行のハードルは高かった。
「でも、あの氷の貴公子がこしょばって笑い転げたら……はは、きっと面白いな」
「でも流石にそれはなぁ」
「うん。あり得んだろう」
まあ、挑戦するとしても、それは本当の最終手段だろう。
もし手品の後に何手か試してそれも不発であれば、少しは検討しよう。そんなこんなで作戦会議は幕を閉じた。
私は帰宅後も手品の自主練を続けた。とにかく素早く、そして自然に指先を操作するのが要になる。はっきり言って私には向いていない芸当だが、だからこそ成功すればロベルトから良い反応を得られる可能性が高い。彼も私が器用でないことは知っているからだ。
何度も何度も練習し、今回は事前に家族の前で披露してフィードバックを貰った。本番に向けてのシミュレーションは万全だ。
そして1週間後、私はロベルトと2人きりになれる時間に手品を仕掛けることにした。
と言っても、逢瀬の真っ最中ではない。切り出したのは、デートの帰りがけ、トンプソン家の馬車の中だった。
「ピクニックなんて久しぶりだったが、思ったより楽しかったな」と言えば、彼は深く頷いていた。
「そうだな。次はどこに行きたい」
「湖畔の辺りは綺麗だったから、また自然が豊かな場所でどうだろう」
「なら、いっそ海はどうだ」
「はは。なら夏は海水浴だ。水着を買わないと」
「……いいな」
「あぁ、楽しみだ」
子供の頃、家族5人で行って以来初めてのピクニックだが、予想以上に楽しかった。ロベルトは無表情だが、無口ではない。婚約が結ばれてすぐの頃は会話も続かなかったが、お互い慣れてきたのか最近はぽんぽんラリーが続くのだ、面白いくらいに。
会話が弾む相手と飲むハーブティーは格段に旨く、そして暖かな日差しの元で食べるキュウリサンドもまた格別な味だった。時間はあっと言う間に過ぎて、トンプソン家の悍馬達は速やかに私を家まで送り届けてしまう。御者が「到着いたしました」と声を上げたのが聞こえた。
「じゃあ、また」
「あぁ」
車内で彼が私の手を取る。
甲にキスを落とすのには慣れた。だから私が次の一手を打つ。
良い雰囲気だな、今やってみるか、と思い立ったら速い。私は素早く仕掛けを袖口に仕込み、機を待つ。
そして、彼の白い耳元にスッと手を伸ばした。
「ロベルト、耳に何か付いている」
「……は!?」
すると、袖口からパッとアレが……出てこない。袖の奥まで入りすぎたのかもしれない。手首を曲げたり、肩を動かしたりして仕掛けをカフスまで滑り込ませようともがく。
指には、彼の髪先や耳朶がたまに触れる。
ロベルトは少しこそばゆいように、唇を強く結んでいるが、顔を背けたり首を傾げたりはしない。ただ赤く強い瞳で、じっとこちらを見つめている。
「おい、ダリオ」
「動かないで」
真剣な顔で何やら耳元で腕をもぞもぞさせている男を、ロベルトは怪訝な顔で見つめている。無理も無い。だが、こちらもここまで来て退くつもりも無かった。沈黙を誤魔化すように、顔を寄せて囁く。
「君の耳に何か付いてるんだ」
息を呑む音が響く。
「…………そう、か」
「うん」
言葉が途切れた其のとき、自分の袖口から、ロベルトの双眸に視線を移した。
視線がかち合う。
前髪の奥から、見開かれた紅の瞳が見える。近づいてみればその黒くくっきりとした睫毛や、鮮やかな虹彩までよく見えた。鋭い光はやはり本人より雄弁に何かを語りかけてくる。だが、やはり視線は視線に過ぎず、熱以外は見えないのだ。
私はもっと欲しい。ロベルトの表情も、言葉も、もっと知りたい。まだこれから、君の言葉を学びたい。
そう思った途端に、つるりと袖花の取手が現れた。そのまま滑り落ちそうなのを慌てて手で掴む。
「────あ、おぉ! できた!!!」
「うお!!??」
眼前で異常に大きな声を出してしまい、ロベルトが身体を震わせる。
ポンと現れて彼の耳元を突如彩るのは、ガーベラの花だ。勿論手品用の小道具なので造花なのだが、なかなか可愛らしい。とりあえず完遂できたことにホッと胸を撫で下ろしながら、夕陽の色の花を差し出し、私は彼に微笑みかける。
「えーと、耳に引っかかってたよ。ほら、あげる」
「あ、りがとう」
ロベルトは……腰が引けていた。突然耳元で絶叫されたのだ、無理も無い。むしろ、花を受け取ってくれただけありがたいというものだ。
言い淀む彼の顔には当然、笑みは無かった。
「ガーベラ好きだった……よな? すまない。驚かせたくてつい。手品が流行っていると聞いたから挑戦してみたんだけど」
「いや、花は好きだ。ありがとう……本当に、ありがとう」
静寂が流れる。
ここ最近やっと理解したことだが、誰かを笑わせようとして失敗するということは、滑った後の気まずい空気の責任を一手に担わなければならないということだ。これは非常に、非常に苦しいリスクである。
私は曖昧に微笑んで、馬車を降りた。
「……じゃあ、また!」
「……あぁ、また今度。来週迎えに来る……ガーベラ、大事にするよ」
「はは、どうも……はは」
互いにおどおどした態度で、ぎこちない会釈。花を片手に持つロベルトの姿が見られたのが最後。
車の扉は閉まり、けたたましい嘶きと共に去って行った。消えていく馬車に手を振って、私はぽつんと立ち尽くす。
手品作戦も結局失敗に終わった、今後はもう少し難易度の高いものに挑戦してみるというのも一手だろうか。しかし、元々不器用な自分が次の芸を習得するまで何週間かかるか分からない。
遠のく馬車の後輪を見送り、俯く。
こんなにも、笑わないものか。ロベルトよ。
ここまで来ると、彼が意図的に頬を緩ませないように意識しているのではないかと疑わしく思うが、だとしたら一体何故そんなことをするのか。「氷の貴公子」のイメージを守るためか。そこまでして死守したい肩書きなのか。
唇を尖らせながら家に入れば、玄関ホールに立つ執事見習いに出迎えられる。
「お帰りなさいませ……おや、また仏頂面ですね」
「笑顔作戦はプランAからCまで完遂、しかし全て結果は振るわず……悲しいよ私は……」
彼は日々私の健闘を見守っているからか、少し悔しげに目を伏せてくれている。同情してくれるのは、ありがたい。でも、侘しいものもある。
「そんなに難航してるんですか」
「私も驚いてるよ」
はぁ、とため息を吐いて僕は頭を傾けた。
「このまま一生彼の笑顔が見られなかったらどうしよう」
ロベルトは、もう絶対に「笑わない人」なのかもしれない。滅多に怒らない人や泣かない人が居るように、彼も笑みを浮かべない人である可能性はある。それでも笑顔を引き出したいというのは、単なる私のエゴだろうか。
彼の笑みを見たいだけなのに。
私はもう、彼のことを「氷の貴公子」だと思っていない。
たまに、彼の瞳の中に凄まじい熱を感じることがある。彼が見つめるもの、過ごす時間に凄く集中している時、ロベルトの瞳の赤がキラキラと煌めく。彼はきっと感情豊かな男だ。今はまだ曖昧で見え辛いけれど、その点で私たちはきっと近しい。だから同じ幸福を分かち合える日も近いはずだ。でも今はただ、まだ共有が難しい。
私の婚約者としてロベルトが幸せそうにしているのを確信したいだけなのに、どうやっても難しい。ロベルトは何を考えているのだろうか。
深く息を吐いて、肩を落とす。ぐしゃぐしゃと頭を掻いて独りごちる。
「正直、寂しい」
私は何でも顔に出る。げんなりしたり、にんまりしたり、うっとりしたりと、私が忙しく過ごしている間も、彼はずっと表情が無い。それを喰らうと、ウッと胸が苦しくなることがある。
まるで私と彼の見えているものが違うようで、気が遠くなるのだ。同じ場所に生きている感じがしない。私たちが結婚して、同じ家に住んだところで、こんな心許ないことが続くんだと思うと目眩すら覚える。
「ダリオ様」
本音を溢した自分の肩を、執事見習いがそっと叩いた。驚いて顔を向ければ、真剣な面持ちを浮かべた彼が居る。
「そんなに心配なら、もう笑顔を引き出すなんてまどろっこしいこと辞めて、直接聞いたらどうです?」
「直接?」
「彼が何故笑わないのか。明日、彼の方の職場にでも乗り込んで問い詰めましょうよ」
「そんな迷惑なこと」
「……あのね。ここまで頑張ってる婚約者に対して、笑顔1つ見せない男ですよ」
挑戦的に眉を吊り上げて、彼は親指を立てる。いつになく怒りに満ちた表情は、明らかに私本人よりも気張っている。
「どんな風に問い詰めたって構いませんよ」
国が主導する翻訳事業に携わる一員として、私は皇国の書籍や論文の翻訳業をしている。その殆どが聖職者によって担われていた翻訳業において貴族令息の存在は珍しいので、同業の高位貴族となるとどうしても結束が固くなる。そんなこんなで同僚を超えて友人となった者達で情報共有がてら食事を共にすることも多い。
ランチを食べながら、3人の友人兼同業者に相談してみると、彼らは和やかに思案の顔を作り、首を傾げた。
「ロベルト・トンプソンを笑わせる? うーん、それは難しそうですね」
「あの男の視線を動かすだけでも、相当に難しいのに。笑顔まで強請るとは……ダリオもなかなか強気だなぁ」
「別に強気なわけじゃないさ」
「何か策は無いのか?」
「一応兄と妹に相談したけど、試してみても失敗続きで……」
贈り物もトーク力も効果は薄い。となると、他にどんな手段があるか? むっと腕を組んで考え込むと、この中では1番流行に明るいアニがパチンと指を鳴らした。
「見せ物で言ったら手品、最近流行ってるよな。あれはそれなりにウケるし良いかも。わっと驚かせれば、相手の素直な反応は引き出せる」
「手品?」
「こう、何も無いところからトランプを出したり、空の箱から鳩を出したりするやつ」
「ほうほう」
「凝ったやつは難しいかもなぁ。そもそもかなり修練する必要がある」
「でも小さいものなら1つ位できるかもしれませんよ! 次のデートは来週ですよね」
頷けば、友人の1人が簡単にできる手品を教えてくれた。袖から物を出すと言う非常に古典的なテクニックだが、古典的なジョークよりはきっと盛り上がる。その日は4人でわいわいと手品の練習を行って過ごした。全員がスムーズに袖口からペンを出せるようになる頃には昼食の時間は終わりかけていて、そろそろ解散といった具合に差し掛かる。すると、ふと声が上がった。
「もし手品がダメだったら……どうします?」
「うーん……最終手段としては、ちょっと無理矢理だけど……くすぐらせたら流石に笑うんじゃ無いか?」
「えっ、そんな子供じゃないんだから」
勿論、冗談のつもりで口にしたのだろう。手指を畝らせて、くすぐりのジェスチャーを見せる彼はニタニタと笑っていた。
私は想像してみる。あのロベルトを擽るというのは……かなり難しそうだ。彼が安易に許可を下してくれるとは考え辛いし、何より擽りを可能にする流れに持ってくまでのイメージが全く湧かない。不意打ちで襲いかかるのも出来なくは無いが、実行のハードルは高かった。
「でも、あの氷の貴公子がこしょばって笑い転げたら……はは、きっと面白いな」
「でも流石にそれはなぁ」
「うん。あり得んだろう」
まあ、挑戦するとしても、それは本当の最終手段だろう。
もし手品の後に何手か試してそれも不発であれば、少しは検討しよう。そんなこんなで作戦会議は幕を閉じた。
私は帰宅後も手品の自主練を続けた。とにかく素早く、そして自然に指先を操作するのが要になる。はっきり言って私には向いていない芸当だが、だからこそ成功すればロベルトから良い反応を得られる可能性が高い。彼も私が器用でないことは知っているからだ。
何度も何度も練習し、今回は事前に家族の前で披露してフィードバックを貰った。本番に向けてのシミュレーションは万全だ。
そして1週間後、私はロベルトと2人きりになれる時間に手品を仕掛けることにした。
と言っても、逢瀬の真っ最中ではない。切り出したのは、デートの帰りがけ、トンプソン家の馬車の中だった。
「ピクニックなんて久しぶりだったが、思ったより楽しかったな」と言えば、彼は深く頷いていた。
「そうだな。次はどこに行きたい」
「湖畔の辺りは綺麗だったから、また自然が豊かな場所でどうだろう」
「なら、いっそ海はどうだ」
「はは。なら夏は海水浴だ。水着を買わないと」
「……いいな」
「あぁ、楽しみだ」
子供の頃、家族5人で行って以来初めてのピクニックだが、予想以上に楽しかった。ロベルトは無表情だが、無口ではない。婚約が結ばれてすぐの頃は会話も続かなかったが、お互い慣れてきたのか最近はぽんぽんラリーが続くのだ、面白いくらいに。
会話が弾む相手と飲むハーブティーは格段に旨く、そして暖かな日差しの元で食べるキュウリサンドもまた格別な味だった。時間はあっと言う間に過ぎて、トンプソン家の悍馬達は速やかに私を家まで送り届けてしまう。御者が「到着いたしました」と声を上げたのが聞こえた。
「じゃあ、また」
「あぁ」
車内で彼が私の手を取る。
甲にキスを落とすのには慣れた。だから私が次の一手を打つ。
良い雰囲気だな、今やってみるか、と思い立ったら速い。私は素早く仕掛けを袖口に仕込み、機を待つ。
そして、彼の白い耳元にスッと手を伸ばした。
「ロベルト、耳に何か付いている」
「……は!?」
すると、袖口からパッとアレが……出てこない。袖の奥まで入りすぎたのかもしれない。手首を曲げたり、肩を動かしたりして仕掛けをカフスまで滑り込ませようともがく。
指には、彼の髪先や耳朶がたまに触れる。
ロベルトは少しこそばゆいように、唇を強く結んでいるが、顔を背けたり首を傾げたりはしない。ただ赤く強い瞳で、じっとこちらを見つめている。
「おい、ダリオ」
「動かないで」
真剣な顔で何やら耳元で腕をもぞもぞさせている男を、ロベルトは怪訝な顔で見つめている。無理も無い。だが、こちらもここまで来て退くつもりも無かった。沈黙を誤魔化すように、顔を寄せて囁く。
「君の耳に何か付いてるんだ」
息を呑む音が響く。
「…………そう、か」
「うん」
言葉が途切れた其のとき、自分の袖口から、ロベルトの双眸に視線を移した。
視線がかち合う。
前髪の奥から、見開かれた紅の瞳が見える。近づいてみればその黒くくっきりとした睫毛や、鮮やかな虹彩までよく見えた。鋭い光はやはり本人より雄弁に何かを語りかけてくる。だが、やはり視線は視線に過ぎず、熱以外は見えないのだ。
私はもっと欲しい。ロベルトの表情も、言葉も、もっと知りたい。まだこれから、君の言葉を学びたい。
そう思った途端に、つるりと袖花の取手が現れた。そのまま滑り落ちそうなのを慌てて手で掴む。
「────あ、おぉ! できた!!!」
「うお!!??」
眼前で異常に大きな声を出してしまい、ロベルトが身体を震わせる。
ポンと現れて彼の耳元を突如彩るのは、ガーベラの花だ。勿論手品用の小道具なので造花なのだが、なかなか可愛らしい。とりあえず完遂できたことにホッと胸を撫で下ろしながら、夕陽の色の花を差し出し、私は彼に微笑みかける。
「えーと、耳に引っかかってたよ。ほら、あげる」
「あ、りがとう」
ロベルトは……腰が引けていた。突然耳元で絶叫されたのだ、無理も無い。むしろ、花を受け取ってくれただけありがたいというものだ。
言い淀む彼の顔には当然、笑みは無かった。
「ガーベラ好きだった……よな? すまない。驚かせたくてつい。手品が流行っていると聞いたから挑戦してみたんだけど」
「いや、花は好きだ。ありがとう……本当に、ありがとう」
静寂が流れる。
ここ最近やっと理解したことだが、誰かを笑わせようとして失敗するということは、滑った後の気まずい空気の責任を一手に担わなければならないということだ。これは非常に、非常に苦しいリスクである。
私は曖昧に微笑んで、馬車を降りた。
「……じゃあ、また!」
「……あぁ、また今度。来週迎えに来る……ガーベラ、大事にするよ」
「はは、どうも……はは」
互いにおどおどした態度で、ぎこちない会釈。花を片手に持つロベルトの姿が見られたのが最後。
車の扉は閉まり、けたたましい嘶きと共に去って行った。消えていく馬車に手を振って、私はぽつんと立ち尽くす。
手品作戦も結局失敗に終わった、今後はもう少し難易度の高いものに挑戦してみるというのも一手だろうか。しかし、元々不器用な自分が次の芸を習得するまで何週間かかるか分からない。
遠のく馬車の後輪を見送り、俯く。
こんなにも、笑わないものか。ロベルトよ。
ここまで来ると、彼が意図的に頬を緩ませないように意識しているのではないかと疑わしく思うが、だとしたら一体何故そんなことをするのか。「氷の貴公子」のイメージを守るためか。そこまでして死守したい肩書きなのか。
唇を尖らせながら家に入れば、玄関ホールに立つ執事見習いに出迎えられる。
「お帰りなさいませ……おや、また仏頂面ですね」
「笑顔作戦はプランAからCまで完遂、しかし全て結果は振るわず……悲しいよ私は……」
彼は日々私の健闘を見守っているからか、少し悔しげに目を伏せてくれている。同情してくれるのは、ありがたい。でも、侘しいものもある。
「そんなに難航してるんですか」
「私も驚いてるよ」
はぁ、とため息を吐いて僕は頭を傾けた。
「このまま一生彼の笑顔が見られなかったらどうしよう」
ロベルトは、もう絶対に「笑わない人」なのかもしれない。滅多に怒らない人や泣かない人が居るように、彼も笑みを浮かべない人である可能性はある。それでも笑顔を引き出したいというのは、単なる私のエゴだろうか。
彼の笑みを見たいだけなのに。
私はもう、彼のことを「氷の貴公子」だと思っていない。
たまに、彼の瞳の中に凄まじい熱を感じることがある。彼が見つめるもの、過ごす時間に凄く集中している時、ロベルトの瞳の赤がキラキラと煌めく。彼はきっと感情豊かな男だ。今はまだ曖昧で見え辛いけれど、その点で私たちはきっと近しい。だから同じ幸福を分かち合える日も近いはずだ。でも今はただ、まだ共有が難しい。
私の婚約者としてロベルトが幸せそうにしているのを確信したいだけなのに、どうやっても難しい。ロベルトは何を考えているのだろうか。
深く息を吐いて、肩を落とす。ぐしゃぐしゃと頭を掻いて独りごちる。
「正直、寂しい」
私は何でも顔に出る。げんなりしたり、にんまりしたり、うっとりしたりと、私が忙しく過ごしている間も、彼はずっと表情が無い。それを喰らうと、ウッと胸が苦しくなることがある。
まるで私と彼の見えているものが違うようで、気が遠くなるのだ。同じ場所に生きている感じがしない。私たちが結婚して、同じ家に住んだところで、こんな心許ないことが続くんだと思うと目眩すら覚える。
「ダリオ様」
本音を溢した自分の肩を、執事見習いがそっと叩いた。驚いて顔を向ければ、真剣な面持ちを浮かべた彼が居る。
「そんなに心配なら、もう笑顔を引き出すなんてまどろっこしいこと辞めて、直接聞いたらどうです?」
「直接?」
「彼が何故笑わないのか。明日、彼の方の職場にでも乗り込んで問い詰めましょうよ」
「そんな迷惑なこと」
「……あのね。ここまで頑張ってる婚約者に対して、笑顔1つ見せない男ですよ」
挑戦的に眉を吊り上げて、彼は親指を立てる。いつになく怒りに満ちた表情は、明らかに私本人よりも気張っている。
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