君さえ笑ってくれれば最高

大根

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 なんと一使用人の提案に押されて、のこのこと僕は王宮……つまりロベルトの仕事先まで来てしまった。

 突撃したところで追い返されるかも、と思っていたのに守衛に話をつければ案外するりと門をくぐることができた。ロベルトの婚約者という立場は予想以上に社会的信用を勝ち取るらしい。
 ただ婚約者とは言え、急に相手の職場まで乗り込む男ってどうだろう。流石に重いだろうか。しかし、こちらも次回のデートまで悶々とした思いを抱えて待つのはさらに耐え難い。言い訳程度に用意した差し入れを抱えて、静かに廊下を渡る。昼食の時間だからか空気は穏やかで、緊張感は薄れていく。
 守衛の案内通りに歩くと、秘書室が見えてきた。

 扉を薄く開いて、覗き込めば……大きなデスクに腰掛ける、ロベルトが居る。
 礼服を身に纏った彼は、休日よりも格式高い雰囲気を纏っている。隙が無く、これぞ国王秘書室の顔といった風体だ。自慢の艶めいた髪も、すっきりと前は上げている。おかげで彫りの深い顔が見えやすい。

 秘書室も昼休みを迎えているのだろう。ロベルト以外にもデスクはいくつかあれども、空の椅子が並んでいた。
 しかし、彼のデスクの周りには、数人の文官が居る。よくよく見てみると、その中の1人には見覚えがあった。ボブカットで眼鏡を掛けた、知的な女性である。

「本当にロベルト様は、婚約後から素敵な表情をされるようになりましたわね」

 優しげな声で話しかけているのは、妹の友人だ。例のロベルトファンクラブに属する女史である。確か彼女も王宮で働いているのであったか。彼女だけでなく3、4人の若い男女がぐるりと周囲に固まっており、ロベルトは彼らに囲まれている状況のようだ。
 恐らく王宮に務めるファンクラブ会員の面々なのだと思われる。ロベルトのファンクラブには彼の出身学院の後輩も多く所属し、学生時代に彼を追いかけて秘書官の王宮勤務を選んだ学生も多いらしい、あれだけファンが集うのもあり得る。
 だが、にしたってあんなに距離感が近いものだろうか。ファンサービスなのか、そもそも仲が良いのか……いや、同じ職場の仲間だ。同僚として仲良く過ごすのが普通か。
 私は勝手に納得しながら、彼らの様子を眺めていた。ロベルトはあまり離さず、ファンの方々の質問に答えているようだ。

「それでロベルト様、お姫様は最近どのようなご様子で」
「……この前、耳から花を出された」

 思わず、吹き出しそうになる。
 驚いて、まじか、とロベルトのことを見遣ったが、彼は相変わらず真顔だった。

「え? 耳から? 手品?」
「らしい。ガーベラの花をもらった」
「へ~素敵ですね! ロマンティックです……」
「え~でも、触られた時は期待したんじゃないですか!? 耳触られるって凄い良いシチュエーションですよね!」

 興奮した様子の男性。彼を周囲は咎めているようだが、他の人々も若干高揚しているのは間違いない。ファンクラブの面々は、ロベルトの恋バナにテンションが上がっているのだ。
 まさか話題が自分とのデートの話とは思っていなかった。
 ロベルト、君ってファンクラブの人達相手に恋バナしてるのか。
 何とも言い難い違和感を覚えたが、一旦飲み込む。とりあえず今日、私はロベルトと話をしに来たのだから、ここで感じた疑問は後で処理しよう。自分にそう言い聞かせて、私は彼らの会話が落ち着く頃合いを見計らった。

 しかし、その前に予想だにしなかったことが起きる。
 遠く見えるロベルトの、その唇が僅かに開いた。額を掻く右手で表情は半分遮られつつも、彼の深い紅の目が少し細められるが見えた。

「…………あの時は流石に、悪い男に捕まったな、と思ってしまった」

  笑っている。
 思わず二度見した。見間違いを期待して再度彼の口端に目をやる。だが確かに唇が少し、ほんの少しだけ弧を描いていた。周囲の人々は気づいていないようで、ただにこやかに談笑を続けているが。
 だが他人が勘づいていようとなかろうと、衝撃は変わらない。差し入れに持参したランチボックスが手の内から滑り落ち、床に転がる音がした。

 ────えっ、私の前以外だと笑うのか。しかも、私の愚痴で盛り上がって。

 実際のところ、愚痴とまで言って良いものかは分からない。だが「悪い男」と称された事実が思いのほか深く刺さった。
 当惑して見開かれた目のままに、しばし立ち竦む。数十秒も待てば、次第にむかむかと腹の底が熱くなってきた。
 怒りの炎がめらめらと起き上がる。
 君を笑顔にしたいと私がやっていることがそんなに酷いものなのか、いや酷い出来かもしれないが、それを悪し様に語られて怒らない私ではない。誰が悪い男だ。しかも仕事場でファンクラブ会員の子達と茶をしばいて、随分と楽しそうにしているじゃないか。にやにやしやがって、良いご身分だ。
 苛立ちも、悲しみも、同時に湧き立ってきて心の中はちょっと乱れてきた。
 わざわざ王宮まで馬車を飛ばした勇気も、彼と改めて話す緊張感も、体の中からするっと抜けていく。代わりにもっと乾いた思いが芽生え始めている。
 ランチボックスを乱暴に拾い上げ、足早にその場を離れる。悲劇のヒロインのように見えるかもしれないが、内心は異なる。むしろ、うおおおお、と怒りの雄叫びを上げていた。闘牛が如き気迫を纏い、私は王宮を後にした。

 これは良くない。全く、全く喜ばしくない。

 帰宅後、私は速やかに使用人達に事情を説明し「ロベルトが来たら追い返しといてくれ。デートの誘いもしばらく断る」と告げてから、そっと自室に入ってふて寝した。執事見習いは少し狼狽した様子を見せていたが、君のせいじゃないから、とすぐにフォローを入れた。そう、悪いのはロベルトだけだ。
 もうあんな奴は知らん。しばらく距離を置こう。

 ぬいぐるみの習作も、新しく買い揃えたジョーク本も棚奥に押し込んで、徹底的に彼を拒んだ。手紙で「しばらく距離を置こう」とまで書いたのは初めてだ。私が彼を避けたことなど、これまで1度も無かったのだ。
 だが、ここで強気に出なければ、いつ強気に振る舞うのだ。これは意地の問題である。
 ロベルトから来た封筒も開けず、何枚も手紙が積まれるのをただ放置している。この厚みと重さなら、積み木ができそうだ。そんなことを思いながら、私はペーパーナイフも棚奥にしまった。
 ちょっと気を抜いたら封を切ってしまいそうだったからだ。
 こんなに自分が女々しいとは思わなかったなあ、とこれまた分かりやすく私は肩を落とす。
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