君さえ笑ってくれれば最高

大根

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 厚みのある封が10通溜まったある日。
 自室でゆっくり伸びをして、ペンを置いた。翻訳家という職業は場所の自由が利くもので、今は殆ど家から出ずに仕事をこなしている。
 引きこもる理由は単純、ロベルトと遭遇する確率を下げるためだ。

「はぁ~……どうしようかな……」

 冷めた紅茶を啜りながら、頭を捻る。
 正直この数日はあまりにも退屈だった。
 王宮で逃げ帰ってしまってから、もう10日以上は経過している。正気に戻るには十分すぎる時間だった。完全に……ほぼ完全に八つ当たりで彼を避けてしまっている。かなり程度の低い妬みでロベルトを振り回していることに、罪悪感を感じ始めてはいるのだ。
 だが、既に時間が経ち過ぎた。
 今更こちらから出向くことも憚られるほどに、自分の中の鬱憤は熟成されてしまった。私が謝ったところで、もしくはロベルトから謝られたところで、心の中のモヤモヤが晴れる気はしない。

 ────だって笑ってくれないのだから。

 笑ってくれ、と強請れば彼も頬を引き上げてくれるだろうか。でもそう言うことじゃない気がする。
 そもそも笑顔で居てほしいというのは、自分のエゴでしかないのだし。強請るのもお門違いじゃないのか。
 でもだとしたら、王宮で見たアレを、彼の笑みを、私はどう処理すれば良い。
 窓辺に顔を向ければ、疲れ切った青年の顔があって、殊更げんなりする。カーテンを引き、ガラス戸を隠すようにして、くたびれた鏡から逃げた。

 そこで、コン、と控えめなノックが鳴った。

 使用人が自室の扉を叩いていたようだ。このささやかな音からして、新人のメイドの女性に違いない。
 はい、と返事をすれば、明らかに戸惑いの表情を浮かべた彼女が縮こまっている。

「すみませんダリオ様」
「何だい?」
「ロベルト様が、どうしても一目会いたいと」
「あー……悪いけど帰らせておいて。体調が悪いとでも言って」
「申し訳ありません。それが」

 メイドは決まりの悪そうに一歩後ずさる。そこからゆらりと姿を現したのは、見慣れた美貌の貴公子だった。
 いつも輝かんばかりの艶を保つ黒髪はややかさついた印象だった。じっとりとした赤い瞳は殺気めいていた。

「…………すまない」

 私は咄嗟に、唇を噛んだ。こんな時に感情を読まれるのは癪だった。
 そして、あいも変わらず表情の無いロベルトを見つめ返す。まさか使用人の制止も振り切って彼が部屋にまでやって来るとは思っていなかった。メイドはすぐ様部屋の前から去ってしまった。あっという間に気まずい2人きりの空間が出来上がる。
 まさか部屋にまで押しかけるとは思っていなかった。初めて自室の中に立つロベルトの姿は衝撃的なものだったが、私は未だ腹の底のムカムカを抑えられていなかった。彼から視線を逸らし、堂々と開き直ってみせる。

「私は悪くない」
「その通りだ。ダリオが悪かったことなんて一度も無い」

 予想よりも力強く、切実な声が返ってきた。本当に意外なものだったからか、思わず視線を移してしまった。

「どうして俺を避けるのか、理由を教えてほしい……貴方が望むならどんなところでも治す。悪いのは俺だ」

 その声のか弱さに、少々慄く。
 ロベルトはこんなに卑屈ではない、少なくとも普段は。動揺で言葉を詰まらせながらも、私は何とか答える。

「……君の職場の近くに寄った時、君と友人が話しているのが聞こえた。それが不愉快だった。デートの内容をべらべら他人に話さないでくれ」

 一瞬だけ、彼は驚いたように目を見開いた。だがすぐに元の真顔を作る。
 咳払いをしてから、ロベルトは続けた。

「悪い。配慮が足りなかった」
「挙句の果てに私を『悪い男』だと言っただろう。謝罪を求める」
「あれは」

 ロベルトは声を張り上げたものの、半端に目を伏せて言い淀む、
 私は彼の顔を見つめた。何と続けるのだろう、と彼の目を真正面から迎え撃った。そんな私の目にたじろいのだろうか。ロベルトは震える声色で、揺れる瞳で私を見つめ返した。

「すまない。ダリオを不快にさせるつもりは無かった……どうか謝罪の言葉を、受け取ってほしい」

 すぐ様頭を下げる彼からは確かな謝意が感じられる。だが、私は謝罪が欲しかったのではない。
 本当に見たいのは、彼の笑顔なのだ。
 だが、それを私はまだ得られていない。
 そこでふと、友人の言葉が脳裏に蘇った。もし手品も失敗したのなら、アレに挑戦してみるのも一手だと。

「本当に、悪いと思ってるか?」

 少し強張った声で問いかけると、それ以上に硬い声が飛んできた。

「勿論」

 私を覗くロベルトの目は、幼い子供のようにも見えた。暗い部屋に取り残された子供みたいな目。
 きっと私の顔は、この怒りや苛立ちを全力で訴えているのだろう。そしてやるせない気持ちも。
 だからこそ、ロベルトは困惑しているに違いない。珍しい程に、しっかりと視線を迷わせている。

「なら、私のわがまま聞いてくれる?」

 思えば、彼にわがままを提案するのは初めてだ。まさかこのような形で発することになるとは思っても見なかったが。
 無論、躊躇が無い訳じゃ無い。笑顔が見たいと言ったって、こんな状況下は想定外だ。しかし、これを逃せば彼の笑みが見られることなんて無いんじゃなかろうか。それに私だって、不快な目に遭わされたのだから、これくらいはねだりたい。
 そうだ。友人の前で笑うなら、私の前で少しくらい笑ってくれても良いじゃないか。混迷の先に辿り着いたのは、そんな思いつきである。

 迷いを切ったのは、即座に顔を上げて食い気味に声を張りあげたロベルトだった。

「な、何でも言ってくれ」

 射抜くような視線に、悩みが断ち切れる。
 何でも、と言うからには覚悟ができているのだろう。
 ロベルトはその場しのぎの嘘をつく男では無い、少なくともこの1年でそんな場面は1度たりとて無かった。
 私は、数秒逡巡した後に────徐に立ち上がる。

「じゃあ、これから私が行うことに抵抗しないこと。それが出来たら許そう」

 そう提案すれば、彼は左目を眇めてじっと私の方を見た。

「……あぁ、分かった」
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