会長にコーヒーを☕

シナモン

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6話 甘い言葉にご用心

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 家に戻り、ベッドの中で【 九条成明 】というスマホの通話先の名前をじっと見つめていた。かつてはじめてここに来た時、心に響いた名前、そして、初めて長期冬期休暇で離れたとき、実家のこたつの中でずっと眺めて過ごした。千年前に実在した高貴な方のお名前みたい、早く会いたいなあ、ちゃんと食事してるかなあ、そう思いながら。


 彼は彼で、『長い休みが憂鬱だ』、とため息を漏らし、『なあ、君、東京に残らないか』と意味深なことを言われた。『君の料理はどこに行けば食べられるんだ』とか。 そしてあげくの果てに実家の厨房のシェフに君のレシピを教えようとまで言いだし(ブログを見せようとか。いやー、やめてー)、急遽作成したりもした。そして年が明け、初出社すると、うっとりとした表情で『君のおかげで年末年始、有意義に過ごせた』『君のレシピを合間に入れると胃が持たれない』など語られ、『うちの料理人が言うには、しょうゆやみそを同じものでそろえるとより味が近いらしいのだが、用意してもらってもいいか』と提案され、早速執事が呼ばれて彼の実家に持ち帰った。同日、彼の出張先であった北海道からの土産物がどっさり届き、しばらく北海道物でつなぎ、検査の数値も向上、彼の機嫌もよかった。


 ああ、あの頃は本当に幸せだったなあ・・・ だが『これからもよろしく頼むよ』と言われたのが少し引っかかった。というのもその当時は、彼の任期はあと少し、その後はアメリカに行く予定だったので、一緒に来てくれと言われていたのだ。でも私は飛行機恐怖症で、消極的だった。だけど今…そんなフライト恐怖症なんて吹き飛ぶほど強烈な衝撃に襲われている。それは言うまでもなくマヤさん…あれは絶対、マヤさんですよね…。遂に会ってしまった、きれいで、彼に抜群にお似合いだ。 

 何で別れたの? そんな言葉が浮かぶほど。弟の高広くんもなついていたという。
 先日の鉄旅で私に悪態ついてた弟くん、彼女が現れちゃったよ。どうする? お義姉さんになるはずだった人、本命でしょ?

 カラン…エアコンがきき始めた部屋に涼しげな音が響く。
 レモンジンジャーシロップに炭酸を注いでジンジャーエールの出来上がり。
 唯一の誉めどころと言っていい髪に櫛を通して乾かしながら。

 あの人の髪もきれいだった…。

『きれいな髪だね』

 あの誉め言葉の裏ではマヤさんのこと、思い出したりしてたのかなあ。
 なでなでされたりも。

 まあ別にだからと言って興ざめするわけではないが。
 もしも会長の言葉の端々にあの人の影があるなら何となくいやだなあ。

 
 グラスの中で氷がひとつ、音を立てて割れた。 その音が、胸の奥の何かと重なった気がした。私は、会長の名前をともしたまま、照明を消した。



 翌日、会長室に上がると、会長はいつもの通り、「おはよう」

「おはようございます」

「あの後、ちゃんと帰れたか?」

「はい。…あの方が…もしかしてマヤさんですか」そう訊ねると「ああ、そうだよ」と普通に返された。

「退職の報告だよ。一区切りついたと言っていた。

 それが…どうかしたかい」


 そうなんだ・・・。


「別に帰らなくてもよかったのに」

 でも・・怖かったし。横森さんと比較にならないくらい恐ろしいオーラ、ビシバシだった。

「君こそあの後無事に帰れたか? すぐに追いかけたが見当たらなかったので車で帰ったんだろうな?」

 いつも通り過ぎてドキドキした。
 わかります?
 男の人って嘘をつくとき、不自然な動作しますよね? 後ろ手にしたり、手をポケットに入れたり。でも会長はそんなこともなく、いつも通りちょこっとアメリカンな仕草をしただけだった。つまり話してることは嘘じゃない。

 それは確かだ。少しも動揺してない。

 本当にそれだけ?と疑う余地もなく。



「じゃあ、夕方に戻るから、待っていてくれ」
「はい。いってらっしゃいませ」



 そして今日は、連休前の最終日。会長はお昼をはさんでお出かけで、戻ってきて、打ち上げと称したディナーに連れていってくれる日。つまり料理も何もしなくていい、コーヒーをお出しするだけの、横森さんに知れたら発狂されそうな、膨大な時間を一人で過ごす日。
 私は、お見送りを終え、キッチンの、自分の席について、PCを開き、ブックマークの底に沈んでいたマヤさんのブログにアクセスした。
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