114 / 153
6話 甘い言葉にご用心
18
しおりを挟む
家に戻り、ベッドの中で【 九条成明 】というスマホの通話先の名前をじっと見つめていた。かつてはじめてここに来た時、心に響いた名前、そして、初めて長期冬期休暇で離れたとき、実家のこたつの中でずっと眺めて過ごした。千年前に実在した高貴な方のお名前みたい、早く会いたいなあ、ちゃんと食事してるかなあ、そう思いながら。
彼は彼で、『長い休みが憂鬱だ』、とため息を漏らし、『なあ、君、東京に残らないか』と意味深なことを言われた。『君の料理はどこに行けば食べられるんだ』とか。 そしてあげくの果てに実家の厨房のシェフに君のレシピを教えようとまで言いだし(ブログを見せようとか。いやー、やめてー)、急遽作成したりもした。そして年が明け、初出社すると、うっとりとした表情で『君のおかげで年末年始、有意義に過ごせた』『君のレシピを合間に入れると胃が持たれない』など語られ、『うちの料理人が言うには、しょうゆやみそを同じものでそろえるとより味が近いらしいのだが、用意してもらってもいいか』と提案され、早速執事が呼ばれて彼の実家に持ち帰った。同日、彼の出張先であった北海道からの土産物がどっさり届き、しばらく北海道物でつなぎ、検査の数値も向上、彼の機嫌もよかった。
ああ、あの頃は本当に幸せだったなあ・・・ だが『これからもよろしく頼むよ』と言われたのが少し引っかかった。というのもその当時は、彼の任期はあと少し、その後はアメリカに行く予定だったので、一緒に来てくれと言われていたのだ。でも私は飛行機恐怖症で、消極的だった。だけど今…そんなフライト恐怖症なんて吹き飛ぶほど強烈な衝撃に襲われている。それは言うまでもなくマヤさん…あれは絶対、マヤさんですよね…。遂に会ってしまった、きれいで、彼に抜群にお似合いだ。
何で別れたの? そんな言葉が浮かぶほど。弟の高広くんもなついていたという。
先日の鉄旅で私に悪態ついてた弟くん、彼女が現れちゃったよ。どうする? お義姉さんになるはずだった人、本命でしょ?
カラン…エアコンがきき始めた部屋に涼しげな音が響く。
レモンジンジャーシロップに炭酸を注いでジンジャーエールの出来上がり。
唯一の誉めどころと言っていい髪に櫛を通して乾かしながら。
あの人の髪もきれいだった…。
『きれいな髪だね』
あの誉め言葉の裏ではマヤさんのこと、思い出したりしてたのかなあ。
なでなでされたりも。
まあ別にだからと言って興ざめするわけではないが。
もしも会長の言葉の端々にあの人の影があるなら何となくいやだなあ。
グラスの中で氷がひとつ、音を立てて割れた。 その音が、胸の奥の何かと重なった気がした。私は、会長の名前をともしたまま、照明を消した。
翌日、会長室に上がると、会長はいつもの通り、「おはよう」
「おはようございます」
「あの後、ちゃんと帰れたか?」
「はい。…あの方が…もしかしてマヤさんですか」そう訊ねると「ああ、そうだよ」と普通に返された。
「退職の報告だよ。一区切りついたと言っていた。
それが…どうかしたかい」
そうなんだ・・・。
「別に帰らなくてもよかったのに」
でも・・怖かったし。横森さんと比較にならないくらい恐ろしいオーラ、ビシバシだった。
「君こそあの後無事に帰れたか? すぐに追いかけたが見当たらなかったので車で帰ったんだろうな?」
いつも通り過ぎてドキドキした。
わかります?
男の人って嘘をつくとき、不自然な動作しますよね? 後ろ手にしたり、手をポケットに入れたり。でも会長はそんなこともなく、いつも通りちょこっとアメリカンな仕草をしただけだった。つまり話してることは嘘じゃない。
それは確かだ。少しも動揺してない。
本当にそれだけ?と疑う余地もなく。
「じゃあ、夕方に戻るから、待っていてくれ」
「はい。いってらっしゃいませ」
そして今日は、連休前の最終日。会長はお昼をはさんでお出かけで、戻ってきて、打ち上げと称したディナーに連れていってくれる日。つまり料理も何もしなくていい、コーヒーをお出しするだけの、横森さんに知れたら発狂されそうな、膨大な時間を一人で過ごす日。
私は、お見送りを終え、キッチンの、自分の席について、PCを開き、ブックマークの底に沈んでいたマヤさんのブログにアクセスした。
彼は彼で、『長い休みが憂鬱だ』、とため息を漏らし、『なあ、君、東京に残らないか』と意味深なことを言われた。『君の料理はどこに行けば食べられるんだ』とか。 そしてあげくの果てに実家の厨房のシェフに君のレシピを教えようとまで言いだし(ブログを見せようとか。いやー、やめてー)、急遽作成したりもした。そして年が明け、初出社すると、うっとりとした表情で『君のおかげで年末年始、有意義に過ごせた』『君のレシピを合間に入れると胃が持たれない』など語られ、『うちの料理人が言うには、しょうゆやみそを同じものでそろえるとより味が近いらしいのだが、用意してもらってもいいか』と提案され、早速執事が呼ばれて彼の実家に持ち帰った。同日、彼の出張先であった北海道からの土産物がどっさり届き、しばらく北海道物でつなぎ、検査の数値も向上、彼の機嫌もよかった。
ああ、あの頃は本当に幸せだったなあ・・・ だが『これからもよろしく頼むよ』と言われたのが少し引っかかった。というのもその当時は、彼の任期はあと少し、その後はアメリカに行く予定だったので、一緒に来てくれと言われていたのだ。でも私は飛行機恐怖症で、消極的だった。だけど今…そんなフライト恐怖症なんて吹き飛ぶほど強烈な衝撃に襲われている。それは言うまでもなくマヤさん…あれは絶対、マヤさんですよね…。遂に会ってしまった、きれいで、彼に抜群にお似合いだ。
何で別れたの? そんな言葉が浮かぶほど。弟の高広くんもなついていたという。
先日の鉄旅で私に悪態ついてた弟くん、彼女が現れちゃったよ。どうする? お義姉さんになるはずだった人、本命でしょ?
カラン…エアコンがきき始めた部屋に涼しげな音が響く。
レモンジンジャーシロップに炭酸を注いでジンジャーエールの出来上がり。
唯一の誉めどころと言っていい髪に櫛を通して乾かしながら。
あの人の髪もきれいだった…。
『きれいな髪だね』
あの誉め言葉の裏ではマヤさんのこと、思い出したりしてたのかなあ。
なでなでされたりも。
まあ別にだからと言って興ざめするわけではないが。
もしも会長の言葉の端々にあの人の影があるなら何となくいやだなあ。
グラスの中で氷がひとつ、音を立てて割れた。 その音が、胸の奥の何かと重なった気がした。私は、会長の名前をともしたまま、照明を消した。
翌日、会長室に上がると、会長はいつもの通り、「おはよう」
「おはようございます」
「あの後、ちゃんと帰れたか?」
「はい。…あの方が…もしかしてマヤさんですか」そう訊ねると「ああ、そうだよ」と普通に返された。
「退職の報告だよ。一区切りついたと言っていた。
それが…どうかしたかい」
そうなんだ・・・。
「別に帰らなくてもよかったのに」
でも・・怖かったし。横森さんと比較にならないくらい恐ろしいオーラ、ビシバシだった。
「君こそあの後無事に帰れたか? すぐに追いかけたが見当たらなかったので車で帰ったんだろうな?」
いつも通り過ぎてドキドキした。
わかります?
男の人って嘘をつくとき、不自然な動作しますよね? 後ろ手にしたり、手をポケットに入れたり。でも会長はそんなこともなく、いつも通りちょこっとアメリカンな仕草をしただけだった。つまり話してることは嘘じゃない。
それは確かだ。少しも動揺してない。
本当にそれだけ?と疑う余地もなく。
「じゃあ、夕方に戻るから、待っていてくれ」
「はい。いってらっしゃいませ」
そして今日は、連休前の最終日。会長はお昼をはさんでお出かけで、戻ってきて、打ち上げと称したディナーに連れていってくれる日。つまり料理も何もしなくていい、コーヒーをお出しするだけの、横森さんに知れたら発狂されそうな、膨大な時間を一人で過ごす日。
私は、お見送りを終え、キッチンの、自分の席について、PCを開き、ブックマークの底に沈んでいたマヤさんのブログにアクセスした。
16
あなたにおすすめの小説
今さらやり直しは出来ません
mock
恋愛
3年付き合った斉藤翔平からプロポーズを受けれるかもと心弾ませた小泉彩だったが、当日仕事でどうしても行けないと断りのメールが入り意気消沈してしまう。
落胆しつつ帰る道中、送り主である彼が見知らぬ女性と歩く姿を目撃し、いてもたってもいられず後を追うと二人はさっきまで自身が待っていたホテルへと入っていく。
そんなある日、夢に出てきた高木健人との再会を果たした彩の運命は少しずつ変わっていき……
行き遅れのお節介令嬢、氷の公爵様と結婚したら三人娘の母になりました
鳥柄ささみ
恋愛
お節介焼きで困っている人を放っておけないシアは、数多のご令嬢達から人気の令嬢だ。毎日ファンレターが届き、社交界に出れば令嬢に取り囲まれるほどである。
けれど、それに反比例するように男性からの人気はなく、二十七だというのに嫁の貰い手もないため、毎日母から小言をもらっていた。
そんなある日のこと、突然公爵家から縁談の話が。
シアは公爵家がなぜ自分に縁談など持ち掛けるのかと訝しく思いつつ話を受けると、なんと公爵の後妻として三人の娘の母代わりになれと言われる。
困惑するも、自分へ縁談を持ちかけた理由を聞いて、お節介なシアは嫁ぐこと決めたのだった。
夫になるレオナルドはイケメンなのに無表情で高圧的。三人の娘も二女のアンナを除いて長女のセレナも三女のフィオナもとても反抗的。
そんな中でもお節介パワーを発揮して、前向きに奮闘するシアの物語。
※他投稿サイトにも掲載中
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
妖狐の嫁入り
山田あとり
恋愛
「――おまえを祓うなどできない。あきらめて、俺と生きてくれ」
稲荷神社の娘・遥香(はるか)は、妖狐の血をひくために狐憑きとさげすまれ、ひっそり生きてきた。
ある日、村八分となっている遥香を探して来たのは怨霊や魔物を祓う軍人・彰良(あきら)。
彼は陰陽師の名門・芳川家の男だった。
帝国陸軍で共に任務にあたることになった二人だったが、実は彰良にもある秘密が――。
自己評価は低いが芯に強さを秘める女が、理解者を得て才能を開花させる!
&
苦しみを抱え屈折した男が、真っ直ぐな優しさに触れ愛を知る!
明治中期風の横浜と帝都を駆ける、あやかし異能ロマンス譚です。
可愛い妖怪・豆腐小僧も戦うよ!
※この作品は、カクヨム・小説家になろうにも掲載しています
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
【完結】僻地の修道院に入りたいので、断罪の場にしれーっと混ざってみました。
櫻野くるみ
恋愛
王太子による独裁で、貴族が息を潜めながら生きているある日。
夜会で王太子が勝手な言いがかりだけで3人の令嬢達に断罪を始めた。
ひっそりと空気になっていたテレサだったが、ふと気付く。
あれ?これって修道院に入れるチャンスなんじゃ?
子爵令嬢のテレサは、神父をしている初恋の相手の元へ行ける絶好の機会だととっさに考え、しれーっと断罪の列に加わり叫んだ。
「わたくしが代表して修道院へ参ります!」
野次馬から急に現れたテレサに、その場の全員が思った。
この娘、誰!?
王太子による恐怖政治の中、地味に生きてきた子爵令嬢のテレサが、初恋の元伯爵令息に会いたい一心で断罪劇に飛び込むお話。
主人公は猫を被っているだけでお転婆です。
完結しました。
小説家になろう様にも投稿しています。
英雄の番が名乗るまで
長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。
大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。
※小説家になろうにも投稿
ブスすぎて嫁の貰い手がないから閨勤侍女になれと言われたので縁を切ります、完全に!完全縁切りの先にあったのは孤独ではなくて…
ハートリオ
恋愛
ルフスは結婚が決まった従姉の閨勤侍女になるよう父親に命令されたのをきっかけに父に無視され冷遇されて来た日々を終わらせようとブラコン父と完全に縁を切る決意する。
一方、従姉の結婚相手はアルゲンテウス辺境伯とのことだが、実は手違いがあって辺境伯が結婚したいのはルフス。
そんなこんなの異世界ファンタジーラブです。
読んでいただけると嬉しいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる