会長にコーヒーを☕

シナモン

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9話 残り香

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 やっぱり、指輪なんて軽々しく交換するものではない。あんなに若い子でもわかっているのに俺は…。

「きみは、あの頃の夢に浸っているだけだ」

 幾度目かのランチの席で、会長は、マヤの目を見据えながら言った。ホテル内のカジュアルレストランで、広々として、人目に付きやすい場所だが、気にしたことはなかった。利便性と清潔さを優先させれば自然といきつく場所だろう。

「そうよ。いいじゃない、何もなければあのまま結婚していたのよ」

「そうだったかもしれない。だが、それが長く続くかどうかは疑問だよ」

「そんなことはないわ」

 どんなにあの頃の思い出を語られても、成明にはすでに遠い日にしか感じなかった。記憶を探って思い出そうとする行為がある意味苦痛に感じられるほどになってしまった。

「楽しい思い出よ。あなただってそうだったでしょう」

 そうだったのだろうが、月日とともに移り変わる、刷新されていく。彼女は、あの頃のままなのか。

「君はずっと、ニューヨークの続きを夢見てるんじゃないか。それが悪いとは言わないが」

「ええ…あの頃のあなた、本当に素敵だった。あなたも私にそう言ってくれたわ」

「確かに…否定はしないよ。だが、君が俺に期待してるものは、もう俺の中にはないかもしれない」

「…そんな言い方しないで」

「思い出にふけるとはそんなにいいか? 今を見ようとしないのか」

「何がいけないの?それが普通でしょ、悲しい思い出ばかりでは生きていけないわ」

「普通かどうかなんて、問題じゃないよ。苦しくないのか」

 悲しい思い出から目を逸らして積み重ねた“普通”が、今の彼女を縛ってる…そうだとしたら?

「そんなふうに言わないで。まだ私を責めるの?」

「責めてるんじゃない。君のことはよくわかる…。 君だけが、あの街の窓辺に立ち続けてるような気がする」

「そうよ、いけない?」忘れたことはないわ。フィフスも裏道も、何もかも…今すぐ戻りたいくらいよ。

「君が戻ろうとしているのは、思い出じゃなく、“証明”じゃないか?あの時間が本物だったと示したいだけじゃないか?」

「だからそれの何が悪いのよ。あれがなかったら、今の私はないのよ」

「君がどれだけ苦しんでいたか、わかってるよ」

「私は、幸せだったあの時間に戻りたいだけよ、何も変わってないの」

「そうだね。悪いが俺は付き合えない。ただの世間話ならと思っていたが、もう無理だ」

「そんな言い方しないで…」

「俺は俺だ。今とこれからにしか、意味を見出せないつまらない男さ。それが嫌だというなら、そもそも合ってないんだよ。俺のことはあきらめてくれ」

「成明、謝るわ、友達でいいから一緒にいて…お願い」マヤはハッとした。いけない、また、先を急いでしまった?

「俺が悪かった」

「え?」

「俺が悪かったよ。君にひどいことをした」

「じゃあ…」喜んでいいはずの言葉だった。

「もうこれきりにしよう」さっと彼は立ち上がり、勘定を済ませ出て行った。

 テーブルには手つかずのサンドウィッチが置かれたままだ。

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