歩く15億の花嫁~契約婚約から始まるオフィス・シンデレラ~

YOR

文字の大きさ
25 / 26
第3章:仮面のオフィス・組織に飼われる恋

第25話:プライドの代償

しおりを挟む


午後の副社長室には、午前中とは違う、どこか穏やかな空気が流れていた。手首に残った熱も、瑛斗がボソッと言った「ちょうど良かった」という言葉も、私の胸の奥をずっと温めている。

(No.4のノート、もっとたくさん書き加えたいな……)

そんな淡い期待を抱きながら、私は資料のファイリングに没頭していた。けれど、その平穏は、激しく扉が開かれる音と共に一瞬で砕け散った。

「失礼いたしますわ」

入ってきたのは、午前中よりもさらに気合の入った装いの涼子だった。涼子は瑛斗には見向きもせず、真っ直ぐに私のデスクへと歩み寄ってくる。その手には、何やら豪華な刺繍が施された招待状が握られていた。

「水野さん、これ。副社長にお渡ししておいてくださる?」
「これは……?」
「来週のチャリティー・ガラのインビテーションよ。もちろん、瑛斗様はこの私、佐伯涼子がエスコート役として出席致しますの。ご両家の間で内定しておりますのよ」

涼子は、わざとらしく私の目の前でそのカードをひらつかせた。午前中のお茶の件で受けた屈辱を、今度は家柄と社交という、私には逆立ちしても勝てない土俵で晴らそうとしているのが見え見えだった。

「……かしこまりました」
「あら、そんな事務的な態度でいいのかしら?あなた、一応は神谷家の仮の許嫁なのでしょう?こういう場所での振る舞い、何一つ教えてもらえていないのかしら?」

涼子の目が、獲物を見つけた蛇が口を開けて今にも飛びかかってきそうなほど、ギラついている。ドレスの選び方、シャンパングラスの持ち方、瑛斗の隣に立つにふさわしい血筋の矜持があるのか……と、つらつらと、一体どこからそんなに言葉が浮かんでくるのかと思うほど、涼子の話は止まらない。

挙句の果てには、「あなたはお茶を淹れるのが精一杯のお手伝いさんではありませんこと」とまで吐き捨てられた。

(……痛いところを、突いてくる)

心のどこかで冷めた自分が囁く。この人とは一生関わりたくないという強烈な気持ち。育ちや血筋を盾にして、平気で人を傷つける。こういう高飛車な人とは、友達になるどころか、同じ言語で会話をする気にもなれない。反論する勇気がないというより、何を言ってもこの手の女は分厚いプライドと言うものを持っているだろうから、心には届かないだろ。

私が黙り込んでいるのを言い返せないと勘違いしたのか、涼子はさらに勝ち誇ったような笑みを浮かべる。その醜い優越感に、ただ静かに視線を外した。

「あなた、本当に瑛斗様のこと好きなのかしら?」
「……え?」
「あなたの存在は、今の瑛斗様にとってドブネズミでしかないの」

涼子の視線が、デスクでペンを動かしていた瑛斗に向く。

「……ドブネズミ」

その言葉が、耳の奥で何度もリフレインする。何も言い返せない。家柄、教養、そして瑛斗との未来。俯く私の視界で、トントン、とデスクを叩く規則的な音が止まった。

「……佐伯」

地を這うような、低い声。瑛斗がゆっくりと椅子から立ち上がった。

私は震える肩を抑え、最悪の宣告を待つように目を閉じた。

「……俺の補佐をドブネズミと呼ぶのは、侮辱しているということでいいのか?」
「えっ……」

瑛斗はデスクを回り、私のすぐ隣まで歩いてきた。そして、涼子が差し出していた招待状を、指先で無造作に弾き飛ばした。

「エスコートは不要だ。華やかな場所で誇示しなければ保てないプライドなら、そのカードと一緒にゴミ箱へ捨ててこい」
「瑛斗様!?でも、ご両家の間で……」
「部外者は、二度と一歩も立ち入れないように手配する」

瑛斗の瞳には、ランチの時に見せた柔らかさはどこへやら。でも、かばってくれたことを素直に嬉しいと感じさせる言葉だった。

涼子はあまりの形相に言葉を失い、顔を青ざめさせて後ずさった。

「瑛斗様、それはあんまりですわ」

逃げるように部屋を飛び出していくヒールの音が消えると、再び部屋に沈黙が戻った。

私は、足元に落ちた招待状を拾おうとして、指先が震えていることに気づいた。そんな私の手に、瑛斗の視線が注がれる。

「……奈月。アイツの言葉を真に受けるな」
「……すみません」
「奈月は、俺のシンデレラだ。俺がエスコートする」

瑛斗はそう言って、私の頭をわちゃわちゃと、ぐしゃぐしゃと、いたわるように触り、一度だけポンと叩いた。

「午後の会議資料の続きだ。十五分後に会議室へ運べ」
「……はいっ」

自席で待機と言われ、この先どうなるかと不安があったけども、お昼休憩と言いこのシンデレラと言い、少しだけ瑛斗と距離を縮めれた。

瑛斗は何事もなかったかのように自分のデスクへと戻っていった。私は拾い上げた招待状を見つめながら、さっき涼子に言われた質問を心の中で繰り返す。

(本当に、好きなのかしら?)

ドクン、ドクンと心の臓が踊っている。守られた嬉しさと、自分自身の不甲斐なさ。私は、No.4のノートをそっと開き、まだ余白だらけのページをじっと見つめた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

大嫌い!って100回言ったら、死ぬほど好きに変わりそうな気持ちに気付いてよ…。

菊池まりな
恋愛
25歳の朱里は、同じ部署の先輩・嵩にずっと片想いをしていた。けれども不器用な朱里は、素直に「好き」と言えず、口から出るのはいつも「大嫌い」。彼女のツンデレな態度に最初は笑って受け流していた嵩も、次第に本気で嫌われていると思い込み、距離を置き始める。 そんな中、後輩の瑠奈が嵩に好意を寄せ、オープンに想いを伝えていく。朱里は心の奥で「私は本当は死ぬほど好きなのに」と叫びながらも、意地とプライドが邪魔をして一歩踏み出せない。 しかし、嵩の転勤が決まり、別れが迫ったとき、朱里はついに「大嫌い」と100回も繰り返した心の裏にある“本音”を告白する決意をする――。

【書籍化】小さな恋のトライアングル

葉月 まい
恋愛
OL × 課長 × 保育園児 わちゃわちゃ・ラブラブ・バチバチの三角関係 人づき合いが苦手な真美は ある日近所の保育園から 男の子と手を繋いで現れた課長を見かけ 親子だと勘違いする 小さな男の子、岳を中心に 三人のちょっと不思議で ほんわか温かい 恋の三角関係が始まった *✻:::✻*✻:::✻* 登場人物 *✻:::✻*✻:::✻* 望月 真美(25歳)… ITソリューション課 OL 五十嵐 潤(29歳)… ITソリューション課 課長 五十嵐 岳(4歳)… 潤の甥

【完結】溺愛予告~御曹司の告白躱します~

蓮美ちま
恋愛
モテる彼氏はいらない。 嫉妬に身を焦がす恋愛はこりごり。 だから、仲の良い同期のままでいたい。 そう思っているのに。 今までと違う甘い視線で見つめられて、 “女”扱いしてるって私に気付かせようとしてる気がする。 全部ぜんぶ、勘違いだったらいいのに。 「勘違いじゃないから」 告白したい御曹司と 告白されたくない小ボケ女子 ラブバトル開始

思わせぶりには騙されない。

ぽぽ
恋愛
「もう好きなのやめる」 恋愛経験ゼロの地味な女、小森陸。 そんな陸と仲良くなったのは、社内でも圧倒的人気を誇る“思わせぶりな男”加藤隼人。 加藤に片思いをするが、自分には脈が一切ないことを知った陸は、恋心を手放す決意をする。 自分磨きを始め、新しい恋を探し始めたそのとき、自分に興味ないと思っていた後輩から距離を縮められ… 毎週金曜日の夜に更新する予定ですが、時々お休み挟みます

僕ら二度目のはじめまして ~オフィスで再会した、心に残ったままの初恋~

葉影
恋愛
高校の頃、誰よりも大切だった人。 「さ、最近はあんまり好きじゃないから…!」――あの言葉が、最後になった。 新卒でセクハラ被害に遭い、職場を去った久遠(くおん)。 再起をかけた派遣先で、元カレとまさかの再会を果たす。 若くしてプロジェクトチームを任される彼は、 かつて自分だけに愛を囁いてくれていたことが信じられないほど、 遠く、眩しい存在になっていた。 優しかったあの声は、もう久遠の名前を呼んでくれない。 もう一度“はじめまして”からやり直せたら――そんなこと、願ってはいけないのに。 それでも—— 8年越しのすれ違いは、再会から静かに動き出す。 これは、終わった恋を「もう一度はじめる」までの物語。

会長にコーヒーを☕

シナモン
恋愛
やっと巡ってきた運。晴れて正社員となった私のお仕事は・・会長のお茶汲み? **タイトル変更 旧密室の恋**

ワケあり上司とヒミツの共有

咲良緋芽
恋愛
部署も違う、顔見知りでもない。 でも、社内で有名な津田部長。 ハンサム&クールな出で立ちが、 女子社員のハートを鷲掴みにしている。 接点なんて、何もない。 社内の廊下で、2、3度すれ違った位。 だから、 私が津田部長のヒミツを知ったのは、 偶然。 社内の誰も気が付いていないヒミツを 私は知ってしまった。 「どどど、どうしよう……!!」 私、美園江奈は、このヒミツを守れるの…?

駆け出しご当地アイドルがヤクザに一目惚れされた話

一ノ瀬ジェニファー
恋愛
ド田舎の道の駅で、持ち歌もグッズもないまま細々と活動を続けるご当地アイドル・桜あかり(16)。 夢は大きく武道館!……と言いたいところだけど、今はレジ打ちもこなす「なんでもできるマルチな地底アイドル」。 そんな彼女に、ある日転機が訪れる。 地元の道の駅がテレビで紹介され、あかりの笑顔が全国放送で流れたのだ。 その映像を東京で目にしたのが、幸村 静(ゆきむら しずか)。 見た目は完璧、物腰も柔らか──けれどその正体は、裏の世界の男だった。 「会いたいから」というシンプルすぎる理由で、あかりに会いに片道10時間を車で会いに来た。 謎のヲタク知識もを引っ提げて、推し活(という名の執着)が始まる……! これは、アイドルを夢見る少女と、厄介オタクなヤクザの、ピュアで不穏でちょっと笑える物語。

処理中です...