月が導く異世界道中

あずみ 圭

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六章 アイオン落日編

T5

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 ところ変わって商人ギルド。
 今はまだ一つの街にすぎないツィーゲ。
 表があり裏がありよどみもあるが、全て壁で囲われた内だけでの事。
 アイオンの辺境としてここを治めていた貴族は独立宣言を前に既に退去させられており、今のツィーゲには確たる行政機関というものが存在しない。
 いや、まだ存在していない。
 これが正解だ。
 現実としてツィーゲはアイオン王国からの独立を宣言し、軍事力を含めた「交渉」に入っている。
 ならばそうした動きを取り仕切っているのはどんな機関で、誰が属しているのか。
 答えは商人たち。
 ツィーゲで大きな発言力を持つ冒険者たちはここに含まれていない。
 彼らの在り方を思えば特におかしな事ではないし、有力な冒険者は口を出そうと思えば付き合いのある商人らに介入の意思を伝え足を運べば良い。
 街の維持や運営に最も利害関係が強いのはツィーゲでは商人らであり、街のく先を決めてきたのも彼らだ。
 領主として送られてくる貴族と街の折衝を行ってきたのもそう。
 そしてツィーゲの領主とは黙っている事が良しとされるよう、彼らに様々な財を与え口をつぐませてきたのも商人で間違いない。
 もうずっと前から、既にこの街は力持つ商人らによる自治が行われてきたに等しい。

「バトマ商会からの招集とは珍しいが、さて今日の議題は?」

 全員が揃ったのを確かめ、レンブラント商会代表パトリック=レンブラントが上座から言葉を発する。
 奥に座した彼から見て前方のテーブルの左右に二人ずつ、計四人がギルドの一室に集っていた。
 ここは商人ギルドにおいて技術の粋を尽くされた、冒険者ギルドに負けないセキュリティを誇る二部屋の内一つ。
 広いホールの様な部屋をただ五人だけで使うという贅沢。
 それが許されるのは、ここに集まった五人、正しくは彼らが所属する五つの商会がツィーゲの商人の頂点であるからだ。
 ツィーゲの独立に向けて商人ギルドは街を一つにまとめ、多くの商会がここに名を連ねた。
 特に実績がある、長くこの街で商売をしてきた、現状でもそれなり以上の力を持つ商人らが集まり会議の上で街の方針を定めていくというのが表向きのツィーゲ。いわゆる建前。
 大体30前後が選出され議席を与えられている。
 しかし実質的には今ここにいる五つの商会がほぼ全ての大方針を決定している。

 素材市場の雄ムゾー商会。
 飲食店を取りまとめるバトマ商会。
 流通を担う最大手カプル商会。
 鍛冶を中心に多くの職人を束ねるブロンズマン商会。
 そして街最大のなんでも屋業、更には金融までも担うレンブラント商会。
 
 時の市場規模により発言力は変化するもののこの十年程は名前が変わっていない。
 それ以前は九つの商会が名を連ね、ツィーゲをまとめてきたがレンブラント商会がここに名を連ねた時からその数は五に減り、以後変わっていない。
 実質的な発言力の面でレンブラント商会がどれほど大きな力を有しているかがよくわかる。
 更に言えば素材市場や飲食業界、鍛冶職人や細工職人の分野にも昨今レンブラント商会の影が濃い。

「……まずはお集り頂いた事に感謝を」

 お決まりの社交辞令から一通りの挨拶を終えバトマ商会は議題を切り出す。

「既にご存知の方もおられるかもしれないが、近頃ツィーゲにとある噂が流れている」

 もちろん、ただの噂だけで彼らが一堂に会する事などない。
 バトマ商会の代表はレンブラントに視線を送りながら切り出した。

「荒野の蜃気楼都市と、クズノハ商会の関係について」

「クズノハ商会? 私が目をかけている所だ」

「実は蜃気楼都市とクズノハ商会、それに革命軍についてある関係を疑うに至った。お配りする資料をご覧いただきつつ、これまでに判明している情報を共有――」

 白々しいと思いながらもレンブラントは茶番に付き合う。
 ライドウが代表を務めるクズノハ商会は、ツィーゲではもう知らぬ者はいない程の商会に成長している。
 開業数年、下積み無しの商人が興した商会がこの街に土地を買い、自前の店を構える。
 ツィーゲドリームにも程がある、大成功者の典型例といっていい。
 もっともその成功は、九割九分がレンブラントとの良好な関係の産物、残りの一分は運だと一部では未だに揶揄されてもいる。
 だが初期からクズノハ商会とライドウ、幹部たちとも交流があるレンブラントは知っている。

(本当に私との関係とバックアップ、本人の運だけであれだけの成功を収められるというのなら今頃この街の有力者は私のシンパだけで埋め尽くされているよ)

 顔には出さずに今や少数派でもある一分に含まれるバトマの代表に呆れと哀れみの感情を抱くレンブラント。
 別にライドウ以外にもレンブラントが期待を寄せ、バックアップしてきた商人は大勢いる。
 だが今も店を維持しまともに残っているのは十人かそこら。
 ライドウほどの愉快なサクセスロードを突っ走った商人は彼をおいて他におらず。
 
(いや、本当のところ。レンブラント商会以上にこのツィーゲに革命の荒波を起こしたのは彼らかもしれん。今私が内々に煮詰めている構想さえ、もしかしたらライドウ君の手のひらの上で踊っているに過ぎんのやも)

 レンブラントの目から見たライドウは、はっきり言って商人としては決して優秀ではない。
 だがその志、信念は誠実そのもの。
 需要と供給の狭間に立ち、潤滑にその仲立ちを務める事で富を生み育て増やす。
 現実の生臭さを一切匂わせる事なく誠実を地で行く姿はあまりに眩しい。
 そして一見カモにしか見えない愚行を、誰に食われるでもなく最後までやり切って見せる彼の在り方。
 優秀ではないのに……一つの商人の理想形にさえ見えてくる。
 そこまで考えて、ふっとレンブラントは軽く息を吐き笑みを浮かべた。
 とまで言ってしまうのは少し持ち上げすぎか、と。
 自分の考えに自身で突っ込んだからだ。
 不意に。
 カプル商会の代表からの視線を感じてレンブラントが顔を向けると目が合った。
 
「……」

 言葉は無かったが恰幅の良い淑女レディが密かに微笑みを返してくる。
 彼女はこの議題をどう思っているのか、と一瞬興味を持ったレンブラント。

(まあこの女性は思考としてはライドウ君に近いからな。特に彼らと衝突する事もないか)

 カプル商会の代表は老齢の女性。
 商人の世界では男女に差は無い。
 ただ有能でありさえすれば良い。
 この場には一人しかいないが、世界では優秀な女商人も数多くいる。
 兼業だしそう評価して良いものかどうかは疑問も残るが、レンブラントの妻リサもまた優秀な商才を持っている。
 疑問の余地は彼女の兼業が詐欺とか窃盗とか、そんな用語も飛び交う職だという所だろう。
 まあ全ては過去の事。
 
「つまり! クズノハ商会は今よりずっと前から革命軍に通じ! 女神信仰を否定する怪しき輩と――」

 レンブラント商会とカプル商会は今後のツィーゲについてビッグプロジェクトを話し合う関係にある。
 それはここにいる五人の内また一人か二人を脱落させかねない大きな波を生み出す劇薬でもある。
 いや下手をすれば自ら起こした波にレンブラントら自身も呑まれかねない、ライドウの言葉でレンブラントの胸中に生まれた一つの構想であった。
 だがレンブラントもカプルも、語られた未来の可能性に深い笑みで応じた。
 この場にいる五人では、流通の雄カプル商会は近況においても着実に力を伸ばしている。
 無論、レンブラントもだ。
 だからこその余裕というのも彼らにはあるのかもしれない。
 一方で今熱く弁論しているバトマ商会などは一番の落ち目だった。
 確かな実績もあるし、長くここで活躍してきたのも事実。
 しかし飲食業は現在完全なる戦国時代。
 バトマの派閥も容赦なく削られ潰され、バトマ商会自身も渦中でもがいている。
 この五つの商会でバトマだけが商人同士ではなく住人相手が主体の商売をしているのも、より激しい変化に身を晒す羽目になった要因だろう。
 ライドウなら、いやリミアの勇者響であればBtoBとかBtoCという言葉を思いついたかもしれない。

「であれば! クズノハ商会代表ライドウから直接話を聞くは必然であり! 仮に革命軍、反女神信仰、蜃気楼都市のいずれとも無関係であると主張するなら彼自身が証を立てるべきだ」

 まったく。
 パトリック=レンブラントは嘆息する。
 無関係である証拠を見せろとはまた随分と無茶な事を言い出す、とレンブラントは思う。
 当然無理だ。
 いま流れている噂は出どころか出どころだけにすぐに打ち消す事も難しい。
 スラムや弱者を中心にまるで救世主伝説が如く蔓延しだしたクズノハ商会の後ろ盾に関する噂。
 革命軍や反女神信仰にさえ同調し始める者まで現れ、早急な対処が必要になっているのも事実。
 
(問題は目的の方だな。今更ツィーゲを革命軍になびかせて、反女神などという大それたものまで一緒くたにする理由が読めん。バトマのように、クズノハ商会が有している蜃気楼都市産の物資調達の秘密をつまびらかにさせ。あわよくば飲食業から食材方面への事業拡大を成し遂げる。そんなサルでも読めそうな展望なら楽なんだが)
 
 大体、商会がぐらついているのは純粋にお前の無能が理由だろうに。
 レンブラントは心中でバトマをぶった切る。
 案の定、バトマ商会代表はこの機会にクズノハ商会だけが独占している蜃気楼都市との交易について街で積極的にかかわるべきだと言い出した。
 中でも食材関連はバトマ率いる群商会ぐんしょうかいが一手に引き受ける用意があるとも。
 
(阿呆だな。食材とはいえ荒野を介するものならムゾーが黙っている筈がなかろうに)

 そしてムゾー商会代表が当然の様に反論。
 飲食業界が口を出さずとも荒野からの食材はウチが責任をもって引き受け振り分けると。
 料理人と市場は現状で十分上手くやれているのに余計な手を入れないでもらいたいと。
 次々に、妥当な反論が繰り出される。
 バトマからの返球は唸り声。
 話にならないとはこの事だろう。

(クズノハ商会が荒野からの希少素材に混ぜて初見の食材を少量ずつ流し出した時にこうした根回しをするなり、直接彼らと交渉、まあ脅しでもだが、してみせるのならまだ骨のある男だと評価しても良かったが……)

 街の方針を決めるのに五つの商会が同等の発言力を持っているなど、面倒でしかない。
 機を見るに敏。
 商人としても政治を担う物としてもそう在りたいと思っているレンブラントにとって、少し前までここにいる連中の存在は邪魔でしかなかった。今は少し事情が違うが。
 だから他の四つに対して対抗馬になり得る優秀な商人を支援してみたり、例えば市場バランスに関わるネタを一方にだけ供給するなど力を削ぐ種を常にき続けてみたり。
 バトマ商会は見事にはまった例だった。
 もっともレンブラント自身も、ツィーゲにここまで急激な発展の波が来るとは想像していなかったし、まさかたかが数年でここに名を連ねる商会が凋落するとは思ってもみなかった。

「可愛がられている商会だとは存じております。しかし新参の商人がこれほどまでに街を騒がせ、迷惑をかけたのだから、ここは同意していただけますなレンブラント商会代表?」

「……ふぅ」

「では」

「話にならん」

 ため息を首肯と受け取ったバトマ商会代表に、間髪入れずにレンブラントは言葉を割り込ませた。

「なっ」
 
「ここに集まった商会代表の方々に時間を作って頂くのは心苦しくもあるが、指摘させて頂こう。バトマ商会代表の認識は残念ながら致命的に間違っている。しかもだ。私が把握している情報によると、それらの噂を辿った先の大本は黄昏街」

『っ』

 好ましくない名称の出現に一同の緊張が高まる。
 バトマ商会の代表は黄昏街の関連については何も知らなかったのか表情に驚きが浮かんでいた。

「更に自らの潔白を証明すべく、クズノハ商会代表ライドウは既に黄昏街に調査に入った、との事だ」

「バカな!」

「彼からしてみれば、いわれもない噂で自分と店の看板に傷がつきかねんのだから当然といえば当然ではないかな?」

「黄昏街にギルド所属の商会が入っていくなど汚らわしい真似を!」

「汚らわしい? に先手を取られる貴方に言えた事か? 私には、結果が伴うのであれば、勇気ある行動だと思えるが」

 両者正面から視線をぶつけ合い火花が散る。
 レンブラントとバトマがクズノハ商会の行動、実績、その他さい穿うがつ論戦を始めた。
 
「あの、よろしいかしら」

 長期戦を予想させる論戦を数分で中断させたのはカプル商会の代表だった。
 ニコニコと話を聞いている風だった彼女が突然の挙手、そして発言。
 注目は一時的にカプル商会代表に集まる事になった。

「そのクズノハ商会の子の事は無事に帰ってきてからで十分間に合う事よね? だったら私から皆に聞いて欲しい話があるのだけど」

 注目する四人は一体彼女が何を言い出すのか、若干唖然とした空気の中見守る。
 そしてレンブラントがまさか、と目を見開き彼女を止めようとしたその時。
 一瞬早くカプル商会代表の口が再び開かれた。

「実は最近レンブラント君と相談している件があるの。でも、やっぱり私たちだけで相談を続けるよりここにいる皆さんとも共有した方が、絶対にと思うの」

「っ、カプルさん!!」

 堪らず声を荒げるレンブラント。
 まだ早い、彼女と共有している部分は煮詰めるどころかアイデアレベルの話だ。
 いや上手く事が運べば独立が成ると同時に手掛け、レンブラント自身の生涯をかけた大事業とする気でいたのも事実だが。
 ボンクラが混ざるこの場でお披露目するのは途轍もなく勿体ない。
 レンブラントの目が雄弁に語っていた。
 しかし老女は止まらない。
 一見何の悪気も無さそうな顔をして、面白くなりそうだと口にした老獪な女商人は至る。
 その衝撃の一言に。

「ねえ皆さん。街とは、都市とは……何かしら?」

 パトリック=レンブラントが右手で顔を覆い天井を仰ぐ。
 結果。
 この日、ツィーゲのトップ商人の間に激震が走ったのだった。

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