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第21話 アウレリオ
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「——母さんは、いつも言っていた。お前は本当は貴族の子なんだよって」
粗末なあばら家で、母親は繰り返しカイルに言っていた。お前の父親は素晴らしい貴族だ。だからいつかきっと豪華な馬車で迎えに来てくれて、家族一緒に暮らせる、とも。
痩せた細腕で、カイルの黒い髪を何度も撫でながら。
「流行病であっという間に死んじまった後……知らない貴族が俺のとこにやってきたんだ」
母親の言う通りの豪華な馬車に乗って、その貴族はやって来た。きらびやかで温かそうな、穴のひとつもあいていない衣服を身にまとった人たち。
彼らは、カイルの顔を見てすぐさま家から連れ出した。
ちらつく雪の中で、住み慣れた家が遠ざかっていく光景は、今も彼の記憶に焼き付いている。
「……それが、アルノ家だったのね」
「ああ。母さんの言ってたことは本当だったんだ、なんて。そんときは期待したよ。俺も貴族様の仲間入りだって」
でも——。
カイルはそこで言葉を区切る。それから、ふっ、とリュネから体を離し、彼女の正面を向いた。
「なあ、リュネ」
「なあに」
「俺の事、初めて見たときどう思った?」
初めて——それは、教会でのことだろうか。リュネはまばたきをして、ぱっと口を開く。
「凄く、怪我をしている」
「……あ、そうか。そうだった。じゃあ、俺の顔を初めて見たとき」
顔。リュネは改めて、カイルの顔をまじまじと眺める。
夜色の髪はつやつやと光を弾き、細い白い顔を際立たせている。すっと通った鼻筋に、薄いくちびる。
そして何より、深い琥珀色の双眸が目を引く。パーツひとつひとつの造形もさることながら、その配置もバランスも見事なものだ。
それは、神さまが利き手で描いたような。あるいは、芸術家が丹精込めて創り上げた彫像のような。
表情こそいつも不満そうだが、カイルの顔はそういった、どこか人間離れしたような美しさがある。
(そういえば……春祭りで笑った時、ちょっとびっくりするくらいだったっけ)
リュネはしばらくまなこをちらつかせ、それから慎重に言葉を選んだ。
「……ものすごく、綺麗だと思ったわ」
「だろ。どうやらアルノの奴らも、同じことを思ったらしくてな」
アルノの別邸に連れ込まれた彼は、狭い一室のみを与えられて放置されていた。最低限の衣食住こそあれ、望んでいた貴族生活とは異なる有様に、少年は疑問を抱いていた。
けれど、冬が明けて社交のシーズンが来ると、彼の『役目』があらわになったのだ。
それが、地獄の始まり。
「やたらめったら飾り付けられて、引っ張りだされて……毎日のように知らない会場で笑ってろって。遠縁の子だの、分家筋のなんだの色々言われたが、俺の役割は『ただそこで綺麗にあること』だった……人形みたいにな」
人形。
その単語にリュネは息を止める。かつて自分が、その役目だったことを思い出して、胸が苦しくなる。
ただ美しく、従順に在ることだけを求められた日々のことを。つい先ほど話していた、自分の言葉が刺さるようだ。
でも、カイルのそれは——もっと、もっと非人道的なものでは無いかと。そんな予想を裏付けるように、彼は口元を歪めて続ける。
「下手に喋ったり、粗相をすると罰を受けるんだ。装飾品が余計なことをすんなって。メシが無くなったり、暗い物置に閉じ込められたり。見えないとこなら、って殴られたりもしたな。酷いもんだろ」
言葉を失う。リュネは眉間に寄ったしわを戻せなかった。予想より、恐ろしいことが行われていたから。
カイルの判断力は、こんな環境で養われた。だって、ほんのわずかでも誤れば、酷い罰が待っている。そんな世界で、悠長に可能性なんて信じていられない。
やはりあの家は——アルノ家は今も人を喰らって生きているのだ。
「……そうして生きてると、俺ってなんなんだ? って。生きてるのか、死んでるのかもわかんなくなって。だから、剣の練習を始めたんだ。俺は生きているっていう、よりどころが欲しかった」
本物の剣を握ることは叶わず、部屋の中に捨て置かれた棒きれで彼は練習した。教える者も教本もロクにないまま。顔に傷がつく、と叱責されても、罰を受けても、彼は件を振るうことをやめなかった。
だってそれが、ただ唯一の生きている証拠だったから。
「そんなある日、噂話で聞いたんだ。『何でも赦す魔女』とやらの存在を」
「……それって」
「ああ。俺は思ったよ。こいつなら、俺のことを認めてくれるのかって。俺が、生きていてもいいって赦してくれるのかって……たとえ風の噂程度のそれでも、俺にとってはお守りみたいな存在だった」
そこでカイルは一息ついた。椅子の背に体を預け、ひらりと手を広げる。優雅でこなれた、演技のような仕草で。
「後はまあ……話した通りだ。急に密使として馬に乗せられたと思ったら、アルノの『始末屋』が俺を始末しに来て……ここまで逃げてきた」
「そして、復讐を」
「……ああ。これでもな、あの家に復讐を決めたのは、俺の人生で初めての決断だったんだぜ」
カイルは、いびつに笑う。その目は、遠くを見ていた。
「それを誰かに認めて欲しかった。赦して欲しかった。噂の『赦しの魔女』なら……きっと俺のことも赦してくれるだろうって」
結局、色々あってここまで来てるけど。
彼はへっ、と呆れるようにつぶやく。それから顔をむすっとさせると、言葉を探すようにくちびるを結んだ。
「だからまあ、その……酷いこと言ってるかもしれねえけどさ。負けんなよ、リュネ」
あんたは、俺にとってずっと希望の光だったんだから。
そう言った、彼の琥珀色が、震えるように弧を描いたから。不器用な、けれど一途なその微笑みに、リュネは思わず彼の手を取っていた。
両手から溢れる、傷やマメの目立つ指たち。彼が生きてきた証。選ぶことを許されなかった世界で、それでも選び続けてきた根拠。
セレスティアと似ている? そんな訳がない。
目の前の青年はずっと、ずっと『わたし』よりも強い。
「わたしにとっては、今のあなたは希望の光よ……アウレリオ」
アウレリオ。その名を聞いて、カイルは身構えるようにぐっと目を険しくさせた。
「……おい、名前」
「素敵な名前。あなたにとっては、嫌な思い出の方が多いかもしれないけれど。それを、教えてくれたことが嬉しい」
リュネは、カイルの手を強く包み込む。それは祈るような感覚だった。
灯火が、揺れる。繋がった二人の影をちらちらと生活感のある壁に映し出していく。
ふと、その静寂の中で、カイルが小さな声を上げた。
「……思い出した」
「なあに」
「この名前の意味。母さんが教えてくれた。せっかくだから貴族らしい名前がいいって言うのと——」
あなたの人生が、どうか光溢れるものでありますように。
「——そういう、願いが込められてること」
「……なら、もうあなたはとっくに、お母さまの願いを叶えられているわね」
「こんな人生でもか?」
カイルのまなこが揺らぐ。リュネはそれにしっかりと頷いてみせた。
「ええ。だって、ここに来てからのあなたは、光を望んで選択してきた。わたしも、周りのみんなもそれを見ていたし、だから応えた。それが、お母さまの望んだ『アウレリオ』の人生なんじゃない?」
カイルが目をしばたたかせる。何か言おうとして、唇が開いたり閉じたりする。その迷いに、リュネはそっと寄り添う。彼のためらいが、言葉となって世界を揺らすまで。
「……そう、なのか」
「きっとそうよ。あなたはもう、光の中で生きてゆける。わたしが、それを保証するわ」
風が静まる。短くなったろうそくがそっと二人を照らしている。心地よい静寂の中で、二人の感情が緩やかに溶け合うのを感じあっていた。
粗末なあばら家で、母親は繰り返しカイルに言っていた。お前の父親は素晴らしい貴族だ。だからいつかきっと豪華な馬車で迎えに来てくれて、家族一緒に暮らせる、とも。
痩せた細腕で、カイルの黒い髪を何度も撫でながら。
「流行病であっという間に死んじまった後……知らない貴族が俺のとこにやってきたんだ」
母親の言う通りの豪華な馬車に乗って、その貴族はやって来た。きらびやかで温かそうな、穴のひとつもあいていない衣服を身にまとった人たち。
彼らは、カイルの顔を見てすぐさま家から連れ出した。
ちらつく雪の中で、住み慣れた家が遠ざかっていく光景は、今も彼の記憶に焼き付いている。
「……それが、アルノ家だったのね」
「ああ。母さんの言ってたことは本当だったんだ、なんて。そんときは期待したよ。俺も貴族様の仲間入りだって」
でも——。
カイルはそこで言葉を区切る。それから、ふっ、とリュネから体を離し、彼女の正面を向いた。
「なあ、リュネ」
「なあに」
「俺の事、初めて見たときどう思った?」
初めて——それは、教会でのことだろうか。リュネはまばたきをして、ぱっと口を開く。
「凄く、怪我をしている」
「……あ、そうか。そうだった。じゃあ、俺の顔を初めて見たとき」
顔。リュネは改めて、カイルの顔をまじまじと眺める。
夜色の髪はつやつやと光を弾き、細い白い顔を際立たせている。すっと通った鼻筋に、薄いくちびる。
そして何より、深い琥珀色の双眸が目を引く。パーツひとつひとつの造形もさることながら、その配置もバランスも見事なものだ。
それは、神さまが利き手で描いたような。あるいは、芸術家が丹精込めて創り上げた彫像のような。
表情こそいつも不満そうだが、カイルの顔はそういった、どこか人間離れしたような美しさがある。
(そういえば……春祭りで笑った時、ちょっとびっくりするくらいだったっけ)
リュネはしばらくまなこをちらつかせ、それから慎重に言葉を選んだ。
「……ものすごく、綺麗だと思ったわ」
「だろ。どうやらアルノの奴らも、同じことを思ったらしくてな」
アルノの別邸に連れ込まれた彼は、狭い一室のみを与えられて放置されていた。最低限の衣食住こそあれ、望んでいた貴族生活とは異なる有様に、少年は疑問を抱いていた。
けれど、冬が明けて社交のシーズンが来ると、彼の『役目』があらわになったのだ。
それが、地獄の始まり。
「やたらめったら飾り付けられて、引っ張りだされて……毎日のように知らない会場で笑ってろって。遠縁の子だの、分家筋のなんだの色々言われたが、俺の役割は『ただそこで綺麗にあること』だった……人形みたいにな」
人形。
その単語にリュネは息を止める。かつて自分が、その役目だったことを思い出して、胸が苦しくなる。
ただ美しく、従順に在ることだけを求められた日々のことを。つい先ほど話していた、自分の言葉が刺さるようだ。
でも、カイルのそれは——もっと、もっと非人道的なものでは無いかと。そんな予想を裏付けるように、彼は口元を歪めて続ける。
「下手に喋ったり、粗相をすると罰を受けるんだ。装飾品が余計なことをすんなって。メシが無くなったり、暗い物置に閉じ込められたり。見えないとこなら、って殴られたりもしたな。酷いもんだろ」
言葉を失う。リュネは眉間に寄ったしわを戻せなかった。予想より、恐ろしいことが行われていたから。
カイルの判断力は、こんな環境で養われた。だって、ほんのわずかでも誤れば、酷い罰が待っている。そんな世界で、悠長に可能性なんて信じていられない。
やはりあの家は——アルノ家は今も人を喰らって生きているのだ。
「……そうして生きてると、俺ってなんなんだ? って。生きてるのか、死んでるのかもわかんなくなって。だから、剣の練習を始めたんだ。俺は生きているっていう、よりどころが欲しかった」
本物の剣を握ることは叶わず、部屋の中に捨て置かれた棒きれで彼は練習した。教える者も教本もロクにないまま。顔に傷がつく、と叱責されても、罰を受けても、彼は件を振るうことをやめなかった。
だってそれが、ただ唯一の生きている証拠だったから。
「そんなある日、噂話で聞いたんだ。『何でも赦す魔女』とやらの存在を」
「……それって」
「ああ。俺は思ったよ。こいつなら、俺のことを認めてくれるのかって。俺が、生きていてもいいって赦してくれるのかって……たとえ風の噂程度のそれでも、俺にとってはお守りみたいな存在だった」
そこでカイルは一息ついた。椅子の背に体を預け、ひらりと手を広げる。優雅でこなれた、演技のような仕草で。
「後はまあ……話した通りだ。急に密使として馬に乗せられたと思ったら、アルノの『始末屋』が俺を始末しに来て……ここまで逃げてきた」
「そして、復讐を」
「……ああ。これでもな、あの家に復讐を決めたのは、俺の人生で初めての決断だったんだぜ」
カイルは、いびつに笑う。その目は、遠くを見ていた。
「それを誰かに認めて欲しかった。赦して欲しかった。噂の『赦しの魔女』なら……きっと俺のことも赦してくれるだろうって」
結局、色々あってここまで来てるけど。
彼はへっ、と呆れるようにつぶやく。それから顔をむすっとさせると、言葉を探すようにくちびるを結んだ。
「だからまあ、その……酷いこと言ってるかもしれねえけどさ。負けんなよ、リュネ」
あんたは、俺にとってずっと希望の光だったんだから。
そう言った、彼の琥珀色が、震えるように弧を描いたから。不器用な、けれど一途なその微笑みに、リュネは思わず彼の手を取っていた。
両手から溢れる、傷やマメの目立つ指たち。彼が生きてきた証。選ぶことを許されなかった世界で、それでも選び続けてきた根拠。
セレスティアと似ている? そんな訳がない。
目の前の青年はずっと、ずっと『わたし』よりも強い。
「わたしにとっては、今のあなたは希望の光よ……アウレリオ」
アウレリオ。その名を聞いて、カイルは身構えるようにぐっと目を険しくさせた。
「……おい、名前」
「素敵な名前。あなたにとっては、嫌な思い出の方が多いかもしれないけれど。それを、教えてくれたことが嬉しい」
リュネは、カイルの手を強く包み込む。それは祈るような感覚だった。
灯火が、揺れる。繋がった二人の影をちらちらと生活感のある壁に映し出していく。
ふと、その静寂の中で、カイルが小さな声を上げた。
「……思い出した」
「なあに」
「この名前の意味。母さんが教えてくれた。せっかくだから貴族らしい名前がいいって言うのと——」
あなたの人生が、どうか光溢れるものでありますように。
「——そういう、願いが込められてること」
「……なら、もうあなたはとっくに、お母さまの願いを叶えられているわね」
「こんな人生でもか?」
カイルのまなこが揺らぐ。リュネはそれにしっかりと頷いてみせた。
「ええ。だって、ここに来てからのあなたは、光を望んで選択してきた。わたしも、周りのみんなもそれを見ていたし、だから応えた。それが、お母さまの望んだ『アウレリオ』の人生なんじゃない?」
カイルが目をしばたたかせる。何か言おうとして、唇が開いたり閉じたりする。その迷いに、リュネはそっと寄り添う。彼のためらいが、言葉となって世界を揺らすまで。
「……そう、なのか」
「きっとそうよ。あなたはもう、光の中で生きてゆける。わたしが、それを保証するわ」
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