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第22話 夜明け前
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「そういえばなんだけど」
リュネは、ほとんど溶けきったろうそくの火を移し替えながら口を開いた。
「あなたのこと、これからどう呼べばいい? カイルなのか、アウレリオなのか」
『カイル』という名が偽名なら、正しい名前で呼ぶのが礼儀というものだ。しかし、彼の過去から考えて、本名の『アウレリオ』には複雑な思いがあるはずだろう。
リュネの問いかけに、カイルはしばらく椅子にもたれてじっとしていた。が、
「……カイルでいいよ。この村では、俺はカイルだから。急に違う名前で呼び出したら、他の奴らが変に思うだろ」
彼は選んだ。その目に迷いは無い。
「じゃあ、そうするわ。改めてよろしくね、カイル」
「まあ……俺らだけのときなら、好きに呼べばいいけど。俺は俺だからな」
そう言って、カイルはすんと鼻を鳴らした。結んだ口元は頑なだが、それは決して以前の、どの意見も聞き入れない頑なさではない。
「……見習わなくっちゃなあ」
アルノ家に抗うことは、正直まだ怖い。というより、考えることすら難しい。何せ相手は大貴族。それも昔から——言いなりだったセレスティアの頃から、歯向かうことなんてした事の無いのだから。
出来るか、分からない。間違えたら死んでしまうかもしれない。他の人に迷惑がかかるかもしれない。
分からない。分からないから、怖い。
けれど。
(それがきっと、わたしのための選択になるはずだから)
「——なあ、リュネ」
「なあに」
長い夜を支えるろうそくは、頼りなく、けれど確かに燃えている。カイルの顔はその明かりに照らされ、光と影がちららと細かく入り交じっていた。
「前に、あんたは言ったよな。『どういうふうに生きてみたいのか』って。可能性とか、未来とか」
「そうね」
「俺は……俺は、自由に生きたい」
自由。その単語を口にした彼は——ただまっすぐ顔を上げていた。膝の上で握られた拳は、かすかに震えている。
「何かに縛られず、俺の意思で選択する人生を生きたいって……そう思ったんだ、けど、よ」
開いた、彼の指がわななく。言葉はそこで途切れ、彼はくちびるを結んだ。
「……復讐っていう手段は、それに必要なのかって。そりゃ、アルノの奴らは憎いし殺してやりたいとも思ってる。あんたの話を聞いて、余計に腹が立ったさ。でも」
伏せられていた、カイルの目が、もう一度リュネを見つめた。その、強い光に飲み込まれる。
「——あの家にも、子どもがいるだろう。別に俺みたいなのじゃなくても、ここの村みたいな、ちびっこいの。そうしたら、殺したいのか、わかんなくなっちまった」
それが、彼の迷いなのだ、と。リュネは思わずまばたきをしていた。目の前の青年の顔は、もはやかつてアルノに関わるものを皆殺しにすると誓ったものではない。
リュネがアルノ家に抗うことを迷うように、彼もまた復讐を迷っている。
カイルはくつくつと笑い、大仰に椅子の背にもたれかかった。
「なあ、リュネ。これが、あんたの言う『選ぶ』ってことなんだろう。難しくて、分かんなくて、もう頭がぶっ壊れそうだ」
「……そうね」
選ぶことは、難しい。誰かの言う通りにしている方が、ずっと楽だ。リュネだって何度も、何度もそう思った。魔女として生きることも、赦し続けることも。今だってまさに。
セレスティアを赦すことを、決めた日からずっと。
「でもさ、あんたはどんな俺でも、赦してくれる」
「……あなたは、どんなわたしでも、赦してくれる」
目が合う。琥珀のまなこ。それが、くしゃんと弾むように弧を描いた。つられるように、リュネも笑う。微笑むんじゃなくて、こぼれたように。
「見届けてくれよ」
「もちろん。時には、支え合っていきましょう」
「なんか、変な気分だ」
「ほんと。こんなの初めて。だけど」
勇気が湧いてくる。
言葉が重なった。これまで感じたことの無かった感情。きっとこれを、『勇気』と呼ぶのだろう。
絶対的な味方がいるという、心強さ。背中を預けられる安心さ。手にする未来を思う希望。
そして何より、自分の道を貫きたいと思える、強い意思。
締め切った窓の外はまだ暗い。けれど、小鳥のさえずりがちりちりと舞い込んでくる。それは、長い夜に終わりを告げるようだった。
☆☆☆
「侯爵閣下。書状が届きました」
ルシアンはひとつも体を動かさずに、読み上げられた文章を頭の中で反芻する。
まずは正式な手段を取ったが……予想に反して、領主は魔女の引渡しを拒んだ。
「……あの領主、気の小ささの割に抵抗するな」
「やはり、閣下が気にするような存在ではないのでは? 魔女という呼び名も『薬屋の女』ほどの意味しかないと」
臣下は不思議そうにつぶやく。実際、何も知らない者からすれば、ルシアンの動きは妙なものに映るのだろう。
(あまり時間をかけていられないな)
「いや、もう少し『対話』しよう。もしかすると、既に魔女に惑わされているのかもしれない。ならば、彼らの為にも、正しい道に戻さなくては」
臣下の名前を呼び、ルシアンは微笑む。正しさは、我々にある。そう、勇気づけるように。
「予定通り、兵を集めておいてくれ」
「承知しました」
「……随分疲れた顔をしているね」
臣下の男の顔が固まる。ルシアンはその肩をぽんと叩いて、耳元でそっとささやいた。
「大丈夫。君が気にする事は何も無い」
そう。末端が気にするような問題は無い。警告は出した。けれど、哀れな領主は魔女に惑わされ、道を誤った。
ならば、貴族として、ひいては王家に仕える家の者として、彼らに正しき道を与える必要がある。
それに、だ。
「たかが地図から村の名前がひとつ消える程度さ。魔女の呪い……あの女の思想が蔓延することに比べれば、大した問題では無いよ」
励みたまえよ。
ルシアンはそう言い残し、執務室を去った。星の光も届かぬ暗闇で、燭台の炎がちらちらと辺りを照らしていた。
リュネは、ほとんど溶けきったろうそくの火を移し替えながら口を開いた。
「あなたのこと、これからどう呼べばいい? カイルなのか、アウレリオなのか」
『カイル』という名が偽名なら、正しい名前で呼ぶのが礼儀というものだ。しかし、彼の過去から考えて、本名の『アウレリオ』には複雑な思いがあるはずだろう。
リュネの問いかけに、カイルはしばらく椅子にもたれてじっとしていた。が、
「……カイルでいいよ。この村では、俺はカイルだから。急に違う名前で呼び出したら、他の奴らが変に思うだろ」
彼は選んだ。その目に迷いは無い。
「じゃあ、そうするわ。改めてよろしくね、カイル」
「まあ……俺らだけのときなら、好きに呼べばいいけど。俺は俺だからな」
そう言って、カイルはすんと鼻を鳴らした。結んだ口元は頑なだが、それは決して以前の、どの意見も聞き入れない頑なさではない。
「……見習わなくっちゃなあ」
アルノ家に抗うことは、正直まだ怖い。というより、考えることすら難しい。何せ相手は大貴族。それも昔から——言いなりだったセレスティアの頃から、歯向かうことなんてした事の無いのだから。
出来るか、分からない。間違えたら死んでしまうかもしれない。他の人に迷惑がかかるかもしれない。
分からない。分からないから、怖い。
けれど。
(それがきっと、わたしのための選択になるはずだから)
「——なあ、リュネ」
「なあに」
長い夜を支えるろうそくは、頼りなく、けれど確かに燃えている。カイルの顔はその明かりに照らされ、光と影がちららと細かく入り交じっていた。
「前に、あんたは言ったよな。『どういうふうに生きてみたいのか』って。可能性とか、未来とか」
「そうね」
「俺は……俺は、自由に生きたい」
自由。その単語を口にした彼は——ただまっすぐ顔を上げていた。膝の上で握られた拳は、かすかに震えている。
「何かに縛られず、俺の意思で選択する人生を生きたいって……そう思ったんだ、けど、よ」
開いた、彼の指がわななく。言葉はそこで途切れ、彼はくちびるを結んだ。
「……復讐っていう手段は、それに必要なのかって。そりゃ、アルノの奴らは憎いし殺してやりたいとも思ってる。あんたの話を聞いて、余計に腹が立ったさ。でも」
伏せられていた、カイルの目が、もう一度リュネを見つめた。その、強い光に飲み込まれる。
「——あの家にも、子どもがいるだろう。別に俺みたいなのじゃなくても、ここの村みたいな、ちびっこいの。そうしたら、殺したいのか、わかんなくなっちまった」
それが、彼の迷いなのだ、と。リュネは思わずまばたきをしていた。目の前の青年の顔は、もはやかつてアルノに関わるものを皆殺しにすると誓ったものではない。
リュネがアルノ家に抗うことを迷うように、彼もまた復讐を迷っている。
カイルはくつくつと笑い、大仰に椅子の背にもたれかかった。
「なあ、リュネ。これが、あんたの言う『選ぶ』ってことなんだろう。難しくて、分かんなくて、もう頭がぶっ壊れそうだ」
「……そうね」
選ぶことは、難しい。誰かの言う通りにしている方が、ずっと楽だ。リュネだって何度も、何度もそう思った。魔女として生きることも、赦し続けることも。今だってまさに。
セレスティアを赦すことを、決めた日からずっと。
「でもさ、あんたはどんな俺でも、赦してくれる」
「……あなたは、どんなわたしでも、赦してくれる」
目が合う。琥珀のまなこ。それが、くしゃんと弾むように弧を描いた。つられるように、リュネも笑う。微笑むんじゃなくて、こぼれたように。
「見届けてくれよ」
「もちろん。時には、支え合っていきましょう」
「なんか、変な気分だ」
「ほんと。こんなの初めて。だけど」
勇気が湧いてくる。
言葉が重なった。これまで感じたことの無かった感情。きっとこれを、『勇気』と呼ぶのだろう。
絶対的な味方がいるという、心強さ。背中を預けられる安心さ。手にする未来を思う希望。
そして何より、自分の道を貫きたいと思える、強い意思。
締め切った窓の外はまだ暗い。けれど、小鳥のさえずりがちりちりと舞い込んでくる。それは、長い夜に終わりを告げるようだった。
☆☆☆
「侯爵閣下。書状が届きました」
ルシアンはひとつも体を動かさずに、読み上げられた文章を頭の中で反芻する。
まずは正式な手段を取ったが……予想に反して、領主は魔女の引渡しを拒んだ。
「……あの領主、気の小ささの割に抵抗するな」
「やはり、閣下が気にするような存在ではないのでは? 魔女という呼び名も『薬屋の女』ほどの意味しかないと」
臣下は不思議そうにつぶやく。実際、何も知らない者からすれば、ルシアンの動きは妙なものに映るのだろう。
(あまり時間をかけていられないな)
「いや、もう少し『対話』しよう。もしかすると、既に魔女に惑わされているのかもしれない。ならば、彼らの為にも、正しい道に戻さなくては」
臣下の名前を呼び、ルシアンは微笑む。正しさは、我々にある。そう、勇気づけるように。
「予定通り、兵を集めておいてくれ」
「承知しました」
「……随分疲れた顔をしているね」
臣下の男の顔が固まる。ルシアンはその肩をぽんと叩いて、耳元でそっとささやいた。
「大丈夫。君が気にする事は何も無い」
そう。末端が気にするような問題は無い。警告は出した。けれど、哀れな領主は魔女に惑わされ、道を誤った。
ならば、貴族として、ひいては王家に仕える家の者として、彼らに正しき道を与える必要がある。
それに、だ。
「たかが地図から村の名前がひとつ消える程度さ。魔女の呪い……あの女の思想が蔓延することに比べれば、大した問題では無いよ」
励みたまえよ。
ルシアンはそう言い残し、執務室を去った。星の光も届かぬ暗闇で、燭台の炎がちらちらと辺りを照らしていた。
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