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第27話 赦されざる者
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心臓が、内側から握りしめられているみたいだった。
リュネは額の汗を指先で弾いて、喉をごくりと揺らす。ルシアンの顔は一瞬、汚らしいものを見るように歪んだが、すぐにそれを優しい貴族の仮面で隠した。
「……馬鹿げたことを。お前は一体、いつまで言い張るつもりなんだ」
ルシアンが、煩わしそうに髪をかきむしり、それから長い前髪をゆっくり撫で付ける。まるで、子どものわがままに呆れた親のように。
けれどリュネは、今にも謝り出しそうな声をぐっと飲み込んだ。その一瞬を突いて、ルシアンは畳み掛けてくる。
「いいか。お前は、セレスティアだ。死んだはずのくせに現世に現れ、おかしな名を名乗り、おかしな術で他人を惑わせて、我がアルノ家に災厄をもたらす悪魔だ」
「……違います」
「違うものか! この村の惨状を見ただろう。お前が関わるものは全て滅びる。何故か? それは、お前が本来滅びているべき存在だからだ」
かつ、かつと足音が反響する。遠くで、何か大きなものが倒れる音が聞こえた。
「あまつさえ『赦し』だのなんだのと……神にでもなったつもりか? お前は間違っている。生きていること自体誤りで、失敗で、あってはならないんだよ」
「……んな、こと」
ああ。
リュネは拳の内側で、強く爪を立てた。どうしてだか、このひとの言葉は、思考をむしばんでくる。
柔らかい、言い聞かせるような声色が、絶対の正しさを持っているかのような口調が、まるでこちらが誤っているのだと錯覚させてくるのだ。
ごめんなさい。わたしが悪かったです。
そう言えば、この苦しさから救われるような気さえしてくるから。その幻想を振り払うように、リュネは喉を震わせた。
「そんなこと……ない!」
ルシアンの眉がひくりと上がる。リュネは、はっと息を吐いて、それからまっすぐ彼の方を見つめた。首すじを汗がつう、と滑っていた。
「侯爵閣下。もう一度だけ言います。わたしは、リュネです。あなたの仰る女性とは、違う人間なのです」
「確かにわたしの行いは、神の教えに反するかもしれません……けれど、それがあなたにどう関係しているの? なぜ、領地でもないこの村を破壊し、人々の生活や命を奪ってまで、わたしを殺す意味があるの?」
気圧されるな。けれど、焦るな。綱渡りをするような心境さえ、飼い慣らせ。
(わたしは、ひとりでここに立っているわけじゃないんだから……!)
「あなたの、この村への行いは、到底許すことができない」
許せない。そう、はっきりと口にしてみれば、戸惑っていた心が、すっと一本に落ち着いたような気がした。
彼には、複雑な思いや感情が絡みすぎている。でも、事実だけ、今この場に起きた事実だけを並べてなお、やはりこの結末は揺るがない。
ルシアンは許せない。リュネとしての結論は、もう決まっていた。
「……物分かりの悪い女だなあっ!?」
「っ!」
聞いた事のない叫び声と、振り上げられた右腕。ぎゅっと目をつむれば——右肩に焼けるような衝撃が走った。
混乱を貫く、痛み。声すら上げられないままうずくまる。その腹を思い切り蹴飛ばされ、リュネは為す術もなく地面に転がった。
(なに……あつい? ちがう)
痛い。痛い痛い痛い。強い血のにおいと、鈍い腹の痛み。ちかちかする視界で黒い顔をしたルシアンが、ゆらりゆらりと近づいてくる。
「セレスティア。きみが、そんなに愚かだとは思いもしなかったよ」
「……ぅ、かっ、か」
「黙れっ!!」
血の着いた剣が振り上げられた——その瞬間に、リュネはぎゃあと悲鳴を上げていた。
右腕の感覚はもはや無く、垂れた汗が目に入って染みる。繰り返し耳元で聞こえる、何かを切り刻む音が、自分のものだと思えなかった。
「……私は兄として、アルノ家の者として、きみに罰を与えなければならない。前は火刑にしたけれど、火がだめなら水がいいかな」
ぶつぶつと言葉を口の中で転がすルシアンに、リュネはそれでも抵抗の意思で睨みつける。だが彼は、それをからからと、嘲笑するように笑ってみせた。
「あはは、悪魔のくせに顔を歪めるんだ。でも、きみのせいで命を落とした村人の方が、もっとずっと苦しかっただろうね。無謀で浅慮なきみが奪ったも同然だ」
次は足かな。
そう、つぶやいたルシアンの口角が——まるで面白がるように弧を描いていたから。焼けつくような喉を震わせて、リュネは叫んだ。
「……っ、カイル!」
思わぬ大声に、ルシアンが目を見開く。瞬間、彼の胸から血の色をした刃が生えた。
「…………は?」
がらんがらんと剣の転がる音。刺された勢いのまま、ルシアンが床に伏せる。
理解より早く訪れた衝撃に、暗い感情に支配されていた視線が、見上げた先で初めて『動揺』のようなものを見せた。
「よお、『お兄さま』。あんたをこう呼ぶのは、最初で最後だろうがな」
「なん……だ、き……さま……!」
「アウレリオ……と言っても、存じ上げないだろうなあ、あんたは」
カイルは血みどろの剣を抜き取ると、ルシアンを避けてリュネの元へと駆け寄る。上体を起こされたリュネは、幾つも刻まれた鮮血の痕に触れ、『奇跡の力』で塞いでいた。
「リュネ、平気か」
「……大丈夫。痛むけれど、魔力で埋めてる」
世界がくらつく。頭がずきずきと脈打つ。感覚が戻り始めた右腕が焼けるように痛い。
想定していたとはいえ、現実になるとは。失望にも近い感情が胸の隅に転がる。そのことに、リュネは視界が揺らめいた気がした。
(わたし、まだこのひとのこと、信じていたかったんだな……)
そうして、右の指がぴくりとでも動けるようになったころ、ルシアンが血を吐きながらどん、と地面を拳で叩いた。
「クソ……っ! クソ、クソ、クソ! 計ったな、セレスティアのくせに!」
「おいおい、クソなんて汚ねえ言葉、貴族さまが使うなよ」
「なぜ言うことを聞かない? 全て私に従えばよいものを……! なぜ……なぜ……!」
セレスティアに呪詛を吐くルシアンは、ただ濁った目でリュネを睨みつけている。彼が見ているのは、どうしたって死んだはずの妹の姿。
きっと彼の世界には、リュネも、己を刺したカイルでさえも、居ない。積もった失望が喉を締めるみたいだ。
リュネは黙って、もうここに居ない人に悪態をつくルシアンを見つめるしかできなかった。
ずっと偉大で、恐ろしくて、高いところにいるはずだった彼が、何だか酷く哀れにさえ思えたのだ。
やがて彼は、何かに気がついたのだろう。はっと目を見開いて、人間とは思えないようなぞっとする笑顔を浮かべた。
「……ああ、そうか。そういうことか。……ふふ、ならば仕方がない」
ふふふ、と笑って、ルシアンは再び大きな血の塊を吐く。青白い顔は狂気に満ち、もはや正常な判断が出来ているとは言い難い。
その震える指先が射抜くように、リュネの心臓を狙っていた。
「いいか、セレスティア。私にした、この仕打ちは許してやる……だから、村への行いを許せ……それが、お前の望みなんだろう!? 分かったよ、認めてやろう!」
このひとは——。リュネは叫んでしまいたかった。このひとは、どうして何も分かっていないんだろう。
セレスティアを殺したことも。
カイルを攫ってきていいようにした挙句、暗殺しようとしたことも。
魔女討伐を謳って村を襲ったことも。
その行いに許しを乞うのも。
他にも——他にもたくさん、たくさんの、『始末』され、表舞台に上がることのなかった悪行も。
家のため? 王のため? 『わたし』のため?
違う。
(全部、全部、あなたの保身のためじゃない……!)
感情が昂る。今にも怒鳴り散らしそうになるリュネに、カイルは何も言わない。ただ、黙って左手をぎゅっと握る。
それが、リュネを正気に留めるくさびのように。
だから、湧き上がる感情を胸の内に秘め、代わりにきゅっと指先を結び直した。
「早く答えろ……セレスティアァ!」
「……いいえ」
塞ぎきった右手を握りこみ、リュネはゆっくりと立ち上がった。カイルの手をそっと放し、ゆっくり、ゆっくりとルシアンに近づく。
しゃがんで視線を近づければ、ようやく、とでも言うみたいにその顔が緩む。
自分のそれより、ずっとずっと強く濃い血のにおい。それはもう、彼の命が消えかけていることの何よりの証拠だ。もう死の間際にいるその人に、情けをかけるべきではないか、とすら思うほど。
それでも。リュネは顔を引き締めたまま、ゆっくり口を開いた。
「……赦すことは選ぶことで、交渉じゃあないのよ」
緩んだ顔がもっと壊れて——もう取り繕うことのない感情が荒れている。
「ふ、ふざけるな……! お前は『赦しの魔女』なんだろう!? だったら」
「アルノ侯爵閣下」
スカートの裾を掴む大きな手を、指のひとつひとつを取り外しながら、リュネはまっすぐと、突き刺すように言い放つ。
「わたしは、絶対にあなたのことを赦さない」
リュネは額の汗を指先で弾いて、喉をごくりと揺らす。ルシアンの顔は一瞬、汚らしいものを見るように歪んだが、すぐにそれを優しい貴族の仮面で隠した。
「……馬鹿げたことを。お前は一体、いつまで言い張るつもりなんだ」
ルシアンが、煩わしそうに髪をかきむしり、それから長い前髪をゆっくり撫で付ける。まるで、子どものわがままに呆れた親のように。
けれどリュネは、今にも謝り出しそうな声をぐっと飲み込んだ。その一瞬を突いて、ルシアンは畳み掛けてくる。
「いいか。お前は、セレスティアだ。死んだはずのくせに現世に現れ、おかしな名を名乗り、おかしな術で他人を惑わせて、我がアルノ家に災厄をもたらす悪魔だ」
「……違います」
「違うものか! この村の惨状を見ただろう。お前が関わるものは全て滅びる。何故か? それは、お前が本来滅びているべき存在だからだ」
かつ、かつと足音が反響する。遠くで、何か大きなものが倒れる音が聞こえた。
「あまつさえ『赦し』だのなんだのと……神にでもなったつもりか? お前は間違っている。生きていること自体誤りで、失敗で、あってはならないんだよ」
「……んな、こと」
ああ。
リュネは拳の内側で、強く爪を立てた。どうしてだか、このひとの言葉は、思考をむしばんでくる。
柔らかい、言い聞かせるような声色が、絶対の正しさを持っているかのような口調が、まるでこちらが誤っているのだと錯覚させてくるのだ。
ごめんなさい。わたしが悪かったです。
そう言えば、この苦しさから救われるような気さえしてくるから。その幻想を振り払うように、リュネは喉を震わせた。
「そんなこと……ない!」
ルシアンの眉がひくりと上がる。リュネは、はっと息を吐いて、それからまっすぐ彼の方を見つめた。首すじを汗がつう、と滑っていた。
「侯爵閣下。もう一度だけ言います。わたしは、リュネです。あなたの仰る女性とは、違う人間なのです」
「確かにわたしの行いは、神の教えに反するかもしれません……けれど、それがあなたにどう関係しているの? なぜ、領地でもないこの村を破壊し、人々の生活や命を奪ってまで、わたしを殺す意味があるの?」
気圧されるな。けれど、焦るな。綱渡りをするような心境さえ、飼い慣らせ。
(わたしは、ひとりでここに立っているわけじゃないんだから……!)
「あなたの、この村への行いは、到底許すことができない」
許せない。そう、はっきりと口にしてみれば、戸惑っていた心が、すっと一本に落ち着いたような気がした。
彼には、複雑な思いや感情が絡みすぎている。でも、事実だけ、今この場に起きた事実だけを並べてなお、やはりこの結末は揺るがない。
ルシアンは許せない。リュネとしての結論は、もう決まっていた。
「……物分かりの悪い女だなあっ!?」
「っ!」
聞いた事のない叫び声と、振り上げられた右腕。ぎゅっと目をつむれば——右肩に焼けるような衝撃が走った。
混乱を貫く、痛み。声すら上げられないままうずくまる。その腹を思い切り蹴飛ばされ、リュネは為す術もなく地面に転がった。
(なに……あつい? ちがう)
痛い。痛い痛い痛い。強い血のにおいと、鈍い腹の痛み。ちかちかする視界で黒い顔をしたルシアンが、ゆらりゆらりと近づいてくる。
「セレスティア。きみが、そんなに愚かだとは思いもしなかったよ」
「……ぅ、かっ、か」
「黙れっ!!」
血の着いた剣が振り上げられた——その瞬間に、リュネはぎゃあと悲鳴を上げていた。
右腕の感覚はもはや無く、垂れた汗が目に入って染みる。繰り返し耳元で聞こえる、何かを切り刻む音が、自分のものだと思えなかった。
「……私は兄として、アルノ家の者として、きみに罰を与えなければならない。前は火刑にしたけれど、火がだめなら水がいいかな」
ぶつぶつと言葉を口の中で転がすルシアンに、リュネはそれでも抵抗の意思で睨みつける。だが彼は、それをからからと、嘲笑するように笑ってみせた。
「あはは、悪魔のくせに顔を歪めるんだ。でも、きみのせいで命を落とした村人の方が、もっとずっと苦しかっただろうね。無謀で浅慮なきみが奪ったも同然だ」
次は足かな。
そう、つぶやいたルシアンの口角が——まるで面白がるように弧を描いていたから。焼けつくような喉を震わせて、リュネは叫んだ。
「……っ、カイル!」
思わぬ大声に、ルシアンが目を見開く。瞬間、彼の胸から血の色をした刃が生えた。
「…………は?」
がらんがらんと剣の転がる音。刺された勢いのまま、ルシアンが床に伏せる。
理解より早く訪れた衝撃に、暗い感情に支配されていた視線が、見上げた先で初めて『動揺』のようなものを見せた。
「よお、『お兄さま』。あんたをこう呼ぶのは、最初で最後だろうがな」
「なん……だ、き……さま……!」
「アウレリオ……と言っても、存じ上げないだろうなあ、あんたは」
カイルは血みどろの剣を抜き取ると、ルシアンを避けてリュネの元へと駆け寄る。上体を起こされたリュネは、幾つも刻まれた鮮血の痕に触れ、『奇跡の力』で塞いでいた。
「リュネ、平気か」
「……大丈夫。痛むけれど、魔力で埋めてる」
世界がくらつく。頭がずきずきと脈打つ。感覚が戻り始めた右腕が焼けるように痛い。
想定していたとはいえ、現実になるとは。失望にも近い感情が胸の隅に転がる。そのことに、リュネは視界が揺らめいた気がした。
(わたし、まだこのひとのこと、信じていたかったんだな……)
そうして、右の指がぴくりとでも動けるようになったころ、ルシアンが血を吐きながらどん、と地面を拳で叩いた。
「クソ……っ! クソ、クソ、クソ! 計ったな、セレスティアのくせに!」
「おいおい、クソなんて汚ねえ言葉、貴族さまが使うなよ」
「なぜ言うことを聞かない? 全て私に従えばよいものを……! なぜ……なぜ……!」
セレスティアに呪詛を吐くルシアンは、ただ濁った目でリュネを睨みつけている。彼が見ているのは、どうしたって死んだはずの妹の姿。
きっと彼の世界には、リュネも、己を刺したカイルでさえも、居ない。積もった失望が喉を締めるみたいだ。
リュネは黙って、もうここに居ない人に悪態をつくルシアンを見つめるしかできなかった。
ずっと偉大で、恐ろしくて、高いところにいるはずだった彼が、何だか酷く哀れにさえ思えたのだ。
やがて彼は、何かに気がついたのだろう。はっと目を見開いて、人間とは思えないようなぞっとする笑顔を浮かべた。
「……ああ、そうか。そういうことか。……ふふ、ならば仕方がない」
ふふふ、と笑って、ルシアンは再び大きな血の塊を吐く。青白い顔は狂気に満ち、もはや正常な判断が出来ているとは言い難い。
その震える指先が射抜くように、リュネの心臓を狙っていた。
「いいか、セレスティア。私にした、この仕打ちは許してやる……だから、村への行いを許せ……それが、お前の望みなんだろう!? 分かったよ、認めてやろう!」
このひとは——。リュネは叫んでしまいたかった。このひとは、どうして何も分かっていないんだろう。
セレスティアを殺したことも。
カイルを攫ってきていいようにした挙句、暗殺しようとしたことも。
魔女討伐を謳って村を襲ったことも。
その行いに許しを乞うのも。
他にも——他にもたくさん、たくさんの、『始末』され、表舞台に上がることのなかった悪行も。
家のため? 王のため? 『わたし』のため?
違う。
(全部、全部、あなたの保身のためじゃない……!)
感情が昂る。今にも怒鳴り散らしそうになるリュネに、カイルは何も言わない。ただ、黙って左手をぎゅっと握る。
それが、リュネを正気に留めるくさびのように。
だから、湧き上がる感情を胸の内に秘め、代わりにきゅっと指先を結び直した。
「早く答えろ……セレスティアァ!」
「……いいえ」
塞ぎきった右手を握りこみ、リュネはゆっくりと立ち上がった。カイルの手をそっと放し、ゆっくり、ゆっくりとルシアンに近づく。
しゃがんで視線を近づければ、ようやく、とでも言うみたいにその顔が緩む。
自分のそれより、ずっとずっと強く濃い血のにおい。それはもう、彼の命が消えかけていることの何よりの証拠だ。もう死の間際にいるその人に、情けをかけるべきではないか、とすら思うほど。
それでも。リュネは顔を引き締めたまま、ゆっくり口を開いた。
「……赦すことは選ぶことで、交渉じゃあないのよ」
緩んだ顔がもっと壊れて——もう取り繕うことのない感情が荒れている。
「ふ、ふざけるな……! お前は『赦しの魔女』なんだろう!? だったら」
「アルノ侯爵閣下」
スカートの裾を掴む大きな手を、指のひとつひとつを取り外しながら、リュネはまっすぐと、突き刺すように言い放つ。
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