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第26話 決断
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「……それが、あなたの選択なのね」
リュネの問いかけに、カイルは力強く頷く。暗がりの中でも、その顔に迷いがないことは明白な事実だった。
彼は、ルシアンただ一人を殺すつもりなのだ。
「ああ。これでも、色々悩んだんだぜ」
けど。カイルは握りこんだ拳を震わせて、噛み締めるように口にした。
「あいつのやったことを、俺は許せない。きっとこのまま逃げたとしても、一生不自由なままだ。だから、ここで断つ。たとえ、罪を背負ったとしても」
断つ。重い刃物を振り下ろしたような声に、リュネはその気迫を感じ取った。カイルはゆっくり立ち上がると、服の裾を払いながらふっ、と口を開いた。
「なあ、リュネ。俺は、自由になりたいんだ……前にも言ったかもしれないけどさ」
「……ええ」
「あれから、考えて……それで、俺の考える自由っていうのは、『過去に囚われないこと』なんだって、気づいた」
なあ。
彼はそこで言葉を区切ると、リュネに手を差し出した。指先が迷うように揺れるのを、ぐっと力を込めて堪えているのが見て取れるほど、緊張している。
はっとして顔を上げると、彼は勇気を振り絞った子どものような顔をして、こちらを見ていた。
「俺の復讐に、乗る気はないか?」
「……っ、それ、は」
リュネは思わず視線を揺らしていた。乾いた喉の奥がひりひりと痛む。
意外だった、からではない。考えたことのある選択肢を改めて提示されて、戸惑ったのだ。
「俺は、あんたにも自由になって欲しい。大切で、大事な存在だから。当主を討ったら、あんたはもう、過去に囚われずに済む。昔のあんただって、きっと赦してくれるだろう」
過去に囚われている。背中から、ざっくりと刺された気分に、リュネは見開いた目を揺らす。
あれはまだ、カイルが来たばかりの頃。復讐を口にした彼を前にして、リュネは選ばなかった選択肢。
だって、当時は、そんなことしたくないと思っていたから。セレスティアを赦すため、自分のため、復讐という道は選んではいけないと判断したのだ。
でも、今は。
「選べよ、リュネ。自分を差し出すか、俺の復讐に乗るか、あるいは——」
カイルはそこで声を止めた。それ以上の発言は、リュネに託すとでも言うみたいに。
その信頼が痛いほど優しくて。だからリュネは、すんと鼻をすすって、目元を乱暴に指でぬぐった。
(ああ……これも『選択』だわ)
何を選べば正解だろう。みんなが幸せになれるだろう。最善と呼ばれるものはどれなんだろう。見える道がすべて正解のようにも、不正解のようにも見えてくる。
分からない。
頭の中で浮かぶ疑問たちが突き刺してくる。間違えたら、後は無いと脅してくるみたいに。心臓がきゅっとなって、息が浅くなる。ふと、村人たちの嘆きの声が耳元で聞こえた気がして、思わず目を閉じていた。
どれだ。
どうすれば。どうすれば、『正しい』のか。何が正解なのか。祈るように、指先を握り込む。
(……違う)
息が止まる。力を入れすぎて、震えていた指をだるん、と垂れさせる。脳裏には、『あの日』の業火がよみがえっていた。
罵声を浴び、炎と煙に包まれながら、死の間際にセレスティアが願ったこと。誓ったこと。
あの子が願ったことはなんだった。リュネが——『わたし』が『わたし』であるために、守りたいことはなんだった。
赦せない自分を、赦すために選んできたことは、なんだった。
(……そうね。もうわたしは、正解を選ぶんじゃなくて、誰の言いなりにもならずに、生きていけるんだった)
息を吐く。体の中身を入れ替えるみたいに。ゆっくりと伏せた目を開けば、琥珀色の双眸は変わらない光で、ただリュネを見ていた。
それが、勇気と呼ぶ感情を、思い出させてくれたから。リュネは柔らかく口角を上げた。
「……まず、あなたが、自らの意思で進む道を決めてくれたことが、とても嬉しいわ。ありがとう、カイル」
差し出された手をそっと両手で包み、リュネは静かにつぶやいた。
それは、ずっと、ずっと彼に言ってあげたかった言葉。
「あなたの復讐を赦します」
でもね。
リュネは祈りを込めた手を、そっと彼の元へと返す。骨ばった指から手を離し、ぐっと自身の胸元で拳を握った。
「わたしは、過去のわたしの行いを忘れてはならないと思う。あなたの言葉で言うなら、『囚われている』必要がある……そう思ってるの」
「……いいのかよ」
「ええ。せっかく記憶があるんだから、教訓として忘れたくない。だから……」
声が震える。ためらうように、喉の奥から息がこぼれた。
怖い。この先を口にするのが、とても怖い。今はまだ、凪いだままのカイルの目が、荒い感情に揺られることが、酷く恐ろしい。
でも——。リュネは、くちびるを噛む。
でも、知っている。そうやって、人の期待に応え続ければ、自分の意思を見失って進めば、最後は破滅しか無いのだ、と。
他人の正解を伺うのではなく、自分の選んだ道を正解にする他ないのだ。
「だから、あなたの復讐に手を貸すことはできない」
カイルの選択は赦す。けれど、協力はしない。
それは、出会った時から変化のない選択肢だ。少なくとも表面上は。暴れる心臓を何とか冷静な顔でごまかして、リュネはカイルと見合った。
彼は長く息を吐き、それからふっ、と金色のまなこの光を緩めた。
「そっ、か……。まあ、それがあんたって人間だよな……わかってたけど」
「……ありがとう。でもね、あなたをただ、ここから送り出すだけなのも、嫌だなって」
カイルの目がはっ、と見開かれる。だから、リュネはいつもの、『赦しの魔女』の笑顔で、彼にただ微笑んでみせた。
「わたしは、『赦しの魔女』として……リュネとして、あなたの復讐を見届けたい。あなたが自由を勝ち取るところを見たい。その手助けなら、いくらでもしたいって思うの」
それが、リュネの通したい『赦し』のかたちだから。
カイルの視線が忙しなく動く。動揺そのままに、指が前髪を払ったり、足先が床をつついたり。やがてむすっとした顔がほんの少しだけ崩れて、ぽつりと言葉がこぼれた。
「……本当に、いいのか」
「もちろん。言ったでしょう」
あなたの選択であれば、どんな選択をしようがわたしは赦す。
きっぱりと言い切ったその言葉に、カイルがくるんとまなこを輝かせる。
仏頂面がほどけたそれは、正に戦う勇気を得たときの顔だった。
「……策はある」
「ぜひ聞かせてちょうだい」
「ああ。まず、ルシアンをおびき寄せるために——」
そう言うと、カイルはポケットからしわくちゃのメモを取り出す。ふたりはその小さな紙面を囲んで、最初で最後の作戦会議を始めた。
遠くから炎が押し寄せる中、その部屋の中には確かな希望が生まれようとしていた。
☆☆☆
荒れ果てた教会の中。神の降臨を描いた絵の前で、リュネは祈る。それを打ち破ったのは、よく通る低い声だった。
「——神に赦しを乞うてるのか、セレスティア」
振り返る。割れた窓ガラスと、破壊され、転がされた長椅子。揺らめく炎を背に、黒い髪をつやつやと輝かせた男がいた。
「……アルノ侯爵閣下。お恐れながら、申し上げさせてください」
リュネはひざまずき、こうべを垂れた。心臓が口から飛び出してきそうだ。
「もうこれ以上、この村を襲うことをやめて、どうかお引き取りください。今ならまだ、何も無かったことにできます」
「交渉のつもりかい? こちらの返答は変わらないよ。きみが大人しく従えば済む話だ」
「それは出来かねます」
息が震える。恐怖か、あるいは気圧されているのか。指先に力を込めてただ耐えていると、じゃり、じゃりと足音が近づいてきた。
「セレスティア」
重い声。ため息混じりのその名前が、リュネの体を縛りつけるようだ。
「どうして兄さんの言うことが聞けないんだい。そんな子では無かっただろう」
「……閣下」
「またそうやって。きみは、従順で賢い子だったはずだ。何に影響されたのやら……兄としてとても恥ずかしいよ。我が王も、きっと同じことを思っている。どうするべきなのか、分かっているだろう?」
ああ。
(……それが、あなたの選択なのね。お兄さま)
ごめんね、セレスティア。
胸の内で、リュネは記憶の少女に謝る。覚悟はとうに出来ていたが、それでも謝罪せざるを得ない気持ちだったから。
ごめんね、セレスティア。
わたしきっと、今からあなたが最期まで信じていたかった人に、酷いことをしてしまうから。
「……っ、僭越ながら!」
勢いのまま立ち上がると、リュネは声を張り上げた。目の前にいるルシアンを、強く、強くにらみつけて。一瞬の静寂が、荒れた教会をつんざく。
ルシアンの濃い金色のまなこがばちりと弾けて、リュネは息を吸い込んだ。震えそうな体を奮い立たせるように、あるいは、自分に言い聞かせるみたいに、どん、と足を踏み鳴らす。
赤赤と燃える炎が、彼女の頬を照らしていた。
「わたしの名前は、リュネです。セレスティア、ではない!」
リュネの問いかけに、カイルは力強く頷く。暗がりの中でも、その顔に迷いがないことは明白な事実だった。
彼は、ルシアンただ一人を殺すつもりなのだ。
「ああ。これでも、色々悩んだんだぜ」
けど。カイルは握りこんだ拳を震わせて、噛み締めるように口にした。
「あいつのやったことを、俺は許せない。きっとこのまま逃げたとしても、一生不自由なままだ。だから、ここで断つ。たとえ、罪を背負ったとしても」
断つ。重い刃物を振り下ろしたような声に、リュネはその気迫を感じ取った。カイルはゆっくり立ち上がると、服の裾を払いながらふっ、と口を開いた。
「なあ、リュネ。俺は、自由になりたいんだ……前にも言ったかもしれないけどさ」
「……ええ」
「あれから、考えて……それで、俺の考える自由っていうのは、『過去に囚われないこと』なんだって、気づいた」
なあ。
彼はそこで言葉を区切ると、リュネに手を差し出した。指先が迷うように揺れるのを、ぐっと力を込めて堪えているのが見て取れるほど、緊張している。
はっとして顔を上げると、彼は勇気を振り絞った子どものような顔をして、こちらを見ていた。
「俺の復讐に、乗る気はないか?」
「……っ、それ、は」
リュネは思わず視線を揺らしていた。乾いた喉の奥がひりひりと痛む。
意外だった、からではない。考えたことのある選択肢を改めて提示されて、戸惑ったのだ。
「俺は、あんたにも自由になって欲しい。大切で、大事な存在だから。当主を討ったら、あんたはもう、過去に囚われずに済む。昔のあんただって、きっと赦してくれるだろう」
過去に囚われている。背中から、ざっくりと刺された気分に、リュネは見開いた目を揺らす。
あれはまだ、カイルが来たばかりの頃。復讐を口にした彼を前にして、リュネは選ばなかった選択肢。
だって、当時は、そんなことしたくないと思っていたから。セレスティアを赦すため、自分のため、復讐という道は選んではいけないと判断したのだ。
でも、今は。
「選べよ、リュネ。自分を差し出すか、俺の復讐に乗るか、あるいは——」
カイルはそこで声を止めた。それ以上の発言は、リュネに託すとでも言うみたいに。
その信頼が痛いほど優しくて。だからリュネは、すんと鼻をすすって、目元を乱暴に指でぬぐった。
(ああ……これも『選択』だわ)
何を選べば正解だろう。みんなが幸せになれるだろう。最善と呼ばれるものはどれなんだろう。見える道がすべて正解のようにも、不正解のようにも見えてくる。
分からない。
頭の中で浮かぶ疑問たちが突き刺してくる。間違えたら、後は無いと脅してくるみたいに。心臓がきゅっとなって、息が浅くなる。ふと、村人たちの嘆きの声が耳元で聞こえた気がして、思わず目を閉じていた。
どれだ。
どうすれば。どうすれば、『正しい』のか。何が正解なのか。祈るように、指先を握り込む。
(……違う)
息が止まる。力を入れすぎて、震えていた指をだるん、と垂れさせる。脳裏には、『あの日』の業火がよみがえっていた。
罵声を浴び、炎と煙に包まれながら、死の間際にセレスティアが願ったこと。誓ったこと。
あの子が願ったことはなんだった。リュネが——『わたし』が『わたし』であるために、守りたいことはなんだった。
赦せない自分を、赦すために選んできたことは、なんだった。
(……そうね。もうわたしは、正解を選ぶんじゃなくて、誰の言いなりにもならずに、生きていけるんだった)
息を吐く。体の中身を入れ替えるみたいに。ゆっくりと伏せた目を開けば、琥珀色の双眸は変わらない光で、ただリュネを見ていた。
それが、勇気と呼ぶ感情を、思い出させてくれたから。リュネは柔らかく口角を上げた。
「……まず、あなたが、自らの意思で進む道を決めてくれたことが、とても嬉しいわ。ありがとう、カイル」
差し出された手をそっと両手で包み、リュネは静かにつぶやいた。
それは、ずっと、ずっと彼に言ってあげたかった言葉。
「あなたの復讐を赦します」
でもね。
リュネは祈りを込めた手を、そっと彼の元へと返す。骨ばった指から手を離し、ぐっと自身の胸元で拳を握った。
「わたしは、過去のわたしの行いを忘れてはならないと思う。あなたの言葉で言うなら、『囚われている』必要がある……そう思ってるの」
「……いいのかよ」
「ええ。せっかく記憶があるんだから、教訓として忘れたくない。だから……」
声が震える。ためらうように、喉の奥から息がこぼれた。
怖い。この先を口にするのが、とても怖い。今はまだ、凪いだままのカイルの目が、荒い感情に揺られることが、酷く恐ろしい。
でも——。リュネは、くちびるを噛む。
でも、知っている。そうやって、人の期待に応え続ければ、自分の意思を見失って進めば、最後は破滅しか無いのだ、と。
他人の正解を伺うのではなく、自分の選んだ道を正解にする他ないのだ。
「だから、あなたの復讐に手を貸すことはできない」
カイルの選択は赦す。けれど、協力はしない。
それは、出会った時から変化のない選択肢だ。少なくとも表面上は。暴れる心臓を何とか冷静な顔でごまかして、リュネはカイルと見合った。
彼は長く息を吐き、それからふっ、と金色のまなこの光を緩めた。
「そっ、か……。まあ、それがあんたって人間だよな……わかってたけど」
「……ありがとう。でもね、あなたをただ、ここから送り出すだけなのも、嫌だなって」
カイルの目がはっ、と見開かれる。だから、リュネはいつもの、『赦しの魔女』の笑顔で、彼にただ微笑んでみせた。
「わたしは、『赦しの魔女』として……リュネとして、あなたの復讐を見届けたい。あなたが自由を勝ち取るところを見たい。その手助けなら、いくらでもしたいって思うの」
それが、リュネの通したい『赦し』のかたちだから。
カイルの視線が忙しなく動く。動揺そのままに、指が前髪を払ったり、足先が床をつついたり。やがてむすっとした顔がほんの少しだけ崩れて、ぽつりと言葉がこぼれた。
「……本当に、いいのか」
「もちろん。言ったでしょう」
あなたの選択であれば、どんな選択をしようがわたしは赦す。
きっぱりと言い切ったその言葉に、カイルがくるんとまなこを輝かせる。
仏頂面がほどけたそれは、正に戦う勇気を得たときの顔だった。
「……策はある」
「ぜひ聞かせてちょうだい」
「ああ。まず、ルシアンをおびき寄せるために——」
そう言うと、カイルはポケットからしわくちゃのメモを取り出す。ふたりはその小さな紙面を囲んで、最初で最後の作戦会議を始めた。
遠くから炎が押し寄せる中、その部屋の中には確かな希望が生まれようとしていた。
☆☆☆
荒れ果てた教会の中。神の降臨を描いた絵の前で、リュネは祈る。それを打ち破ったのは、よく通る低い声だった。
「——神に赦しを乞うてるのか、セレスティア」
振り返る。割れた窓ガラスと、破壊され、転がされた長椅子。揺らめく炎を背に、黒い髪をつやつやと輝かせた男がいた。
「……アルノ侯爵閣下。お恐れながら、申し上げさせてください」
リュネはひざまずき、こうべを垂れた。心臓が口から飛び出してきそうだ。
「もうこれ以上、この村を襲うことをやめて、どうかお引き取りください。今ならまだ、何も無かったことにできます」
「交渉のつもりかい? こちらの返答は変わらないよ。きみが大人しく従えば済む話だ」
「それは出来かねます」
息が震える。恐怖か、あるいは気圧されているのか。指先に力を込めてただ耐えていると、じゃり、じゃりと足音が近づいてきた。
「セレスティア」
重い声。ため息混じりのその名前が、リュネの体を縛りつけるようだ。
「どうして兄さんの言うことが聞けないんだい。そんな子では無かっただろう」
「……閣下」
「またそうやって。きみは、従順で賢い子だったはずだ。何に影響されたのやら……兄としてとても恥ずかしいよ。我が王も、きっと同じことを思っている。どうするべきなのか、分かっているだろう?」
ああ。
(……それが、あなたの選択なのね。お兄さま)
ごめんね、セレスティア。
胸の内で、リュネは記憶の少女に謝る。覚悟はとうに出来ていたが、それでも謝罪せざるを得ない気持ちだったから。
ごめんね、セレスティア。
わたしきっと、今からあなたが最期まで信じていたかった人に、酷いことをしてしまうから。
「……っ、僭越ながら!」
勢いのまま立ち上がると、リュネは声を張り上げた。目の前にいるルシアンを、強く、強くにらみつけて。一瞬の静寂が、荒れた教会をつんざく。
ルシアンの濃い金色のまなこがばちりと弾けて、リュネは息を吸い込んだ。震えそうな体を奮い立たせるように、あるいは、自分に言い聞かせるみたいに、どん、と足を踏み鳴らす。
赤赤と燃える炎が、彼女の頬を照らしていた。
「わたしの名前は、リュネです。セレスティア、ではない!」
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