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第25話 その手は離さない
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滲み上がる赤色を背にした黒い影。その上部で、金色の目が、リュネを見ている。走ってきたのか、肩が激しく上下していた。
「全然見かけねえから……聞いたら、家の方にいるって」
そう言って咳き込んだ彼の声は、ひどくしゃがれていた。無理もない。カイルもまた、村の男衆と共に魔女討伐隊に抵抗しながら、避難の援助や物資の運搬を行っていたのだから。
ふらり、ふらりとその影が近づく。ぎし、と床が鳴く。リュネは、動くことが出来なかった。体のすべてが強ばり、自分のものでは無いような感覚さえしていた。
「……あんたが、あいつらに、討伐隊に向かっちまったのかと思って、それで」
「あのね、カイル」
「リュネ」
と、どさりと、重みがかかった。煙のようなにおいと、人一人分の体温。背中に回された手の形が分かるほど、熱い。
潰されそうなほどの力に、震える腕に、彼の感情が流れ込んできて——リュネの顔は、勝手にくしゃくしゃに崩れてしまった。
「……カイル。カイル。どうしよう、わたし、間違えた」
間違えた。
震える声で表せば、改めて突きつけられるその事実。
そう、リュネは間違えた。アルノ家に抗おうとして、それを望んだ結果、大好きな場所と人たちに酷い損害を与えた。
選んだ以上、背負わないといけない結果だ。けれど、けれど——。
「こんなこと、望んでない。ゆるせない……わたしの選択が、みんなを——」
「それは違う!」
強い、強い声に、リュネは息を飲む。擦り付けられるように、カイルの黒髪が頬を撫でる。
「アルノに抗うって決めたのを、お前自身の選択を、否定するなよ」
「でも」
「あんたが赦せなくても、俺が赦す。そう、言ったろ」
抱きしめていた腕が離れ、リュネはカイルと目を合わせた。伏せられていた琥珀色の双眸が、しっかりと、まっすぐにリュネを見つめる。
「……ああ、そうだ。俺は、あんたの選んだことなら、なんだって認められるんだ。どんな結果を招こうが」
「カイル……」
「だから、あんたがそれを否定するんじゃねえ」
リュネは堪らず、彼の胸に飛び込んだ。黙ってしばらくすがりつき、目をつむる。
ずっと頭の中にいた、リュネを否定する声にノイズがかかる。——あれは、ずっと自分の声だったのだ。
温かくて、しっかりとした、生きている人間の重さと温度。支えてくれて、認めてくれて、もういいよって言ってくれるのを待っているみたいに。
ああもう、このままいっそ、こうしているだけで状況が良くなればいいのに、なんて。
そんな都合のいい妄想を、欠片でも考えた自分の頭を否定するように、リュネは首を振る。
(ばかね。『赦しの魔女』なんて呼ばれておきながら)
他人の過ちはいくつも赦してきた。時間を与え、物資を与え、知識を与え……己に差し出せるものならなんだって使って、赦し認める限りをすべて認めてきた。
だのに、自分の過ちを赦すのは、どうしたってこんなに難しくて、悩ましい。
自分を否定して、責めて、犠牲にして……そのうちに忘れてしまう方がずっと楽で簡単なはず。
だから。
だから、リュネはカイルから離れて、顔を上げた。二本の足で、自分の足でしっかりと、床の上に立って。
ひとまずは、赦せない自分よりも、現実を見ることを選んだのだ。
「——このまま、耐えることはできない」
「ああ」
「わたしの魔法で、彼らを追い払うことは、控えたい」
「ああ」
「……一番いいのは、わたしが、彼らに投降して殺されること」
「……ああ」
繋いだままの指に力が入る。見えている選択肢は、二人とも同じ。
「選べ、リュネ。俺は、あんたみたいに猶予は与えられない。それでも、どんな選択をしようが、それを認める。あんたの意思を、決定を、赦す……けど」
そこで言葉が途切れた。カイルは何かをためらうように横を向き、視線を迷わせた。
繋いだ指先が震える。喉が動いて、くちびるは何か音を発しようとして、留まる。
「カイル?」
「……俺は、あんたに、死んで欲しくない」
はっとするような弱々しい声。リュネはくちびるを真横に結び、肩を強ばらせる。
不機嫌で、強くて、自由を求めて戦い続けたカイルの——きっと、誰にも見せてこなかった内側。凄惨な過去の話をする時でさえ、一欠片も見せなかった彼の『弱さ』。
遠い炎が、彼の横顔を細くなぞる。泣きたくなるほど綺麗で哀しい、どこにでも居る男の子の顔だった。
「……生まれて、初めて俺を肯定してくれた。存在を認めて、名前を呼んでくれた。人と関わらせて、俺を、復讐の鬼から、ただの『カイル』にしてくれた……なあ、リュネ」
俺は、あんたに、死んで欲しくなんかないよ。
星のようにまたたくまなこが、きらきらと水を帯びた光を放つ。いっそ不器用なほどの言葉に、リュネはぐしゃりと視界を歪めていた。
「……カイル」
「なんだ」
「わたしも……死にたくない……死にたくない、よ」
握られていた指を、強く握り返す。肩をすぼめて、リュネは必死で涙を堪えていた。
結ばれたその手を離さないように。離れてしまわないように。
間違っても、自ら手放してしまわないように。
「……ああ。そうだよな。死にたくなんか、ないよな」
「でも、どうすれば……」
「あるぜ、方法」
ぱちり、とまばたきをひとつ。リュネは釣られるようにゆらり、顔を上げる。
そこにいたのは、いつもの、戦う者のカイルの顔だった。
「俺は、決めた。その上で、あんたの選択を聞かせて欲しい」
そう言うと、彼は背すじをぴんと伸ばし、それから場にそぐわないほど優雅な動きで、すっと膝をついた。
それはまるで、王女に仕える騎士のように。
あるいは、神に赦しを乞う人間のように。
「『赦しの魔女』……俺は、復讐をする。あんたには、それを赦してほしい」
風が、眠るように止まった。喧騒は遠く、木造の小屋——ふたりの家には溺れそうなほどの沈黙が満ちている。
復讐。
それは、彼との間で、何度も何度も聞いてきた言葉。
それは、二人を繋いだ因縁の言葉。
それは、リュネとカイルの、始まりの言葉。
——そして、彼が選んだ、選択肢。
「それって……」
そう、こぼしたリュネに、カイルが強く頷く。
金色の目にはもう、どんな迷いも憎悪も見て取れなかった。
「相手は、アルノ家当主——ルシアン・ド・アルノだ」
「全然見かけねえから……聞いたら、家の方にいるって」
そう言って咳き込んだ彼の声は、ひどくしゃがれていた。無理もない。カイルもまた、村の男衆と共に魔女討伐隊に抵抗しながら、避難の援助や物資の運搬を行っていたのだから。
ふらり、ふらりとその影が近づく。ぎし、と床が鳴く。リュネは、動くことが出来なかった。体のすべてが強ばり、自分のものでは無いような感覚さえしていた。
「……あんたが、あいつらに、討伐隊に向かっちまったのかと思って、それで」
「あのね、カイル」
「リュネ」
と、どさりと、重みがかかった。煙のようなにおいと、人一人分の体温。背中に回された手の形が分かるほど、熱い。
潰されそうなほどの力に、震える腕に、彼の感情が流れ込んできて——リュネの顔は、勝手にくしゃくしゃに崩れてしまった。
「……カイル。カイル。どうしよう、わたし、間違えた」
間違えた。
震える声で表せば、改めて突きつけられるその事実。
そう、リュネは間違えた。アルノ家に抗おうとして、それを望んだ結果、大好きな場所と人たちに酷い損害を与えた。
選んだ以上、背負わないといけない結果だ。けれど、けれど——。
「こんなこと、望んでない。ゆるせない……わたしの選択が、みんなを——」
「それは違う!」
強い、強い声に、リュネは息を飲む。擦り付けられるように、カイルの黒髪が頬を撫でる。
「アルノに抗うって決めたのを、お前自身の選択を、否定するなよ」
「でも」
「あんたが赦せなくても、俺が赦す。そう、言ったろ」
抱きしめていた腕が離れ、リュネはカイルと目を合わせた。伏せられていた琥珀色の双眸が、しっかりと、まっすぐにリュネを見つめる。
「……ああ、そうだ。俺は、あんたの選んだことなら、なんだって認められるんだ。どんな結果を招こうが」
「カイル……」
「だから、あんたがそれを否定するんじゃねえ」
リュネは堪らず、彼の胸に飛び込んだ。黙ってしばらくすがりつき、目をつむる。
ずっと頭の中にいた、リュネを否定する声にノイズがかかる。——あれは、ずっと自分の声だったのだ。
温かくて、しっかりとした、生きている人間の重さと温度。支えてくれて、認めてくれて、もういいよって言ってくれるのを待っているみたいに。
ああもう、このままいっそ、こうしているだけで状況が良くなればいいのに、なんて。
そんな都合のいい妄想を、欠片でも考えた自分の頭を否定するように、リュネは首を振る。
(ばかね。『赦しの魔女』なんて呼ばれておきながら)
他人の過ちはいくつも赦してきた。時間を与え、物資を与え、知識を与え……己に差し出せるものならなんだって使って、赦し認める限りをすべて認めてきた。
だのに、自分の過ちを赦すのは、どうしたってこんなに難しくて、悩ましい。
自分を否定して、責めて、犠牲にして……そのうちに忘れてしまう方がずっと楽で簡単なはず。
だから。
だから、リュネはカイルから離れて、顔を上げた。二本の足で、自分の足でしっかりと、床の上に立って。
ひとまずは、赦せない自分よりも、現実を見ることを選んだのだ。
「——このまま、耐えることはできない」
「ああ」
「わたしの魔法で、彼らを追い払うことは、控えたい」
「ああ」
「……一番いいのは、わたしが、彼らに投降して殺されること」
「……ああ」
繋いだままの指に力が入る。見えている選択肢は、二人とも同じ。
「選べ、リュネ。俺は、あんたみたいに猶予は与えられない。それでも、どんな選択をしようが、それを認める。あんたの意思を、決定を、赦す……けど」
そこで言葉が途切れた。カイルは何かをためらうように横を向き、視線を迷わせた。
繋いだ指先が震える。喉が動いて、くちびるは何か音を発しようとして、留まる。
「カイル?」
「……俺は、あんたに、死んで欲しくない」
はっとするような弱々しい声。リュネはくちびるを真横に結び、肩を強ばらせる。
不機嫌で、強くて、自由を求めて戦い続けたカイルの——きっと、誰にも見せてこなかった内側。凄惨な過去の話をする時でさえ、一欠片も見せなかった彼の『弱さ』。
遠い炎が、彼の横顔を細くなぞる。泣きたくなるほど綺麗で哀しい、どこにでも居る男の子の顔だった。
「……生まれて、初めて俺を肯定してくれた。存在を認めて、名前を呼んでくれた。人と関わらせて、俺を、復讐の鬼から、ただの『カイル』にしてくれた……なあ、リュネ」
俺は、あんたに、死んで欲しくなんかないよ。
星のようにまたたくまなこが、きらきらと水を帯びた光を放つ。いっそ不器用なほどの言葉に、リュネはぐしゃりと視界を歪めていた。
「……カイル」
「なんだ」
「わたしも……死にたくない……死にたくない、よ」
握られていた指を、強く握り返す。肩をすぼめて、リュネは必死で涙を堪えていた。
結ばれたその手を離さないように。離れてしまわないように。
間違っても、自ら手放してしまわないように。
「……ああ。そうだよな。死にたくなんか、ないよな」
「でも、どうすれば……」
「あるぜ、方法」
ぱちり、とまばたきをひとつ。リュネは釣られるようにゆらり、顔を上げる。
そこにいたのは、いつもの、戦う者のカイルの顔だった。
「俺は、決めた。その上で、あんたの選択を聞かせて欲しい」
そう言うと、彼は背すじをぴんと伸ばし、それから場にそぐわないほど優雅な動きで、すっと膝をついた。
それはまるで、王女に仕える騎士のように。
あるいは、神に赦しを乞う人間のように。
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風が、眠るように止まった。喧騒は遠く、木造の小屋——ふたりの家には溺れそうなほどの沈黙が満ちている。
復讐。
それは、彼との間で、何度も何度も聞いてきた言葉。
それは、二人を繋いだ因縁の言葉。
それは、リュネとカイルの、始まりの言葉。
——そして、彼が選んだ、選択肢。
「それって……」
そう、こぼしたリュネに、カイルが強く頷く。
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